職人の見積もりと、辺境領のガタついた台所
「――一種ケレン、および二液型エポキシの吹き付け塗装、完了だ」
俺がトントンと足場を降り、腰のコンプレッサーのスイッチを切ると、周囲の静寂がようやく破れた。
「す、凄い……。完全に、魔王軍の呪いが消えている……」
金髪の令嬢――リーゼロッテが、感動に震える手で純白に生まれ変わった門扉に触れている。
さっきまで触れる者の命を吸っていたドス黒いオーラは消え失せ、今は触れるだけで心が洗われるような、圧倒的な聖魔力の障壁と化していた。
白装束の術師たちは、鉄格子の前に膝をつき、まるで神の遺物を拝むようにブツブツと呟いている。
「バカな……。我々結界術師が十人がかりで一週間かかっても中和できなかった『深淵の結界』が、わずか数十分で、これほど強固な聖なる門に塗り替えられるなんて……」
「しかも、この表面の滑らかさはなんだ!? 刷毛の跡すら見えない……! これが、あの男の言う『ワンコート・マスター』の奇跡なのか……!?」
いや、奇跡じゃねえよ。ただのスプレーガンによる吹き付け塗装だ。
下地が完全に綺麗になってりゃ、エポキシ樹脂の隠蔽力でこれくらい一発で染まる。
「あの、タクミ様……とおっしゃるのですね?」
リーゼロッテが、上気した顔で俺の前に歩み寄ってきた。
ドレスの裾を上品につまみ、深々と頭を下げる。
「私はこの先の辺境領を治める、アルベルト子爵家の長女、リーゼロッテと申します。この山道が塞がれ、領地が孤立して破産寸前だったところを救っていただきました。……本当に、ありがとうございます!」
「いや、行き倒れてた俺を起こしてもらった恩返しだ。気にするな」
「いいえ! 恩返しなどという規模ではありません! 我が領を救ってくださった英雄に、何も報いないわけにはいきません。……どうか、我が屋敷へお越しください。精一杯の歓待をさせてください!」
英雄、ねえ。
ただサビを落としてペンキを塗っただけなんだが……。
まあ、行くあてもないし、まともな飯と宿にありつけるなら職人として断る理由はない。
「……分かった。じゃあ、まずはこの『現場』を片付けるから、ちょっと待っててくれ」
俺は鉄格子に向き直り、パチンと指を鳴らした。
「――【足場解体】」
ガシャガシャガシャッ! と、鉄格子の周囲を囲んでいた頑強な鋼の単管足場が、一瞬で光の粒子となって消滅する。
「ひゃあっ!? あ、あの立派な鉄の建造物が一瞬で……!?」
「仕舞い(片付け)まで完璧だな……。あの男、やはり只者ではない……!」
術師たちがまた腰を抜かしているが、現場を綺麗に片付けて帰るまでが職人の仕事だ。ゴミや足場を置きっぱなしにする奴は、プロ失格である。
◇◇◇
リーゼロッテの馬車に同乗させてもらい、山道のトンネルを抜けて数時間。
到着したアルベルト領の街は、のどかではあったが、どこか寂れていた。
案内された子爵家の屋敷も、かつては豪華だったのだろうが、今は随所の壁の塗装が剥げ、木部が紫外線のダメージでカサカサに乾燥している。
「……絵に描いたような予算不足の現場だな」
「うっ……面目ありません。魔王軍の嫌がらせで流通が止まり、屋敷の修繕費どころではなかったのです……」
俺の独り言を聞いたリーゼロッテが、恥ずかしそうに頬を赤くした。
いや、責めてるわけじゃない。職人としては、これだけ「塗り甲斐」のある物件を見ると、逆に血が騒ぐのだ。
その日の夜、歓迎の晩餐が開かれた。
出てきた料理は、辺境の割には美味かったが、品数は少なめだった。本当に財政が厳しいのだろう。
食事の席で、リーゼロッテの父親であるアルベルト子爵から、ずっしりと重い袋を手渡された。
「タクミ殿、これが今回の『門の修繕』に対する報酬だ。我が家の現状では、これが精一杯で申し訳ないが……」
袋を開けると、中には金貨が30枚も入っていた。
王都のクソ騎士に投げつけられた銀貨5枚とは、比べ物にならない大金だ。
「……ずいぶん、弾んでくれたな」
「当然です! 国家お抱えの結界術師に依頼すれば、金貨100枚でも足りない案件でしたから。むしろ、これでも足りないくらいです」
