File-38【潜入報告】船通山戦(6) ――君を正しく愛してあげるために
【お知らせとお詫び】
第22話につきまして、古い設定のまま投稿されていた部分があったため、昨日2026/11/03に一部改稿いたしました。
呪槍の攻略ロジックが含まれておりますので、すでにお読みいただいた方も、お手数ですが今一度第22話をお目通しいただけますと幸いです。
「じいじはね、いつかこんな風に琥珀と語り合う日が来るんじゃないかと思っていたんだ」
血と泥と、換気装置から漂う白檀の香りが入り混じった匂いが立ち込める混沌とした工場の中で、大叔父はまるでティータイムでも始めるかのように、ひどく穏やかな笑みを浮かべた。
パチンッ、と。
軽快な指鳴らしの音が、冷たい空間に響き渡る。
直後、重々しい機械音と共に、私たちの間の床が円形に切り抜かれたように下降した。
代わりにせり上がってきたのは、アンティーク調の革張りソファが二脚。
まるで劇場の舞台装置のような、工場にはあるはずのない仕掛けだった。
「立ち話もなんだ。掛けなさい」
言うが早いか、大叔父は出口側に近い方の椅子へ腰を下ろす。
退路を塞ぐ、計算された配置だ。
私は動かず、ただ無言でその狂人を睨みつけた。
手元の刀はいつでも振るえるよう、霊力の循環を絶やさない。
床から椅子がせり上がってくるような狂った場所だ。
いつ何が起きるかわからない。
警戒する私を見て、大叔父は心底愉快そうに喉を鳴らした。
「ふふっ、そんなに怖い顔をしないでくれ。本当に、琥珀とゆっくり話ができるんじゃないかと用意したものだ。何の仕掛けもない、ただの椅子だよ」
その言葉の真偽を確かめるように、私は目を細め、椅子の霊波を確認する。
少なくとも、呪術的な仕掛けはないと見える。
(――ハク、進捗は)
表面上は沈黙を保ったまま、私は背後の光の繭へ向けて念話を飛ばした。
《もう少しだ。時間を稼げ》
ハクの緊迫した声に、私は一つ深く息を吐き出した。
怒りで煮え滾る内臓を、分厚い氷で強制的に覆い隠す。
今は斬りかかる時ではない。
緋月の命を繋ぐため、この老人の身勝手な「答え合わせ」とやらに付き合い、一秒でも長く時間を稼ぐ盤面だ。
私は刀の切っ先を下げ、ゆっくりと歩み寄り、大叔父の対面にある革張りの椅子へと腰を下ろした。
「……良い子だ」
私が刃を収めて対話の席に着いたその様子を、大叔父は聞き分けの良い子供を褒めるように、ひどく満足げな瞳で見つめていた。
「どこから話そうか……。まずは、君のご両親のことからかな」
その言葉を聞いた瞬間、私の肩が微かに、しかし確かに跳ねた。
「琥珀が七歳の、『帯解の儀』の日だったね。初代鳴神家当主が眠る祖霊社へ詣でた時のことだ」
大叔父は懐かしい思い出でも語るように、目を細めて宙を仰いだ。
祖霊社――初代当主を祀る社。
そして、その地下深くには、かつての先祖たちがどうしても祓い切ることができず、封印を施すことしかできなかった災害級の禍憑き――『極禍憑き』が安置されていた。
「あの日、私たち家族は封印が解けた極禍憑きと共に、社内部に閉じ込められました」
「ああ。愚かな社守の蛮行によってね」
「……仕方のないことでした」
膝の上で、きつく拳を握りしめる。
「本来、祖霊社の結界は二段構えになっていたはずです。極禍憑きを封じる社の『内部結界』と、敷地全体を覆う『外郭結界』。万が一、極禍憑きの封印が破れても、社守が素早く中の人間を外郭へ逃がし、人間が結界の外へ避難した後に化け物を外郭結界の中に閉じ込める。……退避用エリアとしての機能が備わっていた」
私が淡々と事実を並べると、大叔父は口元に笑みを浮かべたまま相槌を打つ。
「その通りだ。だが、あの日、社守は君たち一家を社へ閉じ込めた。君たちを助けようともせず、ただ見殺しにしたのだ」
「……そうしなければならない理由があったんです」
脳裏に蘇るのは、暗闇の中で聞いた社守たちの悲痛に満ちた謝罪の声。
そして、重い扉が外側から無情に封鎖されていく、あの決定的な音。
彼らは私たちを恨んでいたわけでも、見捨てたわけでもない。
ただ、そうする以外に『外の世界』を守る手段が残されていなかったのだ。
「あの日、外郭結界は『極禍憑きを閉じ込められる強度』にはなっていなかった」
緋月を失い、土御門家の庇護下に入るまでの三年間。
泥を這うような思いで過去の決裁ログを読み解き、ようやく辿り着いた真実を、静かに目の前の男へ突きつける。
「事件の数ヶ月前、ある『コスト削減案』を通した者がいます。外郭結界を常に、極禍憑きを封じ込めるほどの最高強度で維持するのは呪符の無駄であると」
「…………」
私の告発に大叔父は一言も発さない。
ただ目を閉じ、小鳥のさえずりでも楽しむかのように、極めて穏やかな笑みを浮かべていた。
「『強大な禍憑きと言えど、千年もの間、保たれてきた強力な封印が、ある日突然、無警告で解けることなどあり得ない。必ず事前に、綻びという予兆がある。ならば、平時の外郭結界は外からの穢れを弾く程度の低コストに落としておき、予兆を検知してから封印の補強と共に高位の呪符を手配し、強度を引き上げればいい』……という案です」
