閑話休題 その五:永遠の種火で料理をすると?
火の精霊の祭壇での試練を乗り越え、一行は次なる目的地『静寂の湖』を目指して、再び『ラ・キュイジーヌ・シュプリーム号』での航海に戻っていた。船旅は順調そのもの。そして、この船の厨房では、今、革命的な変化が起きていた。
サラマンダーがもたらした『永遠の種火』は、コノハの料理スキルを、さらなる異次元の高みへと押し上げていたのだ。
ある日の昼下がり。甲板では、レオンとアリアが剣と弓の稽古に励み、クラウスは書物を読み、ガルムは昼寝をしていた。そんな平和な光景の中に、厨房から天にも昇るような、芳醇な香りが漂ってきた。
その香りを嗅いだ瞬間、昼寝していたガルムがむくりと起き上がり、稽古をしていたレオンとアリアの腹が「ぐぅ」と鳴り、クラウスは読んでいた本のページをめくるのを忘れた。
「皆さん、おやつの時間ですよー!」
コノハが、満面の笑みで銀色のトレイを運んできた。その上には、ごく普通の何の変哲もない焼き魚が数匹乗っている。
「あれ?コノハ、今日のやつは、なんだか普通だな」
ガルムが少し拍子抜けしたように言う。いつもなら、 もっと凝った料理が出てくるからだ。
「ふふふ、まあ、とりあえず食べてみてください」
コノハは自信ありげに微笑む。一行は、半信半疑でその焼き魚を口に運んだ。
その瞬間、四人の時が止まった。
「なっ……!?」
レオンの目が、驚愕に見開かれる。
ただの焼き魚。しかし、その味は彼がこれまで口にしたどんな高級魚料理とも比較にならなかった。
皮は信じられないほどパリパリに焼き上げられているのに、焦げは一切ない。まるで極薄のガラス細工のように、口の中で心地よい音を立てて砕ける。
そして、その下にある身はふっくらと、しっとりと、まるで雲のように柔らかい。噛んだ瞬間、魚本来の旨味が凝縮された肉汁が、じゅわっと口の中いっぱいに広がる。
塩加減は完璧。生臭さなど微塵もなく、後には魚の持つ上品な甘みと、香ばしい香りの余韻だけが残る。
「こ、この魚……一体、何をしたんだ!?ただ焼いただけじゃないだろう!?」
クラウスが、分析するように魚を裏返したりしながら叫ぶ。
「はい!種火を使って焼きました!」
コノハは得意げに掌で小さな炎を揺らめかせた。
コノハは、得意げに解説を始めた。
「『永遠の種火』は、ただ温度が高いだけじゃないんです。私がイメージした通りの、完璧な火力を、寸分の狂いもなくコントロールできるんです!」
彼女は目を輝かせながら続ける。
「例えばこの焼き魚なら、『皮の表面0.1ミリだけを、瞬間的に超高温で焼き固めて、中の水分と旨味を完全に閉じ込める』っていうイメージでお願いするんです。そうすると、種火が完璧にその通りにしてくれるんですよ!」
「そ、そんな神業みたいな芸当が可能なのか……!?」
アリアが、信じられないといった表情で種火を見つめる。
「それだけじゃないぜ!」
今度はガルムが、興奮気味に叫んだ。彼は、コノハが「試作品です」と言って差し出した、巨大なステーキ肉の塊を頬張っていた。
「このステーキもそうだ!外側はこんがり焼けてるのに、中は完璧なレアだ!しかも、ただのレアじゃねえ!肉の中心部まで、ちゃんと温かい熱が通ってるんだ!なのに、火は通り過ぎてねえ!どうなってやがるんだ!?」
「それはですね、『肉の内部にある筋繊維一本一本を、直接温めるようなイメージで』ってお願いしたんです。そうすると、外側を焼きすぎずに、中だけを理想的な温度にすることができるんですよ。名付けて、『内部加熱調理法』です!」
「り、理論は分かるが、実現は不可能のはずだ……!それを、感覚とイメージだけでやってのけるというのか、君は……!」
クラウスは、もはや料理の域を超えた魔導科学の実験を見ているかのような気分だった。
レオンは、自分が食べている焼き魚の骨が簡単にするりと身から外れることに気づいた。
「コノハさん、この骨まで……」
「はい!骨と身の間にある、薄い膜だけを焼き切るイメージでお願いしました!そうすれば、お魚が食べやすくなるでしょう?」
「……」
レオンは言葉を失った。それは、もはや料理ではない。外科手術レベルの精密さだ。
「種火をもらってから、料理の幅がすごく広がったんです!」
コノハは嬉しそうに続ける。
「例えば、プリンを作る時も、卵液を固めるギリギリの温度を、一秒も狂わずに維持できるから、史上最高になめらかなプリンが作れますし!」
「燻製を作る時も、煙の温度を完璧に管理できるから、食材の香りが最大限に引き出せます!」
「天ぷらだって、衣の中の水分だけを一瞬で蒸発させられるから、油を全く吸わない、サックサクの軽い天ぷらが作れるんですよ!」
次々と語られる神がかり的な調理法。それを聞いているだけで、四人は生唾を飲み込むことしかできなかった。
「つまり……」クラウスが、震える声で結論をまとめた。「サラマンダーの力とは、単なる高火力ではない。『術者のイメージを、寸分違わず完璧に再現する、究極の熱エネルギー制御能力』……。それが、コノハ・シズキという、これまた規格外の料理人の感性と結びついた結果、我々の理解を超えた奇跡の料理が生まれている、というわけか……」
「そういうことです!」
コノハがにっこりと笑う。
四人は、改めて自分たちがとんでもないパーティにいることを実感した。
最強の戦闘能力を持つ少女。その掌には、神の如き精密さで炎を操る種火。それは世界の理さえも捻じ曲げかねない究極の料理。
「なあ、コノハ」ガルムが、ふと真剣な顔で尋ねた。「その炎、戦闘にも使えるんじゃねえのか?敵の鎧の中だけを焼くとか、武器だけを溶かすとか……」
その言葉に、レオン、クラウス、アリアも「確かに!」と頷く。それは恐るべき軍事転用の可能性だった。
しかし、コノハはきょとんとして首を横に振った。
「えー?そんなのもったいないですよ!この種火は、美味しいものを作るためにあるんですから!」
そのあまりにも純粋で一点の曇りもない答え。
四人は、顔を見合わせて、そして、一斉に吹き出した。
そうだ。それでこそ我らが誇る料理番、コノハ・シズキだ。
彼女がその力を平和的に、そして最高に美味しく使ってくれる限り、自分たちは世界一幸せな冒険者に違いない。
四人は心からの安心と、尽きることのない食欲を感じながら、コノハが次に作り出すであろう奇跡の料理を、今か今かと待ち望むのだった。




