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カレーライス


 沢山のフリルとレースがついた可愛いドレスを着て、ふわふわの甘いお菓子と、色とりどりの美しい花や豪華絢爛な物に囲まれた優雅でキラキラとした毎日を過ごすお姫様。

 そんなお姫様の前には、優しくて強くて勇敢な王子様が現れて、いずれ結ばれる。


 オクパルト子爵の末娘であるアーシュラは、そんな夢物語を二十五年間信じ続けている。

 婚約はもう二度ほど駄目にした。 どちらもアーシュラのほうから興味を失っている。

 理由は簡単だ。

 二人とも運命の王子様ではなかったのだ。

 

「アーシュラ、お前の言う運命の王子様とはどんな男なんだい?」


 二度目の婚約破棄のとき、父であるオクパルト子爵は困ったように尋ねた。

 末っ子の可愛い娘には、なるべく理想の相手を充てがってやりたいと思っての言葉だったが、この甘やかしが娘の婚期を更に遅らせる結果になっているという事に、子爵は気付いていない。


「えっと……背が高くて優しくて強くて、でも気取ってなくて、わたくしの話をなんでも聞いてくれる人、かしら」

 

 そう言ってにっこり笑う末の娘を見て、子爵も思わず笑みを浮かべた。

 苦笑いである。


「……アーシュラ、そろそろ領地の花が綺麗に咲く頃だ。行ってきてはどうだ?」

「まあ、お父様。 私も行きたいと思っていたの!」


 オクパルト家には息子が三人、娘が三人いる。

 その中でも末の娘であるアーシュラは、上の五人に大層可愛がられてきた。

 それは二十五を迎えた今でも変わらず、嫁いだ二人の姉や他に領地を持つ二人の息子は未だにアーシュラへ沢山の土産物を持って帰ってくる。

 家督を継いで屋敷に残った長男も、アーシュラを甘やかすことをやめない。

 そんなふうに可愛がられてきたアーシュラは、実に自由奔放で、美しい女性へと成長した。

 しかし、心は成長しないまま。

 良く言えば、少女のように純粋である。


「途中のハルラー森林で野うさぎや小鹿に会えるかしら?」

「森林は危ないから、もし居ても馬車から出てはいけないよ」

「わかっていますわ。 大丈夫よ、お父様」


 子爵が軽く溜息を吐く。

 アーシュラにはもう少し危機感を持ってほしい。

 野うさぎではなく、もっと己の未来を考えてほしいのだ。

 

「では行って参ります」


 にっこりと屈託のない笑顔を浮かべるアーシュラは、父の心配など微塵も考えていなかった。




 ──神都を出て、しばらく走っているとハルラー森林の街道へと差し掛かった。

 馬車の窓から外を眺めるアーシュラは、期待の色を含んだ青色の瞳をキラキラと輝かせている。

 

