焔―003 試練
目の前の森を見つめて、思わずゴクリと息を飲む。
エルフの森。
その名前はかなり有名であり、一昔前は一度足を踏み入れれば二度と出ることが出来ないとまで言われた死の森である。
ただ、最近――銀が森国を訪れて以来はそれも改善され、別の意味で忌み嫌われるようになったわけだが。
「――なんの気配も感じないのが、怖いよな」
ポツリと漏らした言葉に、近くにいた凛ちゃんが反応する。
「……明らかにおかしい。この森には野生動物だっているはずなのに、全くと言っていいほど気配が感じられない。どころか、私の月光眼にも映らない」
彼女の左眼には銀色の瞳が輝いており、彼女は大きく息を吐いてその瞳を解除する。
彼女の能力は、最後に見た銀の能力をまるごとコピーするという能力。影神はもちろん、月光眼に加え、当時彼が使えていた能力はほとんど使用可能と言っても過言ではない。
だが、普段から使い慣れていない分消耗が激しく、月光眼もそう何度も多用できるほどの力はない。
だが、その性能にはほぼ変わりはないのだ。
「月光眼で捉えきれないってなると、この森の中には本当になにも居ないのか、あるいは――」
「――兄さんクラスの何者かが、隠蔽をかけている」
――銀クラスの、何者か。
その言葉に再度息を飲む。
ギン=クラッシュベルは既に死んでいる。なれば、このレベルの隠蔽をかけられる存在も限られてくるというもので。
「狡知神ロキさんか、メフィストフェレス、っていう悪魔っすかね?」
「そう、としか考えられないわよね……」
花田が首を傾げ、それに京子が首肯する。
花田は背の高いタンクで、タンクとしての実力はかつての銀も認めていたし、かなりの水準となっているだろう。
京子は俺達の中で最も年長で、普段から御厨と並んで俺達のパーティをまとめてくれている。後衛としての実力もかなりのものだしな。
「……っていうか、その二人って敵対してたんじゃなかったか? そもそもメフィストフェレスって銀を殺した側の――」
「いや、少し違う、と思う」
被せるように口を開いた凛ちゃん。
見れば彼女の目は限界まで細められており。
「――両方。仲が悪いはずの狡知神ロキと、兄さんに敵対していたはずのメフィストフェレス。その両方がこの森には関わってる。そして――たぶん、その二人よりもさらに上位の何者かが、この森を超高位の結界に昇華させてる」
「な……」
咄嗟に、言葉が出てこなかった。
確かに気配が感じられないのはおかしい――だが、まさか敵対しているはずの二人が手を組み、さらにそれよりも上位の何者かがこの森に携わっているだなんて。
それも――結界、だって?
「結界って……」
「月光眼で見たから分かる。これはただの森じゃない。足を踏み入れた途端に違う場所へととばされる。そして、そこを攻略しないと、森国にはたどり着けない」
――月光眼。
世界三大魔眼の一つ。
太陽眼、運命眼と肩を並べる最高位の魔眼であり、全てを見通す万能の魔眼。
その魔眼を持った彼女が言うのだから――きっと間違いないのだろう。
「……で、どこに繋がってるとかは分かったか?」
「……ダメ。深い霧のかかったどこか、っていうことしか分からなかった」
――霧のかかったどこか。
それだけじゃあまりにも情報不足。
つまりは――
「……結局、覚悟決めて行くしかないってことか」
腰に差した黒刀の柄へと手を添える。
銀から受け取りし神器――黒刀べヒルガル。
全てを叩き斬る、最強の刀。
彼が何故俺にこれを渡したのかは分からない。
それに、何故彼は、あんなことを言って去っていったのか。それも分からない。
でも――
「進むことでその答えに至れるのなら、俺は迷わず、突き進むだけだ」
俺はその森の中へと足を踏み入れる。
俺の中から、迷いはもう消えていた。
☆☆☆
森へ入ってすぐ。
目の前に広がっていたのは――濃霧だった。
「こ、これは……」
呟き――その直後、胸へと強烈な不快感が襲い来る。
思わず蹲り、荒い息を吐き出すと、背後から背中に手を当てられる感覚を覚える。
「く、久瀬くん……、大丈夫?」
そこに居たのは古里愛紗。
俺の幼なじみの、お下げ眼鏡な委員長だ。
彼女は不安そうに眉を寄せている。
――この不快感が、彼女にはないのか……?
