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素直になるビーム


 天狐が魔獣から奇妙な光線を受けたのはつい先程のことである。

 大きな布袋のような形状で、ヒトの笑った顔にも見える不思議な模様をしたその魔獣は、笑い声のような鳴き声を上げながらオレンジ色の光線を天狐に浴びせると何処かへ飛んで行ってしまった。

 当の天狐はそのまま気絶。現在はいきつけの診療所のベッドで眠っている。


 医師によると外傷も無ければ状態異常もなく、ただ眠っているだけなのだという。

 しばらくすれば起きるはずだ、と。

 医師の言葉通り、フロガは天狐が目覚めるのをじっと待った。

 それから二時間程経ったころだろうか。

 天狐の瞳が、重そうに開かれた。


「天狐! 大丈夫か?」

「……ああ」


 すい、と起き上がると、天狐は少しだけ顔を傾げてみせる。

 それからベッドから降りてフロガの隣に立ち、琥珀色の瞳で見上げた。


「帰る」

「ああ……うん。 でも、本当に大丈夫なのか?」

「大丈夫だって言ってんだろ。 諄いんだよ」


 そう言って眉を顰める天狐はいつもと何ら変わらないように見えた。

 


 ──病院からの帰り道、通りすがりのケーキショップの前で天狐が立ち止まる。

 ショーケースに並ぶケーキや焼き菓子に心惹かれたのだろう。

 色とりどりのケーキやお菓子をしばらく眺めていたのだが、天狐はやがて歩き出した。


 いつもなら欲しいと言ってくるのに、やはり具合が悪いのだろうか。 

 顔を覗き込んでみるが、天狐は不思議そうに首を傾げるだけだった。


「お菓子買わないのか?」 

「お前の作ったクッキーのほうが美味い」

「えっ」

 

 さらりとそんな事を言ってきたものだから、フロガは思わず立ち止まる。

 天狐も不思議そうにフロガを振り返ったが、やがて己の言った事を理解して眉を寄せた。


「違う! ……違わないが……いや……そうじゃない……」


 天狐は混乱しているようだった。

 フロガのクッキーが好きだというのは本心のようだが、それを言葉に出してしまったのが恥ずかしかったらしい。

 ふいに出た言葉でも、なんだか嬉しくなってフロガはつい笑ってしまった。


「クッキー、まだあったと思うから帰ったら食べよう」

「……ああ」


 小さな声で答えた後、天狐はまた歩みを進める。

 それからヴァルムに辿り着くまでの間、天狐はずっと無言であった。


 ──ヴァルムに着いて、住居スペースへと続く階段を登る。

 早速、キッチンのキャビネットに入っているクッキーを出し、冷却魔具で冷やしていた紅茶をグラスに注いだ。

 いつものようにソファで待つ天狐に紅茶を渡し、フロガも隣に座る。


「まあ、何事もなくて良かったよ。 あの魔獣、何だったんだろう」

「見た目も声も不気味な奴だったな。 それにあの光線を浴びてから体が妙だ。 今まで言わないようにしていたのに、どうしてもお前のことが好きだと言いそうになる」

「そう、俺のこと…………ん? 今なんて?」

 

 天狐が固まる。

 手に持っていたグラスをそのまま落としそうになったので、フロガはそれをキャッチした。


「違う」

「何が?」

「そうじゃない」

「俺のこと嫌いなの?」

「好き」

 

 ギュッと天狐が抱き着いてきたが、顔は強張ったままである。

 やはり様子がおかしい。


「て、天狐……お前、本当に大丈夫なのか?」

「いや、変だ! 体と口が勝手に動く!」

「ちなみに俺のことは?」

「大好き」

「俺も」


 天狐を抱き締めると、九つの尻尾が嬉しそうにパタパタと揺れて、フロガの背中に回った腕に力が入った。

 だが、そんな言葉や行動とは別に、天狐の表情は困惑気味に引き攣っている。


「この状況、既視感があるような……」


 あれは確か、洋梨酒を飲んだときだった。

 酔っ払った天狐が普段口にしない言葉や行動……つまり本音がだだ漏れだった事を思い出す。

 今の状況は、そのときに限りなく近い。

 

