第十九話:それぞれの道と、新たな野望(?)
聖アウレア帝国での激動の日々が嘘のように、海は穏やかだった。
『ラ・キュイジーヌ・シュプリーム号』の甲板では、コノハが手に入れたばかりの『黄金小麦』を、太陽の光に透かしうっとりと眺めている。
レオンとクラウスは、故郷の方向を、静かに見つめていた。
そんな二人の背中にコノハは、少しだけ心配そうに、声をかけた。
「レオンさん、クラウスさん。本当に、良かったのですか?」
その問いの意味を、二人は理解していた。
「皇帝陛下からのお誘いを、断ってしまって……。お二人とも、本当は帝国に帰りたかったのではありませんか?」
コノハの気遣わしげな瞳。
レオンはその視線を受けると、ふっと、穏やかに微笑んだ。
「ありがとう、コノハさん。だが、これで良かったんだ」
彼は自分の胸に刻まれた、騎士の紋章ではなく腰に差した、ただの一振りの剣にそっと触れた。
「かつての私は帝国騎士であるという『誇り』のために剣を振るっていた。だが、それ今思えばとても窮屈な生き方だったのかもしれない。この旅で、私は知ってしまったんだ。誇りのためではなく、目の前でお腹を空かせている誰かのために、仲間たちの笑顔のために剣を振るうという喜びをね」
彼は、甲板で筋トレに励むガルムの姿やテーブルで談笑しながら笑っている福音団の三人を、愛おしそうに見つめた。
「今の私には守るべき国はもうない。だが、守るべき『家族』が、この船にはいる。騎士としてではなく、一人の男として、この生き方の方がどうにも性に合っているらしい」
クラウスもまた、眼鏡の位置を直すと静かに頷いた。
「私も同感だ。書物の中の知識は、確かに尊い。だが、この船の上では毎日が新しい発見の連続だ。アリア殿から、生きたエルフの歴史を学び、ガルム殿から、実践的な筋肉の動かし方を教わり、そして、何より……」
彼はコノハの方を向いて、少しだけ悪戯っぽく笑った。
「君という、この世界のあらゆる法則から逸脱した最高の研究対象が、すぐそばにいるのだからな。これほど、知的好奇心を刺激される環境は、帝国のどんな大図書館にも存在しないよ」
二人の顔には後悔の色など、微塵もなかった。
そこにあったのは、過去のしがらみから解き放たれ、自らの意志で新たな道を選んだ、男たちの晴れやかな笑顔だけだった。
「……そうですか。それなら、よかったです!」
コノハは心からの笑顔で、そう言うと、ぱん、と手を叩いた。
「では、お二人の新たなる門出を祝して!今夜はこの黄金小麦を使って、最高の『お祝いピザ』を作りましょう!」
その一言に、船の上はいつもの陽気で美味しい空気に包まれていくのだった。
その日の夕食後。
テーブルにはコノハが作った、黄金小麦のピザが並び、全員がその天国のような美味しさに舌鼓を打っていた。
そんな中、黒姫アイはピザの最後の一切れを満足げに頬張ると、ふと何かを思い出したように言った。
「――そういえば、我らの『暗黒人形劇団』。リリウムの街や聖アウレア帝国では、随分と好評だったであろう?」
その唐突な一言に仲間たちの視線が彼女に集まる。
「ふむ。我らの深遠なる芸術性が、ようやく時代に認められ始めたということか。……なあ、シオリ、スミレよ。このまま、我ら人形劇団として活動を続けていくのも、悪くはないかもしれぬな?」
「えっ!?」
シオリとスミレが、驚きの声を上げる。
アイはいつになく、真剣な顔で語り始めた。
「考えてもみよ。闇魔法の布教は常に誤解と偏見との戦いだ。だが、人形劇という『物語』の衣を纏わせればどうだ?子供たちは、我らの闇の英雄に歓声を上げ、大人たちはその悲劇の愛に涙する。娯楽を通じて、我らは人々の魂の最も無防備な部分に闇の福音を直接届けることができるのだ!」
彼女は、リリウムと帝都での成功に、すっかり味をしめ人形劇を新たな布教活動のメインツールとして位置づけようとしていた。
「どうだ、シオリ!貴様の魂を揺さぶる人形さばきで、世界中の民を魅了するのだ!」
「え、えええ!?わ、わたくしに、そんな、大役……!」
「スミレ!貴様の世界を創造する絵筆で、かつて誰も見たことのない、壮麗なる闇の舞台を描き出すのだ!」
「うん!なんだか、面白そう!」
スミレはすっかりその気になっている。
アイは最後にコノハたち『至高の一皿』のメンバーをぐるりと見回した。
「そして、貴様らにも栄誉ある役を与えてやろう!」
彼女は、ビシッと、一人一人を指さしていく。
「ガルム!貴様は、その有り余る筋肉で魔王軍のやられ役、怪人『マッスルデストロイヤー』役だ!」
「アリア!貴様は、その神秘性で悲劇のヒロイン、『森の妖精姫・ティアードロップ』役!」
「レオンとクラウス!貴様らは……うむ、二人で、勇者が乗る、白馬の『前足』と『後ろ足』役でよかろう!」
「「断る!!」」
レオンとクラウスの完璧にハモった拒絶の声が船上に響き渡った。
「そして、シズキ・コノハよ!」
アイは最後にコノハの肩をぽんと叩いた。
「貴様には、最も重要な役職を与える。我ら『新生・暗黒人形劇団』の、公式スポンサー兼、『打ち上げ担当シェフ』だ!」
実に都合の良い、栄誉ある(?)役職。
コノハは、きょとんとしていたが、やがてにっこりと笑った。
「はい!公演が成功したら、いつでも最高の打ち上げパーティーを開きますね!」
こうして、『深淵の福音団』の、新たなる、そして、どこか、前途多難な野望が、ここに誕生した。
彼らの旅は、世界の危機を救うという、壮大な物語から、少しだけ、軌道を変え、世界中の子供たち(と、自分たち)に、笑顔と美味しいご飯を届ける。どこまでも、賑やかで楽しい旅へと続いていくのかもしれない。
もちろん、その道中で新たなトラブルを巻き起こしながら。




