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シュウェルのお菓子の素晴らしさを感じているうちに1日は終わり、第8の試練の日がやってきた。
本日のアウローラちゃん起床係はお母さんで、ふりふりのレースとリボンが可愛い美少女を完成させてくれた。
しかし、肩を出している点がどうにも気に入らなかったらしく、食堂で会ったエドがケープを羽織るよう命じてきたので、ぱっと見のふりふり感は半減した。
そんなことがありながらも無事会場入りを果たし、周りを見回して、ーーーうん?
人が明らかに少なくなっている。会場にいるのは、私も含め15人程度だろうか。
だが、それはまあいい。とりあえず置いておこう。
私の目が何より引き寄せられたのは、ある一人の女の子である。そう、リリアちゃんだ。
第6の試練の際、私たちに声をかけてくれたお兄さんに抱き上げられ、きゃっきゃと楽しそうな声を上げている。
お兄さんの側には、あの怖かった女の人2人が恨みがましい目で2人を見ており、一体何があったのかと我が目を疑った。
確かめたい気持ちが溢れてきたけれど、近づきたくない気持ちの方が大きかったので、真相を探るのは諦めることにする。
おそらく、これは賢明な判断だと褒めてもらえる案件に違いない。参戦する気がないのなら、恋愛絡みの戦いには手を出すべきではないと、かつて誰かが言っていた。
目を逸らして2分後くらいに、神官が3名ほど会場に入って来た。どうやらそろそろ時間らしい。
「それでは、ただ今から第8の試練の説明を始めます。僕は、担当のキャロルです。よろしくお願いします」
キャロルは、18歳の5級神官だ。ちなみに性別は女。『僕』という一人称を使う理由は、キャロルいわく「一番僕に似合うから」らしい。
よく分からないが、本人が自分に似合うと思っているのなら、きっと似合っているのだと思う。
正直、一人称なんていちいち気にしてない……と言いたいところだが、よくよく考えてみると、兄が「あたくち」と言ったら己の耳を疑う気がする。
とはいえ、1週間ずっと「あたくち」を聞いていたら、そのうち慣れる気もする。
じゃあやっぱり……うん、また今度考えようっと。
「第8の試練は、『育成』です」
ほう、育成。私からはほど遠い言葉だな!
「皆様には、第7の試練でシュアの種を手に入れていただきました。第8の試練では、その種を芽吹かせ、花を咲かせていただきます。……一般論として、シュアの種は魔力を糧に成長すると言われておりますので、お伝えしますね」
そう言って、キャロルはにこりと笑った。
「この試練の間は、神官を伴うという条件付きですが、教会の外へ出ても構いません。図書館などでシュアの生態を調べるのもよいですし、鉢や土などを購入するのもよいでしょう。結果として花を咲かせたら、僕のところまで持って来てください。確認ができ次第、合格となります。期間は3日間です。ーーーでは、始めてください」
始めてくれと言われてもねえ。魔力を糧に、ってことは、とりあえず種に魔力を込めればよいのだろうか?
だが、昔似たような性質を持つ植物に魔力を込めた時、ぐんぐんと成長し過ぎて際限なく根と茎と葉を広げ、神官長から大層な怒りを買ったことがある。……うん、やめておこう。3日間のおやつ抜きはもう嫌だ。
「ねえ」
そもそも、具体的にどういう場所でシュアの種が出来るのかは分からないが、自然界で成長した結果だということは間違いないのだ。であれば、大量の魔力だけを必要とするわけでもないのだろう。
「ねえ、あなた」
それに、たとえ芽吹かなかったとしても、私としては構わないのだ。だって聖人になる気なんてないんだもん。
「ねえ!聞いていますの!?」
ガシッと肩を掴まれる。……え、私?
振り返ると、若草色の髪をくるくると立派に巻いた、ご令嬢?がいた。えっと、誰?
