焔―062 絶望の中で
「が、ぁ、……ぁ、っ!」
口から声にもならない音が漏れ、血が溢れる。
いつの間にか彼の手の中からは黒刀べヒルガルは消え失せており、彼は上体を起こしながら周囲へと視線を巡らせる。
そして、今いる場所に気がついた。
「こ、ここ、は……」
そこは――帝都の街中だった。
周囲の家は崩れ、壊れ落ちており、その中に久瀬の姿は存在していた。
前へと視線を向ければ、世界樹の切り株には穿たれたような大きな跡が残っており、その跡を穿ったのが自分自身の体なのだと、そう確信して更に痛みが走る。
「ぐぅ……ッ」
「――無様だな」
トンッ、と足音が聞こえた。
見ればそこには世界樹から飛び降りてきたのか、着地したように膝を曲げるギルの姿があり、彼の銀色の瞳が久瀬を捉える。
「運命の眼、か。確かにその力は凄まじい。太陽眼や月光眼を遥かに超えるスペックを持ち、その上デメリットらしきデメリットも無いと来た」
――なるほど不敗、か。それも納得だ。
そう続けたギルは、けれども笑ってみせた。
運命眼。運命をねじ曲げる最強の魔眼。
デメリットらしきデメリットがない。
なれば、デメリットらしくないデメリットならばどうなのかと、ギルはそう考えた。
「運命眼の唯一のデメリット――それは、消耗の大きさ」
その言葉に、久瀬は大きく歯を食いしばり、震える膝にムチを打ち、ギルの前へと立ち上がる。
「全て納得したよ。月光眼でさえギン=クラッシュベルが『常時発動』などという異常じみたことをし続け、それでもやっと制御しきれたのは混沌戦での事だった。太陽眼にしても、少し使うだけで術者へと多大なリスクを返してくる。なればこそ」
そう笑ったギルは、口の端を凄惨に歪めてこう告げる。
「さて、それらを『遥かに』上回る運命眼。それが術者へ与えるリスクとは如何程か」
「く、クソ……が」
運命眼の消耗の大きさ。
それは壁を越えた者がやっと扱えるほどのモノであり、レイシアをして『未来を読む』程度の力しか扱えていなかった。
それが彼女の全瞳力を用いて彼へと譲渡され、久瀬竜馬は初めて運命眼を手に入れた。
けれど、そんな彼をして『過去を改変して欠損部位を元に戻す』ということは叶わなかった。
――簡潔にいえば、使えなかった。
使ったとすれば、途端に多大なリスクがその身に降りかかり、数ヶ月から数年にわたっての『失明』が起きるだろう。故に目も、足も、元には戻せない。
戻したら、そこで全てが終わりだから。
「……ッ」
真横へと伸ばした彼の手に、黒刀べヒルガルが召喚される。
シルズオーバーや月食と同じく、彼の心に宿る特殊極まる神器、黒刀べヒルガル。
圧倒的な一。絶対的な最強の矛。
にも関わらず……。
(――これじゃあ、まだ、足りない)
単体じゃ、肌すらも貫通しなかった。
あの体を覆う闇を――絶望を、貫通できなかった。
故に、ここから先は……。
「――全力で行く」
瞬間、彼の体から膨大な『闇』が溢れた。
その闇は彼の体を覆ってゆき、そして、威圧感が膨れ上がる。
「『絶炎武装』」
混沌の力、九尾の力、青龍の力、そして、自分の力。
総てを合わせ、組み込んだ絶対的な『我』の強化。
触れたもの全てを無に帰す、諸刃の剣。
それを前にギルはフッと微笑を称えると、両手を大きく広げてみせた。
「さぁ、最後の戦いだ。希望も、夢も、理想論も。総てを斬り捨て、灰燼へ帰そう。唯此処に在るのは絶望なり。絶対不滅の絶望なり」
――さぁ、絶望を識れ。
轟音が響き、剣と拳が激突した、
☆☆☆
「唸れ黒刀! 我が意に応えて赤熱せよ!」
「常世に在りし絶望よ、我が意に応えて顕現せよ」
久瀬の握りしめる黒刀べヒルガルが赤熱し、切れ味を加速させる。
ギルの手に一振りの闇の剣が生み出され、轟ッ、と絶望の炎を吹き上げる。
そして――一閃。
剣と刀が衝突し、周囲の家々が吹き飛ばされていく。
地が砕け、大気が裂け、時空が歪み、星が悲鳴を上げる。
けれどもそんなことは知ったことかと、そんなことはどうでも良いと、その二人はただひたすらに武器を握る。
「せぃぁぁぁぁッ!!」
久瀬の更に精細さを増した剣戟がギルへと襲いかかる。
斬り下ろし、斬り払い、袈裟斬り、そして突く。
目にも止まらぬ早さのそれらの連撃。それ前にギルは――笑みを浮かべた。
「遅い。舐めているのか?」
瞬間、突きを剣の刀身で受け止めたギルの姿があり久瀬の目に映り込み、次の瞬間、彼の体が横合いから蹴り飛ばされた。
「が……ッ」
『久瀬竜馬! 少し落ち着け……ッ!』
青龍の声が響く。
戦闘が始まって以降、ことサポートに全神経を費やしていた彼女が叫んだその言葉に、久瀬は大きく息を吐き、地面へと刀を差し込んだ。
「――分かってるよ」
勢いを殺し、着地する。