思わず困惑して周囲を見渡すと、何とか見える範囲にいる他の仲間達も苦しんでいるような気配はない。
――ただ、凛ちゃんを除いて。
「なんか……、すこしだけ、気持ち悪い」
「あ、あぁ……」
俺の場合は少しだけ、なんて程度じゃないが、それでも今、何かしらの不調を覚えているのは俺と凛ちゃんだけ。
その共通点といえば……なんだ。
俺と凛ちゃんにはあって。
他のみんなにはない何か。
不快感に堪えながらも必死に頭を働かせて――
『……へぇ、焔の神に、影の神……彼の模造品か。また悪魔でも攻めてきたのかと思ってたけど、今回は違ったみたいだ』
声が響き、スウゥと濃霧が消え去ってゆく。
そして、胸の奥に蹲っていた不快感も。
その聞き覚えのない女性の声に困惑しながらも周囲を見渡して――目を、見開いた。
「こ、これは――」
目の前に広がっていたのは――紛うことなき地獄だった。
囲むように設置された金属製の壁。
地面からは溶岩が吹き上げており、霧が無くなった途端に猛烈な暑さが肌を突き刺してくる。
そして目の前には――巨大な、黒色の扉が存在していた。
「こ、ここは――ッ!?」
御厨がなにかに気がついたかのように声を上げる。
「ど、どうした御厨……?」
「こ、これは……久瀬くんも、知っているのではないですか?」
その声は震えていた。
彼の体は小刻みに震えており、体でその恐怖を表している。
「その場所は濃霧に覆われている。青銅の壁に、青銅の扉を持っており――神々が、忌み嫌う淀んだ空気に溢れている」
どこかで、聞いたフレーズだ。
はて、どこで聞いたのだったかと思い出して――
「――ッ!? ま、まさか――」
その『神話』を思い出した。
その神話に描かれていた、御厨の言ったこと。
それは寸分違わず――現状に合致していた。
思わず頬を引き攣らせ、目の前の扉へと視線を向ける俺へと。
『――ようこそ【奈落】へ。私は獄神タルタロス』
――どこにでもいる、ヒキコモリさ。
神王ウラノス。寵愛神エロース。
そして獄神タルタロス。
この三人の一角を、どこにでも居るなどと間違ってもいうことなんて出来なかった。
☆☆☆
「獄神……、タルタロス、さん?」
『その通りだとも。焔の神……聞いたことがあったな。確か異世界人、久瀬とか言ったかな。興味無いけれど』
――興味無い。
早速言われた言葉に思わず頬が引きつってしまう。
『私はね、基本的に他人に興味が一切ないんだ。ウラノスとかエロースとか、今回は二人にお願いされてるから動いたけど、正直動くのも面倒くさい』
「……」
どうしよう、威圧感がなければただの引きこもりのセリフだ。
『言っただろう、私はただのヒキコモリだ。今回だってイヤイヤ動いているわけだし』
「……心、読めるんですか?」
『そりゃあね』と続ける彼女に、思わず頭を抱えたくなる。
失念していた……、神々っていうのは平気で頭の中とか読んでくる連中の総称だった。
『そりゃ傑作だ。ロキやゼウスはもちろん、最近じゃ死の神もそんなスキルを身につけたらしいからね。といっても、私にとっての最近とは君たちの生まれる前の話だが』
――獄神タルタロス。
人と話していれば大なり小なり、こんな人物だろうなっていう
感覚を覚える。
けれど彼女は違う。まるで雲をつかもうとしているような、掴みきれなさを感じてしまう。
そんな彼女は、きっと俺の心の中だって読んでいるだろうに、サラッと話題を変えてゆく。
『さて本題だ。君たちは私の領域に足を踏み入れた。色んな奴に頭を下げられ、あの森に突入したものはこの場所へと送る許可を与えたが――それでも、ただで返すわけには行かない』
その言葉に、思わず拳を握りしめる。
「……俺達は、敵じゃないってわかってるだろう」
『さぁね。もしかしたら無意識下で洗脳にかけられているかもしれない。心の中すら隠蔽するロキみたいな連中かもしれない。そう考えると、君たちをタダであの国に入れるのは、私が友人との約束を破るということになる』
――それはダメだ。
そう続けた彼女は少し笑う。
『それに、だ。ギン=クラッシュベルと言ったかな。私は最初から越える気なんて無かったから越えていないが、それでも、ただの人間が壁を越えたことには呆れを通り越して賞賛する。初めて人間に対して興味を抱いたと言ってもいい』
「……壁?」
壁とは、一体なんのことだろうか。
そんな疑問は覚えたが、とりあえず彼女がギンについて知っていることだけは分かる。
「貴方は……一体何を知ってるんですか?」
『全てさ。全てを知っている。奈落とは全ての場所に通じる最果ての世界。最果ての牢獄。全ての場所で起こった全ての事象を把握している。あの日、あの場所で起きた全てもな』
迷うことなくそう言ってのけた彼女は、なるほど本当に全能なのだろうと――そして何より、あの男は、こんな人にすら興味を抱かせるほどの『何か』をしたのだろうと、心の底から確信できた。
だからこそ――
「……俺も、頑張らなくちゃな」
そう、思わずにはいられないんだ。
どこからか笑い声が聞こえてくる。
正面の扉から大きな『闇』が吹き出し、大きな音を立てて徐々に扉が開いてゆく。
『さぁ、試練だ焔の神よ。期待など全くしていないが、かと言って可能性がないというわけでもないのが事実。なればこそ、貴様が【四人目】となることを祈り、この試練を与えよう』
――四人目。
その意味はわからなかったが。
それでも。
『この先に待つのは挑戦者がこの世界の誰よりも強いと思っている、最も戦いたくないと思っている強敵、そのレプリカだ。さて焔の神よ、貴様が最も強いと認め――目標としている男は一体誰だ?』
彼女が、その存在について知っていることだけは確かだろう。