「今日は天気が良いわね。 動物達も喜んでるんじゃないかしら」

「お嬢様、例え野うさぎが居ても外に出ては……」

「まあ、いたわ!! 馬車を停めてちょうだい!」


 メイドが言い掛けたとき、アーシュラは歓喜の声を上げて言葉を遮った。

 外を見れば、野うさぎが二羽いるのが確認できた。


「いけません、お嬢様!!」

「大丈夫よ。 周りには何もいないわ。 ね、少しだけだから」


 止めるメイドを振り払い、アーシュラはさっさと馬車を降りる。

 それから野うさぎにゆっくりと近付いて、じっと動向を見つめた。


「可愛い……!!」


 野うさぎのつぶらな瞳が、アーシュラを見上げる。

 それから耳をピクピクと震わせると、野うさぎは森の奥へ走って行ってしまった。


「あ……行っちゃった……」

「さあ、もうおしまいです。 行きましょう、お嬢様」

「そうね」


 フリルの付いたドレスをふわりと揺らし、アーシュラは来た道を戻ろうと振り返った。

 すると、馬車に御者がいない事に気付く。


「あら……」


 疑問の声を出し終わる前に、隣にいたメイドが「きゃあ!」と悲鳴を上げた。

 馬車の傍らに、御者が倒れている。

 それに気付いた頃には、背中に冷たい刃物が当たっていた。


「動くな。 金目の物を出せ」


 低い、しわがれた男の声。

 強盗だ。

 そうわかった瞬間、アーシュラはガクガクと全身を震わせて、涙が溢れた。

 隣にいるメイドも、釣られて涙を流している。


「い、いや……殺さないで!」

「金を出せば殺さない。 早くしろ」

「お願い、殺さないで……」

「ヒトの話聞いてんのか?」

「うぅ……」


 泣きじゃくるアーシュラを見て、男は苛立ち始める。

 ナイフを持つ手に力が入り、アーシュラは更に恐怖した。

 

「おい、お前! お前が持って来い!」


 男がメイドの背中を蹴る。

 その拍子に倒れたメイドに、アーシュラは縋った。


「いやあ! ミミーナ、死なないでえ!!」

「死んでねえよ! メイド! さっさと立て!!」


 苛立った男が大きな声で怒鳴る。

 初めて聞く男の怒声に、アーシュラは更に怯えた。

 よろよろと立ち上がるミミーナ、その先には倒れて動かない御者。

 ……御者は、もしかして死んでいるのだろうか?

 つい先程までそこに座っていたのに。

 このまま金品を差し出しても、自分やミミーナも殺されるに違いない……

 殺される瞬間は、きっと痛くて怖い。

 ──痛いのも、怖いのも嫌だ。


「誰か……助けて……」


 そう呟いた瞬間、後ろでナイフを突き立てていた男が、音を立てて倒れた。

 思わず顔を上げれば、今程の強盗とは違う、背の高い男と目が合った。


「大丈夫ですか?」


 優しい声。

 深い紫紺色の瞳。

 柔らかな風が吹けば、瞳と同じ紫色の外套がマントのように広がった。

 ──それはまるで、絵本で見たような……


「あの、どこかお怪我でも」

 

 つい見つめていると、心配した様子で男がしゃがみこんで、アーシュラと視線を合わせる。

 何だか胸が苦しくなって、アーシュラはそっと視線を逸らした。

 

「あ……いえ……でも、あの、ミミーナとジニーが……」


 そういうと、男はすぐに馬車の方へ走った。 

 ふらつくミミーナを支え、倒れている御者……ジニーに手を添えて、声をかけている。


「うう……イテテテ……」


 幸い、ジニーは殴られて気を失っていただけだった。

 それがわかると、男は安心したように微笑み、未だ立てないアーシュラの元へ戻ってきて、手を差し出した。 

 大きくて、逞しい手だ。

 

「立てますか?」

「あ、はい……」


 その手を取って、立ち上がろうとする。

 が、腰が抜けていたのか、うまく力が入らずよろけてしまった。

 そんなアーシュラを、男は倒れる前に支えてくれた。


「大丈夫ですか!? 無理しないでください」


 そう言って男がアーシュラを抱きかかえる。

 まるで絵本で見たお姫様のように抱えられて、アーシュラは頬を染めた。

 こうして密着してみてわかったが、男の腕は逞しくて体も大きく、異国の花のような、甘いお菓子のような、不思議な香りがする。

 それでいてアーシュラに触れた手は優しくて、まるで繊細な硝子細工にでも触れているかのようだった。

 柔らかそうな焦茶色の髪がふわりと風に靡くのを眺めれば、あの綺麗な紫紺色がアーシュラを見つめる。

 思わず見惚れていると、いつの間にか馬車の中へ降ろされていた。

 

「ありがとう……ございます……」

「いえ、無事で良かったです。 では、私はこれで……」

  

