第十話:刻印魔眼とただの疲労の因果関係
レオンがふと思い出したように語る。
「そういえば、今更ですがアイ殿の魔眼はどのような能力があるのでしょうか?」
ガルムも同意する。
「前に、コノハが話してくれた話だと時間を止められるんだったか?」
「……ほう。我が魔眼に、そこまで興味をそそられるか」
レオンたちの、真剣な視線。それは厨二病であるアイの心を大いに満たした。
彼女は、ふふん、と得意げに髪をかき上げるとその力の解説を始めた。
「よいだろう。ひれ伏すがよい。我が『刻印魔眼:ウロボロス・ゲイズ』の深遠なる理の一端を、特別に貴様らにだけ開陳してやろう」
クラウスが学者としての探求心を隠さずに、質問を重ねる。
「まず、その『石化』の力。それは永続的なものなのですか?一度、石に変えられた者は二度と元には……」
「フン!我が魔眼の呪縛からは、何者も逃れることはできん!その魂は永遠に石の牢獄に閉ざされるのだ!」
アイが芝居がかった口調で言い放った。
しかし、その言葉を隣にいたシオリがそっと、訂正した。
「……いえ、そんなことは……。聖水とか、浄化魔法をかければ、すぐに元に戻りますわ。昔、アイがいたずらで石にしたカエルも、スミレが光魔法をかけたら、すぐにケロって……」
「シオリ!我が力の秘密をそう易々と口外するな!」
アイが慌てて顔を真っ赤にする。
「では、魅了の力はどうでしょう?精神を完全に支配下に置くのですか?」
レオンが続ける。
「然り!我が瞳に見つめられし者は、身も心も我ら『深淵の福音団』の忠実なる僕となるのだ!」
「そうそう!」
スミレが、楽しそうに付け加える。
「この前も、パン屋さんの看板ネコちゃんを魅了して、『この新作の魚パン、美味しいかにゃ?』って、毒味を手伝ってもらってたもんね!ネコちゃん、5分くらい、アイ先輩の忠実な僕だったよ!」
「……5分……」
どうやら、魅了も効果時間はそれほど長くないらしかった。
クラウスが本題に入った。
「……では、最後の最も興味深い能力である『時を止める』力。それはまさしく、神の領域の御業だ。……代償はないのですか?これほどの奇跡を、何のコストもなく、行使できるとは到底思えませんが」
その言葉にアイの表情が一変した。
彼女はどこか、悲劇のヒロインのような憂いを帯びた顔で、自らの胸に、そっと手を当てた。
「……よくぞ、見抜いたな。いかにも。その奇跡には、相応の、そして、あまりにも過酷な『代償』が、必要なのだ。我が、この禁断の力を使う時……わたくしは……」
彼女は、芝居がかった間を置いた。
「――我が、生命力を削っているのだ!」
「「「なっ!?」」」
レオン、ガルム、クラウス、アリアの四人は、絶句した。
「生命力を!?それでは、あまりにも危険すぎる!」
「おい、マジかよ!そんなヤバぇ力、ホイホイ使っていいもんじゃねえぞ!」
仲間たちが本気で心配し始めた。
だが、そのシリアスな空気を、一瞬で破壊する者がいた。
「生命力?」
コノハが、きょとん、として首を傾げた。
「それって、要するに『使うとものすごく疲れる』ってことですよね?アイさん。」
その、あまりにも身も蓋もない一言。
アイの悲劇のヒロインの仮面が、ぴしり、と音を立てて固まった。
「ち、違う!疲れるなどという陳腐な言葉で、因果律を操作した後の魂の摩耗を語るな!」
アイが慌てて否定するが、シオリが静かに、そして、無慈悲に事実を語り始めた。
「……昔、わたくしたちが、まだ、学生だった頃のことですわ。アイがボードゲームで負けそうになって、悔しさのあまり、一晩で三十回も時間を止めたことが、ありましたの」
「三十回も!?」
「ええ。そして、翌朝、彼女は自室で、真っ白になって倒れておりました。ご両親が血相を変えて、彼女を、オアシス連邦で一番の王立医療院へと運び込んだのですわ」
「それで、診断の結果は……!?」
クラウスが固唾をのんで尋ねる。
「はい!私も、お見舞いに行ったから覚えてます!」
コノハがその時のことを思い出したように言った。
「お医者様たちがすごく、たくさん検査をして……。最後に、一番、偉い白衣の先生がアイさんのご両親の前に、とても、とても、真剣な顔で、こう、おっしゃったんです……」
コノハは咳払いを一つすると、その時の医者の口調を完璧に真似してみせた。
「――奥様、旦那様。落ち着いて、お聞きください。娘さんの、この症状は……」
「……『ただの、極度の、疲労ですね』、と」
甲板は、完全に、沈黙した。
「『栄養のあるものをたくさん食べて、夜はちゃんと、八時間以上、寝るように』って、言われてました」
コノハがにこやかに、付け加えた。
レオン、ガルム、クラウス、アリアの四人は、もはや、どこから、突っ込んでいいのか分からなかった。
神の領域の能力の代償が、「ただの疲労」。
そして、その国の最高医療機関の最終診断が、「寝不足と栄養不足」。
黒の一族という存在の底知れなさに、彼らは改めて戦慄した。
「……だが、待て」
クラウスが何かを閃いたように言った。
