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第37話 白か黒か

修学旅行二日目の朝。

千歳は青森市内の病室で眠ったままでした。


クラスの生徒たちは宿泊先で一夜を過ごし、予定を変更して待機しています。

担任の先生に付き添われ、香乃ちゃんがもう一度、病院の面談室へ来ました。


「おじさん、千歳、まだ戻らないの」

「まだです」

「そっか」

香乃ちゃんは椅子へ座る前に言いました。


「だったら、今のうちに言っておきたいことがある」

待つのが下手な子の声でした。


「千歳ね、昔から、誰かが逃げ道なくされてるのをすごく気にする子だった」

香乃ちゃんは膝の上で手を組みました。

「誰かが外されそうになると、真っ先に気づく。でも、自分から助けに入るんじゃなくて、じっと出口を見てる。逃げられる場所があるか、確かめるみたいに」


「逃げ道……」

私は、小さく繰り返しました。


昨夜の管理画面に残っていた「意思決定参加格差」という記録が、頭に浮かびました。


「うん。だから私、腹立つ時があった。見えてるなら言いなよ、って」

香乃ちゃんは、組んだ指へ目を落としました。

「倒れる前も、私、はっきりしなよって言いすぎた。千歳は困った顔して、いつものように笑った。今のなし、みたいに」


「そうだったんですね」

私は、それ以上すぐには言えませんでした。

香乃ちゃんが責めたかったわけではないことは、声を聞けば分かりました。


「千歳のことを、ちゃんと見ていてくれたんですね」

香乃ちゃんが顔を上げました。

「でも、私、追い詰めたかもしれない」

「香乃ちゃんだけのせいではありません」


それだけは、すぐに言えました。


「千歳が何を見ていたのか、私もずっと聞こうとしてこなかった。だから、今こうして教えてもらえて助かっています」


香乃ちゃんは、しばらく黙っていました。

それから、少しだけ唇をかみました。


「早く戻ってきて、殴りたい」

声が震えました。


「見えてるのに消すなって、もう一回言いたい」

「戻ってきたら、私にも言わせてください」


香乃ちゃんは、泣きそうな顔のまま少し笑いました。

面談室を出る前に、振り返ります。


「分かったことがあったら、旅行中でもすぐ連絡してください」


「必ず連絡します」


私は少し迷ってから、付け加えました。

「私も、千歳に言わなければならないことが増えました」


香乃ちゃんは、一瞬だけ私を見ました。

その表情が、少しだけ緩んだように見えました。

「そっか」

今度の「そっか」は、最初とは少し違って聞こえました。


香乃ちゃんは、それ以上何も言わずに面談室を出ていきました。

私も、引き止めませんでした。


クラスのみんなは、まだ青森にいました。


香乃ちゃんを廊下まで見送って面談室へ戻ると、管理画面に時間差の警告が出ていました。


── SYSTEM LOG ──

modern_time_status(現代時間状態): day_2_morning(二日目の朝)

linked_elapsed(接続先経過): several_days_equivalent(数日相当)

sync_ratio(同期比率): unstable(不安定)

────────────


現代では一晩しか過ぎていません。

しかし日高見から届くログには、訓練と睡眠を何度か繰り返した形跡がありました。

時間は同じ速さで進んでいない。


つまり、現代で一晩が過ぎる間に、千歳は向こうで何日分もの経験を重ねていました。


* * *


日高見では、さらに朝が来ていました。


訓練場に新入生五人が並んでいます。

台の上には、五色の石ではなく、白と黒の丸い石が置かれていました。


「昨夜、新しい訓練区分が届いた」

バキ教官の声には、いつもの張りがありません。

「見極めの儀というらしい。白なら前、黒なら内。取った石で、これからの訓練の重心を決める」


その分け方は、昨日の旅人が門で口にしたものと、ほとんど同じでした。

「誰が決めたの」

バキ教官は、少し間を置きました。

「上からの指示だ。戦う者と支える者を先に分けた方が、効率がいいらしい」

「昨日の旅の人と、同じこと言ってる」

「分かっている」

バキ教官は白と黒の石を見たまま答えました。


「白を取れば、前へ出る側。矢面に立ち、民の前で戦い、守る訓練を厚くする。黒を取れば、内で支える側。祭祀、育成、記憶の継承を厚くする」


「一回決めたら、変わらないの?」

「変わらないわけではない」

バキ教官は、言葉を選ぶように続けました。


「だが、最初にどちらを取ったかは記録に残る。周りの見る目も、そこから作られていく」


変わらないわけではない。

でも、最初の記録は残る。

それは、変わらないと言っているのと、あまり違わない気がしました。


「バキ教官は、これでいいと思ってるの?」

「聞くな」

短い返事でした。


サクヤが先に呼ばれました。

台の前に立つと、ほとんど迷わず白い石を取りました。

「わたし、前に出る方が向いてると思う」

明るく言うサクヤの横顔に、迷いはありませんでした。


次に呼ばれたハニチュウは、少し考えてから黒を取りました。

「土器も、祭祀の道具ですし……前に出るより、作る方が性に合ってます」

そう言ってから、少しだけ寂しそうに付け加えました。

「でも、前に出てみたい気持ちも、ちょっとだけあります」


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