File-01【業務日報】双星比和の儀 ――実家には絶対帰りません
東京、新宿。
狭いビルの隙間に淀むゴミの臭い。
遠くの喧騒が壁を網のように響く暗がりで――
閃く白銀の刀身が、ヘドロと肉塊の醜く癒着した異形――『禍憑き』の胴体を一刀両断した。
鋭い剣筋を追うように鮮烈な銀髪がふわりと跳ね、その隙間から、猫のような金色の瞳が射抜くように光る。
粘ついた肉塊は瞬時に乾いた塵へと変わり、ハラハラと空間を舞った。
それは生ぬるい風となって、新宿の路地裏の闇へ跡形もなく溶けていく。
手元の刀を空間に霧散させ、腰までをすっぽりと覆ったナイロンジャケットを羽織り直して、ふうっと息をつく。
スマホを取り出し、宛先『姫ちゃん』のチャットルームに『任務完了』とだけ打ち込んで画面を閉じた。
上を見上げると、ギラついたネオンの光が星の見えない夜空を毒々しく照らしている。
人が密集し、感情が淀むこういう場所には、どうしたって人間の怨念や悪意が底に溜まりやすい。
それらが現代の汚泥と癒着し、先ほどのような異形――私たち術師の間で『禍憑き』と呼ばれるバケモノとなって、さらなる悪意を助長したり人間を襲ったりする。
こいつらを人知れず祓う。
それが、私、陰陽五行の術師・鳴神琥珀の仕事だ。
世界を構成する五つの理――木、火、土、金、水。
私は五行の中の『金行』の使い手である。
その力を利用して、普段はここ新宿の片隅で、ひっそりと『探偵』の真似事をしている。
⭐︎
雑居ビルにある探偵事務所・兼自宅に戻り、重い扉を開けると――。
「んにゃあ」
薄暗い玄関で出迎えてくれたのは、家猫サイズに縮んだ白い毛玉。
私が『ハク』と名付け、唯一の家族として共に暮らしている金行の神獣――白虎だ。
私と同じ金色の瞳に、白く、まばらに黒の混じったふわふわの毛並み。
今は猫のようだが、必要とあらば神々しい白虎の姿で戦闘にも助力してくれる頼もしい相棒である。
本来の白虎の姿なら、声に出して話すことも、魂のパスを通じて念話を交わすこともできるのだが、今の彼はあえてそれをしてこない。
この賢くてあざとい相棒は、愛らしい猫状態の時はわざと言葉を封じている節がある。
その代わり、『おかえり』という温かな感情の波だけを、直接私の胸へと流し込んでくるのだ。
言葉はなくとも相棒の言いたいことははっきりとわかるので、私も大して気にしていない。
「ただいま〜、ハク。いい子にしてた?」
「にゃ」
しゃがみ込んで顎の下を撫でると、待ってましたとばかりにグルグルと喉を鳴らしてすり寄ってくる。
ハクが歩きやすいよう、床にだけは物を置かないようにしているが、視線を上げた先の仕事用デスクは、空のチューハイ缶やコンビニ袋で悲惨な有様だ。
ふと、足元にいたハクが私の横をすり抜け、散らかったデスクの上にぴょんと飛び乗った。
「あーー、だめだめ、そんな汚いとこに行っちゃ……」
苦笑して手を伸ばそうとした私の口から、ふっと言葉が途切れる。
――刃のように冷たい、金の霊力。
自身の術師としての感覚が、己のものとは異なる、硬く無機質な霊力の残滓を即座に感知した。
警戒とともに視線を向けると、ハクがデスクの「ある一点」を、ひげを揺らしながら前足でチョイチョイと小突いていた。
「なるほど、ハクは賢いね」
「にゃっ、にゃっ」と鼻を鳴らし、親の仇のようにペシペシと連続で叩く。
私にとってこれが不愉快な知らせだと理解して、代わりに文句を言ってくれているのが伝わってくる。
そんなハクの足元。
散らかったチューハイ缶や書類の山の一番上に見せつけるように鎮座していたのは、この部屋には不釣り合いなほど立派な、純白の和封筒だった。
郵送ではない。
私が留守の間に、術式による空間転送で一方的に送りつけられたのだ。
