焔―060 王者の証
最近は小説書いてなきゃ落ち着かない作者です。もう病気ですね。
荒い息が響き、お互いの瞳が相手の姿を強く睨み据える。
彼ら二人の表情は共に『苦悶』。
けれどもその色は久瀬の方が幾分か深く、彼の額には玉の汗が浮かんでいた。
――あぁ、痛い。
額の汗を拭い、内心で一人呟く。
小さく視線を落とせば、青龍の魔力で作り上げた水晶のような蒼い義足が右足へと装着されている。
なんとか『力』を使って義足を扱えるようにはしたものの、痛みが癒えるわけでもなければ、足が戻るわけでもない。
……否、可能か不可能かで聞かれれば可能なわけだが、だからといってそれをしてしまえば、恐らくは――
「……ったく、馬鹿みたいに強いな、お前」
そう声を漏らして、フッと虚空を見上げる。
出来れば使わずに勝ちたかった。この眼は『幻術対策』としてのみ使いたかった。けれど改めて戦ってみて、そんなことも言ってられなくなった。
強い、強すぎる。
なんとか自力で一発ぶん殴ったはいいが、それでも右脚を犠牲にしてやっと一発だ。リスクとリターンが合わなさ過ぎる。
故に、やっと覚悟が決まった。
「――だから、悪く思うなよ」
かくして彼の右眼に――青い炎が灯された。
煌々と輝く青い炎が灯されて、海のように深い紺碧の瞳は真っ直ぐにギルの姿を睨み据えている。
「……王冠の瞳。王者の証、か」
本格的に稼働され始めた厄介な力にギルは大きく息を吐き出すと、王冠の浮かぶ蒼い瞳を見据え返す。
紅蓮の瞳は勝者の証。
白銀の瞳は賢者の証。
そして紺碧の瞳は――王者の証。
何者にも染まらぬ深い蒼色。全てを飲み込み、全てを支配し、全てを思い通りに動かす不敗の印。
勝者すら膝を屈し、賢者すらも傅く最強の魔眼。
あらゆる『眼』の頂点に立つその名は――
「――運命眼、か」
紺碧の中で黄金色に煌めく王冠を眺めながら、ギルは一層に威圧感の倍増した久瀬の姿を見て、拳を強く握りしめた。
☆☆☆
『……は?』
ふと、久瀬は思い出す。
前任者から、その瞳を託された日のことを。
『い、今、この眼は治せないって……』
『まぁそうだな。普通の方法じゃ直せない』
目の前に立つダークエルフの女性、レイシアは、久瀬へと視線を合わせてそう告げる。
対して、久瀬は『普通の方法じゃ』という部分にピクリと眉を跳ね上がらせる。
その様子にくつくつと楽しげに笑った彼女は、スッと自らの右眼へと手を添えた。
『言っただろう? 運命眼、と』
『運命眼……』
聞いたことだけはあった。
太陽眼、月光眼と並ぶ……否、その二つすら超える、魔眼の頂点に存在する最強の眼。
時を司る太陽の瞳に、空間を司る月の瞳。
対する運命の瞳は――
「この眼は、運命を司る」
漏れだした言葉が、脳裏のレイシアの言葉と重なった。
視線の先では月光眼を煌めかせ、異様なまでの警戒を見せるギルの姿があり、彼は蒼い瞳を見据えて大きくため息を漏らす。
「運命の瞳……。レイシアから譲り受けたか」
「流石にこの眼のことは知ってたか」
――けど。
そう続けた彼は、一直線に駆け出した。
「この眼の力、お前は知らないはずだ……ッ!」
「チ……ッ!」
迷うことなく義足で駆け出してきた久瀬の姿に、一瞬『迎え撃つ』という考えが頭に浮かんでしまい、すぐさま舌打ちと共に後方へと飛びすさる。
――逃避。
ギルが初めて見せた、脅威から来る逃亡に久瀬は小さく目を細めたが、次の瞬間彼の体から放たれた無数の魔法を見て目を見開いた。
そこに広がっていたのは――無数の黒。
ギンのものではない、ギル固有の黒い魔力。野性に呑まれたギンがサタン戦で使って見せた、全てを破壊し尽くす漆黒の魔力だ。
それらを前に久瀬は――迷うことなく、突っ込んだ。
武器を構えることもなく。
ただ頭から、その魔法の流星群の中へと突っ込んだ。
それは傍から見れば自殺行為にほかならなかっただろう。
それにはギルも同意見であり――同意見であったからこそ、その結果に愕然とした。
「――捻じ曲げろ」
それらの魔法が――全てを曲がった。
久瀬の体を避けるように、嫌がるように、彼の体に当たる運命を拒絶するように屈折し、彼の足元へと無数の穴を穿っていく。
