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世界一の実力者が、世界最大の事件の犯人。  作者: ネコロビン


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第1話 絶対に抜いてはいけない栓

この世界には、絶対にやってはいけないことがある。

 マナの泉の底にある栓を抜くことだ。

 それを抜けば、世界が滅びる。

 子供でも知っている有名な話である。

 世界各地の古い文献にも記されているし、神殿の壁画にも描かれている。

 いわく、世界の魔力はマナの泉から生まれる。

 いわく、その泉の底には世界を支える栓がある。

 いわく、何人たりとも栓に触れてはならない。

 抜けば世界が終わる。

 絶対に抜いてはいけない。

 何があっても抜いてはいけない。

 そんなことを言われたら――。

「……抜いてみたいよなぁ」

 俺は泉のほとりで、腕を組んでいた。

 名前はアキト。

 日本からこの異世界へ転生して、かれこれ二十年以上になる。

 自分で言うのも何だが、俺は強い。

 ものすごく強い。

 剣術は極めた。

 魔法も極めた。

 世界最高峰と呼ばれるダンジョンはすべて踏破した。

 伝説の魔剣も手に入れたし、古代竜とも戦った。

 魔王?

 倒した。

 しかも三人。

 三人目に至っては、俺の顔を見るなり降伏した。

 あれは少し傷ついた。

 とにかく、この世界で冒険と呼べるものは、ほぼすべて経験した。

 未踏の地もない。

 倒していない魔物もいない。

 手に入れていない伝説級の装備もない。

 俺にとって、この異世界はすでに攻略済みなのだ。

 ただ一つを除いて。

「…………」

 目の前に広がる、透き通った青い泉。

 直径は五十メートルほど。

 水面は鏡のように静かで、周囲には不思議な花々が咲いている。

 世界各国の神官が聖地と崇める場所。

 マナの泉。

 そして、その底にあるという禁断の栓。

「……あれだけなんだよなぁ」

 最後の未攻略要素。

 それさえ確かめれば、俺の異世界攻略は完全に終了する。

 いや、分かっている。

 抜いてはいけない。

 そんなことは分かっている。

 子供でも知っている。

 俺だって知っている。

「でもさぁ……」

 なぜ栓がある?

 誰が作った?

 そもそも、なぜ抜ける構造になっている?

 本当に世界が滅びるのか?

 ひょっとしたら、ただの言い伝えではないのか?

