終章―03 プライド
轟音が鳴り響く。
唸りをあげて迫り来る拳をサタンが紙一重で躱し、それによって標的を失った拳が大地へと強く撃ち込まれる。
――そして、地が砕けた。
そのあまりの威力にサタンは小さく眉尻を動かしたが、けれどもさして驚くこともなく、すっと背後へと飛び退る。
「……おいコラ、どこまで行くつもりだこの野郎」
アルファの、怒りの滲んだ声が響く。
その言葉にサタンはその場に立ち止まり、遠く離れた混沌の居城へと視線を向けた。
「――そろそろ、良いか」
ポツリと呟き、アルファへと視線を向ける。
「悪かったな、アルファ。互いの戦闘で相互に影響を与えない、最適な距離を図っていた」
「……そうかよ、なら――」
あぁ、と。
アルファの言葉にそう返したサタンは――次の瞬間、その場所から掻き消えた。
そして、爆音が鳴り響く。
見ればアルファの構えた両腕へとサタンの拳が激突しており、衝撃波が響き、二人を中心として大地が砕けた。
「――これで、貴様を殺し直せる」
その言葉に、その体から立ち上る威圧感に。
アルファはニタリと、獰猛に笑みを浮かべた。
「なるほど……、よく分かんねぇがお前、今は強ぇな?」
理由なんて知ったことか、と。
そう笑ったアルファの蹴りがサタンの腹へと撃ち込まれ――そして、割り込んだサタンの左手がその蹴りを受け止める。
そして、再び衝撃波が巻き起こる。
――そこに、言葉など既に不要。
アルファの紫目の瞳とサタンの紅蓮の瞳が交差し。
――そして、二人の口角が吊り上がった。
次の瞬間、二人の両腕が大きく跳ね上げられ、ぐっと、拳を握りしめる
これより始まるのは、純粋な殴り合い。
血湧き肉躍り、悲鳴も痛みも笑顔で飲み込む、戦闘狂二人による純粋な殴り合い。
防御を構えることなく、すっと握りしめた両拳を下ろし、オープンガードで構えた二人。
二人の体から圧倒的なプレッシャーが沸き上がり――そして。
「ハァァァッ!」
「うオラァッ!」
拳と拳が激突し、周囲へと爆音が鳴り響いた。
☆☆☆
――混沌様。無礼を知ってお願いがあります。
サタンは、その時のことを思い出していた。
アルファとの戦闘中、目覚めた混沌によってその勝負を中断されて、無理矢理に悪魔界へと連れて戻され。
そうして彼は、自らの主にそう声を上げた。
『……何だ、サタン』
『…………』
ただ、何用だと。
サタンの内に燻るその炎に気がついておきながら、それでも尚『言ってみろ』と無遠慮な言葉を突きつけてくる彼女に、サタンは確かにそう告げる。
『――私に、力を貸して頂きたい』
その言葉に、その覚悟に。
小さく嘆息した彼女は、スッとサタンへと冷たい視線を投げかける。
『……確かに私の力であれば、かつてのルシファーに行ったような強化が出来る。が、それを行えば私の魔力に自我と痛みの感覚を喰われていく。そんな力で勝ったところで――』
『勝ったところで、何ですか』
その言葉に、混沌は大きく目を見開いた。
サタンは今の今まで、彼女の忠実な下僕であり続けた。
故に、驚いた。
サタンという男が、初めて混沌の意見に噛み付いたのだから。
『私は……俺は、勝利が欲しい。どんな手を使ってもいい。強くなるのに自我が不必要なのであれば喜んで捨てよう。痛みが不必要ならば勇んで川へ放り投げよう』
彼の内を占めるのは――純然たる『悔しさ』だった。
何故、何故自分はこんなにも弱い。
あの男にあれだけの口を叩いておいて、何故自分は何の成果もなく、情けなくもここへと戻ってきた。
何故、アルファに手も足も出なかった。
――あぁ、悔しい。
悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい。
胸が抉られるほどに。
心臓を掻きむしりたくなるほどに。
死んでも死にきれぬほどに、悔しさが溢れてくる。
『俺は――アイツに勝ちたい』
それは、両親が死んで初めて、サタンが見せた自分自身の『想い』だった。
誰の為でもなく、自分の為に。
ただ、自分の意思を貫くために。
サタンは混沌へと、覚悟の咆哮を打ち鳴らす。
『――何を失ったっていい。だから、今。俺にアイツに勝てるだけの力を下さい。我が主』
☆☆☆
「うおおおおおッ!」
アルファの咆哮が響く。
彼の拳は連撃となりサタンを襲い、咄嗟に両腕で防御を固めたサタンは刹那に遅いかかった無数の連撃に小さく呻き声を漏らす。
彼の体は大きく後方へと吹き飛ばされてゆき、それを見たアルファは笑みを浮かべて追随する――だが。
「甘い――ッ!」
直後、吹き飛ばされたはずのサタンが力技で大地を踏み砕き、転じてアルファへと膝蹴りを放ってきた。
