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桃花くらげ


 どこまでも続く青い空と青い海。

 白で統一された建物と、石畳。

 波音の遠くで鳴くカモメの声が、このフォーマルハウトの街に響いていた。

 

 寄せては返す波が、日射しをキラキラ照り返す。

 そんな水面を眺めているのは、黒い白衣の男。

 どんよりとしたエメラルドグリーンの瞳と辛気臭い表情は、この爽やかな街には異物のような存在であった。


「おい、クリフ! いつまでぼうっとしてるんだよ!」


 そんな男をクリフと呼んだのは、同じ顔をした、瞳の綺麗な男。 名前はドッドウェル。

 ぼんやりとしているクリフの眼の前で手を叩くと、今気付いたかのようにドッドウェルの顔を見た。


「……ドッドウェル。 君が串焼きを食べたいというから、ここで待っていたんじゃないか」

「俺が食べ終わって声掛けてもぼうっとしてたのはそっちだろ。 暑さにやられたの?」

「私は太陽が苦手だ」

「そう……とりあえず、早く行かないと約束の時間に遅れるぜ」


 喋るのも程々に、ドッドウェルが歩き出す。

 目的地は、この港の付近にあるカフェである。


 旅行者に混ざって港を歩き、ドッドウェルは街を見回した。

 絵画を切り取ったような、真っ白で美しい街並みとほのかに香ってくる潮の匂い。

 夏だというのに、なんて爽やかで涼し気なところなのだろう。

 旅行者や、避暑地として別荘を持つ者が多いのも頷ける。

 エメラルドグリーンの瞳を輝かせて街を見回していると、クリフに背中を小突かれた。


「ここだ」


 指をさされた場所を見る。

 そこはカラフルなパラソルが並ぶ、オープンタイプのカフェだった。

 白い石畳に映える赤や青のパラソルは、簡素な椅子とテーブルを華やかに見せている。

 その中の赤いパラソルの下に、真っ白いスーツに真っ白い帽子をかぶった男が一人、静かに座っていた。

 男は二人を見るなり、軽く会釈をする。


「アブドゥルさん?」


 クリフが尋ねると、男は首を振った。


「私は代理の者です」


 言われて、クリフとドッドウェルが顔を見合わせる。

 クリフの手には、アブドゥルという男からの手紙が握られていた。


 ――その手紙が来たのは、一週間ほど前のことである。

 冒険者でもないのに「仕事の依頼」と称して綴られたその内容は、子供が原因不明の重い熱病であること、薬を作るにはフォーマルハウトの町外れにある、海底遺跡へと続く洞窟に生えている『海青花』が必要なこと、それを採ってきて薬を作って欲しいこと、その薬のレシピと高額な金品を渡すという事が書かれていた。


 あまりにも不思議な内容だったので詐欺かと思ったのだが、好奇心からクリフが返信を出したのだ。

 

「熱病なんて何処にでもあるが、この手紙を読むに熱以外にも奇妙な症状が出ている。 この病の薬のレシピとやらも気になる」


 そう御託を並べたが、本当に欲しいのは金である。


*****



「……アブドゥルさんは来ないんですか」

「子供の看病に付きっ切りで、出てこれないんです。 報酬は必ず本人からお渡ししますので、どうかご了承ください」


 男が申し訳無さそうに帽子を取り、頭を下げる。

 嘘をついている気配も感じられず、二人はまた顔を見合わせた。


「洞窟に行けば青海花っていうのが生えてるんだろ?すぐ採ってくるから、ここで待っててよ」


 ドッドウェルが肩を叩くと、ぱっと表情を明るくして男が顔を上げた。

 その様子にクリフが軽く溜め息をつく。

 薬のレシピは欲しいが海底洞窟に行くのは面倒なのだ。


「よし、私もここで待とう」

「あんたも来るんだよ」

  

 そういうことになってしまった。


 ──男に渡された地図を頼りに、フォーマルハウトの町外れにある、人気の少ない路地へ着いた。

 海岸へと続く細い階段を降りていき、薄暗い洞窟の中へ入る。

 潮の匂いが一際強いそこは、ジメジメとしていて足場が悪い。

 壁には薄い甲羅を纏った小さな虫が這っていた。

 後ろで聞こえる波音に耳を傾けながら、二人は洞窟の奥へと歩いていく。


「さっきの男でも来れそうなところだけど、なんで俺たちなんだ? 金があるなら冒険者に頼めば良いのに」


 ぼやくドッドウェルの声が洞窟に響く。

 