「あなた、わたくしの言葉を無視するだなんて、何様のおつもり!?」
アウローラ様って言えばいいのかな?言わないけど。
「……まあいいわ。わたくし、あなたにお尋ねしたいことがありますの。もちろん、お答えいただけますわよね?」
内容によりますかね。
「あなた、わたくしの神と昼夜を共にしたそうね?」
うん?なんて?
「……神?」
「ええそうよ。あなたね、わたくしの神に勝手に近づかないでくださる?」
「……まず、あなた誰ですか?」
それは、至極真っ当な問いだったと自負している。けれど、目の前のご令嬢にとってはそうでなかったらしい。
んまあ、と信じられないものを見るような目でこちらを見て、
「わたくしのことを知らないの⁉︎」
「ええ、まあ」
「どこの田舎娘でしょう!信じられないわ!」
どうも、王都生まれ王都育ちの田舎者です。
「わたくしは、アガスト侯爵家のキュリアキョアヌスタよ」
なんて?
「キュリ……?」
「キュリアキョアヌスタよ」
「キョアさんでいいですか?」
「キュリの方がいいわね」
意外と順応性が高い人だった。
「分かりました。ではキュリさん」
「ええ、何か?」
「私は神と行動を共にした記憶はありません」
これっぽっちもありません。勘違いじゃないですか?
だが、キュリさんはそんな私の回答が気に入らなかったらしい。キリリと眦を釣り上げると、
「嘘おっしゃい!わたくし、見ましたのよ!あなたが神と帰ってきたところを!」
それ人違いでは?と言いたいのをぐっと堪え、会話を続ける。
「神とは、光の神ですか?」
「いいえ違います。アニュタルイエルスタス様の生まれ変わりです」
「え、なんて?」
「アニュタルイエルスタス様」
「……ひとまず、タルさんでいいですか?」
「どうしてそこを切り取ったのです……?」
一番記憶に残ったからです。理由なんてそれしかありません。
とはいえ、生まれ変わりか。それも、神の生まれ変わり。
……ん?なんかどこかで聞いたことのある話だぞ?どこで聞いたんだっけ。つい最近の話だったような気がする。どうでもいいことはすぐに忘れてしまうんだよなあ。反省、反省っと。
「具体的に誰が生まれ変わりなんですか?」
いくら頭を叩いたところで答えが出てきそうになかったので、諦めて尋ねることにする。
すみませんね、神の生まれ変わりを忘れてしまって。悪気はないんです。本当です。ただ、これっぽっちも覚えてないだけなんです。
「それはもちろん、エドアルド第三王子殿下です」
……ああ!それだ!!
思い出した。そういえば、エドから話を聞いたんだった。シュウェルのお菓子セットは覚えていたんだけど、他はそれにかき消されていたというか。ごめんごめん。
つまり、目の前のキュリさんは、エドの自称婚約者候補のご令嬢か。へえ、この人が。
ほー、へー、と思いながら見つめていると、「あの、」と後ろから誰かが話しかけてきた。
後ろを振り返ると、キャロルの姿があり、どうやら心配で声をかけてくれたと分かる。
心配で……あれ?私ではなくキュリさんを心配そうに見ているぞ?
「いかがなさいましたか。この方が何かご迷惑でもおかけしましたか?」
かけてないかけてない。話しかけられたのは私です!