焦りなどしない。強いことなんてわかってた。
だから、今すべきは最善を尽くすこと。
全ての力を尽くして――勝ちに行くこと。
体が悲鳴を上げている。
黒炎によって体が蝕まれ、混沌の魔力が骨にまで突き刺さり、痛みに神経が焼き切れそうだ。けれど。
「もう、逃げない……ッ!」
瞬間、久瀬は地を踏みしめ、ギルへと駆け出した。
その速度に小さく眉尻を動かしたギルではあれど、その姿からは『余裕』しか感じ取れず、それを見た久瀬は――大きく魔力を汲み上げた。
「剣聖モード……ッ!」
途端に彼の周囲に無数の刀身が浮かび上がり、一直線にギルへと向かい飛んでいく。
そのあまりの量にギルは一瞬目を見開いたが、すぐに余裕の面持ちを取り戻すと、スッと剣を引いて構えた。
「――温い」
そして、剣戟の音が響いた。
見れば襲いかかった一刀目をギルの剣がいとも簡単に切り裂いており、次々と襲いかかるそれらの刀身が一瞬にして切り裂かれていく。
そして再び、剣戟が響く。
ギルの剣と久瀬の刀が再び激突し、鍔迫り合いへと持ち込まれる。
「解らぬか。貴様では俺には勝てんと。今の俺には、どう転んだところで勝ち目はない、と」
「知るか。勝てそうにないなら、意地でも勝てばいい。勝てねぇって運命がそこに横たわるなら、俺はただ斬るだけだ。そんなクソみたいな運命をぶった斬り、その先へ行くだけだ……ッ!」
その言葉にギルは小さく顔を伏せると、たった一言こう告げた。
「――なんという、甘さ」
直後、久瀬の腹へとギルの前蹴りが見舞われる。
――が、その直前で久瀬の運命眼が蒼い光を煌めかせ、その蹴りを大きく外れさせる。
しかしたったそれだけでも彼の瞳には激痛が走りぬけ、あまりの痛みに久瀬の顔が苦悩に歪む。
けれども足は止めない、気持ちは途切れさせやしない。
思考を止めるな、腕を振りぬけ。
この場を、戦い抜けッ!
「らァァァァッ!!」
久瀬の動きが、さらにそこから数段階早くなる。
「ぬ……」
ギルがその姿になって、初めて顔をゆがめた。
一閃、一閃、一閃、一閃――。
一つ一つが鋭く、コンパクトな連撃に小さく眉尻を吊り上げたギルは、スッとその左手を久瀬へと振りぬいた。
「穿て『絶望の光』」
瞬間、漆黒の光線が彼の腕から迸る。
そのあまりの高密度な魔力光線に目を見開いた久瀬は、咄嗟に瞬間移動でその場から離脱。そしてすぐさまその場から駆け出した。
直後、先ほど久瀬が転移した場所へと絶望の光が迸り、それを傍目で見た久瀬は心の中で小さく舌打ちを漏らした。
(くっそ……、月光眼か。確か銀も九尾の転移見破ってたっけか……)
思いだすのは、かつて共闘した時のギンの姿。
九尾の転移を見破り、さらには転移後の位置まで割り出して見せた圧倒的な『空間』を読む力。
故に運命眼を多用し、瞬間移動は極力見せないようにしてきたのだが……まさかもう既に読まれているとは思いもしていなかった。
「どうした鈍間。そちらが終わりならば――こちらから行かせてもらうぞ」
あまりの劣勢に久瀬がそう思考し、ギルの声が響いた。
――その、次の瞬間だった。
久瀬の視界から一瞬にしてギルの姿が掻き消え、直後、背後から強烈な殺気が膨れ上がった。
「な――」
愕然と眼を見開き、振り返る。
そこには大きく拳を振りかぶったギルの姿があり……。
「――もう、貴様は死ね」
その拳が、久瀬へと唸りをあげて迫り来る。
その拳から煌々と燃え盛る黒い炎が立ち上がり、それを見た久瀬は咄嗟に運命眼を発動する。
けれども発動した途端、眼球へと激痛が走りぬけた。
瞬間移動は今発動したばかりで使用はできない。
運命眼の発動も激痛のせいで集中が散らされ、不発に終わる。
つまり――回避不可。
そう考え至った瞬間、久瀬は黒刀を拳と体の間に割り込ませ、スッと左の腕を添えて防御に回す。
――そして、衝撃が走り抜けた。
「……ぁ、ッ……!」
痛み、というよりは衝撃、だった。
突き抜けた拳の衝撃が脳を揺らし、腕の骨を砕き――刀を、砕いた。
あまりの威力に大きく吹き飛ばされた久瀬の体は帝都の時計塔へと激突し、大きく傾いた時計塔が久瀬の上へと崩れ落ちてくる。
「……あ、ぁ」
その刹那、声が漏れる。
視線の先には、興味を失ったとばかりに背を向けて歩き出すギルの姿が映り込んでおり、その姿に、どうしようもなく怒りが湧き出してくる。
ギルに対してではなく――自分の情けなさに、怒りが湧き出してくる。
なんで、こんなところで倒れ伏してる。
まだ、自分は戦える。
左足だけだけど、足はまだ残ってる。
右腕だけだけど、腕もまだ動いている。
頭も動く、目も動く。
ならば――
「……諦める、要素はねえだろうが、よ」
そう笑った久瀬の瞳には、ギラギラとした炎が宿っていた。




