影―083 本音
今までのギンの『かっこよさ』を真っ向から否定するような回になると思います。
「悪いこと、したな」
ギンは私へと視線を向けることなくそう言った。
馬車である月光丸のギンの自室。
彼はそのベットに腰をかけ、両手で顔を隠すように押さえつけていた。
「馬鹿だよ、ホントに。友達が殺されて、必死に準備してきたけど、仲間を守るためには命を賭ける必要があって、仲間を守るためには……仲間を、切り捨てるしかなかった」
どんな地獄に向かってるんだか。ギンはククッと嘲笑を浮かべてそう呟いた。
ギン=クラッシュベルという男は、一般人だ。
特別なんかじゃなく、ただ少し恵まれただけの、ただ人よりも少し強いだけの、なんにも特別じゃない一般人。
そんな一般人が、今までどれだけのことをしてきたか。
踏破不可能と言われた迷宮を攻略した。
軽く絶望すら覚える程の魔物の大侵攻を退けた。
大悪魔と相対して生き延びた。
一国を滅ぼしかねない悪魔に勝利した。
大罪を背負う大悪魔に勝利した。
万全でない状態で一国を滅ぼした。
混沌の力を得た大悪魔にすら圧勝した。
精神世界においてメデューサを圧倒した。
大悪魔最強のサタンと戦い、生き延びた。
大悪魔二人と仲間達を相手に、勝利した。
「……もう、限界だよ」
呻くような、声が聞こえた。
こうして並べてみると、その事実は子供でもわかる。
彼はもう――限界なのだと。
分不相応な力を与えられ。
けれどそれを必死にコントロールしようとした。
何度も死にかけ、何度も挫けそうになりながらも走り続けて。その結果、血の滲むような努力の末に――ここまで至った。
……今から思えば、混沌との最後の会談。あの時点でギンは限界のすぐ手前にまで来ていたのだろう。
それでも自分を奮い立たせて、本音を晒すこともなく、アポロンを助けると誓って見せた。
けれど摩擦して磨り減ったその心は――白夜の脱退には、耐えられなかった。
「……」
なにか言おうと口を開いたけれど、声が出てこなかった。
「何が『お前ならこうするだろ』、だよ。……前から思ってたけどさ、お前ら僕のこと、買いかぶりすぎなんだよ」
それは紛れもなく、彼の本音だった。
私すら知らない、その心の奥底に封印されていた泥臭くて最高に人間臭い、そんな本音。
「なぁ、なんで僕みたいな奴が頑張ってるんだ? 僕よりも才能があるやつなんて幾らでも居る。僕よりも久瀬の方が強い。穂花の方が強い。鳳凰院の方が強い。アルファの方が強い。アイツらの方がよほど強い。僕よりも――恭香の方が、強いだろう?」
その声は震えていた。
その言葉は限りなく事実に等しかった。
もしも私たちになんの能力も与えられず、ステータスで全てを判断する時が来たとしたならば。
多分ギンは、この『場所』に立っている誰よりも――弱い。
だからこそ『そんなことないよ』とは、言えなかった。そんな見え透いた嘘だけは、言えなかったのだ。
「何が聖獣化だ。何が神器だ、何が万能武器だ、何が神剣だ、何が月の眼だ、何が……開闢だ。僕に、そんなもん渡すんじゃねぇよ。もっと渡すべきヤツ、他にいんだろうが……ッ」
もしも久瀬竜馬に、ギンの武具を与えたら。
もしもアルファに、不死性と『開闢』を与えたら。
もしも白夜に、月の左眼を与えたら。
「何でよりにもよって……、僕なんだよ」
今にも消えてなくなりそうな、か細い声。
彼は顔から両手を退くと、私へとその顔を向けた。
「ぎ、ギン……」
その顔を見て、心が軋んだ。
初めて見る、悲し涙。
その顔は嘲笑と絶望と失望と、今まで表に出してこなかった感情が織り交ぜになったように歪んでいた。
「なんで、僕の友達が殺されたんだ? なんで僕だけが敵の目の敵にされているんだ? なんで僕だけが敵に狙われてるんだ? なんで僕は、他人のために命を賭けてるんだ?」
――仲間のためならば、命くらいは賭けてやる。
彼は今まで、そう言って止まなかった。
周囲からすれば、また中二病でも発病したのかと、そういう視線でしか見られなかったその言葉ではあるけれど。
私からしたら、その言葉は狂気に満ちていた。
「死にたくない……、命なんて賭けたくない。ずっとお前らの隣で、生きていたいだけなんだ……」
前よりも、今の彼の方がよっぽど人間らしい。
泥臭くて、主人公らしくもなくて、宝石のように光り輝いているわけでもない。
だからこそ分かる――これが彼の『根っこ』なんだと。