「ここには魔獣が出るらしい。 それに、薬とやらを作るのに冒険者では無理だったのだろう。 なんせ私は天才……その名がフォーマルハウトまで轟いていてもなんら不思議ではない」

「あーそうね」


 歩けば歩くほど暗くなっていく。

 足下で潮水がピチャピチャと音をたて、背後の波音がどんどんと遠ざかった。

 やがて、それが完全に聞こえなくなり、光が届かずに真っ暗で何も見えなくなる。

 手に持っていた魔具で辺りを照らしたころ、視界の端に青い何かを捉えた。


「おい、これじゃねえの」


 岩でごつごつしていた茶黒い壁は、いつの間にか天辺から足下まで全面が青い花で埋め尽くされていた。

 海にも似た美しさで輝く青は、まるで海水の中にいるような錯覚さえ覚える。

 

「綺麗だなあ。 海の中みたいだ」

「さっさと採って帰るぞ」


 クリフが壁に生えている花を削ぎ落とそうと、手を白衣の中に入れる。

 瞬間、殴られたような重い頭痛が二人を襲った。

 思わず、こめかみをおさえてドッドウェルがうずくまる。

 クリフも同様に、膝をついて目を閉じた。


 次に目を開けた時、眼の前の景色はガラリと変わっていた。


*****


 青い花に囲まれていた筈の風景は、いつの間にか魚で埋め尽くされていた。

 二本足で立ち、服を着て、ヒトにも似た顔の形をした不思議な魚たちだ。

 そんな彼らとは少し違う、長い尾鰭を持った女が前へ出てきた。

 思わず立ち上がって逃げようとしたが、そこでようやく手足が拘束されていることに気付く。


「人間……久し振りに見たわ。 しかも同じ顔が二匹!」


 魚のようなヒトがぽわぽわと泡を吐く。

 シャボン玉になって舞うそれが、クリフの耳元で弾けて消えた。

 

