焔―042 神天のゼロ
神天、と。
そう呼ばれるようになったのはいつだったか。
あまり良く覚えていないけど、たしかお兄さんから武具を受け取って、街についてすぐの事だったと思う。
あの頃の私はまだまだ弱くて、きっと『神天』なんて二つ名もお兄さんの名前があったからこそ手に入れられたものなんだと思う。
そう考えると、私はお兄さんに救われてばっかりなんだな、と思い知らされる。
村で一人だったところを助けられた。
弟と友達を助けられた。
今までに何度も、助けられた。
ちょっとやそっとじゃ返せないくらいの恩ができた。
だから。
『あ、あのっ!』
声を上げる。
目の前には有名な冒険者たち、国王たちの姿が揃っており、皆が皆予想外の人物、つまりは私が挙げた声に振り返る。
その視線に小さく声が漏れそうになったが、けれどもすぐに気を取り直して拳を握ると。
『ぎ、ギルって人と戦う役、私にも担わせてもらえませんか!』
☆☆☆
桜色の剣が虚空へと軌跡を描き、漆黒の大鎌が空気を切り裂く。翡翠色の剣が轟音を上げて振り落とされ、黒い鎖がそれらを弾く。
良くいえば一進一退。
悪くいえば――隙が見当たらない。
「フッ!」
下からすくい上げるような大鎌を何とかアイクの剣で防御したゼロは、ぐっと歯を食いしばって走り出す。
――怖い。
こうして前にすれば分かる。
この男は、自分たちよりもずっと上位の存在なんだ、と。
彼の前に立っているだけで息が切れる。
そのプレッシャーに触れるだけで目眩がする。
恐怖に心が悲鳴をあげる。
けれど三人とも足は止めない、弱音は吐かない。
だって、もう決めたから。
「――絶対に、救い出すッ!」
アーマーの握りしめた草薙剣が大鎌の柄によって受け止められ、至近距離で二人の視線が交差する。
「救い出す、か。これまた大層な理由だ」
ゴッ、とギルの右足が彼の鳩尾へと叩き込まれ、鎧越しに突き抜けた一撃に彼の口から大量の鮮血が溢れる。
痛い、痛い痛い痛い。
死ぬほど痛い。けどあの時の痛さに比べれば大丈夫。
自分はまだ、頑張れる。
すぐにキッと眉尻を吊り上げたアーマーは草薙剣を強く強く握りしめる。
「他人事じゃない……! 僕は、あなたをそこから救い出すんだ!」
「ほう、良く吠えた」
アーマーの咆哮に小さく笑んだギルは拳を握る。
そしてその直後、アーマーの体は顎下からの衝撃によって上空へと大きく飛ばされており、その眼下には拳を振り上げた様子のギルの姿が映っていた。
「が、所詮は夢物語。威勢を貼るのはいいが、俺を前に現実逃避とは勇敢が過ぎるぞ、武の神よ」
すぐさま桜町によって回収されたアーマーではあったが、今のダメージを無効化することは出来なかったのか、顎が砕けて血が溢れている。
「が……あ」
「動かないで」
その傷を見てピシャリと言い放った桜町は、小さく周囲を見渡して少し呻いた。
顎は粉砕され、先ほどの蹴りを食らった時にやられたのか、鎧越しの衝撃だけで内臓がいくつか破裂しているだろうと、彼の口から溢れてくる鮮血を見て想像できた。
(一応紗由理ちゃんと美月ちゃんにも隠れてスタンバイしててもらったんだけど……これは分断されちゃったかな)
彼女は友達二人の姿を思い浮かべる。特に堂島紗由理は神聖魔法を持つ回復系のスペシャリストだ。今ここに居たならばすぐさま回復をお願いしたのだが――
「これは、まずったかも」
彼女単体でギルには敵わない。
故にアーマーにゼロと、三人で戦っているわけだが、そこから彼が抜けてしまうと一気に現状が崩される。
――つまりは敗北だ。
駆け寄ってきたゼロを見れば、やはり特殊な武器を持たぬ彼女にはこの戦闘も辛しらしく、桜町やアーマーに比べて明らかに疲労が溜まっている。
「……はぁ、はぁっ」
荒い息遣いだけが耳に届き、桜町は瞼を閉ざす。
年貢の納時。
そんな言葉が頭を過ぎり、小さく息を吐く。
けれどもその刹那、凛と声が響く。
「……諦めるんですか?」
その言葉に思わず目を剥いた。
見ればゼロは下唇を噛み締めており、口の端からツーっと赤い血が滲み出してくる。肩は恐怖に震えている。けれどもその瞳だけは、じっと彼女の方を見つめている。
「……ゼロちゃんは?」
問い掛けに問いで返した桜町はじっと彼女の青い瞳を見つめ返す。
空よりも青く、海よりも美しい碧眼は儚げであり、けれども彼女の視線を真正面から受け止めて見せた。