普段から『知性の化物』という名の外骨格で心を覆い隠し、必死に本音を偽ってきた。仲間に頼られればそれに応えてきた。期待されれば、それ相応の成果を出してきた。
不満と本音を、心の底に押しとどめて。
「……もう、何もかも嫌になった」
そしてそれを、誰も気がつけなかったのだ。
それほどまでに完璧に、一度として本音を垣間見せることなく、隠し通してきた彼の能力を讃えるべきではないだろう。
これは、私たちの責任だ。
彼の背中を追い続けていただけの。
その背中を見て、その方向が正しいのだと疑いもしていなかった、私たちの責任なのだ。
下唇を噛み締め、自分に対する怒りを押さえつけようとぎゅっと拳を握りしめた。
そんな私を見ることはなく、ギンは深く息を吐き出すと。
「なぁ恭香。僕はもう、こっから先は進めない」
こんなにも愚かな私たちが、その彼の選択に一体何を言えるのだろうかと、そう考える。
けれどその考えはすぐに出た。
答えは――何も言えない、だった。
☆☆☆
「……はぁ、やってしまったのじゃ」
妾はため息混じりにそう呟いた。
妾は、主様……じゃなかった。ギンの元を離れることにした。
彼を愛しているか。
そう聞かれたら考えるまでもなく頷くのじゃが、まぁ、傍から見れば妾は愛する人を見捨てて保身に走ったただのビッチ、というヤツなのじゃろう。妾の人気もただ下がりじゃ。
じゃが、なんの考えもなくこうしたわけでもない。
「……限界、じゃったから」
見ただけでわかった。彼はもう限界だ。
混沌、サタン、そしてアポロンとの会談の際。
彼は混沌を倒し、アポロンを助けると宣言していたが、それは虚勢が大半を占めるものだったろうと思える。
けれど、その大半の虚勢すらも本物の勢いに変えてしまうのが彼だった。
「アポロンを救うと宣言することによって自らを鼓舞し、モチベーションを誤魔化した。ここは流石としか言えんかったが……じゃが」
――妾の脱退までは、多分耐えられん。
苦虫を噛み潰したように顔を歪めて小さく呟くと、妾はその大きな窓から外を見上げた。
妾がわざわざあんな『嘘』までついて、ギンへの恋を捨ててまでここに来た理由は――彼を守るためだ。
混沌は、妾に会いに来た。
それは、妾を揺さぶることによってギンを揺さぶり、最終決戦へと万全の状態で向かわせないようにするためだろう。そんなことは簡単にわかるし、実際にその通りの見え透いた罠だろうと断言できる。
故に、そこを利用させてもらった。
混沌は大層ギンに執着を示していた。あの様子から恐らく、あやつは『配下』ではなく肩を並べられる『相棒』が欲しかったのだろう。故に殺して従えるのではなく、幾度としてスカウトをしに来た。
だからこそ簡単にわかる。もしもギンが妾の脱退で心を壊し、混沌への対抗心を消滅させたとしたら。
完全なる無気力となったギンを見た混沌は、間違いなく作戦を『殺害』から『誘拐』へと変更する。
その後の展開は……まぁ、詳しく考えたことはないが、いずれにせよ最低でも彼だけは生き延びる未来だろうと断言できる。
あの場所から離れた妾はきっと標的となり、死ぬじゃろうし、運が悪ければ執行機関の皆も死ぬかもしれない。
そう考えると、胸が引き裂かれるような痛みと苦しみが体中を走り抜けるが――けれど。
「貴方が生きている未来を、妾は望むのじゃ」
誰を犠牲にしても。
どれだけ死体が積み重なろうとも。
最終的に、あの人だけ生きていれば、それでいい。
裏切り者なんて称号は妾だけで十分なのじゃ。
嫌われるのは、妾だけでいいのじゃ。
窓から外を見上げていると、ふと、窓ガラスに映った自らの頬に、涙が伝っているのが分かった。
「……妾も、諦めが悪い奴じゃの」
彼を救うと決めた時点で、この恋は諦めた。
彼に嫌われる覚悟は出来ていた。
――はずだった。
「あ、あれっ……?」
拭っても拭っても、涙が溢れだしてくる。
諦めた。諦めたはずなのだ。
なのに、何でこんなにも悲しいのじゃ。
何でこんなにも――後悔してるのじゃ。
「……ずっと一緒に、居たいのじゃ」
誰もいない部屋に、嗚咽が響いた。
今すぐにもでも、あの場所に戻りたい。
けれど、今更そんなことは出来るはずもないし、今回ばかりはあの人も、助けに来るなんて有り得ない。
妾はぎゅっと口を真一文字に結ぶと。
「頼む、お願いじゃから……助けには来ないでくれ」
愛しい人の心が壊れているようにと、神に願った。