「ああ。鳴神家も五行の支柱とはいえ、金銭的に無尽蔵の余裕があるわけではない。適正なコスト管理は、組織を運営する上で必須の処置だろう?」
さも当たり前のことのように、大叔父は肩をすくめる。
この男は、その「経費削減」というたった一枚の通達によって、私の家族が引き裂かれたことを知り尽くしているくせに。
「ええ。呪術的にも、経営的にも、正しい判断です。――何者かが封印に細工さえしなければ」
私の告発を受けても、大叔父の笑みは揺るがない。
難解な問題に挑む姪孫の成長を見守るような、どこまでも優しく、穏やかな眼差しのままだ。
「特定の霊波が近づいた時のみ、地下に封じられた『極禍憑き』の封印が突然解けるよう、何者かが細工をしていた。簡単だったでしょうね。白虎憑きと、それ以外の術者を区別することなど」
普段なら千年続く封印に守られた、安全なはずの社。
それなのに――私が足を踏み入れ、社の戸が閉ざされた、まさにその瞬間。
「封印はなんの警告もなく弾け飛んだ。極禍憑きが目覚め、社守たちは私たちを逃がそうと扉に手をかけた。……けれど、気づいてしまったんです。当時の外郭結界では、極禍憑きを封じることなど不可能なことに」
一息で語る私の声に、静かな怒りが滲む。
「扉を開けて私たちを逃がせば、極禍憑きは強度の足りない外郭結界など一瞬で粉砕し、街へ解き放たれてしまう。応援の呪符を手配する時間なんて一秒もない。……だから彼らは、街を守るために私たちを見殺しにするしかなかった。残った全リソースを『内部結界』に叩き込み、社を完全封鎖するという、血を吐くような決断を強いられたんです」
「…………」
「この状況はすべて、貴方が仕組んだものですよね? 大叔父様」
大叔父は痛ましそうに胸へ手を当て、心底心を痛めたような痛切な表情を作ってみせた。
「私はいつでも助けに入る準備をしていたんだよ。だが、愚かな社守が施した内部結界が過剰過ぎてね。……私ですら、容易には破れなかったんだ」
「ハッ……時が満ちるまで助ける気もなかったくせに、白々しい」
吐き捨てた声に、自嘲の色が混じる。
閉じ込められ、目の前に突如現れた異形にパニックを起こした七歳の私は、ハクを顕現させることすらできなかった。
――両親が、私を庇って致命傷を負う、その瞬間まで。
幼い私の悲鳴に応えるように召喚されたハクが、禍憑きを死闘の末に祓い、ようやく社の戸が開いた時。
血の海の中で膝をついていた私は、心から安堵したのを覚えている。
自分と両親を地獄に突き落とした張本人であるこの男の腕に抱かれ、何も知らずに、救世主にすがるように泣きじゃくったことも――。
「その命を賭して己が子を守る。それが親の義務というものだ。そして、遺された子の庇護を引き継ぐことこそが、残された私たちの役目だよ。……もっとも、あの時は白虎様に先を越されてしまったのだがね」
「結果、白虎の神気に当てられて極禍憑きの封印が解けたことが原因、などという建前も作りやすかったわけですね」
私が、当時の報告書に記されていた『公式見解』を皮肉交じりに突きつけると、大叔父はひどく心外だというように片眉を上げた。
「決して建前ではないんだよ。白虎様の神気と君の霊力は魂のレベルで混ざり合っている。いくら白虎様が神気を抑えたとしても、琥珀から発せられる霊気には白虎様のそれが混ざるのだから」
大叔父は「理解してくれ」とでも言いたげに、両手を優しく広げてみせた。
私から漏れ出る神気ごときで、千年と続く封印が解けるわけがないというのに。
「だからこそ、だ。強大すぎる力を宿し、両親を失って傷ついた幼い君を正しく導き、守ってあげられるのは私しかいない――そう確信したんだよ。私は琥珀を心から愛している。故に親権は私にと、当主様――兄上に強く願い出た」
だが、と。
大叔父は心底悲しそうに眉をひそめ、大袈裟に首を振った。
「兄上は、親権は自分が取ると固執なさった。せめて琥珀の意思で私の元に来てほしかったのだが……あいにく当時、君は白虎様以外には誰にも心を許さなくなってしまっていた。……実に痛恨の極みだよ。私の手の中で大切に育て上げるつもりだったのに。兄上と、あろうことか分家の世話役にまで邪魔をされるとはね」
吐き気がするほどの身勝手さ。
両親の命を奪い、精神的に追い詰め、孤立させた上で「唯一の理解者」として私を囲い込み、完全に支配下に置く――。
それが、この男が七歳の私に仕掛けた最初の罠の全貌だったのだ。
しかし、ショックのあまり心を閉ざしてハク以外を拒絶した幼い私の反応と、当時の当主であるお祖父様、そして、音無家の温もりによって、奴の描いたシナリオは完璧な成就を阻まれたのだった。
「だから、次は音無の家の者を狙ったのですね」
大叔父は、ただ静かに宙を見つめ――。
やがて、ゆっくりと、その唇を三日月のように吊り上げた。




