想い出のオルゴール(前編)
第1章 掘り出し物、売るよ!
その日、アリス・マーロンはいつになく不穏な家の空気におののいていた。原因は彼女の父にあった。朝食の席で一言も喋らないし、わざとらしく新聞をソファに投げつけたりするのだ。それだけではなかった。リビングに飾った、アリスの描いた絵を見つめてなにやらぶつぶつと独り言を言うのである。普段からごく常識的な行動を好む彼にしては不可解な行いであった。
「お母さん、今日はお父さんの機嫌悪いの?」
彼女は父のいない隙を狙って、朝食後に台所でりんごを剥いている母に尋ねてみた。
「さあ、なんでしょうね……。別になんかあったわけじゃなのいよ?」
おかしいわねーと彼女も頭をひねった。綺麗にカラーリングされた髪と、やや派手目のプリントが施された服を身にまとった彼女は筋金入りの専業主婦で、家事の手を抜くところと、真面目にやるべきところの差はきっちりと心得ていた。今日も朝食後の皿洗いはさっさと済ませてしまい、今は大量に仕入れたりんごをパイの具にするためにせっせと剥いているところであった。
アリスは実家から2時間ほど離れた公立大学の美術科に通う大学生であった。普段は大学にほど近い1LDKの下宿で暮らし、週末は実家で暮らすという2重生活を続けていた。しかし、それも大学生活に慣れるにつれだんだん面倒臭くなってきて間遠になり、今回は3週間ぶりに家に帰ってきたのであった。
「機嫌が悪いのも一時的かな?」
下宿先に残してきた冷蔵庫の中身を心配しながらアリスが言った。
「まあ気にしなくてもいいんじゃない?きっとお腹の具合でも悪いのよ」
櫛形に切ったりんごを塩水に漬けながら母・ヴァイオレットが言った。父・アダムは2階の自室へ行ったきりで物音もしなかった。
母の忠告通りに気にしないことにして、アリスはリビングで大学の課題のレポートに手をつけ始めた。人物画で有名な画家の作品について『何か』感想を書いて来いというものであった。初動が遅かったからか図書館では図録の争奪戦に負け、手にできたのは戦前に出版されたモノクロの画集だけであった。昼までには課題も終わり、あとは自室でゴロゴロしようかとテーブルの上を片付け始めた頃、2階から父の降りてくる音が聞こえた。
彼はまだむっつりとして見るからに不機嫌そうだった。こういう時は放っておいたほうがいいと判断し、アリスは知らんふりを続けた。しかし、彼の不機嫌の種はアリスその人だったのだ……。
「今からでも遅くない……」
アダムは振り絞るような声で言った。
「もう一度受験し直して医大に行きなさい」
『…………』
母娘はお互いに目をあわせて父の話を聞いていた。
「せっかく中学・高校と勉強のできるところに行ったんだ。この先の人生が見えない画家になんかなろうとしなくてもいい!」
一気に言い切って、彼は少し呼吸を整えた。陽の光がほどよく差し込む窓辺へ寄って、窓枠へと手をかけた。そのまま、自分の気を落ち着かせるように窓を少し開け、春先の暖かな空気を肺一杯に吸い込んだ。
「退学しなさい」
彼の言葉にアリスは愕然とした。
「待ってよ!今の学校に入る時は全然反対しなかったじゃない。今になってなによッ!」
「いいから黙って勉強しなおすんだ!今からなら来年に間に合う……」
ここまで言ってしまうと、彼の心にも火がついたようだ。
「この金食い虫が……。いままでお前にいくらかけたと思っているんだ」
学生に対する禁断のセリフを彼は投げかけた。
「学費?だったら去年、学内で賞をとって半額免除になったわ!文句あるの?」
アリスも負けずに言い返した。アダムは冷たく鼻で笑うと言った。
「話にならん!どうせ就職もせずに売れない画家になるのが目に見えている。人生のやり直しが効くのは今だけだ」
「なによ!私はちゃんと勉強してるわ。将来だって考えてる!訳のわからないこといわないで……」
アリスは父に対する怒りで燃えていた。彼はそれ以上なにも言わなくなって、今度は緑に萌える外へと出て行った。
「まあ、アダムったらどうしたんでしょう……」
ヴァイオレットは心配そうにつぶやくと、娘をまじまじと見た。
「気にしないで」
「気にするわよ。あんな無茶苦茶言って!」
アリスは母に向かって宣言した。
「私だって稼いでやるわ!これからはあんな偉そうなこと言わせないんだから!」