表書きには『双星比和の儀』。
「はぁーーーー、やっぱ来たかーーー……」
差出人とその霊力の気配を確認した途端、鉛のように重い疲労感がどっと押し寄せ、思わず片手で顔を覆う。
気遣わしげにこちらを窺うハクをたまらず引き寄せ、その柔らかい背中に顔を埋めた。
ハクの温もりと、秋晴れの空のように爽やかで凛とした神気が、今の私にとって唯一の安心材料なのだ。
封筒の送り主は、金行本家――感情を削ぎ落とした合理主義の掃き溜め。
つまり、私の生家からの招集令だ。
そして、『双星比和の儀』。
それは、すべての術師が二十歳を迎えた年に必ず強制される、逃れられない因習だった。
術師たちがこの因習を強制されるのには、嫌になるほど合理的な理由がある。
術師が持つ霊力は、肉体の成長に伴って強力になっていく性質を持つ。
だが厄介なことに、二十歳前後で器となる身体の成長が止まっても、霊力の増幅は止まらない。
個人差はあれど、いずれ器の限界を超えた力は体内で暴走し、術師自身の『生命力』を削りながら燃え盛ることになる。
それを防ぐのが『双星比和』だ。
同じ属性の術師同士で霊力を重ね、互いの気を共鳴させることで、体内の気の巡りを円滑にし、安定させる。
さらに、気の相乗効果により出力される力自体も跳ね上がるので、器の限界を超えた霊力が体内に溜まり続けるのを回避できる仕組みだ。
自壊を防ぐ確かな安全装置でありながら、術師自身も強大な力を得ることができる。
生存戦略としてのメリットは、術師の端くれとして理解しているつもりだ。
だが、問題は術式によって「最も霊力の波長の合う相手」――すなわち双星が、『自動的』に決められること。
紙一枚に血を垂らしたら、それで終わり。
たとえ心から別の誰かを双星として望んでいたとしても、術式というシステムが弾き出した結果がすべて。
個人の意志など一切介在しない。
システムで術師を管理することを是とし、人をモノとして見ているあの家の一員でいるのが嫌で、私はすべてを捨てて東京に出てきた。
ただ自立することだけを求め、ようやくの思いで小さな探偵事務所を独立させた。
本家の息がかからない、しがらみのない私だけの人生。
(完全に、抜け出したつもりだったのに……)
幾重もの偽装ルートを暴き、私のデスクに届けられた『転送された手紙』が、そのささやかな抵抗をせせら笑っている。
「……双星なんていらない」
奥歯を強く噛み締め過ぎたせいか、血の味がする。
「帰るわけないじゃん。あの子と約束したんだから」
目を閉じれば、幼い頃に姉弟のように過ごした、自分と似た容姿の少年が浮かんでくる。
『琥珀ちゃんの双星は僕がなる! だから、ずーっと、一緒にいようね!』
穏やかに笑う赤い瞳の面影をかき消すように、ぎゅっと強くまぶたを閉じた。
私は重いため息をつき、買ってきたばかりの冷えたチューハイのプルタブを気怠げに開ける。
炭酸を喉に流し込んでも、静かすぎる部屋の中では、自分の呼吸音すらやけに空虚に響いた。
「私がそばにいてほしい人なんて……もうみんな死んじゃったっていうのにね」
父も、母も、大切な幼馴染も。
そう自嘲気味にこぼした私を慰めるように、ハクが腕の中で『クルル……』と短く喉を鳴らした。
パスを通じて、静かな励ましの感情が流れ込んでくる。
「大丈夫。私の霊力はハクと分け合っているから」
儀式なんて受けなくても大丈夫。
――私の命が尽きるその日まで、この子だけは絶対に守り抜く。
腕の中の、不安げな温もりをそっと撫でた。
第一話、お読みいただきありがとうございます!
本作は基本的に毎日更新ですが、比較的ゆっくりと展開していく物語です。
主人公・琥珀の奮闘と、周囲の苦労(?)を、あたたかく見守っていただけると嬉しいです!