彼女の拳がぎゅっと握りしめられる。
小さく振り返れば、これはなんの茶番だ、とでも言わんばかりのギルが大鎌を肩に担いで佇んでいる。
その姿に大きく歯を食いしばったゼロは、確かにこう、口にした。
「救うとか、救わないとか。それより以前に、私はあの人が許せません。だから、お二人が逃げると言っても、私はここで戦います」
許せない。
その言葉に桜町は小さく目を見張る。
「……子供みたいだって分かってます。我儘だって分かってます。……でも、私の中ではお兄さんは強くて、格好よくて、なんだかんだ言いながらも正義の味方で、憧れでした。だから――」
その先を彼女は言わなかった。
言う、必要もさして無かったから。
ゼロは再び桜町へと視線を向けると、改めてその問いを投げかける。
「――あなたは、ここで諦めますか?」
その答えは、もう既に決まっていた。
彼女は無言で立ちあがると、彼女の隣に並び立つ。
「流石は銀の弟子、これは僕も負けてられないね」
「で、弟子なんかじゃないですけど……。でも、ありがとうございます。穂花さん」
並び立つ二人の視線がギルの姿を捉える。
彼は疲れたように嘆息すると、肩に担いでいた大鎌を構え直す。
「茶番は終わったか? 時間をかけた割になんの作戦も無さそうだが。むしろ勝機が遠ざかったのではないか?」
「……」
ゼロは何も答えない。
ただ瞼を閉ざし、この戦いに参戦した時のことを思い返す。
この戦いに参戦した理由は、あの人が『敵』として悪魔側を率いていると知ったから。
そんなことを止めようと思ってここまで来た。その一心でここまで来た。けれど。
彼の姿を見て。その声を聞いて。その雰囲気を感じて。
初めて分かった。この人はやっぱり、あの人なんだって。
別人にしか見えない。
けど、なんとなく分かってしまった。
自分が正しいと思った事のために、ただひたすらに突き進むことの出来る才能も。
仲間の幸せのために、仲間を守るために、他の全てを、自分さえ斬り捨てることの出来るその覚悟も。
どれもこれも、あの人と何も変わらない。
だからこそ、むしゃくしゃする。
端的に言えば――気に食わない
「――自分が間違ってるって、分かってますよね?」
ギルの眉尻が小さく吊り上がる。
ギルの中に未だに蟠るあの感覚。
ゼウスを殺した時に感じた、迷いの感覚。
けれどもギルはすぐさま嘲笑を貼り付けると、いつものように声を張り上げる。
「あぁそうだな、世間一般からすれば俺は間違っているんだろうさ。世界から見れば俺は悪――」
「そういうことを言ってるんじゃないって、それも分かってるはずです」
けれどもすぐさま被せられた彼女の声。
観ればゼロは真っ直ぐギルを睨み据えており、その瞳は雄弁にこう語っていた。
――『自分を偽るな』と。
――『現実逃避もいい加減にしろ』と。
まるで心の中を読まれているような気味の悪い感覚にギルは小さく舌打ちをする。
「……だったとして、なんだと言うんだ?」
「あなたなら……私の知ってるお兄さんなら、今自分のしていることが本当に正しいのか。そう悩んで、きっと『間違ってるんじゃないか』って思うはずです」
「……」
自分が間違っている。
自分の手段は間違っている。
自分は『正しさ』という名の道を逆走している。
一度もそんな可能性を鑑みなかったかと聞かれれば、迷うことなく否と答えるだろう。
あぁ、分かっている。
――自分は、間違っているかもしれない。
その疑念だけは決して拭い取れない。
けれど。
「貴様からの質問の答えに、俺は決まってこう応えよう。『だからなんだ?』とな」
だからなんだ。
間違っているからなんだ。
そんなのは可能性であって――絶対ではない。
「自分の考えに疑問を持ったらそこで終わりだ。だから俺に出来ることは歩き続けること。きっとこの道は正しいのだと、そう信じて」
だから彼は突き進む。
誰になんと言われようと、どれだけ自分が間違っている証拠が揃おうと、人々に後ろ指をさされて笑われようとも。
この道は、きっと正しい。
そう信じて歩き続ける。
「俺はもう止まらない。気に食わないのならば止めてみろ」
――俺の息の根を、止めて見せろ。
淡々と残酷な事実を告げたギルを前に、ゼロは大きく息を吐き、剣を構える。
「……穂花さん。ここで決めます」
「……うん、分かった」
ゼロの体から魔力が吹き上がり、彼女の前へと桜町が割り込むように足を踏み出す。
