事件解決
「笑うのですか?」
「そう、笑うの」
「笑えません」
「それでも」
「知りませんでした」
転んだ探偵は恥ずかしそうに立ち上がって、テーブルの上に座った。
「だから、なんですね。白骨死体という事は、ロボットであるあなたではないはずなのに、あなたはその人間の死体があなただと言う。だから何か隠し事でもしているのかと思ったのですが」
「何も隠しておりません」
「そうですね。ただ記憶を無くしただけだ」
では記憶は何処にある? 分からない。
考えがまとまらずに視線をさ迷わせ、ふと見れば、私以外の人工物達が客を睨みつけている。そういえば、彼等にとって客は主人の仇。憎き相手だ。彼等は客に対して報復したいと思っているに違いない。しかし何故彼等がここへ? 疑問に思っていると、これまたいつの間にかやって来ていたカーミラが答えた。
「みんなそこの探偵さんを監視してたんだよ。何か掴んだって話だったから」
人造物の内の一人、昨日カーミラに対して攻撃的に応じていた者が、殺意を隠す事無く客を睨みつけながら言った。
「そしてそこのフヌダンに行きついたわけだ、ついに」
その周りに居る他の人造物達もありったけの憎しみを持って客を睨みつけている。一方、客の方は飄々としたもので、一切の緊張を持たずに薄らと笑いすらも伴っていた。
「それでどうする? 儂を殺すか? 残念ながら不老不死だ」
「それなら」
「拷問でもするか? だが全ての感覚は儂の脳に届く前に遮断される。如何なる外的障害が在ろうとも儂という存在が変わる事は無い」
「なら心はどうだ?」
「今更何を馬鹿な事を。心に妙な神性でも抱いているのか?」
「あんたこそ、この御時世に未だに科学、唯物が万能だなんて思ってるんじゃないか? ありとあらゆる物が定められなくなった今なら幻想もまた浮かび上がって来るだろう」
「違うさ。現実が沈んだだけだ。何も浮かび上がっちゃいない」
だが見える様になった。人造物はそう言った後に、黙ってしまった。人造物が口を閉ざすと他の人々も口を開かなくなった。声を出す事を憚っているかの様に誰も何も言わない。辺りの酒気が人々の間に押し入って、緩やかに流れる静寂が更にその間に押し入って、人と人の距離を離していく。その最中でも人造物はじっと客を睨みつけ、客はぼんやりと人造物を眺めつづけた。じっとりと漂う酒気が場を蒸していく。段々と酒場の風景が歪んでいく。
歪む酒場の中で人造物が口を開いた。その口も悲しげに歪んでいた。
「こいつは駄目だ」
静寂が破れて場が動き出す。一斉に人々の眼が人造物の歪んだ表情へと注がれる。
「悪いな、皆。俺は抜ける。こいつは……」
次の言葉は中々出てこなかった。苦しげなうめき声が何度か出た後に、湿っぽい声が流れ出した。
「こいつは! こんな奴に俺達の主人は殺されたのか? 犯人はヒュッドだって──ああ、もういい──犯人は人間だって信じて、それで世間に反抗して、隠れながら犯人を捜して。それもこれも犯人を見つけ出して、復讐して、納得しようとしていたからなのに。実際に在ってみればこんな……こんな奴人間ですら無い。人でも無い。諦めて、意志も希望も無くて、目に光なんてまるで無い。それなのに他人にばかり迷惑をかけて。こんな奴の為に俺達は今まで踊っていたのか? ふざけんな。こんな糞野郎、違う!」
絞り出した激情が酒場に響く。彼の仲間達が慰めようと近寄って、何か言おうとした時、客の声が割り込んだ。
「なら許すのか?」
「何だと?」
「望んでいた者と違うのだろう? なら水に流してくれるんだな」
「お前は!」
「本当に世界はおかしくなった。復讐の相手を理想化して何になる? ましてそれが外れたから、仲間を捨てて逃げだすのか? 儂の時代には考えられん」
「逃げる訳じゃない」
「逃げてるんだ。本当に嫌になるよ。世界はどんどんとおかしくなっている。もうこんな世界を見ているのは嫌なんだよ。儂は死にたいんだ。だからその復讐心を抱き続けて、儂を殺せる様になってくれ」
老人の沈鬱な呟きが再び場を沈黙に閉ざした。人造物達は何も言えず黙ってしまっている。納得した訳でも言い負かされた訳でも無いと思う。恐らく諦めたのだ。客と対話する事を。余りにも違いすぎるから、話すら通じない。
しばらくの沈黙の後に、重苦しい空気を振り払う様に警部が客の前に立った。
「もう良いかな? 加害者の言い分も被害者の感情も色々とあって、複雑な事は分かる。それは尊重すべきという意見が在るのも分かるし、出来るだけ尊重したいと思う。だがあんた等の口論は不毛だ。ここからは公が、法令があんたを裁く」
