49. ある王女の記憶
「ベティ、今日も退屈だね」
私の唯一のお友達。クマのぬいぐるみのベティに今日も話しかけてみる。しかし返事が返ってくることはない。
「今日も一人、昨日も一人、明日も一人」
ずっとずっと一人。私は体が弱いらしくお部屋から出して貰えない。広々とした空間に一人きり。
「寂しい……」
私が産まれた七年前、お母様はお亡くなりになった。お父様も滅多に会いに来てはくれない。腹違いのお兄様がいるということは知っていても本物を見たことはない。
お部屋で本を読んだりベティとお話しすることしか出来ない。
「お空、綺麗だな」
窓の外の空はとても遠い。
***
ある日、私の前に初めて同年代の男の子が現れた。
「は、初めまして。僕、トライバルと言います……」
「トライバル……」
「私の息子です。姫様、仲良くしてやって下さい」
初めてのお友達。大臣の子供みたい。
「よろしくね。トライバル」
「は、はい……」
差し出した私の手を彼はおずおずと握った。
それから彼はときどき私の部屋を訪れてくれるようになった。
***
「お父様、どうしたの?」
「ルミア、僕の可愛いルミア」
「ねえ……くすぐったいよ?」
「愛しているよ」
お父様は私の話を聞いてくれない。いつも私の頭を撫でて同じ言葉を繰り返す。
私は、お父様が怖い。ときどきぎらぎらとした目で私を見ていることがあるから。その目はとても怖い。
「待っている。僕は君を待っているよ。早く成長しておくれ」
大きくなったらお父様はきっと私を食べてしまう気なのだ。
「王様がルミア様を食べてしまう?」
「そうなの。トライバル……私、このままだと食べられちゃうよ」
「そんなことあるわけがないですよ」
「あるよ! ねえ、一緒に逃げようよ。私を連れ出してよ」
「ぼ、僕には無理だよ。父上に叱られる」
必死にトライバルに訴えたけれど彼は信じてくれなかった。私が唯一頼れた存在であったのに。
***
初めてお兄様にお会いしたのは十歳の誕生日の日だった。その日ようやく私は部屋の外に出ることが出来たのだ。
「初めまして、お兄様」
「……」
初めて会う兄は私のことを少しも見なかった。少しもお話ししてくれなかった。そして彼はすぐに私の前から姿を消してしまった。
「私、お兄様に嫌われているみたい」
何だか涙が溢れてきてその場に蹲って泣いた。
「大丈夫だよ。誰に嫌われていようと関係ない。僕が君に幸せな愛を与えてあげるからね」
そう言うお父様の目はあのぎらぎらとした瞳で、恐ろしかった。
「もうすぐだ。もうすぐだ」
***
お父様が部屋に訪れる回数が増えた。
私も城の中なら少しは自由に動けるようになったけれど、お父様がいらっしゃる時は必ず部屋に居なくてはいけなかった。
そしてときどきお父様とお兄様が私の部屋の前で口論をするようになった。お兄様は私の部屋に入っては来ないけれど、お父様が私の部屋に入るところを見張っているみたい。
どうして二人は私の部屋の前で口論するの? そんな声聞かせないでよ。言いたかったけど、私の部屋に入るとお父様はにこにこと笑みを浮かべて私の話を聞かなくなってしまう。
「どんどん母親に似て来るな」
そう言って私の髪を撫でる。
「もうすぐ戻って来る」
もうすぐ私は食べられてしまう。
耐えられなかった。恐ろしくなって、思わず部屋を飛び出した。部屋の前には、何故かお兄様が立っていた。
「お兄様! お願いです。助けて下さい」
必死に助けを求めたけれど、お兄様は私から視線を逸らして立ち去ってしまった。
「ルミア、どうしたんだい? 急に飛び出して」
「お、お父様……」
私の肩を抱き、お父様は私を再び部屋の中へと導いた。
「君は病気なんだ。情緒不安定になっている。大丈夫だよ。僕が一生側にいてあげるからね」
***
図書室の地下にいるお婆さんに弟子入りをした。
その頃には私はもうこの城から、お父様から逃げられないのだと悟っていた。
娘の死体を使うお婆さん。彼女は私のお父様と同じように自分の娘を食べてしまったのかしら。そう思っていたけれど、彼女は娘を食べたわけではなかった。娘が死んだ悲しみを和らげる為に彼女は娘の体に入っているのだ。
なら、お父様は生きている私をどうするつもりなのかしら。
考えたところでどうしようもないのだけど……。
***
いつも通り図書室に入ると、不思議な少女がいた。本を読むわけでもなく、窓辺で陽の光を浴びている。開け放たれた窓からそよ風が吹き込み彼女の髪を揺らす。
「こんにちは」
少女はびくりと肩を震わせてから小さく頭を下げた。
