1-12 辺境の独白
メリークリスマス、自分!
山間部と都市部の境にある診療所。規模は小さいが診療所の無い小規模な集落から高齢者が乗り合いバスに乗って集まり、それなりに賑わっていた待合室。診療の為か、会話する相手を求めて来るのかもはやよく分からなくなった談笑に満ち溢れた空間。顔なじみの中年の看護師、にこやかな老医師・・・国民健康保険の担当者は顔をしかめるだろうが、多くの人には微笑ましい光景が広がっていた。―――――それも少し前までの話。
精根尽き果てたような老医師はくたびれた愛用の椅子に深く腰掛けていた。足を悪くして以来手放せなくなった杖はカランと音を立てて板張りの床に転がった。落ち窪んだ目を上へと向けると先に他界した愛妻の写真が微笑んでいた。
老医師以外の姿は無い。家族を案じていた看護師は強い口調で言い聞かせ早々に逃がしていた。
戸を激しく叩く音が聞こえる、軋み、歪み、今にも壊れそうな音であった。
古びたカセットテープのレコーダーがキュルキュルと音を立てて回っている、ぼそぼそと渇いた口から漏れる言葉は記録を後世に残すためではなく、誰の為とも言えない独白に近い。
「・・・彼女は昔からよく働いてくれていた、無事に家まで辿りつけていると良いのだが。」
ドアの騒音はますます大きくなる。忙しく、独り身とはいえ昼食を即席麺で済ませたのは失敗だったかなと小さく呟いた。
「ああ・・・誰がこれを聞くのかは知らないが・・・顔見知りが変貌し我を失う様子を見るのはとても辛いことだった、そして、それを治療はおろか眠らせることも出来ずに畜生と同じように首に紐をつける行為は・・・縛ることしかできなかった事はさらに辛いことだった。医師として、発注した薬品も届かずに仕方の無いこととはいえ・・・」
渇いた喉を冷め切った茶で潤し独白は続く。
「・・・『器質性意識水準低下症候群』の患者は、それだけで人としての尊厳を大いに傷つけられている。糞尿を撒き散らすが、自身がその匂いを嫌い暴れる、いずれ鼻も慣れてしまい多少は落ち着くのだが。食事を皿に置くと縛られていることも分からないのか恐ろしい勢いで駆け寄ってこようとする、伸びきった縄が首や体を痛めつけているのがまるで気にならないようだった。血走った目で、叫び声を上げる様子には恐怖を覚えた・・・そんな中でも彼女は看護師としての職分を全うしようとしていた、暴れる患者によって軽い怪我を負おうとも、足の悪い私に代わりよくやってくれていた。」
ふぅ、と一息つくと、騒がしい音を立てるドアに目を向けた。
「・・・このような対処でずっとどうにかなるとはとても思っていなかった。しかし、新しい道を見出せなかったことと、そして生き物としての人間を甘く見積もっていた事は問題だったようだ。私はここまでのようだ、いや、ここでいい、この古い診療所こそが私の・・・」
騒がしい音と共にドアの蝶番が吹き飛び、そして汚物にまみれ、髪を乱し、ドアに体をぶつけた為か痣や傷を作った人型の生き物達の姿が見えた。
「さて・・・人間は弱い、軽い事故や病気でも、転んだだけでも死んでしまう・・・だが、軽くても40kg、重ければ70kgはある、大型犬に匹敵する大きさの生物が弱いはずがあるだろうか?いや、無い。野生の動物でも大型の部類に入れていい、そんな体重を支え活動する生物が弱いはずは無かった。その身を省みず暴れて古い診療所の柱を倒し、壁は崩れ、そして今私の昼食の匂いにつられてドアを破壊し・・・しかしまあ、最早昼食は済んでしまった後なのだが・・・おや、それでも向かってくるのか、縛り付けられた恨みがまだ残っているのか、それとも腹をすかせ――――」
ガチャン、という音を最後に、それ以上の音が記憶されることは無かった。
さあて、カヴァのロゼでも空けますかね・・・