明日までの実家に居る予定を変更して、アリスは下宿に帰ることにした。母の『お水には向いてないわよ』の忠告に気分を害しながら、 彼女はボストンバックに詰め込んだ荷物とともに、急行列車へと乗り込んだ。列車の中でアリスは携帯電話を取り出し、『学生 副業』と検索してみた。見事にお水の広告が引っかかり、彼女はため息をついた。
(もうちょっと美人だったら……)
アリスは列車の窓ガラスに自分の顔を映し込むと、1人で笑ってみせた。なんだか悲しくなってきて、彼女はもう一度ため息をついた。
携帯電話に目をやると待ち受け画面にしている絵が目に入った。
(絵が売れるようになればいいんだけど。その前に勉強しないとな……)
列車の窓からはのどかな田園地帯が見えた。この光景もあと1時間ほどした頃には市街地に変わっていくのだ。
(そうだ、ネットオークション……)
アリスは何か閃いた。自分の作品が売れないならば、他人の『作品』を売ればいいのだ。
(アンティークの品物を手に入れて売れば……)
『作品』を選ぶ美意識にはちょっとした自信があった。しかし、実際にモノを買うとなると、事情が変わってくる。
仕送りを貯め込んだ貯金はかなりの額になっていたが、下宿に置いておけないかさばるし値の張る大きなモノは買うわけにはいかなかった。
(小物狙いか……。どうせだったらカワイイものを集めたいな……)
いつのまにか完全に趣味の世界にどっぷりと浸かりながら、彼女は蚤の市の開催される場所を検索した。大学のすぐそばに隔週で開催される市があるのを知って、彼女の空想はすこし現実へと近づいていった。
下宿に帰ってからは、荷物を適当に放り出しておいて、検索の手段をパソコンに変えて単発アンティーク品のネットショップを覗いてみた。ティーカップやランプシェードについた値段にビビリながら主だった取り扱い品を見ていると、自分の扱えそうな品物がわかってきたような気がしてきた。小物入れや銀のティースプーンといったところがイイ線であった。
「しかし、1人で市をぶらつくのか……。なんか寂しいな」
アリスはつぶやくと、誰か暇な人を引き込もうと画策した。彼女のいる「怪奇文学クラブ」の暇人を引き込んでしまえばいいのだ。指折り数えて一緒に行動してくれそうな数人の顔が思い浮かべた。彼らはいずれ劣らぬ行動力のある暇人であった。
「うまくいってくれ……」
彼女はパソコンをしまうと、天に祈った。
「怪奇文学クラブ」はサークル棟の外れにあった。右隣はツーリング専門のバイククラブ、左隣は吹奏楽部の倉庫といった立地であった。一階であったためたまにネズミとあの黒光りする害虫が出現し、その度に仕掛け式の檻と対害虫用薬品が増えていった。
「先輩、火曜日お暇だったりしませんか?」
アリスは、かなり年季の入った院生である通称:先輩に声を掛けた。
「いや、火曜はちょっと……。発表が入ってるんだ」
茶色い髪をワックスで固め、紫色のシャツを着、軽音楽部のほうが似合いそうな彼はすまなさそうに答えた。
「発表ですか……」
ちゃんと勉強もしてるんですね〜とか思いながらアリスは別の人を探した。噂では彼は2回留年しているらしかった。
「アリス、悪い。火曜日は単発バイトをいれちまった!」
こちらから尋ねる前に、哲学科のアンドレイが言った。部屋の中でもサングラスをかけるのをポリシーにしている(授業中は外しているらしい)彼は強面なわりにはB級アイドルの追っかけであった。
「単発ってビラ配りとかですか?」
「いや、野外ライブだよ!うまくいけばアイドルの楽屋シーンとか見れるかも!楽しみだな〜」
「よかったですね。でも観客は何人ぐらい集まるんでしょう……」
続けざまに頼みを断られ、アリスは少し焦った。あと部室にいるのは……。
「蚤の市!?俺、そういうの苦手なんだわ。じいさんがそういうの大好きでさ、ばあさんといっつもケンカしてたから。なんかガラクタ集めってイメージがあってさ……」
髪型が苦行像に似ているからという理由で、あだ名がブッダになったイアンが困ったように言った。本人は像とは違って少しばかりポッチャリとしていた。彼は工学部の同回生であった。
「また趣味に走って……。絵の題材にでもするのか?」
「ううん、今回はオークションに出してみようかと思って。学費の足しにするんだ……」
「そんなに鑑定眼あるのかよ。痛い目に合いそうだな……」
「やっぱりぼったくられるかな……。予算もあんまりないし、どうしよう〜」
アリスは悩んだ。このまま『副業』をあきらめれば、父の言いなりに医学部受験に向かわされてしまうかもしれない……。
「ちょっとでも稼ぎたいんだけどな……」
