第ニ話:金級としての初任務
『至高の一皿』一行が酒場で祝杯をあげた翌日。
レオンの『金級になったからには任務をしないといけませんね。』という責任のある一言から冒険者ギルドの依頼掲示板を確認することになった時のこと。
ギルドの依頼掲示板が、にわかにざわつき始めた。ギルド職員が慌てて新しく張り出した、一枚の金級指定依頼。その内容はこれまでにない奇妙なものだった。
【依頼:『さえずりの森』の生態系異常、緊急調査および正常化】
【内容:アークランド東部に位置する、陽光あふれる穏やかな森『さえずりの森』が、ここ数日の間に急速に、未知の『影の森』へと変貌しつつあり。樹木は黒く染まり、川の水は淀み、生息する動物たちは影のような姿に姿を変えているとの報告。原因は不明。高位のドルイド僧による浄化の儀式も効果なし。可及的速やかに、原因を特定し、森を元の姿に戻されたし】
「影の森……?まるで、闇魔法による汚染だな」
レオンが、険しい顔で呟く。
「ふむ。しかし、ドルイドの浄化が効かないとなると、単純な呪いではなさそうだ。非常に興味深い魔法現象だ」
クラウスが学者としての好奇心を刺激されている。
「森が……病んでいるのか。そこに住む、生き物たちが心配だ」
アリアは森の民としてその異常事態を深く憂慮していた。
「影になった動物……。影のキノコとかも生えているんでしょうか?どんな味がするんでしょう……?」
コノハは一人だけ全く違う角度から、事件に興味津々だった。
「よっしゃあ!原因不明の異常事態ってんなら、その中心には、とんでもねえ化け物がいるに違いねえ!腕がなるぜ!」
ガルムが好戦的に拳を鳴らす。
こうして一行の意見は一致。彼らはその奇妙な依頼を受けることにした。
数刻後、『さえずりの森』の入り口に立った一行は、言葉を失った。
目の前の光景は、あまりにも異様だったからだ。
道の右側は陽光が木々の間から差し込む、いつもの生命力に満ちた森。
しかし、左側はまるで世界から色彩が失われたかのように、全てのものが黒と白と灰色で構成されたモノクロームの森へと変貌していた。
樹木は黒曜石のように黒く、葉は銀細工のように輝いている。地面には水晶のような白い苔が生え、小川は墨汁を流したかのように、静かに黒く流れていた。
「……なんという……。禍々しい、というよりは……」
「……妙に、芸術的だな」
レオンとクラウスが、困惑の声を上げる。
アリアはそっと、黒い木に手を触れた。
「……おかしい。この森から苦しみや、憎しみといった、負の感情が一切感じられない。死んでもいない。むしろ、妙に落ち着いて、静まり返っている……」
一行はその奇妙に静かで、美しいゴシック趣味の森へと足を踏み入れた。
時折、木々の間を影で作られたような真っ黒なリスや、ウサギが駆け抜けていく。だが、彼らは一行を襲うでもなく、ただ好奇心に満ちた赤い瞳でこちらをちらりと見つめると、闇の中へと消えていった。
「なるほど……分かりました!この森、とっても『クール』ですね!」
コノハが何かを悟ったようにそう言った。
「コノハさん、それはどういう意味なんですか?」
レオンが尋ねるが、コノハは「そのうちわかりますよ!」としか言わなかった。
コノハの言葉の意味を、仲間たちはまだ理解できなかった。
森の中心部。そこは、変貌が最も激しい場所だった。
ひときわ大きな黒い樫の木の下に、巨大な黒水晶の塊が地面から突き出ており、それが周囲一帯にこの異常な魔力を放射しているようだった。
そして、一行は信じられない光景を目にする。
その、黒水晶のすぐそばで三人の少女が楽しそうにピクニックをしていたのだ。
「あはは!見て見て、お姉ちゃん!私が描いた、シャドウ・ドラゴン、すっごく格好良くない!?」
「ええ、すごいわね、スミレ。ほら、私が命を吹き込んであげるわ。『傀儡の鎮魂歌』!」
「おお、動いた!かわいい!」
元気いっぱいなの少女が、スケッチブックに描いたデフォルメされた可愛いドラゴンの絵を、大人しそうなショートカットの女性が、闇魔法で実体化させ楽しそうに遊んでいる。
そして、腰まで届く、艶やかな漆黒のストレートヘアー女性は、黒水晶の上に立ち、腕を組み、仁王立ちで満足げに自らが作り変えた森を見下ろしていた。
「――見よ、この、静寂と漆黒の支配する、我が理想郷を!光に媚びへつらう、軟弱な森は死んだ!今、ここに、真の美の世界が、誕生したのだ!」