 何百年も誰も抜いたことがないのなら、実際にどうなるか知っている人間はいないはずだ。

「…………」

 俺は周囲を見回した。

 誰もいない。

 当然だ。

 ここへ向かう前から、最上位の認識阻害スキルを発動している。

 人間はもちろん、魔物にも気づかれない。

 魔力感知にも引っかからない。

 足跡すら残さない。

 世界最高の隠密能力だ。

 今も発動中。

 つまり――。

「……誰にもバレないんだよな」

 そう呟いた。

 もちろん、やってはいけないことをやろうとしている自覚はある。

 だが、考えてもみてほしい。

 この世界には、数え切れないほどの冒険者がいる。

 誰も到達できなかったダンジョンを攻略する者。

 誰も倒せなかった魔物を討伐する者。

 誰も解けなかった謎を解き明かす者。

 それが冒険者だ。

 俺も冒険者だ。

 だったら。

「……謎を残したまま引退できるか?」

 できない。

 絶対にできない。

 俺は決意した。

「よし! 抜こう!」

 声に出した瞬間、妙にすっきりした。

 長年悩んでいた問題が解決したような気分だ。

 まだ何も解決していないけど。

 さて。

 まずは準備だ。

 認識阻害は問題なし。

 水中呼吸魔法も使える。

 だが、水中呼吸魔法を使えば魔力の痕跡が残る可能性がある。

 今回は慎重にいこう。

 潜水だけなら身体能力で何とかなる。

「……服も脱いでおくか」

 濡れた服で帰るのも怪しい。

 俺は装備をすべて外し、近くの岩の上に置いた。

 靴も脱ぐ。

 ズボンも脱ぐ。

 下着も脱ぐ。

 誰にも見られていないとはいえ、世界で最も神聖な泉の前で全裸になるのは、少しだけ背徳感があった。

「……よし」

 準備完了。

 ちなみに、認識阻害は裸でも有効だ。

 そこは抜かりない。

 俺は泉に足を入れた。

「冷たっ!」

 予想以上に冷たい。

 さすが神聖な泉。

 いや、冷たいことと神聖なことは関係ないか。

 ゆっくりと体を沈める。

 腰。

 胸。

 肩。

 そして大きく息を吸った。

「すぅぅぅぅ……」

 潜水開始。

 透明度が高く、底までよく見える。

 魚はいない。

 水草もない。

 ただ、青白く輝く水が満ちている。

 俺は一気に潜った。

 五メートル。

 十メートル。

 二十メートル。

 思ったより深い。

 さらに潜る。

 やがて、泉の底が見えてきた。

 そして――。

(……あった)

 本当にあった。

 泉の中央。

 滑らかな石の地面に、丸いものが埋まっている。

 大きさは人間の頭ほど。

 真ん中に鉄製らしき輪があり、そこから太い鎖が伸びていた。

 どう見ても栓だ。

 巨大な風呂の栓。

(……マジか)

 俺は少し感動した。

 世界最大の謎が、今、目の前にある。

 何百年もの間、誰も触れようとしなかった禁断の存在。

 俺はその鎖をつかんだ。

(…………)

 引っ張る。

 動かない。

(ん?)

 もう一度引っ張る。

 動かない。

(……固いな)

 両手で握る。

 足を底につけ、力いっぱい引く。

 動かない。

(なるほど。さすが世界を支える栓だ)

 ちょっと嬉しくなった。

 久しぶりに手応えのある相手だ。

 俺はさらに力を込めた。

 腕に筋肉が浮かぶ。

 足元の石に亀裂が走る。

 それでも栓は動かない。

(……おいおい)

 さすがに焦ってきた。

 いや、栓が抜けないことではない。

 息が苦しい。

(やばい……息が……)

 水中呼吸魔法を使うか?

 いや、魔力の痕跡が残る。

 いったん浮上するか?

 いや、ここまで来て引き下がれるか!

(うおおおおおおお!!)

 全身の力を込めた。

 そして。

 ――ポンッ。

(……あ)

 抜けた。

 あっけなく。

 あまりにも、あっけなく。

 鎖の先についた丸い栓を、俺は両手で抱えていた。

(…………)

 やった。

 ついにやった。

 世界最後の未攻略要素を攻略した。

(完全攻略……達成!!)

 その瞬間だった。

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!!

(ん?)

 足元からものすごい音が響いた。

 抜いた穴に水が吸い込まれていく。

(……あれ?)

 凄まじい勢いだった。

 泉全体の水が渦を巻く。

(ちょ、ちょっと待て!)

 体が引っ張られる。

 俺は慌てて地面に手をついた。

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!!

 水が減っていく。

 ものすごい勢いで減っていく。

 そして。

 ゴボッ!!