「医者が、ただの『疲労』としか、診断できなかったということは、その『生命力の消耗』は、通常の魔法や医療技術では、観測不可能なほど根源的なレベルで起こっているということだ。……アイ殿、医者は、こうも、言っていたのではないか?『原因は不明だが、これを、想像を絶する回数、繰り返せば、本当に死に至る可能性もゼロではない』と」
その、的確な指摘に、アイは少しだけ顔を逸らした。
「……フン。選ばれし者の道とは、常に、死と隣り合わせなのだ」
彼女はそう言って強がった。
「なるほどなあ!」
ガルムが全てを理解したように手を打った。
そして、テーブルに残っていた、最後の一番大きな肉の塊を、アイの皿の上にどんと置いた。
「ほらよ、アイ!いっぱい食って、生命力つけとけよ!お前はすぐバテそうだからな!」
ガルムのあまりにもストレートな優しさ。
アイは一瞬、きょとんとして、そして顔を真っ赤にしながらそっぽを向いた。
「……よ、余計なお世話だ、脳筋ゴリラ……!……だが、まあ、食ってやらんことも、ない……」
仲間たちは、この、少し面倒で危なっかしくて、どこか憎めないトラブルメーカーの本当の姿をまた一つ、知った気がした。
コノハがアイの「ただの疲労」を暴露し、食卓が和やかな笑いに包まれた、その後のこと。
アリアは、静かに紅茶を一口飲むと、まるで、森の奥に隠された真実を見つめるかのように、宵闇姉妹に、その視線を向けた。
「……先ほど、クラウス殿は、黒の一族の才能を『戦闘特化型』と『特殊条件型』に分類した。そして、あなた方姉妹は、後者だと」
彼女は静かに、しかし、核心を突く問いを投げかけた。
「だが、それは、本当に『弱い』ということなのだろうか?物理的な力は、非力かもしれない。だが、魔法を使えるあなた方が、本当に、戦いにおいて、劣っていると言い切れるのか?」
その問いに当の姉妹は、きょとんとしていた。
「え?弱いですわよ?」
シオリが心底、不思議そうに答える。
「そうだよー!あたしなんて、全然、アイ先輩やコノハちゃんみたいに、ビカビカって魔法、出せないもん!」
スミレもあっけらかんと頷いた。
しかし、クラウスはアリアの問いに深く同意していた。彼の学者の目が、再び爛々と輝き始める。
「いや……アリア殿の言う通りだ。我々はあまりにも、戦闘というものを、狭い視野で捉えすぎていたのかもしれない」
彼はまず、スミレの方を向いた。
「スミレ君。君は、自分の画力では、複雑なものは描けない、と言ったな。剣を描けば、コンニャクになると。……では、もし、君が、剣ではなく、『ただの、分厚い鉄の壁』を、敵の目の前に描いたとしたら?」
「え?鉄の壁?」
「そうだ。単純な四角い壁だ。それならば、君の画力でも十分に描けるのではないか?敵の突撃の、その一歩先に、突然、巨大な鉄の壁が出現したらどうなる?」
その、あまりにも単純だが効果的な戦術。
ガルムが、「うおっ!」と、目を見開いた。自分が突撃している最中に、目の前に壁が現れるのを想像してゾッとしたのだ。
「そして、シオリ殿」
クラウスは次に、シオリの方を向いた。
「君は、死体を操るのは、嫌いだと言った。その、優しい心は、何よりも尊い。……では、もし、君が操るのが、死体ではなく、敵が身につけている、その『鎧』や『兜』そのものだったとしたら?」
「えっ!?よ、鎧……ですの!?」
シオリの顔がさっと青ざめる。
「そうだ。君の能力は、魂なきものなら、何でも操れる。ならば、敵の騎士が、今まさに剣を振り下ろそうとした、その瞬間にその者の鎧だけを内側から、ぎゅっと、締め付けてみたらどうなる?」
その、あまりにも、陰湿な無力化戦術。
騎士であるレオンは、自分の鎧が突然、自分を裏切る光景を想像し、背筋に冷たい汗が流れた。
「……それは……騎士にとって、最大の、屈辱だ……」
クラウスは、結論を述べた。
「彼女たちは、弱くなど断じてない。むしろ、その能力の『応用範囲』という点においては、アイ殿の魔眼さえも、凌駕しかねない恐るべきポテンシャルを秘めている。ただ……」
彼は、困ったように笑った。
「……ただ、その、あまりにも平和的で争いを好まない性格が、その力の本当の恐ろしさに蓋をしているだけなのだ」
クラウスの分析に当の姉妹は、全くついていけていなかった。
「えー?でも、鉄の壁を描くより、可愛いウサギさんを描く方が、楽しいよ?」
「そ、そうですわ!人の鎧を締め付けるなんて、そんな、意地悪なこと……!わたくしには、できませんわ!」
二人は自分たちの能力の、軍事的なポテンシャルなど、全く興味がないようだった。
「フン……。ようやく、気づいたか、愚民どもよ」
その時まで、黙って紅茶を飲んでいたアイが、満足げに、鼻を鳴らした。
「我が『深淵の福音団』の、真の恐ろしさは、わたくし一人の、圧倒的な破壊力にあるのではない。この、シオリとスミレという、二つの、規格外の『概念』が、わたくしの両翼に控えていることにあるのだ!」
彼女はすっかりご満悦だった。
『至高の一皿』のメンバーたちは、奇妙で愛すべき、トラブルメーカーたちとの共同生活が、案外、悪くないものになるかもしれないと、ほんの少しだけ思うのだった。