彼女が、高らかに、そんな演説をぶち上げている、その時だった。
「あ!スミレちゃん!それに、アイさんとシオリさんも!」
コノハが、満面の笑みで、その三人に駆け寄った。
「えっ!?コ、コノハちゃん!?」
「くっ……!何奴!?……な、なんだ、コノハか。それと他の有象無象か」
三人はまさかの再会に目を丸くしていた。
レオンが黒水晶と変貌した森、そして得意げな三人を見比べ、全てを察した。
「……君たちが、この森を、こうしてしまったのか?」
その問いに、リーダー格のアイが胸を張って答えた。
「いかにも!我ら『深淵の福音団』が、記念すべき第一回目の『闇魔法による世界美化活動』の成果である!どうだ、この圧倒的なまでに、クールでゴシックな世界は!素晴らしいだろう!」
彼女たちは、この「退屈で、明るすぎる森」を自分たちのセンスで、より「クール」にリフォームしてあげたのだという。
その、あまりにも純粋であまりにも迷惑な善意。
「ギルドから、正式な依頼が出ていたぞ。『原因不明の呪い』としてな」
クラウスが頭を抱えながら告げると、三人は初めて事の重大さに気づいた。
「ええええっ!?」シオリが、真っ青になる。
「わ、私たち、そんな呪いだなんて、そんなつもりじゃ……!」
「えー?でも、シャドウ・ウサギさん、とっても可愛いのにー」
スミレが不満そうに唇を尖らせる。
「な、なんで!?私達の崇高なる芸術が、理解されないのかしら?!」予想外の反応に、素の口調に戻り狼狽していた。
「君たちの芸術的センスについてはさておき、この森の生態系は、太陽の光を前提に成り立っていた。このままでは、光合成ができなくなった植物はいずれ枯れ果てる。それを食べる動物たちも、いずれは……」
クラウスが冷静に説明する。
「そ、そんな……!」
自分たちの「美化活動」が、結果的に森そのものを殺しかねないという事実に、三人はショックを受けた。
「わ、私、元に戻します!」
アイが慌てて黒水晶を引っこ抜こうとする。
「待て、馬鹿者!」
アリアが叫んでそれを止めた。
「その水晶は、既にこの森の龍脈と完全に癒着している!無理に引き剥がせば、森の魔力バランスが崩壊し、それこそ森は一瞬で塵と化すぞ!」
絶体絶命。自分たちの手で、元に戻すことすらできない。
「……方法が、一つだけ、あります」
静かに、コノハが言った。
「闇の力で、無理やり塗り替えてしまったのなら、今度は光の力でゆっくりと、色を戻してあげるしかありません。闇の力と光の力。その二つのバランスを、完璧に保ちながら、森の魔力を中和させていくんです」
それは神業に近い、繊細な魔力コントロールを要求される大儀式だった。
こうして、コノハ一行と『深淵の福音団』による森を元に戻すための奇妙な共同作業が始まった。
アイが黒水晶に注ぐ闇の魔力を少しずつ弱めていく。
その一方で、コノハと光魔法の適性があったスミレが、その減少分と全く同じ量の光と生命の魔力を森全体へと注ぎ込んでいく。
レオン、ガルム、クラウス、アリア、そしてシオリは、その、不安定な魔力の均衡状態に、時々引き寄せられてくる、魔力の暴走によって生まれた、歪な魔獣たちを食い止める。
数時間にも及ぶ、儀式の末。
黒水晶はその力を失いただの石ころへと変わった。
そして、森はゆっくりと、確実にその元の光り輝く色彩を取り戻していった。
ギルドへの報告は「原因不明の魔水晶の暴走を、鎮めることに成功した」という形で処理された。三人の名はコノハの嘆願により伏せられた。
その日の夜。
『ラ・キュイジーヌ・シュプリーム号』の食卓には、七人の姿があった。
しょんぼりとうなだれる、『深淵の福音団』の三人。
「……本当に、ごめんなさい……」
「私たちの浅はかな行いのせいで……」
そんな彼女たちの前に、コノハが湯気の立つ大皿料理をどんと置いた。
「さあ、皆さん!反省も食事が終わってからですよ!これは、あの森で採れた『暗闇しめじ』と、皆さんの頑張りで作った、『仲直りのクリームグラタン』ですよ!」
そのあまりにも温かく、美味しそうな匂いに三人は、涙目になってしまった。
こうして、トラブルメーカー三人組は、コノハ一行にこってりと絞られた後、美味しい夕食をお腹いっぱい、ご馳走になったという。
彼女たちの「闇魔法布教」の道は、まだまだ、前途多難のようである