「もしかしてあの変な光線って本音しか言えなくなる効果があるんじゃないのかな」  

「……そんなことして、あの魔獣になんの特があるんだ」

「魔力の高い天狐だからこれで収まっているだけで、本当はもっと酷くなるんじゃないか? 混乱や錯乱状態になるとか……欲を抑えられないって結構大変なことだと思うよ」

「なるほどなぁ。 で、この状況どうするんだよ」

「俺は別にこのままでもいいけど。 あ、ベッド行く?」

「行く……いや、行かない! ふざけんな!」


 面白い。

 そう思うが、それを口に出せばきっと天狐は怒るだろう。

 顔がにやけそうになるのを堪えながら、フロガは天狐を抱き締めたままソファへ身を預けた。


「多分明日になればいつも通りだよ」

「だと良いがな」


 そう言って、天狐はフロガの肩に頭を乗せた。

 そんな天狐の柔らかくて細い身体を包んでやれば、尻尾が嬉しそうに揺れる。


 抱き合うなんて行為は、今更珍しい事でもない。

 だが、今日はいつもよりずっと長く密着している事が嬉しいとフロガは思った。

 天狐から漂ってくる華やかな甘い香りを堪能しつつ、時折頬や首筋にキスを落としてやると、くすぐったそうに身を捩るのがたまらなく可愛らしい。

 

「フロガ」


 突然、甘い声で名前を呼ばれたものだから心臓がドキリと跳ね上がった。

 なんとか平静を保ち、身体を離して顔を覗き込むと、天狐は目尻の下がった、とろんとした表情でフロガを見上げている。

 恐らく、魔獣にかけられた魔法が遅れて効いてきたのだろう。


「……なに?」

「大好き。 もっとギュッとして……どこにも行かないで」


 嬉しいと思う反面、よく今までこんな気持ちを抑制できていたなという関心すら生まれる。 

 もっと甘えたいのではないかという憶測はしていたが、まさかここまでとはフロガも思っていなかった。

 それなら、普段からもっと甘えてくれても良いのにそうはならないのは、天狐の中で羞恥心や何か別の考えが勝ってしまっているのだろう。 


 なんだか居た堪れなくなって、フロガは天狐を強く抱き締めた。


「俺も大好き。 今日はもうどこにも行かないよ」


 そう返すと、またぎゅっと抱きついてくる。

 結局この日は、殆どの時間をずっと抱き合って過ごした。

 


*****



 翌朝、腕の中で目を覚ました天狐にフロガは「おはよう」と声をかけた。

 

「……ああ」


 一言そう呟くと、するりと腕の中から抜けて、ベッドを出ていく。

 この素っ気ない態度は、いつも通りの天狐だ。

 恐らく魔法が解けたのだろうが、念のため確認だけする。


「天狐、俺のこと好き?」

「寝惚けてんのか」


 いつもの天狐だ。

 ならば記憶はどうだろう。


「昨日のことは覚えてる?」

「…………しらない」


 頬を赤く染めて俯いてしまった。

 どうやら覚えているようだが、恥ずかしさと後悔が勝っているらしい。

 ここから追及するのは少し気が引けるが、あえて今聞いておきたい事があった。


「なあ天狐。 昨日はあえて聞かなかったんだけどさ」

「なんだよ」

「お前は俺の事、すごーーーく好きだよな」

「……さあな」

「ほらそれ。 はぐらかす理由って何?」


 琥珀色の瞳が鋭くフロガを睨む。

 その眼孔を見つめ返すと、天狐は軽く溜め息を吐いて、フロガの前に立った。


「普段から愛を囁く程、私は色呆けていない」

「それはそうだな」

「有り難みだってなくなる」

「そうかなぁ」

「以上だ」

「ホントに?」


 天狐が顔を背けた。

 口に手を当てている様子は、何かを我慢しているようにも見える。

 もしかしたら、あの魔獣にかけられた魔法がまだ完全に解けきっていないのかもしれない。


「天狐。 本当にそれだけか?」

「…………まだある」


 思わず口から出てしまった。

 そう言いたげに、天狐は驚いた顔をしている。

 今度は両手で口を塞ぐが、言葉は止まらない。


「好きだと口に出せば、もっと好きになる……」

「それって困ること?」

「……ああ」


 天狐は諦めたように手を下ろした。

 それからぽつぽつと続ける。


「今以上にお前を好きになれば、お前がいなくなったとき、きっと私はその悲しみに耐えられない」

「それは……」

「お前が長寿を望んでいるのはわかっている。 それが私の為ではないのも。 だが、長寿になった事を後悔することになったら? 私は、お前に辛い思いはさせたくない……くそ! 全部言わせるな! 大体、これ星祭りの時にも言っただろ!」


 確かに星祭りの時にもこんな事を言っていた。

 大切に思ってくれるのは嬉しい事だが、そのために気持ちを押し殺すのは如何なものだろうか。

 どうせならとことん好きになって欲しい。

 