「ここ、気持ちいいよね」
「……はい」
「私も一緒にここに居てもいいかな?」
「私に許可を取る必要はありません。ルミア様」
「あ、私のこと知っていたんだね」
「当然です。私はずっと見ていたのですから」
折角私をお姫様扱いしないでくれる人と会えたと思ったのに。少しだけ残念な気持ちになったけれど、同年代の女の子とお話しするのは初めてだった。
「貴女、名前は何て言うの?」
「……そうですね……では、メモリーとお呼び下さい」
「メモリー……。わかった。よろしくね!」
ブランお婆さんにそのことを伝えると、メモリーが機械人形であることを教えて貰った。
その日から、しばしば図書室で彼女の姿を見るようになった。
「いつも同じ所にいるね。どうして?」
彼女は不思議そうな顔をした。それからふっと微笑んで笑った。
「いつも同じ場所にいた方が、貴女が私を見つけやすいでしょう?」
「私の為?」
「さあ、どうでしょう」
「えー! 教えてよー!」
お友達が増えた。彼らが居るのなら、この城での生活も悪くないと思えるようになった。
***
ある夜、眠っているところを悪漢に襲われた。寝苦しさに目を覚ますと黒いくて大きな影が私の上に跨っていたのだ。叫び声を上げて影の腕を引っ掻くと、影は逃げて行った。
何かされたわけではない。でも、その夜から恐怖で眠れなくなった。
「ルミア、最近顔色が悪いよ?」
「平気だよ。何でもないから」
「そう? それならいいんだけど」
「……ねえトライバル」
「何だい?」
「今夜、一緒に寝ない?」
「なっ、ばっ! 何言ってるんだよ! そんなこと出来るわけないだろう!?」
彼はあからさまに動揺して手を激しく動かして首を振った。彼は私のことを好きだ。だが、彼は規則、法、身分、全てを取り払って私を連れ出すことは出来ない。きっとそんなことをすれば二人とも破滅してしまう。
「冗談だよー。トライバルってば本気にした?」
「うう……ルミア、君の冗談は心臓に悪いよ」
「ふふっ。貴方もまだまだですなー」
眠れない日々が幾日も続いた。開くのではないかとじっと、扉を見つめる日々。幾ら緊張していても体の限界は訪れる。
うつらうつらとしていると、そっと肩を抱かれた。一瞬で目が冴えた。ぎょっとして見上げると、そこには長い黒髪の美しい男の顔があった。
「だ、誰?」
「さあ?」
男はきょとんとして答える。
「は?」
「私は何者でもない」
「え、でも、どうやって入って来たの?」
「窓から」
「窓!?」
「開いていた」
「えっ、えっ」
混乱する私に男は不思議そうな顔をした。
「君が呼んでいると聞いて来たのだが?」
「私? 呼んでないよ?」
「そうか……ならば帰ろう」
窓に向かって歩き出す男の手を思わず掴んだ。
「何だ?」
「えっと、呼んでないけど……いてくれたら嬉しい、かも」
「そうか」
男は私の隣に黙って座った。何を話す訳でもない。だが、男が側に居ると酷く安心して、眠気が一気に襲い掛かってきた。
翌朝、目が醒めると男の姿はなかった。
***
男は毎夜、私の部屋に訪れた。
「どうして来てくれるの?」
「どうして? どうしてだろうな……。約束を守る為、か?」
「約束?」
「ああ……昔した約束だ。花畑を見に行こう……そう言っていた」
「恋人?」
「いや。数回しか会ったことがない。だが、長らく孤独だった私にとっては一条の光だった」
「……ん? それが、私に会いに来ることと関係あるの?」
「ああ」
「うーん? わからないなあ」
不思議な人だった。でも、彼のお陰で夜が怖くなくなった。
「朝まで一緒に居てくれればいいのに……」
呟いた言葉に彼は困った顔をして頰をかいた。
「朝は、苦手なんだ。うまく動けない」
「えー。私のお友達にも紹介したいんだけどな」
「それは遠慮する」
「何で?」
「私は孤独に生きる者だ」
「一人は……寂しいよ」
彼の手を握り締めて呟いた。俯き、彼の顔を見ることが出来ない。
「ルミア……」
吐息混じりの声に顔を上げ、初めて彼を間近に感じることが出来た。
どきどきした。触られても恐怖も嫌悪感も感じなかった。きっと、これが恋なのだ。
***
彼に恋をしてから、この城でお父様に食べられるのを待つ生活が辛くなった。お友達と話しているときは楽しくても、最後にはお父様の腹の中に収まらなくてはならないと思うと嘆きたい気持ちになった。
そんなとき、彼が私の部屋に出入りしていることがお父様にバレてしまった。私は部屋を移され、外に出ることが出来なくなった。
