焔―067 絶望の果てに
ギルVS久瀬、決着です!
勝者はその勝利に何を想うか。
そして――
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……、はぁっ」
荒い息遣いが響く。
爆煙の中、ただ彼の荒い息遣いだけが響き渡っており、重苦しい『死』が周囲を占める中、ただ彼は、強く拳を握りしめた。
――決着は、ついた。
誰が見ても明らかな程に。
子供が見ても一目瞭然な程に。
彼らの戦いに、終止符が打たれた。
それは純然たる『片方の死』という結末でその場に横たわったおり、煙が晴れたその場所。そこに存在する『死体』に。
その、何もなせずに散り逝ったその男に。
――ギルは、大きく笑った。
「ハ、ハハ、ハハハハハはははははははは! 勝った! 勝ったぞ俺は! 俺は――勝利した!」
ギルは笑った。
その笑みは嘲笑か歓喜か、絶望か。
自らの勝利に、彼は泣きながら笑った。
友を救うべく足掻き続けた男。
仲間を救うべく不幸を求めた男。
二人の戦いは――後者の勝利で幕を閉ざしたのだ。
「ハッ! 何が友だ、何が世界だ! この体を舐めるな雑多が! この体の内に渦巻く絶望の災火を甘く見るなッ!」
彼は笑い、周囲へと叫ぶ。
その頬には一筋の涙が伝っており、彼の視界に無数の『死』が飛び込んでくる。
そこには――誰も、生きてはいなかった。
体が残っているだけ重畳だろう。
多くの者は体が跡形もなく消失しており、世界樹の切り株にはまるで抉られたように、巨大なクレーターが作り上げられていた。
「はぁっ、はぁっ……、グゥっ……」
笑い、笑って、笑い泣いて。
荒い息を吐き出して――ズキンッ、と。
胸へと激痛が走り抜けた。
そこには誰も生き残ることなく死に伏した戦下で、唯一消えることなく、煌々と光を灯す刃の姿があった。
「……黒刀、べヒルガル」
虹色の刃をギルの胸へと突き立てるその刀を、ギルは痛みを堪えながらも抜き放つと、荒い息を吐き出して目の前の地面へと突き刺した。
「……久瀬、竜馬、か」
この勝負の分かれ目。
それは、ギルが他でもない、ギン=クラッシュベルという男の肉体を得ていた、ということであった。
いくら傷を負おうと簡単には死なない。
――幾ら心の臓を寸分違わず穿たれようと、簡単には死なない。
「ぐ……」
けれども彼の誇る『天下無双』を凝縮させたその一撃は、いとも簡単にギルの『不死力』を消し飛ばしており、辛うじて命を繋いでいるものの、彼の【死】はほぼ確定していた。
だが、それでいい。
「これが終われば……惨たらしく死んでもいい。だから、まだ、持てよ。俺の、体……ッ」
久瀬の目的は、ギルを倒すこと。
対してギルの目的は――救いを、執行すること。
「救いの、熾火……ッ」
ふらふらと、胸を押さえながら歩き出す。
彼の胸には、ズキズキと痛みが走っていた。
それは久瀬に穿たれた心臓の痛みか――あるいは、他の痛みか。
けれどもそんなことはどうだっていい。
ただ、彼の目的は最初から一つなのだ。
「エデンの園を……ッ! あの人たちが、もう苦しまない……ッ、誰も死なない。世界を、作る――ッ」
あぁ、そうだ。
その世界を作るためなら、世界の全てを犠牲にしよう。
友も、顔見知りも、罪なき一般人も、何もかも。
全ての想いを踏み躙り――その、絶望の果てに。
――たった一つの、世界を作る。
それだけが、彼の唯一にして、最期の願い。
「笑うなら、笑え……。それでも俺は、突き進む。穢らしい傲慢と罵られようと、頭の狂った絶望と嘲笑われようと、下らない自己中心性と馬鹿にされようと……ッ。その想いを、この願いを――執行するッ!」
もしかして、自分の行動は間違っているのかもしれない。
……それでも。
自分が間違いから生まれた偽物だとしても。
この心は、この気持ちは。
好きな人を守りたいって。
その想いだけは、偽物なんかじゃないから。
「『我が意志を此処に告ぐ。星に眠りし眷属よ。我が願いは唯一つ。この星を炭と化し、熾火となりて救いを齎せ』――ッ!」
その声が、天に響いた。
死に蝕まれ、不死の力を失い。
それでも心の奥底から絞り上げたありったけの魔力を――大きく壊れた世界樹の中心へと、打ち込んだ。
――そして、炎が吹き上がる。
