焔―061 絶望
インフレってる〜。
俺がこの世界に産み落とされたのは、ついこの間のことだ。
ギン=クラッシュベルという存在が死に絶え、その魂がどこかへと消え、器に残った『余分』が集い、重なって産み落とされたのがこの俺、ギルという存在だった。
『お前は……誰だ?』
開口一番に、満身創痍の女からそう問われた。
そんなの、俺が聞きたいくらいだった。
生まれて初めて聞いたのが、お前は誰だと。お前なんて望んじゃいなかったと。ギンという男はどうしたのかと。そんな意味合いのセリフだった。
そこで俺の心は、少し歪んだ。
『なるほど。つまりは貴方は【ギン】という人物から溢れた、言うなれば、居ても居なくても変わらない存在、という奴なのでしょう』
自分によく似た男に、そう笑われた。
自分は誰だ。
ギン=クラッシュベル、という名の何か、なのは分かっている。けれど自分はギン=クラッシュベルでありながら、ギンとは違う何者か。
言うなれば――残り物。
ギン=クラッシュベルという存在の中から、ギンという存在が斬り捨てた、要らぬと一蹴した余分が集まって出来た存在こそが自分なのだと。
そう思い知らされて、心が砕けた。
『なら、僕はどこに行けばいい』
そう自分自身に問い掛けた。
答えは分かってる――自分が、ギン=クラッシュベルが居たはずの、あの暖かい場所だ。
仲間がいて、友達がいて、恋人がいて。
笑って泣いて、怒って嘆いて。
それでも楽しく過ごせていた、自分にとっての数少ない楽園。
あの場所に戻ろうと歩み出して――ふと、足が止まった。
『……戻る? 僕に、居場所なんてあるのか?』
さてと考えた。
自分は残り物。あの男が切り捨てた余分な成分。
なればこそ、あの人達は、あの記憶の中で見た仲間達は、果たしてあの男ではない『偽物』を、受け入れてくれるだろうか。
そう考えたら、涙が溢れた。
――あぁ、あの人達なら、きっと受け入れてくれる。
そう分かってしまったからこそ、悲しかった。
きっと自分が行けば、喜ばれるだろう。
そして受け入れられ、きっとすぐに『別人』だということがバレるだろう。
そしたらあの人たちは、酷く悲しむ。
もしかしたら泣くかもしれない。
そして泣きながらも、きっとあの人たちは受け入れてくれる。この姿を見て悲しみを覚えながら、それでもきっと、空元気を浮かべて受け入れてくれる。
それは……嫌だった。
『僕が戻れば、彼女が泣く』
脳裏に過ぎったのは、自身の記憶の片隅に、そっと寄り添ってくれていた一人の少女の姿だった。
長い黒髪に、宝石みたいな金色の瞳。
彼女が泣くのは、嫌だった。
『戻ることは、出来ない』
戻れない。意地でも戻れない。
彼女らを守るなら、戻ることなんて出来ない。
故に決めた。自分はあの場所を斬り捨てよう、と。
あの場所にはもう戻らない。
暖かさも優しさも、十分に貰ってきた。
だから今度は、自分が彼女らへ、幸せを返す番だ。
そう、意気込んだものの。
『……僕は、どうこの幸せを返せばいい』
心が、ひび割れるのが分かった。
あの場所を捨てるのはいい。
けれど、その先はどうする。
一歩踏み出せば、絶望という名の闇が広がっている。
断崖絶壁の崖っぷちに立たされたようで膝がカクカクと震え、心に大きな恐怖が影を落とす。
『守ら、なきゃ……。あの人たちを、守らなきゃ』
漆黒の闇が広がる中、ふと、そんな言葉が漏れた。
自分はどうなってもいい。
他のことなんて、もうどうだっていい。
ただあの人たちが誰にも邪魔されず、自由に生きていけたのならば。それはきっと幸せなことだ。
――例えその世界に、他の誰も居なかったとしても。
顔を上げる。
やっぱりそこには絶望が広がっていた。
けれど、そんな絶望さえ今の自分には愛おしく思える。
僕は――否、俺は。
ギンではない、もう一人のギン=クラッシュベルとして、絶望の中で一人戦い続ける。
その人生が、万人に恨まれるものになったとしても。
たった一人で、足掻き続ける。
☆☆☆
その姿に、その瞳に。
久瀬はあと一歩が踏み出せずにいた。
(な、なんだ……。この、感覚……ッ)
愕然と目を見開き、刀を強く握りしめる。
目の前には身体中に傷を作りながらも、今なお煌々と瞳を輝かせるギルの姿があり、その姿を前にゴクリと喉が鳴る。
満身創痍。そんなのは分かってる。
けれど……いや、だからこそ。
だからこそ、気味が悪い。
(なんで……手が震えてる)
――自分が恐怖していることが、気味悪くて仕方ない。
「……大した、理由があったわけじゃない」
ふと、声が響く。
咄嗟に振り下ろした久瀬の一刀ではあったが、ギルがスッと背後へと下がったことで、彼の肩を薄く切り裂くにとどまった。
「ただ、あの人たちを守りたかった。だから考えた。考えて……世界がクソッタレた悪魔の箱だと、今更になって気がついた」
あぁ、何故こんなにも気づくのが遅かったのか。