「じゃあ、チートアイテムを使っちまえよ」
「なにそれ?」
ブッダは携帯電話を取り出した。
「年代物の資料集よりも役にたつ人間辞典ってね……。」
彼は誰かに電話を掛けたようだった。数コール待つこと……。なぜか部室の中から着信アラームの音が鳴った。
部室のソファーに置かれた緑色のリュックサックの中からであった。
「ル―――クッ!」
ブッダが叫んだ。
「はい?」
名前の主は部室の奥に並んだ本棚の後ろから出てきた。手に古い文庫本に目を通したまま、彼はソファのところまでやってきた。
銀色の髪に琥珀色の瞳、もう少し背が高ければ十分にイケメンの仲間入りを果たしたであろう。
「アリスが蚤の市に行きたいってよ。案内してやれば?」
ブッダが携帯電話の切りボタンを押しながら言った。
「いいけど、アンティーク趣味にでも目覚めたのか?」
「オークションで売るんだってよ!」
「へえ。頑張るんだね……」
切りのいいところまで本を読んでから、ルークはアリスに目をやった。
「レポートにまとめた程度の知識だけど、いいのか?」
「いいの?ぜひお願いするわ!」
アリスは心の中でガッツポーズを取っていた。これであてもなく彷徨わずに済む……。
「でも、あなた普段はバイトで忙しいんじゃなかったけ?」
「ああ、中華料理屋の?店が潰れたんだよ……」
「……それはご愁傷様……。そうそう、火曜日に行きたいんだけど、大丈夫?」
「いいよ。昼からになるけどね」
アリスは嬉しそうにルークの手を握った。
「行くわよ、同志ッ!」
第2章 いいえお宝です
火曜日は天気に恵まれ、昼間なら上着なしで外出できるほど気温も上がっていた。たっぷりの陽の光の元、部室前で待ち合わせしたアリスとルークは歩いて10分ほどの蚤の市を目指した。
「こんなのやってるなんて知らなかったわ……。人がいっぱい来てるのね」
「俺も一度来たことがあるけれど、その時は雨だったからな……。あんまりにぎわってなかったよ」
「ふーむ。じゃあ、今日は当たりね!」
アリスは昼ご飯を食べたばかりなのに、露店のアイスクリームに視線を送った。色とりどりの品物が並び、ちょっと絵の具のパレットのようでもあった。
「あとでもっとすごいのがあるぞ。粒あん食べられるか?」
ルークがアリスの視線に気付いたらしく、肘でアリスをつつきながら言った。
「粒あん……あとで……。」
アリスはアイスクリームにもう一度熱い視線を送ってから、前を向いた。
「ええ、本来の目的を達成してから休みましょう……」
「そうだな。どんなものから見たい?建物の中には常設の店も結構あるぞ?」
「うーん。小さくてカワイイものってなに?やっぱりティースプーンとか小物入れとかかな?」
「ああ、そんな感じのがいいんだ。それなら建物の中から見てみるか……」
2人は一階がアンティーク専門店のフロアで、2階からが住居になっている建物へと足を向けた。
アリスは早速入口にある店の大きなカメオ飾りに釘付けになった。青の地に、長くうねった髪の綺麗な女性が乳白色のうわがけで表現されていた。もちろん値段なんか書いていない。
「これってカメオだよね。こんなに大きいのどうやって飾るの?」
「さあ。額でも特注してそのなかに飾るんじゃないのか?」
「特注……」
アリスは自分の作品につける額のことを考えた。絵の場合なら特注しても値段は既製品とはたいして変わらない。しかし、このような凝った作りの物体を額に入れるとしたら……。
「うう。見えない出費がかさみます」
「行くぞ。いちいち立ち止まっていたら一日じゃ回りきれない」
「うん……。回りきれない……」
オウム返しにアリスはつぶやいた。たしかに、好きな人にはたまらなさそうな物体がたくさんある。
(こんな品物って何年くらい店先にあるのかしら……)
塵ひとつかかっていないが、店のラスボス感が半端ない壺を見上げてアリスは1人思った。
通路の少し奥まったあたりで、最初の『獲物』を彼らは発見した。銀色のスプーンは緑のビロードの貼られた木製の箱のなかで光輝いていた。
「これって銀製?」
「いや、値段的には銀メッキ……。でも銀製だと手入れが大変だぞ。すぐに黒ずんでしまうからな。売れるまでのメンテナンスも考えて、お手入れクリームも買わないとダメだぞ」
「う……。先生、それじゃ偽物のデザインがいいの狙いに替えます!」
「そのほうがいいかもよ。」
この会話を聞いていたのか、店員が凝ったデザインのティースプーンを店の奥から出してきた。しかし、値段は銀メッキのスプーンよりもちょっと高かった。
