25. 夜の逢瀬
ルミアの棺に触れる男が一人。長い艶やかな黒髪が棺の上に溢れている。
「ルミア……」
優しく棺の上に手を滑らせ、男は呟く。
その声は慈愛に満ちた甘やかなものだ。
男は目を固く瞑り、暫くその場で微動だにしなかった。幾らか時が過ぎた頃、
「すまない」
それだけ言って男は王女の墓所から姿を消した。
***
「おかえり」
俺の姿を見て、シカバ達は酷く驚いた様子だった。
「あれ? コーイチ、いつの間に元気になったネ?」
「んー? お前らが出掛けてる間にエペが来てさ。励まして貰った」
「俺達、コーイチを元気づける為に頑張ってたのにエペさんに良いところとられたっす!」
「それで、エペは? 帰ったのか?」
「うん。お前達が帰ってくる少し前に。何かお前らも心配掛けて悪かったな。とりあえず、大丈夫だから」
へらりと笑って見せるとムスリクは黙って頭を軽くぽんと叩いた。シカバは座っている俺にとてとてと歩み寄り、腹に抱きついた。
「ぬいぐるみの姿だから許してやるよ」
「役得っすね」
カーマインは俺の肩にもたれかかって甘えた声を出す。
「私、コーイチのご飯、食べたいナ」
「俺はまあまあな飯しか作れないぞ」
「まあまあな飯が食べたいノ!」
「なら作ってやるよ」
「やったア!」
少しは可愛げのあることも出来るじゃねえか。
「お腹すいたア! 早くしろヨッ!」
前言撤回。やっぱこいつ、子憎たらしいわ。
***
夜更け、そっとベッドを抜け出した。起こさないように足音は立てていなかったのに、玄関の扉を開ける前に背後に視線を感じた。
「何処に行くんだ?」
「ムスリク……」
気持ち良さそうにいびきをかいて眠っていたと思ったのに狸寝入りかよ。
「ちょっと夜風にでも当たって来ようと思って」
小さな声で囁くように言うと、
「ついて行くよ」
すかさずムスリクが言う。ま、そうなるよな。散々危ない目に合ってるし。
「ちょっと一人になりたいかなって言ったら?」
「泣きたいなら胸を貸そう」
「お前な……」
こいつ、百パーセント善意でこう言うこと言うんだよなあ。
「お前の分厚い胸板はさぞ泣き心地がいいだろうけどよ。俺は一応元男なんでな。男の腕の中じゃ泣きたくねーの」
「そうか?」
「そっ。それに、これがあれば俺の居場所はわかるだろ」
俺は首元のチョーカーを指差して言った。
「そうだが……」
「少しだけ泣かせて? 遠くには行かないから」
「何かあったらすぐに連絡をすること」
ムスリクはため息をついてそれだけ言うと寝室に戻って行った。
「ありがとな」
遠くに行く気なんて更々ない。俺は家を出てすぐ側にある花壇の縁に一人腰掛けた。
本当に泣こうと思って出て来たわけではない。ただ、少し寂しくなっただけだ。
眠れなくなった夜、俺は家のリビングで何もせずにぼけっと座っていることがあった。そんな俺に気がつくと、美世子は「どうしたの?」「何かあった?」と聞いて寄り添い、側に居てくれた。俺は、そんな美世子に何度救われたかわからない。
会社で嫌なことがあったとき、失敗したとき、落ち込むことがあっても、美世子が側に居てくれたら……何だって乗り越えられた。
……全然駄目じゃん。俺。
思わず自嘲した。
心配掛けたくねえんだけどな。
俺のせいでじめじめした空気になるのは嫌だ。それに、あの中じゃ俺が一応最年長だぞ。カーマインの年齢はわからないが。俺がしっかりしないでどうすんだよ。
夜風が目に染みる。
いつの間にか頰に水が伝っていたが知らん。これは何かあれだ。えっと、そう、汗だ。じゃない、涙だ! 涙だよこん畜生。泣いて悪いかよ。畜生め。
明日にはちゃんと元気になるからよ。今日くらいは泣かせてくれや。
誰に言い訳するでなく、心の中でそう宣った。
「どうした?」
「煩え。見せ物じゃねえぞ」
俺はすぐ様両手で顔を覆った。足を抱き込むようにして体を丸めた。何か話しかけられたが知らん。俺は今泣くのに忙しいんだ。
「何があった?」
「辛えことがあったんだよ!」
やけくそ気味に叫んだ。
何が悲しくて見ず知らずの通行人にこんな事を叫んでいるんだ、俺は。
「何をされた?」
「何もされてねえ」
「なら、何故泣いている」
「好きな……世界で一番大切な奴が、俺の手の届かない所にいるってわかったから」
「…………」
長い沈黙の後、突然体を抱き込まれた。
驚いて手を外すと、随分と近くに長い黒髪を持つ綺麗な顔があった。それは、以前路地裏で会った男だとすぐにわかった。
「え、あ……あんた」
「すまない」
男の赤い瞳が悲しそうに揺れる。
「何で……」
「すまない」
男は何度も謝った。だが、俺にはこの男に謝られる理由が少しも思い当たらない。
それよりも、さっきから心臓が痛いくらいに高鳴っている。頭がくらくらしてきた。
「あの、は、離れて……」
「……」
男は僅かに俺の体と距離を空けたが男の腕は相変わらず俺の背中に回されている。
「君に、幸せになって欲しい……」
呟いた男の手に僅かに力が入る。触れられた場所が熱い。
「あんた、誰?」
「誰でもない」
「俺、無理だ」
顔が熱い。息が上がって苦しくなってきた。
「美世子が居ないなんて……無理だ」
息が上手く出来なくて生理的な涙が出てくる。体が支えられなくて男の胸に倒れ込んだ。
「その女のことは……忘れてくれ」
「何……で……」
意識が遠のく。
「幸せに出来なくて、ごめんね」
薄れゆく意識の中、最後に美世子の声を聞いた気がした。
『×××は神乃を―――――』




