第九話:黒の一族と二つの才能
その日の夕食は、奇妙な緊張感と、それを無理やり溶かそうとするコノハの絶品料理の香りで満ちていた。
『ラ・キュイジーヌ・シュプリーム号』の食卓には、四人の黒髪黒目と四人の異邦人がぎこちなく席に着いている。
「さあ、皆さん、遠慮しないでくださいね!これは、歓迎の気持ちを込めた、『七色の野菜とロック・バッファローのポトフ』です!」
コノハのいつもと変わらぬ明るい声。その、あまりにも美味しそうな料理を前にしてようやく、全員の肩の力が少しだけ抜けた。
食事がある程度進み、互いの腹が満たされ始めた、その時。
クラウスがカトラリーを静かに置くと、まるで長年の研究テーマを発表する学者のように口を開いた。
「……皆さん。先日、共に戦い、そして、こうして食卓を囲んでみて、私はかねてより抱いていた一つの仮説に、確信を深めました。それは、『黒の一族』の才能の在り方についてです」
クラウスの唐突な話で、しかし、全員が興味を惹かれるテーマに、一同はスプーンを止めた。
「黒の一族の力は、大別して、二種類に分類されるのではないか?と。
一つはコノハさんや、噂に聞くカエデ殿のように、いかなる状況でも、単独で高い戦闘能力を発揮できる、『戦闘特化型』。
そして、もう一つは、シオリ殿やスミレ君のように、特定の条件下においてのみ、神のごとき恐ろしい力を発揮する、『特殊条件型』。……皆さんは、どう思われますか」
クラウスの的確な分析。それは図らずも、黒の一族の力の核心を突いていた。
「フン……」最初に反応したのは、アイだった。彼女は、スープを一口、尊大に啜ると言った。
「我ら黒の一族の、無限の可能性をたった二種類に分類するなど、愚の骨頂。だが……まあ、概ね間違ってはおらん」
彼女はどこか満足げだった。自分が「戦闘特化型」に分類されたことが、嬉しかったらしい。
「わ、わたくしは、その通りですわ……」シオリが小さな声で同意する。
「この子たちが、いなければ……わたくしは、本当に、何もできませんもの」
彼女は傍らに置いた愛用のアンティークドールを、そっと撫でた。
「そっかー!」スミレは、あっけらかんと笑った。
「あたしも、スケッチブックと鉛筆がなかったら、ただの可愛い女の子だもんね!クラウスさん、頭いー!」
その言葉に、ガルムがなるほど、と手を打った。
「つまり、いきなり殴りかかっても大丈夫な奴と、まず、そいつの面倒な『道具』から、ぶっ壊さなきゃならねえ奴がいるってことか!分かりやすいぜ!」
「もう少し、知性のある言い方をしてくれ、ガルム……」
レオンがため息をつく。
「だが、興味深い分類だ」アリアが、静かに続けた。
「森の理にも似ている。一本で、嵐にも耐える巨木と、他の植物と寄り添い、支え合うことで森全体を豊かにする蔦や草花。どちらが、より優れているというわけではない。ただ、その在り方が違うだけだ」
様々な意見が飛び交う中、コノハは、うーん、と、少しだけ考えて、にっこりと笑った。
「それって、お料理と、一緒ですね!」
「「「料理?」」」
全員の視線が、彼女に集まる。
「はい!」コノハは、自信満々に頷いた。
「例えば、新鮮なお肉やお魚みたいに、ただ焼くだけで、最高に美味しい食材と、スパイスやハーブみたいに、それだけだと食べられないけど、他のお料理と合わせることで、奇跡みたいな味を生み出す食材。そういうことですよね?」
あまりにも分かりやすくて平和的な例え。
クラウスは、目から鱗が落ちるような、衝撃を受けた。
「……なるほど。そういうことか。コノハさん、君は天才かもしれない……」
「えへへ、それほどでもー」
和やかな空気が、食卓を包み始めた、その時だった。
アイが、ふと、思い出したように、言った。
「だが、待て。我ら黒の一族には、そのどちらにも分類できぬ、イレギュラーな存在もいるぞ」
「と、申しますと?」
「我が同級生にして、宿命の好敵手。静木カエデだ」
カエデの名前が出た瞬間、コノハ以外の全員がごくりと喉を鳴らした。
アイはどこか悔しそうに、そして、どこか誇らしそうに語った。
「あの女は、『戦闘特化型』でありながら、その戦闘能力のほとんどを、『特殊条件型』、すなわち、『いかに、快適に楽をしてお昼寝をするか』という、一点のためだ、使っておるのだ。あれは、もはや才能の美しい無駄遣い。我らが分類する、次元の外にいる……いわば、『怠惰特化型』とでも、呼ぶべき存在よ……」
その、的確すぎる新たな分類。
誰もが、深く、深く、納得するしかなかった。