 羞恥から真っ赤になった顔を覆うと、天狐は急いで部屋を出ようと踵を返す。

 フロガはそれを呼び止めた。


「天狐。ちょっとこっちに来い」

「はっ、誰が行くか。 お前が言おうとしてる事なんかわかってるんだよ」

「いいから」


 渋々と戻ってきた天狐がベッドの端に座る。

 その隣に行って、フロガは話を続けた。


「俺が言おうとしてる事はお前の想像通りだから割愛するけど」

「だろうなぁ。 どうせ『俺は死なない』とか『愛してるのはお前だけ』とか言うんだろ」

「そうだよ、わかってるじゃん。 でも、俺がどれだけお前の事が好きなのかはわからないみたいだね」

「ふうん」

 

 目を背けたまま、天狐が鼻で笑う。

 腕を組み、足も組んでいる姿は一見傲然と構えているようが、尻尾は丸まって耳は倒れていた。

 考えてみれば、好きだなんて言葉はもう聞き飽きる程言っている。

 先程、天狐が言っていた「有り難みがなくなる」とはこういう事なのかもしれない。

 次からは少し控えよう。

 気持ちを改めつつ、フロガは続けた。


「俺はね、一人でも愛してくれる誰かが側にいれば、生きていけると思っているんだ」

「…………?」

「つまりお前が俺を一生愛し続けてくれれば何も問題はないってこと」


 表情こそ変わらないが、倒れていた耳がピンと上を向く。 それからゆっくりと琥珀色の瞳がフロガを見上げた。


「簡単でしょ。 お前は俺の事大好きだし、俺もお前が大好きだし」

「それは…………そうだが」

「だろ。 ああでも、もうちょっとだけ素直になってくれないと、不安で悲しくなっちゃうなあ。せめて一週間に一回は好きって言ってよ」

「嫌だ」


 即答だ。

 ここは「わかった」と返答が返ってくる物だとばかり思っていたので、フロガは全身から力が抜けた気がして、背中を丸めた。

 

「な、なんで……」

「単純に恥ずかしい」

「じゃあキスでも良いよ」

「馬鹿か。 もっと無理だ」


 また頬を染めて俯く天狐の姿に、フロガは自分の口角が目一杯上がりそうになったのを何とか堪えた。

 恋人になり、結婚して、夫婦になってからどれだけの月日が経ったと思っているのだろう。

 キスもそれ以上の触れ合いも、数え切れない程しているというのに、まだ羞恥が勝っているらしい。

 なんていじらしくて可愛いのだろう。

 

「俺たち出会ってから随分経ってるけど、まだ恥ずかしいの?」

「……こんな風にされるのは初めてなんだから仕方無いだろ」

「そうか。 そうだったね」

 

 思えば天狐は物心付いたときから酷い目に合ってきた。

 初めて真っ当に愛してくれるフロガを失う事を不安がるのもわかる。

 それなら、その不安が無くなるまでフロガは待つしかないのだが、一体いつになるのか見当もつかない。


「お前が安心して甘えられるまで、俺は死ねないな。それに素直になった可愛い天狐と離れるのも嫌だし……やっぱり不老長寿は絶対に手に入れないと」

「もう勝手にしろ」

「俺はずっと俺の好きなようにしてるよ」


 そう言って、天狐の肩を抱き寄せる。

 腕の中へ黙って収まった天狐は呆れたように口の端を上げていた。

 九つの尻尾が忙しなく動き、フロガの背中を叩く。

 これは多分、喜んでいるのだ。

 口や態度は素直ではないが、尻尾や耳だけは感情に正直である。

 そんな天狐を眺めていると、下を向いていた顔がフロガを見上げた。


「いつか……いや、そのうち、魔法なんかにかからなくても、お前にちゃんと好意をつたえられるように……努力はする」

「ああ、楽しみにしてるよ。 そうだ、手始めにおはようのチューなんてどう?」


 ちょっとおどけてみる。

 今の天狐なら恥ずかしそうにしながらも受け入れてくれるのではないかという期待を込めたのだが……そう上手くはいかない。


「ふざけんな。 んなことしてる暇があったら、さっさと朝飯作れ」


 すん、と天狐の表情が変わる。

 照れたように収まっていた身体はフロガを押し退け、さっさとベッドから立ち上がってしまった。

 恐らく、今この瞬間にかけられていた魔法が解けたのだろう。


「はあ……可愛かったのに。 なあ、今度あの魔獣探しに行かない?」

「次見つけたら光線出す前に消し炭にしてやる」

「お前なら楽勝だろうね」


 当然だと言わんばかりに天狐が鼻で笑う。

 そんな天狐に笑い返す。

 いつもと変わらない朝の空気を吸って、フロガは愛する妻のために朝食の準備を始めた。


 天狐が素直に好意を口に出すのは、これからずっと先の話である。


 

 


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