第2話 世界最強の男、逃げられない
世界中から魔法が消えた。
そして、その原因はおそらく俺だ。
「…………」
俺は自宅の椅子に座り、腕を組んでいた。
目の前には一杯の水。
正確には、さっき井戸まで汲みに行った水である。
「……面倒くさいな」
普段なら生活魔法で一瞬なのに。
水を出すことも、火をつけることも、部屋を掃除することもできない。
何より困るのは、転移魔法が使えないことだ。
あれがあれば、世界のどこへでも一瞬で移動できた。
今は徒歩。
世界最強の男が徒歩。
「……不便すぎるだろ」
俺は水を飲んだ。
ぬるい。
冷却魔法も使えない。
「…………」
もう一杯飲んだ。
やっぱりぬるい。
「……俺、なんてことしたんだろう」
少しだけ後悔した。
いや、かなり後悔した。
だが、後悔していても仕方ない。
まずは現状を把握しよう。
俺は立ち上がった。
右手を開き、意識を集中する。
「《身体強化》」
体が軽くなった。
「……よし」
使える。
俺の持つスキルのうち、魔力を消費しないものは問題なく発動する。
身体強化、気配遮断、認識阻害、超感覚。
どれも長年の鍛錬と冒険で身につけた能力だ。
魔法とは別の力である。
剣技も問題ない。
つまり、魔法以外の俺の強さは健在ということだ。
「……まあ、戦闘ならどうにでもなるか」
問題は戦闘ではない。
世界中の魔法を元に戻すことだ。
それも、自分が犯人だと知られずに。
「…………」
俺は窓の外を見た。
通りには大勢の人が集まっていた。
魔導具が動かなくなった。
治療魔法が使えない。
魔法で動いていた水道設備も停止した。
パン屋では魔法窯が使えず、朝から店主が怒鳴っている。
「薪を持ってこい! 薪だ!」
「店長! うちの窯、薪を入れる場所がありません!」
「じゃあどうやって焼くんだ!」
「知りませんよ!」
…………。
「……大変そうだなぁ」
俺はそっと窓を閉めた。
いや。
他人事じゃない。
全部、俺のせいかもしれない。
「よし。まずは泉に戻って確認しよう」
幸い、認識阻害スキルはまだ使える。
誰にも見つからずに泉へ行き、何か異常がないか調べればいい。
元に戻す方法が見つかるかもしれない。
俺は剣を腰に差し、外套を羽織った。
そして玄関の扉を開けた。
その瞬間だった。
「いたぞ!!」
「アキト様だ!!」
「英雄アキト様がいらっしゃったぞ!!」
「…………え?」
通りの向こうから、武装した兵士が走ってきた。
五人。
いや、十人。
その後ろにも大勢いる。
「アキト様! お力をお貸しください!」
「……何?」
「東門が突破されました!」
「東門?」
「魔物の大群です! 結界が消えてしまって!」
…………。
ああ。
そうだった。
この街には魔物の侵入を防ぐ大規模な魔法結界がある。
確か、王国の宮廷魔導師が数十人がかりで設置したものだ。
普段なら、大抵の魔物は近づくことすらできない。
だが今は。
「……結界も消えたのか」
「はい!」
「……そうかぁ」
「アキト様?」
「いや、何でもない!」
俺は慌てて姿勢を正した。
「状況は?」
「大型の魔物が六体! 騎士団が応戦していますが、魔法支援がなく、防ぎきれません!」
「……六体か」
俺は少し考えた。
泉に向かいたい。
今すぐ向かいたい。
だが、魔物に襲われている街を見捨てるわけにもいかない。
それに、ここで逃げたら不自然だ。
世界最強の英雄が、街の危機を無視して姿を消した。
そんな噂が広まったら面倒だ。
「……分かった。案内してくれ」
「ありがとうございます!!」
兵士たちが歓声を上げた。
俺は小さくため息をついた。
どうしてこうなった。
いや。
分かっている。
俺が栓を抜いたからだ。
くそっ。
昨日の俺を殴りたい。
いや、昨日の俺に殴りかかっても、たぶん勝てないけど。
◇
東門は大混乱だった。
「押し返せ!」
「槍隊! 前へ!」
「無理です! 止まりません!」
巨大な魔物が暴れていた。
岩甲獣。
全身を岩のような硬い皮膚で覆われた大型魔物だ。
体長は五メートルほど。
頭には巨大な角が二本。
普通の騎士なら十人がかりでも苦戦する相手である。
それが六体。
魔法による防御も支援もない騎士団には、厳しい相手だ。
実際、門の周辺はひどい有様だった。
荷車が壊され、木箱が散乱している。
騎士たちは盾を構えているが、魔物の突進を受けるたびに吹き飛ばされていた。
「くそっ! 魔法さえ使えれば!」
「アキト様はまだか!」
「もう持ちません!」
俺は現場を見渡した。
負傷者が数人。
門の内側には逃げ遅れた住民もいる。
そして、岩甲獣の一体が、倒れた騎士に向かって突進しようとしていた。
「……危ないな」
俺は地面を蹴った。
次の瞬間。
ドンッ!!