そのあまりの超常現象に小さく舌打ちを漏らしたギルは、すぐさま大鎌を手にすると、久瀬の首元目掛けて薙ぎ払う。けれど。
「――ッ」
青い瞳が煌めき、ギルの鎌が虚空を切り裂いた。
正確に言えば――ギルが外した。
他でもないギル自身が。目の前の、躱すことさえしない義足の相手を捉えきれないという事実に、ギルは大きく目を見開き――ガツンッ、と火花が散った。
「が……っ!?」
顔面へと衝撃が突き抜け、鼻から鮮血が溢れていく。
――殴られた。
その事実にギルは鼻を押さえて後退るが、すぐさま目の前に迫った剣の切っ先を見て、咄嗟に上体を大きく捻った。
「出鱈目な……ッ」
右拳を握り、左手一本で刀を握るという、異色極まる久瀬の構えにギルはそう声を漏らすが、けれども特筆すべき点はそこではない。
今注目すべきは――この男が、一瞬で義足戦闘における『最適解』を見つけ出し、自らの戦い方を昇華させたことにある。
彼のギン=クラッシュベルをも遥かに上回る戦闘のセンス。実力や技術云々ではなく、純然たる『殴り合い』における、勘の鋭さ。
その鋭さは神王ウラノスやアルファのソレに酷似しており、あまりの直感力にギルは魔力を汲み上げる。
「が、なれば躱す『選択肢』を潰すまで……ッ!」
途端に彼の体から溢れ出す金色の炎。
『影』を得意とし、裏に徹し、影で暗躍することこそが真価のギンに対し、ギルの得意とするのは――『焔』の力。
全てを照らし、全てに分け隔てなく責任を押し付ける。見て見ぬふりなど絶対に許さない、圧倒的な焔の力。
溢れ出した膨大な炎は久瀬の姿を呑み込み……。
――そして炎の中から、無傷の久瀬が現れた。
「な……ッ!?」
有り得ない。有り得るはずがない。
太陽神アポロンが焔系最高位の力、炎天下。
その力を限界まで引き出した金色の炎、終焔を真正面からその身に受けて、それでもなお無傷で済んでいるのだ。
絶対にありえない……と、そう愕然とするギルの瞳に入り込んだのは――金色の王冠だった。
海のような紺碧に浮かぶ金色の王冠。
全てを従え、全てに好かれ、全てを支配する王者の証。
『この眼は、運命を司る』
ふと、久瀬の言葉が脳裏を過ぎる。
運命を司る。
それがもしも、これから辿るはずの運命すら捻じ曲げ、自らの意のままに運命をすげ替える力を指すのだとすれば。
未来視なんて生ぬるいものじゃなく、未来予測なんて簡単なものじゃなく、自らの動きに沿うように、世界そのものを、未来そのものをねじ伏せる力なのだとすれば。
もしも、そうだったとすれば――
「……クソがッ!」
そう吐き捨て、ギルは大鎌で彼の拳を受け止める。
――つもりが、気がつけば彼の拳はギルの腹へと突き刺さっており、彼の口から鮮血が溢れる。
思考を止めるな、足を止めるな、諦めるな。
強いからなんだ、そんなことは最初から知っていただろう。
ずっと昔から、この男が強い奴だと、知っていただろう。
「舐める、なぁァァァッ!!」
ギルは大きく蹴りを放つ。
それは吸い込まれるように久瀬の体へと吸い込まれていき――けれどもすぐに、ありえない方向へと転換した。
そして、久瀬の刀が彼の腹を貫いた。
「が……」
「……悪いな。この力は――不敗だ」
燃え盛る黒炎を纏った黒刀に腹を穿たれ、ガクリとギルの膝が折れる。
けれども膝をつくことはなく、ぎゅっと久瀬の体を支えにするようにして腕を掴む。
「ま、まだ……終われん」
「……だろうな」
その言葉と同時にギルの後頭部へと肘が落とされる。
あまりの威力にギルは一瞬意識を飛ばしかけたが、すぐさま唇を噛み切ると、ガッと足をついて踏みとどまる。
「……ァ、……ッ!」
キッと目の前の男を睨み据える。
そこには青い瞳で自らを見下ろす久瀬の姿があり、その瞳に、その姿に、彼は奥歯を強く噛み締めた。
認めよう。この男は強い。
かつての混沌やギン=クラッシュベルを遥かに超えている。そして、今の自分さえをも越えようとしている。
だからこそ、負けられない。
「俺はもう……、負けられない」
もう、二度と失敗なんて出来ない。
もう二度と、あんな思いはしたくない。
全てを捨てた、全てを諦めここに至った。
なればこそ。
ここで成功しなけりゃ、嘘ってもんだ。
そう、ギルは無理矢理に笑ってみせた。