 優しく微笑んで去ろうとする男に、アーシュラは胸が高鳴っていくのを感じた。

 このまま離れたくない。

 そう思ったのだ。


「待って!!」

「はい?」

「何か御礼をさせてください」

「いえ、大したことはしていませんよ」

「命の恩人ですわ!! 是非、何か……」

「本当に、大丈夫なので」


 どうしても遠慮する男の外套を、アーシュラは絶対に離すまいと掴んだ。

 しかし、良い言葉が浮かんでこない。


「でも私……本当に、何か、御礼を……」


 いつの間にか、涙が頬を流れていく。

 男はそれに観念したのか、困ったように眉を下げると「じゃあ」と声を上げた。


「私は神都で食堂をやっているので、宜しければ今度食べに来てください」

「まあ食堂! 是非、行かせて頂きますわ!」

「貴族の方の口に合うかわかりませんが……」

「必ず行きます! あの、貴方のお名前は……」


 男が、また優しく微笑む。

 

「フロガと申します。 南区でヴァルムという食堂をやっています。 それじゃあ、道中気を付けて」


 そう言うと、フロガは倒れている強盗の男を縛り、そのまま引き摺って森の奥へ消えていってしまった。


「フロガ様……」


 名前を呟く。

 すると、また胸の鼓動が高鳴ってきたのを、アーシュラはぐっと手で押さえた。


 ──これはきっと、夢に見ていた運命の人との出会いだ。


 そう、信じて疑わなかった。



***************



「天狐ー、帰るぞ」


 未だ気を失っている強盗を引き摺って、フロガは森の奥で休んでいた天狐に声をかけた。

 それを見るなり、天狐が眉を顰める。


「なんだそれ。 変なもん獲って来るな」

「あっちでヒトが襲われてたんだよ。 こいつは警備隊に引き渡す。 ほら、行くぞ」

「ふうん」


 心底どうでも良さそうな返事が返ってきた。

 天狐は広げていたランチボックスを魔具の中にしまうと、黙ってフロガの後ろから付いてきて強盗の足を小突く。


「この男に幻術でもかけて踊らせるか」

「やめろ」


 そんな他愛のない話をしながら、二人は街へと戻った。

 

 

**********



 それから一週間ほど経った、よく晴れた日。

 早々に領地から戻ってきていたアーシュラは、吟味したドレスを三着程並べて悩んでいた。


「どれにしようかしら……」


 一番好きなのはフリルがふんだんにあしらわれたピンクのドレス。 だが、落ち着いた雰囲気があるモスグリーンのドレスや初夏に合わせたスカイブルーのドレスも良い。

 だけど、きっとどれを着てもあの優しそうなフロガなら似合うと言ってくれるはずだ。


「よし、ピンクにしよう」


 メイクもドレスに合わせてピンクを基調としたものにする。

 流行っているのは少し赤い頬と目元、それから涙袋を強調したものだ。

 流行りのメイクを施してもらい、アーシュラは使用人に探させたヴァルムへと向かった。


 馬車を走らせてしばらく。

 停まったのは、沢山の花に囲まれた可愛らしいカフェの前だ。

 白い木目調の壁に薄ピンクの扉。 蔦の巻き付いた大きな窓から見える店内はパステルカラーで揃えられたテーブルと椅子が見える。


(ここがヴァルム……?)


 なんて素敵なカフェなのだろう。

 そう思いながらドアに手を掛けようとすると、後ろからメイドのミミーナが声を上げた。


「お嬢様、そちらではありません。 この路地の先です」


 そう言って、ミミーナが薄暗い路地を指差す。

 ……そんな所に入って行ってしまって大丈夫だろうか。

 アーシュラにとって未知の空間であるその路地は、まるでダンジョンの入口のようにも見えた。

 しかし、運命の王子様に会いに行くと決めたのだから、アーシュラは意を決して薄暗い路地へ足を進めていく。

 