「君たちは……魚人かね」

「ええそうよ。 よろしくね、人間」

「私の名前はクリフ・リンドール。 人間などという名ではない」

「その名前は捨てなさい。 あなたは今から私のペットになるんだから、別の新しい名前をつけてあげる!」


 長い青緑色の髪を揺らして、魚人の女がはしゃぐ。

 金色の目がギラギラと二人を見比べて、魚に似た口がほくそ笑んだ。

 長い尾鰭はパタパタと地面を叩き、青色の鱗が輝いた。


「俺、人間じゃないよ」


 ドッドウェルがあっけらかんとして答える。

 しかし効果はないようだ。


「どう見ても人間じゃない! 名前はそうねえ……モヤシなんてどうかしら」

「うわクソダセェ!」

「拒否する。 君は私がモヤシのように貧弱だと言いたいのかね」

「うるさい人間ね! あんたたちに拒否権なんてないのよ!!」


 ネーミングセンスを馬鹿にされた事に腹立ったのか、青緑色の髪が逆立つ。

 長い尾鰭を鞭のようにしならせて、クリフとドッドウェルの顔面を強打した。

 鈍い音がして、クリフが鼻から血を吹き、ドッドウェルのキャスケットが弾け飛ぶ。


「私に無礼な口を利くとそうなるのよ! 反省しなさい」


 共に倒れた二人を満足そうに見下すと、女は魚人たちを連れてどこかへ行ってしまった。


「あいててててて」

「全くけしからん。 ドッドウェル、ここを抜け出すぞ」

「そうだな」


 モゾモゾとドッドウェルが体を動かす。

 それから突然肌がどろりと溶けたと思うと、ドッドウェルの体は完全な液状へと変化した。

 当然、拘束していた縄は床へと落ち、その縄の上をドッドウェルだった液体が這っていった。

 そして、再びヒトの形を成して見慣れた姿へと戻る。

 この液体こそがドッドウェルの本当の姿なのだが、動き辛いのが難点なため、いつもはヒトの真似をしているのだ。


「いつ見ても気持ち悪いな」

「助かるんだから良いだろ」


 クリフの縄をナイフで切ってやり、拘束を解く。

 ここが何処なのかはわからないが、周囲を警戒しつつ、二人は部屋の外へ出た。

 しかし、当然といえば当然なのだが、そこには見張りがいた。

 老齢の男が、二人の前に立ち塞がる。

 一人ということは、腕のたつ者なのだろうか。

 ドッドウェルが身を屈めで懐のナイフを取り出すと、男は手を上げた。

 武器ではなく、魔法や魔術で戦うというのか。


「待ちなさい。 儂はおぬし等に危害は与えない」


 拍子抜けした。

 しかし油断はできない。そういう作戦なのかもしれないのだから。

 まだ警戒する二人の空気を察したのか、男は話を続けた。


「姫様には儂も困っている。 良いか、姫様はな珍しい者が好きなのだ。 おぬし等人間よりも珍しくて愛らしいものを献上すれば、ここから出られるはずじゃ」

「姫様? あれ姫なの?」

「姫様は姫様じゃ」


 だからあのように我儘だったのか、と納得する。

 納得してから、男の言葉を反芻した。

 珍しくて、愛らしいものとは一体何なのだろう。


「じいさん、回りくどい言い方しないで教えてよ」

「うむ、素直でよろしい。 この先にある海底神殿に、桃花くらげという、なんとも愛らしい桃色のくらげがおる」

「それを献上すれば良いという事か」

「話が早いのう」


 男がニコニコとしながら、どこかから取り出した魔具を二人に渡す。

 一つはくらげの好きな匂いを出す糸で編まれたタモ網。 もう一つはいくらでもくらげが入るという透明な箱だ。


「準備の良いじいさんだね。 もしかして最初からこういう予定だったんじゃないの」

「さあ、どうじゃろうな。 ほら行った行った! 姫様には儂がうまく誤魔化しておく!」


 男に促されるまま、二人は海底神殿へと向かった。


*****


「ドッドウェル、ひとつ問題がある」

「問題……?」


 海底神殿へと続く水面に、ドッドウェルが飛び込もうとしたときだった。

 クリフが静かにそう呟いたのだ。


「私は、カナヅチだ」

「へえ、そうなんだ」


 言い終わってから、ドッドウェルはクリフの背中を思い切り蹴飛ばした。

 驚きに声も出なかったのか、クリフが物凄い早さで沈んでいく。 水面にボコボコと泡が立ち、それが見えなくなってからドッドウェルも中へ飛び込んだ。

 息を止め、あたりを見回す。

 海底にはクリフが珊瑚の上で体育座りをしているのが見えた。


「なんだイケるじゃん」


 思わず口に出してから、ドッドウェルは海の中でも息が出来ることに気付いた。

 海底へと沈み、クリフの前に立つ。


「良かったな。 多分さっきのじいさんが魔法でもかけてくれたんだ」

「でなければ私は死んでいたかもしれない」

「あんた死なないだろ。 ほら行こうぜ」


 海底を歩き、くらげを探す。

 やがて神殿が見えてきた。

 そこら中にフジツボが生え、魚が泳ぐ、光すらも届かない静かな神殿は、陸で見るどんな建物よりも神秘的に見えた。

 思わずじっと見上げてしまうが、探しているのはくらげだ。

 改めて、神殿の中へ足を踏み入れる。

 すると、光の届かない神殿の中が一瞬だけ輝いて見えた。

