第十一話:禁書庫の沈黙
深淵の福音団が居候することになった翌日。
一行はアークランド冒険者ギルドの地下最深部へ来ていた。新たな食材について情報があるかもしれないとコノハが言い出し、レオンとクラウスも同意した。
ギルドマスターのアシュトンから特別に許可を得たため、一行は禁書庫の重い石の扉の前に立っていた。
そこには古代の魔法言語で『知は力、されど、力は、汝を滅ぼす』と刻まれている。
「……皆さん。くれぐれも気をつけてください。ここにある、書物はただの紙とインクではありません。読むだけで人の精神を蝕む、呪われた知識も眠っていると言われています。」
クラウスは仲間たちに警告すると、ゆっくりと扉を押し開けた。
中はひんやりとしており、乾燥した空気と古びた羊皮紙の匂いに満ちていた。
どこまでも続く巨大な本棚。そこに収められている無数の書物。
そのほとんどが厳重な魔法の枷によって、封印されている。
「……すごい……」
コノハが息をのむ。
「ああ。世界の全ての知識がここにあると言っても、過言ではないだろうな」
クラウスの学究の魂が、興奮に打ち震えていた。
一行は手分けをして、自分たちがエデンで遭遇した、古代の災厄に関する文献を探し始めた。
数時間が経過したその時だった。
「―――見つけたぞ!」
クラウスが声を上げた。
彼が見つけたのは、一冊の黒い革で装丁された、古びた航海日誌だった。
その表紙には読めないはずの古代文字で、こう記されていた。
『我が、故郷への、遥かなる、航海日誌』と。
「……なぜだか、読める……」
コノハが、不思議そうに、呟いた。
「コノハも読めるのか?何故かわたしも読めるぞ……」
「ええ……わたくしも読めますね。見たことない文字のはずなのだすが……。」
続けてアイとシオリも呟く。
クラウスは震える手で、そのページをめくっていった。
そこに記されていたのは、衝撃の事実だった。
1000年前に、この世界を魔王の脅威から救った初代勇者。
彼が約20人の仲間たちと共に、『日本』という異世界から転生してきたという事実。
そして、彼らがこの世界に残りその子孫を残した。
それこそが、『黒の一族』の始まりであったという真実が。
「……やはり、そうだったのか……」
クラウスは、自らの推測が、ほぼ確信へと変わっていくのを感じていた。
だが、その航海日誌の最後のページに、初代勇者の悲痛な言葉が記されていた。
『――我らは世界を救ったが、その代償はあまりにも大きかった。
我らが使った、異世界の強大すぎる力は、この世界の理そのものに微細な、しかし、決して消えることのない『歪み』を生み出してしまった。
このままでは、いつか世界は自らの重みに耐えきれず、崩壊するだろう。
我らは、その歪みを癒し、世界の理を安定させるため、三つの楔を世界中に隠した。
それは我らが、故郷の恵み。
大地の生命力が宿る『黄金の小麦』。
海の浄化の力が宿る『氷河の岩塩』。
そして、太陽の創造の力が宿る『太陽の大豆』。
未来の我らが子孫よ。
世界が再び、涙を流す時が来たならば、どうか、この三つの恵みを集め、世界に再び安らぎを与えてはくれまいか――』
あまりにも壮大な遺言に一行は、言葉を失っていた。
自分たちが、エデンで戦った、あの災厄はこの「世界の歪み」が、引き起こしたほんの序章に過ぎなかったのだ、と。
沈黙を破ったのは、コノハだった。
彼女の、その大きな黒い瞳には、恐怖も絶望もなかった。
そこにあったのは、ただ、ひたすらに純粋な料理人としての好奇心だけだった。
「……黄金の、小麦……」
彼女は、ごくりと喉を鳴らした。
「一体、どんな味がするのでしょうか……?それで、パンを焼いたら、きっと、天国のような味がするに違いありませんわ……!」
彼女のあまりにもズレた、しかし、どこまでもコノハらしい一言。