黒の一族。それは、ただ強いだけではない。一人一人が個性的であり、ユニークで、どこか愛すべき「変人」の集まりなのだと。
『至高の一皿』のメンバーたちは、これから始まる騒々しくも、きっと、美味しいであろう共同生活に、期待と、ほんの少しの、もたれにも似た、不安を感じるのだった。
ポトフの最後の一滴まで綺麗に平らげ、食後の紅茶が配られる頃。
レオンは傍らに置いた自らの愛剣を、習慣的に布で磨きながら、ふと、気づいたように顔を上げた。
「……そういえば、皆さん」
彼は『深淵の福音団』の三人に問いかけた。
「先ほどから気になっていたのですが、貴方達は武器を持っていないようですね?冒険者として、それは少し不用心ではないでしょうか」
金級の冒険者ともなれば、己の魂とも言える、特別な武具の一つや二つは持っているものだ。だが、彼女たちの腰には、ポーチや小物入れはあるものの、剣や杖の類は一切見当たらない。
彼のあまりにも真っ当な質問に、アイ、シオリ、スミレの三人は、きょとん、として顔を見合わせた。
そして、一番最初にアイが心底不思議そうな顔で答えた。
「武器?フン。剣や斧など、ただの、鉄の塊に過ぎん」
彼女は尊大に、しかし、絶対的な自信をもって言い放った。
「真の力とは、己が魂そのものを武器として振るうこと!我が『刻印魔眼:ウロボロス・ゲイズ』こそが、この世で最も鋭き刃であり、最も堅き盾なのだ!鉄くずなどに頼るは、己の未熟さを世に晒すのと同じことよ!」
彼女のあまりにも清々しいほどの厨二病理論に、レオンは、「は、はあ……」と返す言葉を失った。
「あたしも、武器は重いから、あんまり好きじゃないなー」
次に、スミレがあっけらかんと言った。
「それに、あたし、武器とか格好いいものを描くのはあんまり上手じゃないんですよねー。でも、大丈夫!いざとなったら、こうやって……」
彼女は手元にあったナプキンに、鉛筆でささっと何かを描いた。
「『めちゃくちゃ硬くて、角が鋭い、焼きたてのフランスパン』を実体化させて、これでえいって殴ればいいんです!」
彼女が『ジェネシス・キャンバス』で生み出したフランスパンは、見た目は美味しそうだが、石のように硬く、鈍器としての殺傷能力は十分にありそうだった。
最後に、シオリがおずおずと口を開いた。
「わ、わたくしは、その……直接、戦うのは、あまり、得意ではなくて……。わたくしには、この子たちが、いてくれますから」
彼女は傍らに置いた、愛用の人形をそっと撫でた。
「でも、もし、この子たちもいなくて、本当に、本当に危なくなったら……」
彼女は、少しだけ周りを見回した。
「……その辺にある、ものでも……。例えば、この、椅子とか、皆さんがお使いになったフォークとか……。最悪、ガルムさんが食べ残したお肉の骨とかでも、代わりの『お友達』には、なりますので……」
彼女の、か細い声で語られた、あまりにも恐ろしい戦闘方法に、甲板の空気が一瞬、凍りついた。
三者三様の、常識からかけ離れた「戦い方」。
『至高の一皿』のメンバーは、それぞ異なる反応を見せた。
「……魔眼が武器……フランスパンで殴る……魚の骨を操る……。すまない、私の騎士道教本には、そのどれも、載っていなかった……」
レオンは、自らの常識のあまりの狭さに頭を抱えている。
「なるほどなあ。武器がなくたって、戦いようは、いくらでもあるってことか!」
ガルムは、むしろ感心していた。そして、スミレが描いた、凶器のフランスパンを興味深そうに見つめている。
「……信じがたい。だが、合理的だ」クラウスは、分析を始めていた。
「彼女たちは、武装解除という概念が通用しない。なぜなら、彼女たちの武器は彼女たち自身の身体であり、その場の環境そのものだからだ。……戦略上、最も戦いたくない相手かもしれん」
「森の獣も、そうだ」アリアが、静かに言った。
「彼らは、牙や爪だけでなく、森にある、全てのものを武器として戦う。彼女たちの戦い方は、洗練された兵士というよりは、自然そのものに近いのかもしれないな」
様々な感想が飛び交う中、コノハはにっこりと、笑って言った。
「でも、やっぱり、フランスパンは、人を殴るより、シチューにつけて食べたほうが、一番美味しいですよ?」
その、あまりにも平和であまりにも揺るぎない、コノハらしい一言。
甲板は、和やかな笑いに包まれた。
一行はこの新しく、騒々しい仲間たちが、ただのトラブルメーカーではなく、とんでもなく強く、面白い存在であることを、改めて認識するのだった。