だが、それでも彼は部屋に訪れてくれた。
「窓から入って来なくてもいいのね」
「ああ」
「不思議な人。貴方って魔法使いなの?」
「この国の王は私のことを闇の王と呼んでいるようだが?」
「ごめんなさい。お父様が不名誉な名前を付けてしまって……」
「いや、存外気に入っている」
「あら? ふふっ、ならよかった」
彼も冗談を言うのだと思うと顔が綻んだ。
「ねえ、悪い闇の王様? 貴方に悪いお願いをしてもいいかな?」
「何だ?」
「この国にいる悪いお姫様を攫って欲しいの」
「それは……」
いつからか彼にだけは弱さを見せられるようになった私は、彼の胸に縋り付いて泣いた。
「お願い。私をここから連れ出して」
「……」
「私、このままでは食べられてしまう。逃げたい……助けて……」
「この城に未練はないのか」
思い出されるのはトライバルの、ブランお婆さんの、メモリーの顔。この城で私の支えとなってくれて人達。
「……みんなにお別れを言いたい」
「わかった。明日の夜、迎えに来る。それまでに終わらせておけ」
「うん」
と言っても部屋に閉じ込められていてはブランお婆さんのところやメモリーにお別れを言いに行くなど出来ない。唯一出来るのは、彼だけ。
「トライバル、私、あの人と一緒に行くわ」
「そう」
さようなら、私を好きになってくれてありがとう。幸せに生きてね。
彼の茫然とした顔に心が痛んだ。でも、私は決めたの。
***
「ルミア様」
扉の先から私を呼ぶ声が聞こえた。
「もしかして、メモリー?」
「はい。貴女とお話しに来ました」
「よかった。私、貴女に伝えたいことがあったの」
「何でしょうか?」
「私、今夜この城を出るわ。……だから、貴女ともお別れしなくてはいけないの。貴女とお友達になれて嬉しかった。ありがとう」
「そうですか」
「メモリー?」
扉の先から人の気配が消えた。突然お別れなんかしたから怒ってしまったのだろうか。
「ごめんね……メモリー」
お婆さんにお別れが出来なかったことが心残りだが、仕方がない。
***
遂にその時がやって来た。日が暮れた。きっともうすぐ彼が私を迎えに来てくれる。祈るような気持ちで彼が来るのを待った。
早く……早く……お願い。
部屋の扉を叩く音がしてから、ゆっくりと扉が開いた。
「あ……」
「ルミア、君は悪い娘だ。この城から逃げ出そうだなんて……」
「お父様、どうしてそれを……」
「機械人形が教えてくれたよ」
そんな、メモリーがお父様に話してしまっていたなんて。
「君は僕の物だ。誰にも渡さない。誰かに渡すくらいならば……」
お父様は私にゆらりと近づいて来る。そして優しく抱き寄せられた。
「え……」
気がつくと腹から熱い血が溢れ出ていた。お父様が私の腹に刺した短剣を引き抜く。
「あ、いや……ああ……」
彼は私を押し倒し、首に手を掛けた。
「ルミア、大丈夫だ。僕もすぐにそっちに行く。寂しくないからね」
「おと……さま……」
怖い。ぎらぎらした目。でも、怖いだけじゃない。これは、悲しみ?
酸素の回らない頭がぼやけてくる。
「おと、さ……」
両手で彼の頰に触れた。首に込められていた力が少しだけ弱まった。
「さみ、し……い?」
「ルミア……」
次の瞬間、お父様の首が消えた。断面から溢れる血が滝のように私に降り掛かる。私の体の上に倒れ込んだ父の体を何者かが蹴り上げてどかした。
体に力が入らない。全身が麻痺してしまったようだ。唯一動かせた視線を父を殺した者に向けた。
「おにい、さ、ま……」
ごぽりと口から血が溢れ出す。
「……」
彼は何も言わない。黙って私を見下ろしている。
「ふ、ふふ……やっと、わた、しのこと……見て、くれた……」
意識が遠のく。
逃げたいなんて思ったことがいけなかったのかな。私のような悪い女はこの城の中で一生囚われていた方が良かったのかもしれない。もう、今となっては遅いけれど。
私のせいで、お父様が亡くなった。お兄様が親殺しになった。トライバルに、ブランお婆さんもメモリーも悲しむかしら。
闇の王様、私の無茶なお願いを聞いてくれようとしていたのに……貴方が迎えに来たとき、私はもういないのね。
悲しい。何がいけなかったのかしら。私が女だったせい? 私がお母様に似ていたせい?
こんな姿に生まれなければよかった。男の子だったら上手くいった?
いえ、私がこの世界に生まれさえしなければ、お父様もお兄様もこんなことにはならなかった。
ああ、神様。どうか次に生まれ変わるときにはどうか別の世界の何の柵の無い世界に連れて行って下さい。