世界樹の中心から膨大な熱量が吹き上がり、どす黒い赤色をしたそれらの炎は形を成し、赤熱した人型を作り上げていく。
――救いの熾火。
星の中に眠る『眷属』を呼び出し、その力を以て星の上に住まうあらゆる存在を焼却し尽くす救いの手段。
その圧倒的な力に口角を吊り上げたギルに対し、その『人型』は、掠れる声を響かせる。
『――我ガ名ハ【炎魔神イフリート】。赫々タル御方に仕エシ眷属ナリ。願イニ応ジテ参上シタ』
身長二メートル前後の、炎の化身。
炎魔神イフリート、と。
そう名乗りしその化身に、ギルは大きく声を張り上げる。
「さぁ、世界終焉の始まりだ! イフリートよ、我が意に応えてその力を貸せ! この世界に残りし、対象以外の全てを燃やしつくすッ!」
同時に炎天下を用いての支配を開始する。
対してその言葉に、その姿に。
イフリートは小さく沈黙すると。
確かに、彼の言葉にこう返した。
『――拒否スル』
☆☆☆
バチンッ、と支配が弾かれる感覚を覚えた
「……は?」
何を、言っているのか分からなかった。
拒否する……? 何を、何を――
『我ハ偉大ニシテ赫々タル御方ニ造ラレシ【眷属】ナリ。我ガ力ハ御方ノモノ。御方ノタメニ用イ、御方ノ願イノミヲ聞キ入レルタメニアル。故ニ、ソノ願イは聞キ届ケラレヌ。命ニ従イ、"プログラム"ヲ執行スル』
「聞き入れん……だとッ!?」
その言葉に、額に青筋が浮かんだ。
この俺の……願いを、聞き入れられない、だと?
ふつふつと沸き上がってくるどす黒い憎悪に顔が歪み、身体中から魔力がさらに吹き上がる。
――絶望の燈。
身の内に燻る絶望の総量を膨れ上げる、という狂気に呑まれるリスクを犯すことで絶対的な力を手に入れる、俺の持つ最期の手段。
使えばそれが最後。
圧倒的な絶望と失意の濁流に意思が飲み込まれ、次第に自我すら失い、全てを壊す玩具と成り果てる。
故に久瀬との戦いでその力を用いた俺は寿命という面でも、デメリットの面でも、先が『無い』ということになる。
だが、それでいい。
「なれば良し……、力ずくで、俺がその『御方』とやらよりも上だと示すまで――ッ!」
そして――俺は駆け出した。
絶望の底から汲み上げた魔力が俺の体を強化し、その力によってさらに一段階加速する。
――そして、鮮血が舞った。
「が……」
俺の腹を貫通したのは――イフリートの拳。
ゴフリと口から鮮血が溢れ出し、腹に走り抜けた痛みに、愕然と目を見開いて視線を落とす。
「な、何故……」
『愚カナ。我ガ主は至高。故ニ其ノ眷属タル我に劣等ハ無ク――貴様ニ、敗北スル道理モ無イ』
そして次の瞬間、俺の視界がブレた。
気がつけば身体中へと激痛が走り抜けていた。
――腹を、蹴り飛ばされた。
そう直感した時には俺の体は既に遠く離れた場所へと吹き飛ばされており、身を打ち付けた俺の肺に溜まった空気が、口から一気に吐き出されていく。
「く、クソ……が」
『此処ニ宣言スル。我ガ力ヲ用イ、此ノ星ニ住マウ全テノ者ヲ焼却スル。之ヨリ逃レル術ハ無ク、全テノ者へ偉大ナル【神霊王】様ノ名ノ下ニ、普遍ノ死ヲ贈ルデアロウ』
全ての者……だと。
心の中で、さらに絶望が加速する。
全ての者……つまりは、それにはあの人たちも含まれる、と。
それは、だめだ。
それだけは――あっては、ならないんだ。
「――吠えたな、炎の化身」
膝に手を当て、立ち上がる。
満身創痍、それには変わりない。
が、だからどうした。
「俺の前で、あの人たちを殺すと宣ったその性根。そして、それを作りしその【神霊王】……ッ! 一片たりとも残すことなく、灰燼へ変えてやろうッ!」
『……ホゥ』
俺の言葉に、イフリートは小さく声を漏らす。
そして――直後、奴が視界から消失した。
あまりにも突然の、転移とも違ったその現象に大きく目を見開き――そして、背後から溢れ出した殺気に、冷や汗が流れ落ちた。
『――其ノ言葉、憶エテオケ』
「――ッ!?」
背後から頭蓋を撃ち抜くようにして放たれた拳を、上体を捻ることで紙一重で回避する。
――速すぎる。
俺の頭の中にそんな言葉が浮かび、けれどもすぐさま奥歯を噛み締めると、ぐっと残る左拳を握りしめた。
速いからなんだ、強いからなんだ。
このような障害――尽く破壊して先へ行く。
この命果てるより先に、この救いを、成してみせる。
「撃ち抜け!『絶望の光』ッ!」
魔力が溢れる。
