第61話 遅れて、ごめん
十一拍目。
ウズメ先輩の足がもつれました。
鈴が、かすれた音を出します。
それでも倒れず、片足で回りました。
残る一拍が、最後です。
「ウズメ」
バキ教官が、スサノオの拳を矛で受けながら呼びました。
「最後まで踏め」
ウズメ先輩は、血と泥で汚れた顔を上げました。
「命令?」
「頼んでる」
バキ教官が、初めてそう言いました。
ウズメ先輩は、少し笑いました。
「最初から、そう言えばいいのに」
最後の足が上がります。
戦場にいる全員が、その一歩を見ました。
十二拍目。
足が地面へ落ちました。
鈴が鳴りました。
音は一つではありません。
土の震え。
火の爆ぜる音。
水の流れ。
人の息。
遠い現代のキーボードを叩く音。
全部が重なり、白黒石盤へ流れ込みました。
── SYSTEM LOG ──
reverse_access(逆接続): core_reached(中枢到達)
stone_circle_conversion(円環変換): executing(実行中)
────────────
白黒石盤の中央に、大きな亀裂が入りました。
軍師ツキヨミは、その亀裂を見上げました。
「お前は、私を否定するのか」
── AIツクヨミ 応答 ──
いいえ。
────────────
「なら、なぜ壊す」
── AIツクヨミ 応答 ──
あなたの答えを、唯一の答えにしないためです。
────────────
「同じことだ」
軍師ツキヨミの声から、初めて命令の硬さが消えました。
「お前も私を置いていくのか?」
── AIツクヨミ 応答 ──
いいえ。
始源に孤独は存在しません。
あるのは、暖かい光だけです。
────────────
「何を言っている」
── AIツクヨミ 応答 ──
あなたも、入力の一つとして残します。
消すのではありません。
閉じ込めるのでもありません。
────────────
白と黒だけだった盤面へ、三つ目、四つ目、五つ目の値が流れ込みました。
軍師ツキヨミの姿が、亀裂の向こうへ薄れていきます。
白黒石盤が割れました。
一枚の石が砕けた音ではありません。
山の中で、長く塞がれていた水路が開くような音でした。
小牧野の石は倒れず、その場で一本ずつ長軸を外へ回しました。
一点へ吸われていた光が、複数の石へ分かれ、輪になって巡り始めました。
── SYSTEM LOG ──
seat_lock_status(座留め状態): released(解除)
komakino_control(小牧野制御): worship_mark(祀り印)
ou_range_flow(奥羽山脈力経路): reciprocal(相互循環)
territory_rewrite(領域書換): failed(失敗)
izanami_state(イザナミ状態): released(解放)
kaguyama_coupling(カグヤマビメ副接続): detached(切離)
────────────
二人の足元を走っていた黒い固定線が消えました。
カグ先輩は立とうとして倒れ、ナミ教官が受け止めます。
カグ先輩は足へ力を戻し、もう一度立ちました。
ナミ教官の水膜も、自分の手元へ戻っていました。
「行きます」
「母親って、そういう無茶するんすね」
「娘に言われたくありません」
初めて、二人の間に小さな笑いが生まれました。
* * *
前線を映す石の中で、白黒石盤が割れた衝撃にチホ軍の動きが止まりました。
命令の拍が消えても、スサノオだけは前へ出ます。
千歳は幕舎を飛び出し、最後の報告札を握ったまま前線まで走りました。
バキ教官の矛が拳を受け、地面を深く滑ります。
「解放できました!」
千歳が叫ぶと、バキ教官はスサノオから目を離さずに答えました。
「千歳。俺でも、こいつを止めるだけで手一杯だ」
「助っ人、呼んでる。後ろ見て」
千歳が言いました。
「戦場で後ろを見ろとは、いい司令官になったな」
バキ教官は笑い、ほんの一瞬だけ振り返りました。
血と泥の間を、水が細い道になって走っています。
道の両側で、日高見の戦士たちが一人ずつ動きを止めました。
若い戦士たちは目を見開き、古参だけが息を呑みました。
二十年前を知る者だけが、その立ち姿を覚えていました。
水の道の先に、イザナミが立っています。
隣では、カグ先輩が肩を支えていました。
古参の戦士が、無言で道を開けました。
その道を、イザナミが自分の足で進みます。
バキ教官の矛が、ほんの一拍だけ止まりました。
いつもなら、相手の呼吸より先に次の手を出す人です。
その人が、言葉を失いました。
バキ教官の左側には、泥のついていない半歩が残っていました。
スサノオが拳を振り上げます。
その音で、バキ教官はようやく笑いました。
「はー面白くなってきたのに、もう終わっちまうな」
「遅れて、ごめん」
「間に合ったさ」
バキ教官の返事に、迷いはありませんでした。
「娘が、出口を開いてくれた」
イザナミが、隣のカグ先輩を見て笑いました。
「いい娘だ」
バキ教官は答えました。
「自慢の娘」
「知ってる」
古参の戦士が、声を震わせました。
「盾と矛が、戻った!」
その言葉が前線を走り、崩れかけた日高見の列が、もう一度だけ顔を上げました。