無言で主張するが、キャロルは一向にこちらを向いてくれなかった。ねえちょっと。
「いいえ。ですが、この方とお話ししたいことがございましまので」
「そうですか。失礼ですが、内容を伺っても?」
「アニュタルイエルスタス様のことです」
「……はい?」
「アニュタルイエルスタス様です」
「…………なるほど。アニュタルイエルスタス様ですか」
やばい、なんて出来る子なんだ。あのよく分からない名前を2度聞いただけで覚えるとは、末恐ろしい。
もっともらしい感じで頷いて、「失礼」と軽く頭を下げた後、ぐるりと私の方へ顔を向けて囁いてきた。
「アニュタルイエルスタス様って誰ですか?」
「知らないよ。でも、エドは生まれ変わりなんだって」
「生まれ変わり……?ああ、あれ」
どうやら記憶が繋がったらしい。
はいはい、と数度頷いた後、再びキュリさんへと向き直る。
「エドアルド神官が生まれ変わりかどうかは一旦置いて、今は試練に集中なさるのはいかがでしょう」
「無理ですわ!」
そっか、無理かあ。そうだと思った。
仕方ないので、横から顔を出して話しかけてみる。
「あのう。ところで、タルさんって結局何の神なんですか?」
「よくぞ聞いてくださいました。……これですわ!」
懐から何かを取り出す。……ううん?これは……。
「何かの挿絵?」
「これは、我が神聖なる物語の一幕、アニュタルイエルスタス様が信心深き信徒の前に降臨された場面です」
「つまり、物語の登場人物ってことですかね?」
「違います。そんな陳腐な言葉で表現しないでください。神です」
「なるほど」
物語の登場人物か。
まあ、とある1つの物語を愛し過ぎた人が、その物語に出てくる人物を神と呼ぶこともあることは、私も知識として持っている。
王都内を適当に回っているときに、その人たちの集会を見たこともあるし、なんなら聞き役専門で参加したこともある。
その場所では、誰の意見でどんな内容であったとしても、否定しないことを大原則として皆が共有していた。だから本来なら、キュリさんに対してもそうすべきなのだと思う。
とはいえ、ことはエドに関する内容だ。
エドがタルさんに似ているかどうかは、正直どうでもいい。だが、私はこれからも王都に住み続け、王都内でエドにお菓子を奢り続けてもらう所存である。なので、共にいることだけで文句を言われるのは困る。とても困る。
……お?
「キュリさん。本当にエドアルド神官はタルさんの生まれ変わりに足り得るでしょうか」
「……どういうことですの?」
怪訝そうにキュリさんが問い返してくる。
「よく考えてください。エドアルド神官……長いのでエドと呼びますね。エドはタルさんと同一だと本当に言えるのでしょうか」
「当然です。容姿がそっくりですもの」
「そうですか。でもそれは、本当に、一分の隙もなく同じと言えますか?」
「い、一分の隙もなく?」
キュリさんは戸惑いを含んだ表情を浮かべる。
「ええ、そうです。神の生まれ変わりと言って許されるためには、一分の隙もなく、完璧に同じでなければならないと私は考えます。少しでもタルさんと同一でない部分があるにも関わらず、エドという人間と神を同一視するのは、神に対して非常に失礼な行為ではないでしょうか。それともキュリさんは、神という存在に対し、曖昧な部分があっても許されるとお思いですか?ええ勿論、解釈の仕方は人それぞれです。私は、私の意見とは異なる意見も許容しましょう。ですが、神に対する態度としてはいかがでしょうか。確かに、神は寛容かもしれません。けれど、それに甘えて自らの基準を緩めるのは一人の信者としてどうなのでしょうね。いえ、それでも構わないとは思います。ええ、こういった考え方は人それぞれですから。それに、私の意見が正しいという保証もありませんもの。けれど私が思うに、キュリさんはそれを是としない人ではないでしょうか。キュリさんほど深い信仰心をお持ちの方が、その基準を揺らがせるといったことはないはずです。それはキュリさんがキュリさんたり得るために必要なことであり、キュリさんご自身が何よりも大切にしていらっしゃることでしょう」
キャロルが信じられないものを見るような目でこちらを見る。