途端に俺の背後から放たれた無数の光がイフリートの体へと吸い込まれていく。
絶望の光。
混沌の魔力に俺の魔力を掛け合わせた、絶望の光線を相手へと浴びせる遠距離攻撃。
それを至近距離から放たれればどうなるか。
少なくとも、並の相手では躱す暇も無くその命を散らすのだが――
『……?』
何の支障もないとばかりに『受けて』見せたその化身に、俺は大きく笑みを浮かべた。
絶望の光程度で倒せる相手ではないと分かってる。
なにせ、久瀬竜馬でも受けきったのだ。
なれば、この相手がそれで死ぬようなタマだとすれば、この俺が苦戦する道理がないというもの。
故に、飛びっきりの一撃を用意した。
その拳に、名などない。
ただ、魔力も気力も、想いも。
全てを込めた、破壊の拳。
握りしめた拳が小さく、それでいて圧倒的な威圧感を迸らせ、それに気がついたイフリートが小さく肩を震わせた。
――が、もう遅い。
「――『眼』がないのであれば、俺の勝利は揺るがない」
瞬間、奴の目の前にいた俺の姿が一瞬にして霧散し――直後、上空へとイフリートが視線を向けた。
そこには今の今まで『幻術』で隠れていた俺の姿があり、その感知速度には恐れ入るばかりだが――
「この一撃、躱せるものなら躱してみろ……ッ!」
そして、拳が振り落とされる。
それは唸りをあげながら、それでも真っ直ぐにイフリートの体へと吸い込まれてゆき――
『――ナレバ、躱シテミセヨウ』
スッと、その体をすり抜けた。
そこに居る。にも関わらず拳がすり抜けたという事実に愕然と目を見開き――直後、奴の拳が俺の顔面を捉える。
「が……ぁ」
『我ハ炎ナリ。故ニ拳ニ当タル道理無シ』
――反則、だ。
鼻っ面に走り抜けた痛みに顔を歪めながら、そう思った。
クソが、クソがクソがクソが。
なんで、何でこんなにも、ツイてない。
久瀬竜馬という難敵を下し、全てが終わったと確信した。
にもかかわらず……何故。
――何故、ここに来て、こんな怪物が出てきやがった。
歯が立たない。
魔力、体力、四肢全てにおいて全快の自分ならばいざ知らず、消耗しきった今の自分では……まず勝てない。
その事実に改めて【炎魔神イフリート】の怪物加減を感じると同時に、心の内に危機感と焦燥感が募っていく。
そして――ふと、ゼウスの言葉が脳裏を過ぎる。
『それは、間違っている……! お前の望むようには、絶対にならない。救いの熾火は、そんなシステムじゃない……!』
その言葉に。
かつてゼウスが浮かべた、その表情に。
俺は今になってから、ある可能性を鑑みた。
もしも、もしもこの『眷属』とやらが、神々よりもさらに上位の場所に位置する【超越者】のモノだとすれば。
俺すら凌駕する、怪物の創造物だとすれば――
『――サテ、始メルカ』
「ま、待ち、やがれ……ッ!」
俺に背後を向けて歩き出したその化身に、咄嗟に声を上げる。
けれどもその化身は興味を失ったとばかりに俺の声には反応を示さず、その姿に、その背中に、心が締め付けられるような感覚を覚えた。
「ま、待て! あ、あの人たちだけは……! 俺なら、俺ならどうなってもいい! いくら無惨な死を遂げてもいい! どんな拷問も、永遠に身を焼かれる地獄にだって耐えてみせる! だから――だからッ!」
されど、その歩みは止まらない。
奴の足は真っ直ぐ世界樹の中心へと向かっており、その歩みを止めることの出来ない自分の弱さに、心が悲鳴をあげている。
動け、動け動け動け。
拳を叩きつけ、歯を軋ませ、唇を噛む。
それでも足は動かない、体は動かない。
ただ、滅亡だけが、彼女らの死だけが、迫っていた。
「や、止めろォッ! だ、誰か、誰か居ないのかッ!? こ、これが終われば何でも言うことを聞く! 聞くから……ッ、頼む、誰か――」
情けないと、格好悪いと分かっている。
それでも、それでも……ッ。
頭に、彼女らの笑顔が浮かんだ。
自分に向けられたものではないと分ってる。
それでも、だったとしても。
俺は――その笑顔を、守りたかっただけなんだ。
だから、だから……。
もう、どうなってもいいから。
もう、願いなんて叶わなくたっていいから。
だから、頼むから……。
「誰かッ、あの化身を、止めてくれッ!」
その叫びに。
静寂の中響き渡った、俺の願いに。
「「――了承した」」
二つの声が、重なった。
――次回『両雄並び立つ』