岩甲獣の巨体が横倒しになった。
「…………え?」
騎士が目を丸くした。
俺は魔物の側面に立っていた。
抜いた剣を軽く振る。
「大丈夫か?」
「あ、アキト様!?」
「下がってろ」
「は、はい!」
岩甲獣が起き上がろうとした。
俺はその前脚を一閃した。
ガキンッ!
硬い外皮の隙間を、刃が正確に通る。
巨体が崩れ落ちた。
そのまま首筋に剣を走らせる。
一体目、討伐。
「……よし」
残り五体。
そのうち二体が同時にこちらへ向かってきた。
俺は剣を構えた。
右から一体。
左から一体。
どちらも全力の突進だ。
「……遅いな」
一歩踏み込む。
剣を振る。
ただ、それだけだった。
右の魔物の角が宙を舞った。
続いて左の魔物の前脚が崩れた。
振り返りざま、二体の急所を斬り抜く。
ドドォォン!!
二体がほぼ同時に倒れた。
「…………」
周囲が静まり返った。
「……さ、三体……?」
「い、一瞬で……?」
「魔法も使っていないのに……」
俺は残りの魔物を見た。
三体。
そのうち一体が、逃げ遅れた親子の方へ向かっている。
「……おっと」
俺は走った。
いや、正確には《瞬歩》を使った。
魔力を必要としない移動スキルだ。
常人の目には、俺が消えたように見えるらしい。
次の瞬間、俺は親子の前に立っていた。
「伏せて!」
母親が子供を抱いてしゃがみ込む。
岩甲獣の角が迫る。
俺は剣を下から振り上げた。
バキィン!!
角が根元から砕け散った。
続けて一撃。
四体目。
残り二体。
俺は軽く息を吐いた。
「……もう終わりにするか」
剣を握り直す。
足元の小石を蹴り上げた。
二つの小石が、残った岩甲獣の目元に直撃する。
ひるんだ一瞬。
俺は二体の間を駆け抜けた。
剣が閃く。
一度。
二度。
納刀。
ドォン!!
ドォン!!
二体の巨体が地面に沈んだ。
「…………」
終わった。
所要時間は、おそらく一分もかかっていない。
俺は剣の刃を確認した。
問題なし。
さすが伝説の魔剣。
魔力が失われても、剣としての性能は申し分ない。
「……さて」
俺は騎士団の方を向いた。
「負傷者の手当てを優先してくれ。動ける者は門の補修だ。まだ魔物が来るかもしれない」
返事がなかった。
「……ん?」
全員が俺を見ていた。
口を開けたまま。
「おーい?」
ようやく、一人の騎士が叫んだ。
「す……すげえええええ!!」
その瞬間。
うおおおおおおおおお!!