……うん。まあ、言いたいことは分かる。
まさか私が、こんな風に畳み掛ける勢いで、キュリさんの考えに異を唱えるとは思っていなかっただろうし、そもそも私の口から、こんなパッと聞いた感じもっともらしいような雰囲気を醸し出す言葉が出てくるとは思っていなかったのだろう。
もちろん、私も思っていなかった。
だが、よく見てほしい。会場の、ちょうど私の視線の先にいる神官たちが掲げているものを。
そして、いつの間にか、神官たちの誘導で会場内から聖人候補者たちがいなくなっていることを。
私はただ、視線の先に掲げられたものを忠実に読み上げているだけなのだ。
読んでいるうちにちょっと興が乗って、ノリノリで読んでしまっているところはあるにせよ、発言内容自体は神官たちの指示通りである。
「ねえ、キュリさん。どうかもう一度よく考えてみてください。……エドは、あなたの神ですか?」
真剣そのものの顔でキュリさんにずいと近づく。
……上手くできてるかな?あ、できてますか、そうですか。それは良かった。
キュリさんはしばらく戸惑った表情を浮かべていたが、私の問いに対して、真剣に考え始めてくれた。
きっと根が真面目なのだろう。とっても優しい人である。
そして数分後、キュリさんはゆっくりと顔を上げる。
「ーーーエドアルド殿下は、わたくしの神とは違います。わたくしは、自身の願望を殿下に押し付けていました」
ギュ、と唇を引き結ぶ。
信じたくない、というように瞳を揺らすが、前言撤回をしないところに彼女の心の強さを感じた。
「……どうしましょう。わたくし、アニュタルイエルスタス様にも殿下にも、失礼なことをしてしまいました」
そう言って再び俯いてしまったキュリさんの手を、私はそっと握って持ち上げる。
そして、つられるように顔を上げた彼女に、
「大丈夫ですよ」
にこりと笑いかける。
「タルさんも、エドも、キュリさんを許してくれます。自らの過ちを認め、それを正そうとするあなたを、許さないなどということがあるでしょうか。あのお二人は、そのような狭量な方でしょうか。ーーーねえ、エド」
弾かれたようにキュリさんが後ろを振り返り、そこにエドがいることに「あ……」と小さく声を漏らす。
「アガスト殿。私は、貴殿の過ちを許そう」
「殿下ーーー」
「アニュタルイエルスタス様も、貴殿をお許しになるだろう。貴殿の神とは似つかない、私のような卑小な人間ごときが、神の心を語るなどおこがましいことではあるがな。……ただ、願うのであれば。もう二度と同じ過ちを繰り返さないことを、貴殿に誓ってほしいと思う」
「ーーーはい。殿下。わたくし、誓いますわ」
重々しく、キュリさんが頷く。
まるで非常に重大な……いや、事実重大なのだろう。
私にはよく分からないが、私には分からないけれど重大なことは、世の中数えられないほどたくさんある。これもその1つだったに違いない。
「あなたにも、迷惑をかけましたね。お詫び申し上げますわ」
「あ、いえ。全然気にしないでください」
「いいえ。大切なことに気づかせていただいたのですもの。今後もし何かあれば、我がアガスト侯爵家においでなさい」
私自身は、神官たちの考えた言葉をただノリノリで読んでいただけなので、正直気づかせたつもりもないのだが、どうやら何らかの味方を手に入れたらしい。
……じゃあ早速ですが、最近できた予約半年待ちと噂のご飯屋さんにコネないですかね?え?そんなことを願うな?まだ何も言っていないのによく分かったねさすがエド!
キュリさんが颯爽と去っていく。心なしか、背中から自信が溢れていて、声をかけられた時よりもレベルが上がっている気がする。まあ、何のレベルかは不明だが。
先ほどまで台詞の書いた紙を掲げていた神官たちが、「何もなかったですよ私たちはずっと直立不動でいましたとも」とでも言いたげな、絵に描いたような真面目な顔でキュリさんを見送り、彼女が会場から出ていくと速やかに扉を閉めた。
そして、会場に残っている者たちで、お互いに顔を見合わせる。
「「「お疲れ様でした」」」
「ありがとうございました」
肩の荷が降りたと、エドが晴れやかに笑った。