リーゼロッテが真剣な目で言う。
技術を正当に評価し、相応の対価を支払おうとしてくれる。それだけで、この現場(領地)のために一肌脱いでやろうという気が湧いてくるものだ。
「よし、この報酬は確かに受け取った。……ところで、お嬢ちゃん」
「はい、何でしょう?」
「さっきから、厨房の方で、妙なガス臭いっていうか、魔力の焦げ臭い匂いが漂ってきてるんだが……ちょっと見せてもらってもいいか?」
「え? 厨房ですか?」
リーゼロッテに案内され、屋敷の台所へ向かう。
そこでは、料理長らしき頑固そうなドワーフの親方が、煤まみれになりながら大きな魔導コンロと格闘していた。
「クソがッ! また火力が安定しねえ! これじゃお嬢様の明日の朝食のスープが作れねえぞ!」
魔導コンロの奥からは、不完全燃焼を起こしたドス黒い魔力の煙がモクモクと上がっている。
「どうしたの、バルド?」
「おお、リーゼロッテ様! いや、このコンロの『魔力回路』がイカれちまいましてな。王都の魔導技師に見てもらったら、寿命だから金貨50枚で買い替えろって言われちまったんですわ! そんな予算、どこにあるってんだ!」
ドワーフのバルドが床を叩いて悔しがる。
俺はコンロの裏側に回り込み、魔力の噴出孔をじっと覗き込んだ。
頭の中にデータが弾ける。
「……おいおい」
俺は思わず苦笑した。
「買い替えなんて必要ねえよ。ただの『油汚れによるノズル詰まり』と、排気口の『塗膜の炭化』だ」
「あぁん!? なんだお前は! 聖なる魔導具をただの油汚れ扱いするんじゃねえ!」
「うるせえな。バルドと言ったか。お前、肉や野菜を炒めた油を、そのままコンロの裏に飛び散らせっぱなしにしてただろう。それが魔力熱で焼き付いて、カーボン(炭素化)してんだよ。だから魔力の通り道が狭くなって、不完全燃焼を起こしてる」
俺は腰の釘袋から、強力な「油汚れ用洗浄剤」と、真鍮製のワイヤーブラシを取り出した。
「おい、新入り! 何をする気だ!」
「何って、塗装の基本だよ。――油分がある場所に、良い仕事はできねえ」
俺はコンロの魔力ノズルに向かって、洗浄スキルを発動した。
「――【脱脂洗浄】!」
シューーッ! と透明な魔力の霧が吹き付けられた瞬間、何年もの間、コンロの奥にこびりついていた頑固な油汚れと黒炭が、ドロドロと溶け出して剥がれ落ちていく。
「な、なんだと……!? 削っても落ちなかった魔導具の汚れが、みるみるうちに……!?」
さらに俺は、熱でボロボロになったコンロの内壁に、釘袋から取り出したグレーの液体をハケで手際よく塗っていく。
「――【耐熱遮熱上塗り(サーモ・バリア)】」
サッサッサ、と無駄のないハケさばきで、2000度の熱にも耐える前世の『耐熱塗料』をコーティングしていく。
塗り終わった瞬間、コンロの内側がピカピカのガンメタリック色に染まった。
「よし。これで熱が外に逃げねえし、油も弾く。……親方、火をつけてみろ」
「お、おう……」
バルドが恐る恐る点火スイッチを入れる。
――ゴォッ!!!
次の瞬間、コンロから、一切の煙のない、完璧に透き通った「美しい青い魔力炎」が勢いよく噴き上がった。
「なっ……なんだこの美しい火は!? 俺が買った時よりも、遥かに火力が安定してやがる……!!」
バルドがコンロにすがりつき、信じられないというように目を見開いた。
「よし、指触乾燥ヨシ」
俺はハケをきれいに拭き取り、釘袋に収めた。
「金貨50枚の買い替えはナシだ。洗浄と耐熱塗装代、金貨半分ってところでどうだ、お嬢ちゃん?」
振り返ると、リーゼロッテはまたしても口をあんぐりと開けて、震えていた。
「タクミ様……あなた、門だけでなく、魔導具まで直してしまうのですか……!?」
「だから言ったろ。家、城、武器、結界、何でもござれだって。……よし、この屋敷、ガタがきてる場所が多そうだな」
俺はニヤリと笑い、腰の釘袋を叩いた。
「お嬢ちゃん、明日、この屋敷の『全面改修』の見積書を作ってやるよ。俺の塗装で、この領地ごとピカピカに塗り替えてやる」
世界を塗り替える男の、最初の『大現場』が決まった瞬間だった。