歓声が上がった。
「アキト様だ!」
「やっぱり世界最強だ!」
「魔法がなくても関係ない!」
「六体を一人で倒しちまった!」
「英雄万歳!!」
俺は照れくさくなって頭をかいた。
「いやぁ、それほどでも……」
本当は少し嬉しい。
こうして感謝されるのは嫌いじゃない。
実際、これまで何度も人々を助けてきた。
魔王を倒したときもそうだった。
古代竜を討伐したときもそうだった。
強くなったのは、自分のためだ。
だが、その力で誰かを助けられるのなら、それも悪くない。
「アキト様!」
先ほど助けた母親が駆け寄ってきた。
「ありがとうございます! 本当にありがとうございます!」
隣にいた小さな男の子も頭を下げた。
「お兄ちゃん、ありがとう!」
「おう。怪我がなくてよかったな」
俺は笑って男の子の頭を撫でた。
すると男の子が言った。
「お兄ちゃんがいれば、魔法がなくても大丈夫だね!」
「…………」
俺は固まった。
「きっと魔法も元に戻してくれるよね!」
「…………」
「だって世界一強いんでしょ!」
「…………」
母親も笑顔で頷いた。
「本当に。アキト様がいてくだされば安心です」
「……あ、ああ」
俺は笑顔を作った。
「任せてくれ!」
…………。
言ってしまった。
何を任せてくれなんだ?
俺が原因なのに。
いや、だからこそ元に戻す必要があるのか。
…………。
何だか複雑な気分になってきた。
◇
騒動が落ち着いた頃。
俺はようやく東門を離れようとしていた。
もう昼近い。
急いで泉に向かわなければ。
今なら認識阻害を使って抜け出せる。
俺は人目の少ない路地へ入ろうとした。
「アキト様!」
「……はいっ!?」
思わず大声が出た。
振り返る。
そこには、見覚えのない女性が立っていた。
年齢は二十代後半くらいだろうか。
濃紺の制服に、王国の紋章。
腰には細身の剣。
手には分厚い書類の束。
いかにも仕事ができそうな女性だった。
「初めまして。王国調査局のリディアと申します」
「……調査局?」
「はい。現在発生している魔法消失事件について、調査を担当しております」
…………。
調査。
その単語を聞いた瞬間、心臓が跳ねた。
「ちょ、調査かぁ!」
「はい」
「大変だなぁ!」
「ええ。大変です」
「頑張ってくれ!」
俺は手を振って立ち去ろうとした。
「お待ちください」
止められた。
「…………」
「アキト様にお願いがございます」
「……何かな?」
「今回の事件について、ぜひご協力いただきたいのです」
来た。
来てしまった。
俺が最も恐れていた展開だ。
調査協力。
つまり、事件についていろいろ聞かれるということだ。
まずい。
非常にまずい。
「いやぁ、俺も忙しくてね!」
「そうなのですか?」
「ああ! ものすごく忙しい!」
「どのようなご用事が?」
「…………」
しまった。
何も考えていなかった。
「……散歩?」
「散歩ですか?」
「あ、いや! 散歩というか……運動?」
「運動……」
「そう! 日々の鍛錬は欠かせないからな!」
リディアは少し考えた。
そして頷いた。
「なるほど。だからこそ、魔法を使わずとも、あれほどの戦闘能力を維持できるのですね」
「……え?」
「先ほどの戦いを拝見しました。素晴らしい剣技でした」
「あ、ありがとう」
「魔法を失った現在、アキト様ほど頼りになる方はいらっしゃいません」
「…………」
やばい。
褒められている。
しかも、本気で尊敬されている。
こうなると断りづらい。
「今回の事件は、王国の存亡に関わる重大事です」
「……そ、そうだな」
「原因が分からなければ、さらに深刻な事態になる可能性があります」
「……うん」
「どうか、王国にお力をお貸しください」
リディアが深々と頭を下げた。
…………。
困った。
非常に困った。
世界を救ってほしいと頼まれている。
世界をこんなことにした本人が。
「……具体的には、何をすればいいんだ?」
俺が尋ねると、リディアは顔を上げた。
「まず、今回の異変について分かっていることをお伝えします」
「……ああ」
「魔法の消失は、この街だけではありません。近隣の町や村でも同様の報告が届いております」
「……なるほど」
「魔導具も停止し、魔法結界も消えています」
「……そうらしいな」
「そして、先ほど新たな情報が入りました」
リディアが書類を開いた。
俺は何気ない顔で頷いた。
「……何だ?」
「マナの泉です」