 最後の水が穴に吸い込まれた。

 静寂。

「…………」

 俺は息を吐いた。

「ぷはぁぁぁぁ!!」

 助かった。

 危うく溺れるところだった。

 立ち上がる。

 見回す。

 水がない。

 泉の水が、全部なくなっている。

 巨大なすり鉢状のくぼみの底に、全裸の男が一人。

 俺だ。

 右手には栓。

 左手には鎖。

「…………」

 しばらく待った。

 何も起こらない。

 一分。

 二分。

 三分。

 鳥が鳴いている。

 風も吹いている。

 太陽も出ている。

 大地も割れない。

 空も落ちてこない。

「……あれ?」

 俺は空を見上げた。

「……終わり?」

 もう少し待った。

 何も起こらない。

「…………」

 俺は首を傾げた。

「……なんだよ」

 なんだ。

 水がなくなっただけじゃないか。

「世界が滅びるって……大げさすぎないか?」

 思わず笑ってしまった。

「ははは! なんだよ! こんなもんか!」

 何百年も人々が恐れてきた禁断の栓。

 その正体は、ただの排水栓だった。

 そう考えれば納得がいく。

 そもそも、栓なんだから水が抜けるに決まっている。

 むしろ正常に機能しているではないか。

「いやぁ、悩んで損したなぁ!」

 俺は栓を元の穴に押し込んだ。

 きっちり収まった。

「よし!」

 完璧だ。

 これで元通り。

 水はないけど。

「……まあ、そのうち溜まるだろ」

 泉なんだから。

 俺は壁面を蹴って地上まで跳び上がった。

 岩の上に置いた服を着る。

 靴を履く。

 装備を戻す。

 最後に振り返った。

 水のないマナの泉。

 なんとも奇妙な光景だ。

「……一応、誰にも言わないでおこう」

 世界が滅びなかったとはいえ、神聖な泉の水を全部抜いたとなれば、神官たちに怒られるだろう。

 面倒くさい。

 認識阻害は帰宅するまで維持しておくことにした。

 そして俺は、悠々と帰路についた。

 気分は最高だった。

 長かった異世界攻略の旅。

 その最後の謎が、ついに解けたのだ。

「いやぁ、いい一日だった!」

 帰宅。

 認識阻害を解除。

 風呂に入る。

 夕食を食べる。

 ベッドに寝転ぶ。

「ふぅぅぅ……」

 思わず笑みがこぼれる。

 俺は、ついにこの世界を完全攻略した。

 もう思い残すことはない。

「明日から何しようかなぁ……」

 そんなことを考えながら、俺は気持ちよく眠りについた。

 このときの俺は、まだ知らなかった。

 自分が何をしてしまったのかを。

 いや。

 正確には、知ろうともしなかった。

 なにしろ俺は、世界を完全攻略した男なのだから。

 少々の問題くらい、どうにでもなると思っていた。

 ――翌朝。

「……ん?」

 俺は目を覚ました。

 いつもの時間だ。

 窓から朝日が差し込んでいる。

 外では鳥が鳴いている。

 平和な朝だった。

「ふぁぁぁ……」

 大きくあくびをする。

 そして、いつものように指を鳴らした。

「《生活魔法・洗浄》」

 …………。

「…………?」

 何も起こらない。

 いつもなら、体が一瞬で清潔になる魔法だ。

 だが、今日は何の反応もなかった。

「……あれ?」

 もう一度。

「《洗浄》」

 …………。

「…………」

 俺は自分の手を見た。

「……寝ぼけてるのか?」

 仕方ない。

 別の魔法を試そう。

「《点火》」

 指先に小さな炎を出すだけの魔法。

 子供でも使える。

 …………。

 出ない。

「……は?」

 俺はベッドから起き上がった。

「《点火》!」

 出ない。

「《水球》!」

 出ない。

「《浮遊》!」

 浮かない。

「《光球》!」

 光らない。

「…………」

 おかしい。

 非常におかしい。

 世界最高の魔法使いでもある俺が、初歩の生活魔法すら使えない。

「……いやいやいや」

 俺は両手を前に突き出した。

 少し本気を出す。

「《獄炎爆裂》!」

 …………。

 何も起こらなかった。

「…………」

 世界を滅ぼしかねない最上位攻撃魔法が、不発。

 いや、不発というより、魔力そのものが感じられない。

「……なんだ?」

 そのときだった。

 外が騒がしくなった。

「おい! 魔法が使えねえぞ!」

「こっちもだ!」

「誰か治療院の先生を呼んで!」

「先生も魔法が使えないんだって!」

「魔導具も全部止まってるぞ!」