まさか後方へと飛ばされたその『勢い』を片足で受けきり、転じてみせるとは彼も思わなかったのか、その膝蹴りはアルファの腹へと深く突き刺さり、くの字に折れたアルファは吐血した。
「が……」
「ハァッ!」
直後に、両腕を組むようにして掲げたサタンの両腕がアルファの後頭部へと吸い込まれてゆき、その化物じみた威力を横目で見ていたアルファは、小さく歯を食いしばる。
(――五十倍速ッ)
途端、彼の体がとてつもない速度でその拳に反応し、一瞬にして体を転じた彼はスッとその拳へと取り付くと体中を使って両腕ごとへし折らんとばかりに力を込める。
それには一瞬目を見開いたサタンではあったが、関節に走り抜けた激痛に顔を歪め、すぐさまアルファごと両腕を地面へと叩きつける。
それにはアルファも少なからずダメージを受けたのか、ギリッと葉を食いしばると、スッと顔を上げ――
――ゴチンッ、とサタンの額へと頭突きをかました。
「ぐあ……」
「い、いっちぃ……ッ」
――正しく、予測不能。
野生の獣じみた、『目に付いたものを攻撃する』という型にはまらない攻撃にサタンは呻き声をあげ――直後に、前方へとアルファの姿を投げつける。
「ガァッ!」
途端にアルファの体はとてつもない遠心力により腕よりすっぽ抜け、それに目を見開いたアルファへと今度はサタンが追随をかける。
その姿を見たアルファは、大きく笑って拳を握る。
――そして、拳と拳が重なり、交差する。
アルファとサタンの顔面へと強烈な一撃が直撃し、直後に弾かれたようにして二人の体が吹き飛ばされていく。
「が……クソが。強ぇな、やっぱりよォ」
呻くように呟き、アルファは笑う。
なんとか状態を起こすと、痛みに眉尻を吊り上げながら鼻血を拭い、口の中に溜まった血液を吐き捨てる。
視線の先には大の字に倒れ、真っ直ぐに空を見上げるサタンの姿があり、ポツリと、彼が漏らした声が響いた。
「――長い間、眠っていた気がする」
その言葉に小さくアルファは反応を示すが、それを一瞥もしないサタンは大きく息を吐き、言葉を重ねる。
「従順であれと、そうやって生きてきた。別にそれがダメだとは思っていない。あの方に仕えることに、なんの疑問も後悔も、挟む余地はない。だが――」
そう続けた彼は、瓦礫の中に埋もれていた上体を起こす。
ガラガラと瓦礫が体から落ちてゆき、そしてその中から現れたのは――漆黒のオーラを纏う、サタンの体だった。
「――ただ一つ、譲れないモノが出来た」
途端に威圧感が膨れ上がる。
その威圧感は先ほどまでの比ではなく、叩きつけるような膨大な殺気にアルファの頬がぴくりと跳ねた。
「何故だろうか。貴様にだけは負けたくないと、そう思うのは」
サタンの真紅の瞳がアルファの姿を睨み据える。
その瞳には純粋にして確固たる想いの炎が灯っており、その炎にアルファは大きく目を見開いた。
その瞳に宿っていたのは――勝利への渇望。
どんな手を使ってでも勝ちたい。
この男にだけは、死んでも負けたくない。
そう願う男の純粋な思いが、その瞳に現れていた。
「……理由は、正直わからぬ。執行者相手にさえこうはならなかった。にも関わらず、だ」
その射るような視線を受けて、アルファは『ハッ』と笑い飛ばした。
――負けたくない理由。
そんなもの、その目を見れば明らかだろうと。
そうアルファは笑って、サタンの瞳を睨み返す。
「負けたくねぇ理由なんざ、プライド以外に何があるってんだよ、クソ悪魔」
あぁ、そうだ。
負けたくない。負けたくない。
今、目の前にたっている男に負けたくない。
実力が均衡している、技術で瀬っている。
故に、どうしても負けたくない。
だって敗北は、それイコール『敗北』なのだから。
負けるということは、心が負けたということなのだから。
だからこそ、否が応でも負けたくない。
「「――お前にだけは、負けたくない」」
これは、意地と意地のぶつかり合いだ。
力も互角、技術も同等。
なればこそ。
――意地汚い奴が、勝利を掴む。
どんな力であろうが、借り物だろうが。
己が全てを用い、勝利を掴みに行った者が勝つ。
たったそれだけの、シンプルな殴り合い。
轟ッ、と二人の拳からオーラが吹き荒れる。
サタンの拳からは漆黒に染まった紅蓮の炎が吹き上がり、アルファの拳か真紅のオーラが吹き荒れる。
「――『憤怒解放』」
「――『神鬼モード』」
さあ、確固たる意地を胸に殴り合おう。
己が自己満足のために、他を踏みにじる自我はあるか。
他の何者にも染まらぬ、確固たる自我はあるか。
視線でそう問いかけるようなサタンに、アルファは獰猛に笑ってこう答える。
「さぁ、始めようか。狂気に溺れた殴り合いを」