 正体は桃色の美しいくらげたち。

 淡い桃色が微かに発光しているのだ。

 神殿の中を揺蕩うくらげたちは、まるで春に咲く美しい花びらのように舞っている。


「すげぇ、いっぱいいる」

「さっさと捕らえよう」


 そう言ってクリフがタモ網を振り上げる。

 瞬間、くらげたちが一斉に悲鳴を上げた。


「やめてください! 何をするんですか!!」

「ええ、こいつら喋るの……」

「魚人がいるんだ。 くらげが喋ったとしても何ら不思議ではない」


 タモ網を下げ、クリフが声を上げる。


「魚人の姫様とやらが君たちを御所望だ。 我々の命のために誰か一人……いや、何人でも良いから犠牲……じゃなくて、姫様のペットになってくれ」

「なんて自分勝手なヒト! 私達は皆、家族や恋人、友人がいます! 離れ離れになんてなりたくありませんし、ペットなんてもっての外です!」

「そらそうよ。 もっと頼み方あるだろ」


 ドッドウェルがくらげに同意する。

 くらげが口々に発する悲痛な懇願に、クリフは堪らなくなったのか、持っていたタモ網を手から離した。


「……確かに親しい者と離れるのは辛いことだ」

「わかっていただけるのですね」

「ああ、よくわかるよ……取り残された者の寂しさは、特にね」


 珍しくクリフが他人に同情している。

 かと言って、くらげを連れて行かない訳にはいかないのだが、どうするつもりなのか、ドッドウェルはクリフを見つめた。


「よしわかった。 全員一緒にいられる良い方法がある。 どうか私に一任して貰えないだろうか」

「でも私達はペットなんて窮屈な生活は嫌です」

「もちろん、わかっている。 大丈夫だ、皆が一緒にいたいと望むのならば、きっとそれを叶えよう」

「本当に? 本当に大丈夫なんですね?」

「……私はね、過去に大事な友人を亡くしているんだ。 だから君達の気持ちは痛いほどわかる」

「……わかりました。 皆を集めます」


 美しいくらげたちは、心まで純粋で美しいようだ。

 クリフを信じて、どんどんとくらげたちが集まってくる。

 クリフは一体何をするつもりなのだろう。

 確か、タモ網と一緒に透明な箱を貰っているからそこに入ってもらうのか。

 でも、くらげたちはペットになりたくないと言っている。

 そんな彼らをこれからどうやって説得するのだろう。


「さあ、皆ここに入ってくれ。なあに、息苦しいのは一瞬だけだ。すぐに自由になる」


 くらげたちが透明な箱に入り切ると、クリフは箱を持って海底遺跡へと戻った。



*****

 

「どこへ行っていたの、ペットたち」


 貝殻でできた美しい椅子の上で、姫が不機嫌そうに頬杖をついている。

 周りの魚人と、逃がしてくれた老齢の男に見守られながら、クリフは一歩前へ出た。


「我々はペットにはなれません。 代わりに姫様へ珍しくて愛らしいものを献上しに参りました」

「ほう? 人間以上に珍しいものとな」

「はい。 桃花くらげでございます」

「まあ!! 桃花くらげ!?」


 頬を膨らませていた姫の顔が、嬉しそうに輝き出した。

 身を乗り出し、尾鰭をしならせて、じっとクリフをみつめている。

 そして、クリフは透明な箱を取り出した。


「まずは一品目」

「一品?」

「桃花くらげのイタ風和物です」

「和物??」


 香ばしい胡麻の香りがする。

 桃色のそれとキュウリの緑が美しく和えられ、ごま油、ショーユで味付けされている。


「姫様は珍しいものが好きだと伺ったので捕らえてつれてこようと思ったのですが、彼らは大変仲の良い種族でしたので離れ離れになりたくないと。 それに、ペットになるのも窮屈だと言っていたので、彼らの意見を尊重致しました」


 魚人達がざわめいている。

 姫は顔を青くして俯いてしまった。

 老齢の男がドッドウェルに事情を聞いているが、地面に視線を固定したまま一切目を合わせようとしない。


「ああ、すみません。 姫様は愛らしいものもお好きでしたね。 本当は最後に出そうと思ったのですが……」


 ぴくりと姫の肩が震える。

 恐る恐る顔を上げると、二品目が出てきた。


「くらげア・ラ・モードです」

「アラ!?」

「はい。 切り出して残った部分をフルーツと合わせてスイーツに致しました。 女性は甘くて可愛いものが好きなんですよね」


 桃色のくらげと緑や赤のフルーツが透明のグラスに盛り付けられている。

 仕上げに生クリームが盛られ、珊瑚が刺さっていた。

 これを愛らしいと取るかは姫の感性次第である。


「三品目は桃花くらげの活造り……」

「もうヤメテ!!!! 早くこの頭のおかしい奴を追い出して!!!!」


 姫が手元にあった物を手当たり次第にクリフとドッドウェルへ投げつけ、同時に発せられる悲鳴が遺跡内を振動させる。

 その悲鳴は洞窟へ、フォーマルハウトの街へと響き渡っているのでは無いかと思うほどの大きな叫びであった。

 思わず耳を塞ぐクリフとドッドウェルだったが、姫が投げた紫色のサンゴが頭に直撃し、耳から手が離れてしまう。

 頭の痛みと、鼓膜が破れんばかりの悲鳴のせいで二人は一瞬にして意識を失うのだった。

 