レオン、ガルム、クラウス、アリアの四人は、顔を見合わせた。
そして、どちらからともなく、ふっと、笑い出した。
そうだ。
自分たちは、何を悩んでいたのだろうか。
目の前にはやるべきことがある。
そして、その先にはきっと、最高の「ご馳走」が、待っているのだ。
「―――決まりですね、皆さん!」
コノハが、高らかに宣言した。
「我々の次なる冒険の目的は、『黄金の小麦』を探しに行くことです!」
リーダー(裏)の鶴の一声で、次の目標が決まったのだった。
その夜『ラ・キュイジーヌ・シュプリーム号』の食堂兼談話室には、珍しく全員が揃っていた。
昼間の禁書庫での衝撃的な発見。
その興奮と緊張が、まだ船の上に満ちている。
テーブルの中央には、コノハが作った温かいハーブティーの、優しい香りが漂っていた。
「―――世界の、歪み、か」
最初に沈黙を破ったのはレオンだった。
彼は腕を組み、厳しい顔でクラウスが見つけた古文書の写しを睨みつけている。
「にわかには、信じがたい話ですが……。エデンの災厄を考えれば辻褄は合いますね」
「ああ」クラウスも、頷いた。
「この古文書の記述が真実であるならば、我々がこれまで、戦ってきた世界の異変は全てこの『歪み』から、生じた表層的な症状に過ぎない、ということになる」
あまりにも壮大な話に、ガルムは頭を掻いた。
「……つまり、なんだ?その、歪みってのをほっとくと、またヤベぇことが起こるってことか?」
「その通りだ、ガルム殿」クラウスは、答えた。
「最悪の場合、世界そのものが崩壊する可能性も示唆されている」
その、重苦しい空気。
だが、その中心にいるはずのコノハだけは、全く違うことを考えていた。
彼女はうっとりとした、表情で古文書の一つの単語を指さしている。
『黄金の小麦』
「……黄金……。小麦が、黄金に、輝いている、ということでしょうか……」
彼女は、ごくりと喉を鳴らした。
「……それで、パンを焼いたら……。一体、どんな味がするのでしょうか……。表面は、カリッと香ばしく、中は雲のようにふわふわで……。バターを塗っただけで、天国へと旅立てるほどの、究極の食パンが焼けるかもしれません……!」
彼女の相変わらず食いしん坊な一言。
張り詰めていた船の上の空気が、ふっと、和らいだ。
レオンは深いため息をつくと、苦笑いを浮かべた。
「……コノハさん。あなたは、いつだってそうですね」
「え?」
「いえ。……ですが、あなたの言う通りかもしれません。我々が悩んでいても始まりませんね」
和やかな空気になった直後。
それまで、黙って話を聞いていた、アイが口を開いた。
「――フン。世界の、歪み、ですって?なかなか、面白い、話ではありませんか」
彼女は不敵に笑った。
「世界の悲劇を救うという、壮大な物語。我ら『深淵の福音団』が主役を張るにふさわしい舞台ですわね!」
「アイ……?」
シオリが心配そうに話す。
アイはスッと立ち上がると、コノハの前に立った。
「魂の友よ!その、『黄金の小麦』探しはわたくしたちも手伝わせていただきますわ!」
「えっ!?本当ですか、アイさん!」
「ええ。あなた方だけに、世界の主役を譲るわけにはいきませんし、ただの居候じゃないってことを証明してみせますわ。それに……」
彼女はちらりと、コノハの淹れたハーブティーを見た。
「……この、船の紅茶は、なかなか美味しいですし。……あなた方の、旅で美味しい食事をいただけるのも、悪くはありませんわ」
彼女らしい、素直じゃない参戦表明。
コノハはぱっと、顔を輝かせた。
「はい!もちろんです!一緒に行きましょう、アイさん!」
こうして、一行の壮大な冒険の第二部が幕を開けた。
世界の歪みを癒すため。
そして、何よりもまだ見ぬ、究極のパンを食べるため。
英雄たちの賑やかで、美味しい旅は、まだまだ始まったばかりである。