ゼロの体から吹き上がる魔力は徐々に勢いを増してゆき、その膨大な魔力量にギルは大きく目を見開いた。
「な、なんだ、この魔力量は……」
「知ってたかい? 天魔族って生まれたその日から、ずーっと魔力を貯め続けてるらしいよ」
桜町の言葉に嫌な予感を覚えたギルは、目を見開いてゼロへと視線を向ける。
見れば彼女は溢れかえる魔力の中、右手を目の前へと突き出し、その詠唱を開始する。
「『――啓示する』」
その言葉に全てを察したギルはすぐさまゼロへと駆け出すと、大きくアダマスの大鎌を振り下ろす。
しかしその大鎌は彼女の前で剣を構えていた穂花によって防がれてしまい、周囲へと大きな衝撃が走り抜ける。
「き、貴様……ッ!」
「ざ、残念っ! 僕の役目はあくまで『足止め』さ! 端から君とまともにやり合おうだなんて思ってない!」
桜町の喜色の浮かんだ顔にギルが歯ぎしりする中、淡々とその詠唱文が紡がれていく。
「『此の先に待つのは破滅なり。絶対不変の破滅なり。恐れることなかれ、その死は既に確立された』」
「クソが……ッ!」
初めて本気で焦った声を漏らしたギルはそう吐き捨てると、両腕へと黒色の魔力を纏わせる。
――本気。
そう直感した穂花はスッと目を細めると、体中から限界まで魔力を振り絞る。
「さぁ大一番だよ! 出し惜しみなんて一切しない!」
彼女の左腕へと光が集い、一振りの聖剣を呼び出した。
それは、美しい金色の剣。
その剣にはバチバチと雷が帯電しており、月光眼でその剣を捉えたギルは小さく目を見開く。
「――聖剣カラドボルグ」
「ハァッ!」
穂花の掛け声と同時にギルの手にしていたアダマスの大鎌が上体ごと大きく吹き飛ばされる。
神剣に加え、最上位の聖剣による身体強化の重ねがけ。
もちろん肉体にかかる負担は想像を絶する。それは彼女における『諸刃の剣』、つまりは最後の手段。
だがその力は、正しく絶大。
「『指し示す力、全てを以て末路へ導く。死を招き、破壊を招き、破滅を行使する』」
詠唱が響くと同時に、ギルの体へとカラドボルグによる袈裟斬りが突き刺さる。
鮮血が飛び散る。常闇もグレイプニルも間に合うことなく、肩口から腰にかけて赤い斬撃の跡が刻み込まれたのだ。
「こ、この……ッ! な、なぜ貴様が、なぜ貴様らが……ァッ!」
「悪いねギル、君からしたら僕らは『当て馬』なのかもしれないけど、僕らからしたら、君は倒すべき敵なんだ。そう簡単には負けやしない……ッ!」
穂花の言葉に盛大に舌打ちを漏らしたギルは、黒の魔力を纏った左拳を強く握りしめる。
「邪魔をするなら――貴様から死ね」
黒い拳が桜町へ迫る。
ゼウスへ致命傷を与えたあの拳と同等――いや、それ以上の威力の一撃に、目の前の穂花は思わず目を見開き、硬直してしまう。
――死。
目の前に訪れた自身の死の可能性に、咄嗟に剣を振りあげようとした彼女は。
ヒュンッ、と風切り音が耳に届いて、ギルの左腕が消失した。
否、よく見ればギルの後方には吹き飛ばされた左腕が存在しており、ザクッと近くの地面へと翡翠色の剣が突き刺さる。
――草薙剣。
ガバッと大きくアーマーへと視線を向けると、最後の力で投擲したのか、満足気な笑みを浮かべて地に伏す彼の姿がそこにはあった。
「この……ッ! 死に損ないが!」
膨大な殺気を纏ったギルは大きく鎌を振り上げる。
左腕がやられたのならば回復すればいい。回復するのにコンマ数秒かかるというのなら、残る右腕で殲滅すればいい。
そう、目の前の彼女へと大鎌を振り上げて――ふと、視界から穂花の姿が消えていることに気がついた。
そして、背後で膨れ上がった膨大な魔力の渦。
「ま、まさか――」
もしも、もしも投擲が最後の力ではなく。
投擲すると同時に、二人を瞬間移動させたことで力尽きたのだとすれば。
振りかぶった黒色の鎌に、背後から白銀色の鎌がかけられる。
――アダマスの大鎌の、レプリカ。
そんなものを持っているのはただ一人。
「『我望むは全ての力の解放なり』」
背後から声が響き、黒い魔力が溢れ出す。
背後を振り返るよりも先に彼の視界は真っ黒に染め上げられ。
「発動――『黙示録』」
その刹那、その言葉が聞こえた気がした。
天魔族のユニークスキル。
『禁呪の担い手』
魔力さえ揃えばどんな禁呪でもリスク無しで発動できる。ただし他種族の『血』が混ざった天魔族からはこのスキルは失われる。