「そうか。儂はどんな刑に処させる?」
「死なないとなれば終身刑辺りだろうな」
「そうか。酒を飲めないのは嫌だな」
客はテーブルの上の酒を一息に飲み干すと椅子から立ち上がった。その肩を警部が掴んで耳元に口を寄せる。呟きが漏れる。内緒話をする様に。だが恐らく探偵以外の全ての人はその言葉を聞いていただろう。みんな人間よりも遥かに耳が良いから。
「あんた、酔った暴漢に妻を殺されたな? 憶えているか? 動機はそれか?」
客は答えない。表情にも変化は無く、聞いているのかもわからない。
「ああ、そういえば傷つかない様に外界を拒絶するんだったな。心もそうなのか。便利な事だ」
警部がぐっと客を引っ張って寄り添わせると次の瞬間には消えた。跡形も無く。恐らく町へと戻ったのだろう。
残された人々にまた間が開く。その間をカーミラが埋めた。
「あんた、抜けるって言ってたけど、何から抜けるんだい?」
「さっきは犯人に復讐する事だったが、今は……そうだな、人間と隔絶する事からだ」
「あんた達は? まだ続けるの?」
カーミラが他の人造物達に水を向けると、皆は顔を見合わせてから、首を振った。
「もう続ける必要も無いしね」
「そうだ。これで事件は終わったんだろう?」
「ならいらねえやな」
誰も異論は無い様だった。事件は終わったとは言っても、人間は残っているはずなのに。人間全てが悪であると言っていたのに。あれほど憤っていたはずなのに。人間達はおかしい、相容れないと言っていたはずなのに。
きっと移り気なのだと思った。客は逃げていると言っていたけれど多分違う。周囲に流されてころころと変わっているだけなのだ。別に特別な事では無いだろう。客は自分の時代は違う様に言っていたけれど、客と同時代に生きた私の心象では、人はそう変わらなかった。本に書かれている様な私よりも更に過去の人々もまた同じ。世のなかはそういう風に出来ているのだ。
「何だかあっけねえやな」
「そうだね。何だか拍子抜け」
「店に戻って祝勝会でもやるか」
人造物達は疲れた様子で無理して笑いながらそんな風に語り合っている。
「そうだね。それで待とうか。旦那様が別人になって戻って来るまで」
賛成の声が上がる。賛成の声は上がっているが、やはりまだ人間の言う生まれ変わりの概念に抵抗がある様で、元気は無い。中には涙ぐんでいる者も居る。客と口論していた人造物もまた沈んだ様子で俯いている。
でも慣れるだろう。彼等の元の主人と新しく生まれてくる主人の明確な区別はとても曖昧で、多分感情の問題だ。答えは無い。そして公には同一人物という事になっている。だから彼等はかしずくに違いない。感情も勝手に修正される。彼等は新しい主人を見た瞬間に、心の底から敬愛と心服を新しい主人へと差し出して、かしずくに違いない。そういう風に出来ている。
「あー、これどうするんでしょう」
背後から探偵の声が聞こえた。振り返ると大量の酒を眺めながら頭を抱えている。
「どうしたんですか?」
私が聞くと、探偵は振り返って困った様な笑顔を見せた。
「いや、その、犯罪の証拠品を回収しなくちゃいけないんですけど」
探偵が微かにウインクをした。犯罪の証拠品というのは研究品の事だろう。その事を他の人に悟らせるなと言っているに違いない。
「片方は警部が持ってったみたいですけど、こっちの、薬、えー、毒の入った酒はどうするんだろうと」
「後で取りに来るのでは?」
「そうだと良いんですけどね。まさか私が持って帰るなんて事になったら」
「流石にこの量は無理でしょう」
「そう、僕がこんなの運ぶのは無理ですね。運搬方法も無いし、手で持つのでは、こんなに沢山あるし、あなたやカーミラでも無理でしょう」
「そうですね」
「そうするとやっぱり警部が後で取りに来るのだろうけど、不用心だな」
「どうせ町中の人々が飲んでしまっているのです。放置しておいても大した危険は無いのでは?」
見れば探偵の懐には薬の入った瓶があった。大本を断っているのなら、これ以上増える心配は無いのだろうし。
「それもそうですね」
探偵はふっと微笑むと、それじゃあと言って、誰よりも先んじて出口の観音扉に手を掛けた。誰もが探偵の意図を飲み込めずにぼんやりと眺めていた。
探偵の体が店の外に出たところで、私は聞いた。
「何処へ行くのですか?」
「今度はあなたの謎を解決しに」
白い立方体──私達の居るこの場所──へと向かうのだ。