…………。
心臓が止まった。
いや、実際には止まっていない。
でも止まった気がした。
「……い、泉?」
「はい。世界の魔力の源とされる、あのマナの泉です」
「へ、へぇ〜!」
「その泉に、重大な異変が起きていることが確認されました」
「…………」
俺は唾を飲み込んだ。
リディアは真剣な表情で続けた。
「泉の水が、完全に消失しているそうです」
「…………」
知ってる。
ものすごく知ってる。
だって俺が抜いたんだから。
「……そ、それは大変だなぁ!」
「ええ。前代未聞の事態です」
「……そ、そうだろうな」
「現在、神殿と王国が合同で調査を進めています」
「……へぇ」
「ただ、原因はまったく分かっておりません」
「……なるほど」
分かっている人が、ここに一人いるけど。
絶対に言えない。
「そこで、アキト様にお願いがあります」
「……な、何かな?」
リディアは一歩近づいた。
「マナの泉まで、ご同行いただけませんか?」
「…………」
俺は固まった。
「……泉に?」
「はい」
「……あの泉?」
「はい。マナの泉です」
「…………」
いや。
待ってくれ。
俺は確かに泉へ行こうとしていた。
だが、それは誰にも知られずにこっそり調べるためだ。
まさか調査官と一緒に行くことになるとは思っていなかった。
「……ど、どうして俺なんだ?」
「魔法を失った現在、現地調査には大きな危険が伴います」
「……うん」
「泉の周辺には強力な魔物も生息しています」
「……そうだな」
「アキト様なら、どのような事態にも対応できると考えました」
「…………」
正論だった。
ものすごく正論だった。
確かに俺は強い。
魔法がなくても戦える。
世界中の誰よりも頼りになるだろう。
……ただし、犯人であることを除けば。
「もちろん、正式な依頼として報酬もお支払いします」
「いや、報酬は別に……」
「王国としても、できる限りの支援をいたします」
「…………」
断る理由がない。
いや、ある。
ものすごく大きな理由がある。
俺が犯人だからだ。
しかし、それを言った瞬間にすべてが終わる。
俺は必死に考えた。
どうする?
断るか?
断ったら怪しまれるか?
いや、今のところ誰も俺を疑っていない。
だったら協力した方がいいのか?
調査に参加すれば情報が手に入る。
泉の状態も堂々と確認できる。
元に戻す方法だって見つかるかもしれない。
それに、調査に協力している人間が犯人だなんて、普通は思わないだろう。
…………。
よし。
決めた。
「分かった」
俺は頷いた。
「協力しよう」
リディアの表情が明るくなった。
「ありがとうございます!」
「ああ。世界の危機だからな!」
「さすがアキト様です!」
「ははは……」
俺は笑った。
笑うしかなかった。
リディアは書類を閉じた。
「では、明朝出発いたしましょう」
「明朝?」
「はい。現地では、すでに神殿の調査団が待機しております」
「……神殿も?」
「もちろんです。世界の存亡が懸かっているのですから」
「…………」
「王国調査局、大神殿、魔導師協会。それぞれから専門家が派遣されています」
「…………」
増えた。
関係者が増えた。
それも、よりによって世界有数の専門家ばかり。
「きっとアキト様のお力が必要になります」
「……そ、そうだな」
「では、明朝お迎えに参ります」
リディアは丁寧に一礼した。
「本日は本当にありがとうございました」
「ああ……」
彼女は立ち去った。
俺はその背中を見送りながら、しばらく動けなかった。
…………。
王国調査局。
大神殿。
魔導師協会。
世界各国の専門家たち。
全員が集まって、マナの泉を調べる。
その現場に、俺も行く。
…………。
「……まずいな」
思わず呟いた。
「……ものすごく、まずいな」
俺は空を見上げた。
青い空。
白い雲。
今日もいい天気だ。
昨日と何も変わらない。
ただ、世界中から魔法が消えただけで。
「…………」
俺は小さく息を吐いた。
それにしても。
世界で最も危険な事件を起こした犯人が。
世界で最も信頼されている英雄として。
事件の調査に参加することになるとは。
「……どうしてこうなったんだ?」
いや。
分かっている。
俺が栓を抜いたからだ。
…………。
明日から、世界最大の事件の調査が始まる。
そして。
その調査団には、犯人が一人混ざっている。
もちろん。
俺である。
――第2話 完。