そう懺悔するような、後悔するような声に、久瀬は奥歯を強く噛み締め、ギルの姿を睨み据える。
その頬を伝うのは――一筋の冷や汗。
魔力ではない、威圧感でも殺気でもない。
ただ、得体の知れない何かが、ギルの体から溢れ出すのが、彼の眼には見えていた。
「な、なん……」
「俺は一人、絶望の中で生き続ける。たとえ誰にも望まれなくとも。たとえ救おうしたあの人たちに、心底怨まれようとも。全てに『悪』とののしられようとも」
そう、彼は顔を上げる。
その顔にはまるで体を侵食するようにして『闇』が広がっており、左半分が闇に染まったその顔を見て、久瀬は大きく目を見開いた。
「そ、その顔は……」
そこまで言って、はたと気がつく。
――顔だけじゃない、と。
見れば彼の体を纏っていた黒い衣服が漆黒の靄へと変換されていき、その下から闇に覆われた彼の体が現れる。
「――『悪魔堕ち』。人が絶望の内にその器を捨て、悪魔という新たな器へと生まれ変わる。人に許されし救いの手段」
彼の身体中に赤い魔力の線が走り抜ける。
――魔力回路。
ギン=クラッシュベルがかつてその身に埋め込んだ、身体強化の超技術。
体を覆った闇の上から浮かび上がったその線は、彼の体へと無数の紋章を描いていく。
活性化に次ぐ活性化。
連鎖的に引き起こる擬似的な進化に、彼の白髪は腰まで伸び、体が一回り大きなものへと変貌する。
「……ッ」
その姿に、その威圧感に。
久瀬は思わずその場から飛び退き、限界まで気を張り詰める。
――あれは、やばい。
一目で分かった。
運命眼とか、身体能力とか。
そういうの関係なしに――
「……化け物、じゃねぇか」
今のあの男は、そういうのを超越したレベルで強いのだと。
そう、否が応でも分かってしまったのだ。
久瀬の射るような視線の先。
口の端から蒸気を吹き上げたギルは大きく息を吸うと、スッと拳を握りしめる。
「人が絶望の内に変貌する、か。なるほど、なれば俺が意識的に引き起こすことが出来るというのもまた同意」
人が絶望の内に悪魔に変異するのなら。
元より絶望の中に生きていたギルが、そう成れない理由が見当たらない。
人を辞め、悪魔と化したその男は、ニィと口の端を吊り上げる。
「――『根源化』」
途端に彼の体から膨大な威圧感が溢れ出し、爆発するように膨れ上がった威圧感に、久瀬は思わず肩を跳ね上げた。
「な、ぁ……っ」
声にならないとは正にこのこと。
ただでさえ運命眼を使い、やっと勝てていたレベルの強敵。明らかに『世界最強』と、その名がふさわしかったその男が。
唯一の弱点であった『器の小ささ』すら克服し――終いには、根源化などと来たわけだ。
「……勝たす気、微塵もねぇだろうが、この野郎」
久瀬の視線の先には、右のこめかみから天を突くような黒い角を生やしたギルの姿があり、彼は大きく口角を吊り上げる。
――そして次の瞬間、久瀬の眼前へと、拳が迫っていた。
「ぐっ……!?」
咄嗟に運命眼が間に合わないと察した彼は、頭を振ってその拳の直撃を避ける。
けれども頬には赤い傷跡が刻まれており、掠っただけでも首が吹っ飛ばされそうな、そんな馬鹿げた威力に久瀬は大きく飛び退いた。
――まともに相手すれば、勝ち目はない。
すぐさまそう考え至った彼は運命眼へと大きく魔力を送り込むと、動体視力を大幅に引き上げた。
――運命眼。
運命をねじ曲げ、自ら望んだ運命へと現実を歪めてしまう、言うなればソレ単体で全てをひっくり返せる王者の証。
不敗、と。
正しくその名が相応しい、魔眼の中の魔眼なのだ。
だが。
「当てられぬなら、当てるまで殴るまで」
その声が――背後から聞こえた。
あまりにも唐突なその言葉に久瀬は学残と背後を振り返り、眼前へと迫っていたその拳に目を剥いた。
「チィ……ッ!」
咄嗟に運命眼を用い、拳が当たる運命をねじ曲げる。
すると機動を外れ、虚空を穿ったその拳ではあれど、その直後にはもう片方の拳が目の前へと迫っていた。
当てられぬなら、当てるまで。
その言葉に彼は内心で舌打ちを漏らすと、彼へと黒炎を纏った刀で切り掛る。
それは真っ直ぐに彼の体へと吸い込まれていき――ガキンッ、と硬い感触が腕に返った。
「な――」
「何たる軽さ」
あの神器・黒刀べヒルガルの一閃が、肌を通さなかった。
その事実に愕然と目を見開いた久瀬の腹へ、黒い拳が突き刺さる。
「がぁ……ッ!?」
口から鮮血が吹き出し、斜め下へと打ち出されるようにして吹き飛んでいく。
彼の体は世界樹すらも貫通し、眼下の街並みへと突き刺さる。
その姿を、その光景を見ていたギルはふむと頷くと、その拳へと視線を落として呟いた。
「絶望、か。常人なれば狂う闇も、超人でさえ疎む絶望も、俺は尽くを支配し、乗りこなして見せよう」
故に、と彼はその名を謳う。
「モード『絶望』」
彼の悪魔が元となりし、根源化のモチーフ。
それは他でもない――絶望、そのものであった。