「……なにゆえ?」
アリスはぼやいた。店員はそんなことお構いなしにスプーンをおすすめしてくる。
「まあいいや。様子見に買ってみよ〜」
アリスはスプーン5本を購入すると、店員がそれを包んでくれるのを待った。それをルークは腕を組んで無言で待っていた。
「序盤から飛ばすね」
「まあ、相場とか分からないからね。てきとーにいくわよ……」
アリスは受け取ったビニール袋を軽く振りながら答えた。
次に立ち寄った店はショウウィンドウのなかに半透明のガラスを彫刻して飾った電気ランプを並べていた。
「綺麗……。おじさん、これおいくら?ええ!?」
興味本位で聞いてみたアリスは絶望の声を上げた。
「ウィリアム・モリスのホンモノだよ……」
黄色いバンダナを巻いた壮年の店員は笑いながら言った。
「半年分の学費くらいするわ」
「そうそう。結婚したら買ってもらいなさい!」
「うう……。一生無理そう」
アリスはもう一度ショウウィンドウを見直してみた。すると、端っこの方に両手に収まる程度の細工ものの箱があるのに気がついた。
「おじさん、あれってなに?」
「あれはオルゴールだよ」
アリスの指差す方をみて店員は言った。彼はまだ頼んでいないのにケースから出すと、アリスにひょいと手渡した。
白い木の地に金の模様が刻印されたそのオルゴールは、結構ずっしりと手の中に沈み込んだ。
「鍵が開かないんだよね。モノはいいから店には出しているけど……」
「これ、安くなりませんか?」
「自分用かい?」
「いいえ、ちょっと売りにだそうかと……」
「そうかい。じゃあ、鍵屋で開けてもらったほうがいいな!中身がわからんものは売れないだろう!」
「あはははは。そうですよね」
すこしばかりひきつるアリスをよそに、おじさんは付属品だったと見える金色の『鍵』を引き出しから出してきた。
「安くしとくよ」
これぐらい、と彼は指を突き出した。アリスはそれをじっと見つめると言った。
「よし、買うッ!」
「男前」
ランプの店を離れたところで、ルークは手を叩いてアリスを褒めた。
「私はちょーっと後悔してるかも……。安かったんだとは思うけど、予算はあと……」
アリスは財布の中身を覗き込んだ。今日のために下ろしてきたなけなしのおこずかい。仕送りを使うのはしゃくに触ったのでそれは去年学内で賞をとったときの奨励金の一部であった。
「無駄遣いかな……」
「そうでもないだろう。キミの目は確かそうだし」
「そうかな〜」
自信なさげに言うアリスは、次の買い物が最後と決めた。
2人はアクセサリーの店に立ち寄り、アメリカ製だという勿忘草のピンブローチを手にした。
「ここまでにしとこう……」
「結構買ったな」
ルークはアリスを少し休憩しようかと誘った。
「露店の奥の方に、タイ焼きの店があるんだ」
「前に言ってた粒あんがどうのっていうの?いいよ、行こう!」
アリスはルークを急かすと、狭い通路を抜けて屋外へと出た。
屋台形式の店は結構繁盛しており、彼らの前にも2、3人が並んでいた。
「前に食べたときはタイが口からあんこを吐いていたよ」
「今日のは上出来なんだ。ちゃんと魚の形してるよ」
タイ焼きをアツアツの出来立てでゲットして、2人は仲良く並んでそれを食べた。
「それじゃあ、最後の仕上げに行こうか……」
ルークはタイ焼きを食べ終わると、アリスが下げた紙袋を指差しながら言った。
「そうね。鍵屋で開けてもらわないと」
アリスも、紙袋を少し振って言った。結構重量のあるオルゴールを入れた後、店の名前がなんにも印刷されていない紙袋は2重にしてもらってちょうどいいくらいであった。
ルークは先ほど通った露店の中にあった鍵屋を思い出しながら、アリスの前に立って歩いた。
赤いのれんを掲げた鍵屋は、多くの鍵で埋もれていた。機械で鍵を削っていた髭に眼鏡の店員に声をかけてオルゴールを見てもらうと、彼は首をひねって、店の奥にあった細長い金属棒をとりだしてきて鍵の口にあてがった。オルゴール本体を傷付けないように慎重に作業を進めながら彼は言った。
「お客さん、これは普通の鍵じゃないよ!付属品の鍵も、別のモノの鍵じゃないかな……」
「なにそれ、どういうことですか?」
アリスは予想外の出来事に驚きながら言った。
「魔法鍵でしょう。専門の店に見てもらってください!」
店員はオルゴールをきっちりと両手に持ってアリスに返すと、またもとの作業に戻ってしまった。




