第20話 それでも、生きている
それは、本当に小さな動きだった。
見逃してもおかしくないほどの。
ほんのわずかな。
――それでも。
「……今」
私は、思わず声を漏らした。
「うん」
アメリアも頷く。
「動いた」
確かに。
ルカの指が、かすかに動いた。
それは偶然かもしれない。
無意識の反応かもしれない。
それでも。
「……違うわね」
私は、静かに言った。
「え?」
「昨日とは違う」
はっきりと。
断言する。
根拠はない。
理屈もない。
だが。
「……そういうの、分かるんだ」
アメリアが少しだけ驚いたように言う。
「ええ」
私は頷く。
「今は、分かる」
昨日までは分からなかった。
だが。
今は違う。
変化を、見ている。
小さな違いを、拾っている。
「……」
私は、ゆっくりとルカの手を取る。
昨日と同じように。
だが。
感覚は、少し違う。
「……温かい」
小さく呟く。
昨日より。
ほんの少しだけ。
確かに。
「……そうだね」
アメリアも、静かに言う。
「冷たくはない」
その言葉に。
私は、わずかに息を吐いた。
――ゼロではない。
確実に。
何かが、変わっている。
「……続けるわ」
私は言う。
自分に言い聞かせるように。
「うん」
アメリアは頷く。
それだけ。
それで十分だった。
――時間が過ぎる。
同じことを、繰り返す。
水を与え。
状態を見て。
変化を確認する。
その一つ一つが。
意味を持つ。
そう、思えるようになっていた。
「……」
ふと。
ルカの目が、わずかに開いた。
完全ではない。
焦点も合っていない。
それでも。
「……」
私は、息を止める。
見逃さないように。
「……リ……」
かすかな声。
聞き取れないほどの。
それでも。
確かに。
音になっている。
「……ルカ」
私は、その名を呼ぶ。
ゆっくりと。
確かめるように。
「……」
ルカの目が、わずかに動く。
こちらを、見ようとしている。
焦点はまだ曖昧だが。
確かに。
反応している。
「……すごいじゃん」
アメリアが、小さく言う。
珍しく。
少しだけ、声に感情が乗っている。
「……」
私は、何も言えなかった。
ただ。
その変化を、受け止める。
これは。
偶然ではない。
少なくとも。
そう思える。
「……」
胸の奥に。
何かが広がる。
熱ではない。
興奮でもない。
もっと。
静かなもの。
「……これが」
小さく呟く。
「何?」
アメリアが聞く。
「……分からない」
私は、正直に答える。
だが。
それでも。
「でも」
続ける。
「悪くない」
その言葉は。
自然に出た。
理屈ではなく。
感覚として。
「……うん」
アメリアも、短く頷く。
それで十分だった。
――その時。
「……少し、貸せ」
低い声。
振り返る。
あの医師だった。
ダリウス。
無愛想な顔のまま、こちらに近づいてくる。
「……何を?」
私は問う。
「その状態」
ルカを指す。
「見せろ」
短く。
それだけ。
私は、少しだけ迷った。
だが。
「……いいわ」
頷く。
ここで拒む理由はない。
ダリウスは、無言でルカの様子を確認する。
呼吸。
脈。
反応。
一つ一つ。
正確に。
「……」
しばらくの沈黙。
やがて。
「……戻してるな」
ぽつりと、言った。
それだけ。
だが。
その一言で、十分だった。
「……本当?」
アメリアが聞く。
ダリウスは、軽く頷く。
「まだ危ないが」
続ける。
「さっきよりは、明らかにマシだ」
――。
その言葉が。
静かに。
確実に。
胸に落ちる。
「……そう」
私は、小さく答える。
それ以上は、何も言えない。
言葉が、出てこない。
「……やるじゃん」
アメリアが、少しだけ笑う。
軽く。
からかうように。
「……まだよ」
私は首を振る。
「終わっていない」
「そりゃそうだけどさ」
「でも」
私は、ルカを見る。
その、わずかな変化。
「……進んでいる」
はっきりと。
そう言えた。
初めて。
自信を持って。
「……」
沈黙。
だが。
それは重いものではない。
むしろ。
静かで。
穏やかなものだった。
「……ねえ」
アメリアが言う。
「何?」
「それ」
私を見る。
「さっき言ってたやつ?」
「……どれ?」
「“悪くない”ってやつ」
――。
私は、少しだけ考える。
そして。
「……ええ」
頷く。
「たぶん、そう」
完全には分からない。
名前も、定義も。
それでも。
「……悪くないわ」
もう一度、言う。
今度は。
少しだけ。
はっきりと。
――それは。
これまでの私には、なかった感覚だった。
正しさでも。
効率でも。
結果でもない。
それでも。
確かに。
意味があると感じられるもの。
「……」
私は、ルカの手を握る。
もう一度。
しっかりと。
そして。
静かに思う。
――それでも。
生きている。
それだけで。
十分だと。
思える日が。
来るのかもしれないと。
第20話まで読んでいただきありがとうございます。
ここでようやく、「誰かを救ったかもしれない」という感覚が生まれました。
それは確定した結果ではなく、小さくて不確かなものです。
ですが、この“曖昧な成功”こそが主人公にとって初めての体験になります。
ここが第2章の一つのカタルシスポイントです。
次話では、この出来事が周囲にどう影響するのか、そして主人公自身の立ち位置が少しずつ変わっていきます。
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