*****

 

 

 目が覚めると、真っ暗な空間で二人は横たわっていた。

 手元には魔具があり、天井を丸く照らしている。

 青い花が魔具に反応して輝いているのを見て、クリフは洞窟の中だということを理解した。


「夢……なのか……?」


 しかし、それにしては頭が痛く、耳に違和感がある。

 白衣も髪も肌もじっとりと湿っていて、まるで海の中から出てきたようにべたつく。

 思考するクリフの横でドッドウェルが起き上がると、「あっ」と声を上げた。


「これ……」


 ドッドウェルが何かをクリフに見せる。

 それは姫が投げつけてきて頭にぶつかった、紫色のサンゴであった。

 

「よくわからんが、そのサンゴは何かに使えるかもしれん。 青海花を採って、早くここから出よう」


 ドッドウェルが頷く。

 それから青海花を採取し、洞窟を走り抜けた。

 だんだんと波音が近付き、明るくなってくる。

 魔具が必要ない程に明るくなり、そこからすぐに洞窟を抜ける。階段を上がり、白い石畳を踏んだ所で、二人はようやく安堵の溜め息を吐いた。


「……よし! あのカフェに行こうぜ」


 どれくらい時間が経っているのかわからないが、あの白い帽子の男はきっとカフェにいるだろうという確信があった。

 路地を出て、街を歩いてカフェに辿り着く。

 赤いパラソルの下には、白い帽子の男が座っていた。


「よお、採ってきたぜ」

「ありがとうございます……!! これできっとあの子の病が治ります」

「あとは薬を作るだけだな。 レシピはともかく、作れる施設はあるのかね」

「もちろんです。 さあ、移動しましょう」

  

 白い帽子の男に案内されるまま、フォーマルハウトの住宅街を歩く。

 程なくして、何の変哲も無い白い建物に到着した。

 中へ入るように促され、リビングのソファへ座らせられる。

 

「リンドール先生をお連れしました」


 男が奥の部屋へ声をかける。

 すると、誰かがこちらへ歩いてくる気配がした。

 扉が開き、背の高い男が二人の前へ歩いてくる。


「お待たせいたしました」


 男の顔を見て、ドッドウェルが口を開く。

 しかし言葉が出てこないようだ。

 クリフも動揺しているのか、男を見たまま固まっている。


「クリフさん、ドッドウェルさん、本当にありがとうございます。 あなた達なら、きっと来てくれると思っていました」

 

 紫紺の瞳に、人好きな柔らかい笑顔。

 行き付けの食堂のマスターによく似たその男は、本当にアブドゥルという名なのだろうか。


 ──問いただす間際、突然クリフの眼の前で何かが弾けた音がした。


 思わず目を瞑る。

 すると、どこからか潮の匂いがしてきた。


「おい、クリフ! いつまでぼうっとしてるんだよ!」


 目前には、どこまでも続く青い空と青い海が広がっている。

 周りには、白で統一された建物と石畳。

 波音の遠くで鳴くカモメの声が、クリフの耳に入ってきた。

 マスターに良く似た男の姿は見当たらない。

 それどころか、室内ですらないのだ。


「……ドッドウェル。 君が串焼きを食べたいというから、ここで待っていたんじゃないか」

「俺が食べ終わって声掛けてもぼうっとしてたのはそっちだろ。 暑さにやられたの?」


 ああ、きっとそうだ。

 ところで私は何故ここにいるのだろう。

 これも夢なのだろうか。

 一体どこからどこまで夢だったのか……


 ──クリフは暑い日差しを遮るように、太陽へ手をかざした。


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