「どうなってるんだ!?」

 俺は窓に駆け寄った。

 通りに人が集まっている。

 向かいのパン屋の主人が、魔法式の窯を叩いている。

 隣の道具屋では、店主が照明用魔導具を振り回していた。

 通行人の魔法使いが、何度も杖を振っている。

 だが、何も起こらない。

「…………」

 俺は窓を閉めた。

 ゆっくりと。

 実にゆっくりと。

 そしてベッドに腰を下ろした。

「…………」

 昨日のことを思い出す。

 マナの泉。

 禁断の栓。

 抜いた。

 水がなくなった。

 元に戻した。

 寝た。

 起きた。

 魔法が使えない。

「…………」

 いや。

 待て。

 落ち着こう。

 まだ決まったわけじゃない。

 偶然かもしれない。

 たまたま俺が栓を抜いた翌日に、世界中の魔法が使えなくなるという事件が起きただけかもしれない。

 そうだ。

 世の中には偶然というものがある。

 昨日の出来事と今日の出来事に、何の関係があるというのだ。

 俺は何もしていない。

 ちょっと栓を抜いただけだ。

 ただそれだけ。

 水がなくなっただけ。

 ……水が。

 ……マナの泉の。

 ……世界中の魔力を生み出す泉の。

「…………」

 俺は両手で顔を覆った。

「まずい」

 小さく呟く。

「まずいまずいまずい……」

 心臓が猛烈な勢いで鼓動を始めた。

「いやいやいやいや!!」

 立ち上がる。

 部屋を歩き回る。

「待て待て待て! 落ち着け俺!」

 昨日、確かに言われていた。

 栓を抜けば世界が滅びる。

 絶対に抜いてはいけない。

 何があっても抜いてはいけない。

 俺は抜いた。

 水がなくなった。

 そして翌朝。

 世界中で魔法が使えなくなっている。

「……俺じゃん」

 思わず口から出た。

「絶対に俺じゃん!!」

 昨日までの晴れやかな気分が、一瞬で吹き飛んだ。

 どうする?

 どうすればいい?

 もし俺が犯人だと分かったら?

 世界中の魔法使いが敵になる。

 神殿も敵になる。

 王国も帝国も敵になる。

 俺は世界一強い。

 だが、世界中から恨まれるのはさすがに嫌だ。

 というか、死刑になるんじゃないか?

 世界を滅ぼしかけた罪。

 そんな罪状があるかどうか知らないが、今回ばかりは新しく作られてもおかしくない。

「…………」

 俺は深呼吸をした。

 そして、一つの結論に達した。

「……黙ってよう」

 そうだ。

 誰にも見られていない。

 認識阻害を使っていた。

 証拠も残していない。

 栓だって戻した。

 誰も知らない。

 俺がやったなんて、絶対に分からない。

「……よし」

 決めた。

 何があっても知らないふりをする。

 絶対に口を滑らせない。

 聞かれても知らない。

 疑われても知らない。

 俺は何もしていない。

 昨日は家でのんびり過ごしていた。

 そういうことにしよう。

 俺は鏡の前に立った。

 表情を整える。

「えっ? 魔法が使えない?」

 驚いた顔を作る。

「そ、それは大変ですねぇ!」

 …………。

「……不自然か?」

 もう一度。

「魔法が!? なんということでしょう!」

 …………。

「……わざとらしいな」

 俺は頭を抱えた。

 くそっ!

 世界最強の俺が、どうしてこんなことで悩まなければならないんだ!

 そもそも、ただ栓を抜いただけじゃないか!

 いや。

 その栓が問題なんだけど!

「…………」

 俺は窓の外を見た。

 混乱はますます大きくなっていた。

 魔法のない世界。

 そんなもの、俺だって経験したことがない。

 このままでは、本当に大変なことになる。

 どうにかしなければ。

 そうだ。

 元に戻せばいい。

 魔法さえ復活すれば、誰も困らない。

 誰も俺を疑わない。

 何事もなかったことにできる。

 俺は拳を握りしめた。

「よし……!」

 やるべきことは決まった。

 世界中の魔法を復活させる。

 何としても。

 絶対に。

 ただし――。

「俺がやったってバレる前に、何とか元に戻さなきゃ!!」

 こうして。

 世界を攻略し尽くした男の、新たな戦いが始まった。

 世界を救うためではない。

 人々の平和を守るためでもない。

 ただひたすらに。

 自分が犯人だとバレないために。

 ――第1話 完。

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