 太陽光こそ入ってくるものの、表の大通りとは違って細い道にアーシュラは困惑した。

 店は立ち並んでいるが、どこもパッとせずにヒトもまばらで、営業しているのかどうかも怪しい。

 こんな所に本当にフロガがいるのだろうか。

 不安になりながらも進んでいくと、メイドのミミーナが立ち止まった。


「こちらです」


 古ぼけた赤煉瓦が積まれた、二階建ての……小屋。

 扉の脇にはランチメニューが書かれたメニューボードが置いてあり、赤煉瓦の壁には「ヴァルム」の文字が見えた。

 それを見て、アーシュラはここが小屋ではないのだと認識したと同時にほっと胸を撫で下ろす。

 場所や外見はともかく、ようやく辿り着いた。

 表通りから5分とすら歩かなかったが、アーシュラにとっては何時間も彷徨ったような感覚すらあったのだ。

 

 一度深呼吸をして心を落ち着けてから、アーシュラはドアノブを回す。

 木製のドアを開けて店内に入ると、野菜を煮込んだような良い香りがした。

 綺麗ではあるが、古くてこじんまりとした店内はアーシュラの目にはやはり小屋のように見える。


「いらっしゃいませ」


 カウンターの奥から聞こえた声に、胸を震わせる。

 視線をそっと向ければ、アーシュラは思わず息を呑んだ。

 あの日出会ったときと同じ、優しい紫紺色の瞳。

 柔らかそうな焦げ茶色の髪の毛、見上げる程に高い背丈と、整った顔立ち。

 服装はあの日とは違い、ワイシャツにベストを着てはいるが、妙に品の良さを感じた。


「あ、あの……わたくし……」


 アーシュラが言葉に詰まっていると、フロガは優しく微笑んだ。

 

「ああ、あのときの! 本当に来てくれるとは思いませんでした。 えーと……」

「わたくし……アーシュラ・オクパルトと申します」

「アーシュラさん。 こちらへどうぞ」


 案内されるがままに、カウンター席へ座る。

 こんなに硬い椅子に座るのは初めてだったが、そんな事も気にならない程、アーシュラはフロガに見惚れていた。

 

「ご来店ありがとうございます。 でも、貴族の方のお口に合うかどうか……メニューに書かれていなくても作れるものでしたら何でも作りますよ」


 と、言われてもアーシュラにはメニュー表に書かれているものが未知のものにしか見えなかった。

 いつも食べているのはフルコースだし、メイン料理を単品で食べるなんてしたことがない。

 だが、フロガの作ったものなら何でも美味しいに違いない。

 困惑した結果、隣のミミーナに任せることにした。


「ミミーナは何が食べたい?」

「えっ、私ですか? うーん……カレーライスが良いです」

「まあ、カレーなら私も知っているわ」


 カレーといえば、イタへ旅行に行った時に食べたことがあるし、屋敷のシェフも何度か作ってくれた。

 イタのカレーはココナツミルクや色々なスパイスが入っていて複雑で癖になる味だったし、シェフが作ったものは色々な野菜を丁寧に煮込んだ味わい深いものだった。


「では用意しますね。辛さはどうしますか?」

「私は激辛で。 お嬢様は……甘口で」

「かしこまりました」


 アーシュラが首をかしげる。

 そんなに辛い料理だっただろうか。

 むしろ、ココナツミルクの甘みがある、クリーミーな料理だった筈だ。

 不思議そうな顔をしているアーシュラに、ミミーナが目を合わせる。


「多分、お嬢様が想像している物とはちょっと違うかもしれません」

「そうなの……? でも美味しいんでしょう」

「カレーライスにハズレはありませんからね」


 ミミーナは余程カレーが好きなのだろう。

 なんだかワクワクしたように目を輝かせているのを見て、アーシュラも料理が出てくるのが楽しみになってきた。

 厨房からはスパイスの良い香りがしてくる。


「お待たせ致しました」


 眼の前に置かれたそれを見て、アーシュラが固まる。

 大きな皿にライスと黄色いカレーが一緒に盛られた、見たことのない構図。 脇に添えられた、不思議な赤いなにか。そしてゴロゴロと大きく切られた野菜。


 ──どれも今まで食べたカレーとは違う。

 強いていえば、シェフが作ってくれたものに近いだろうか。

 でもあのカレーは肉の主張があって、野菜は軽く素揚げしたものだったし、そもそもルーは別に添えられていた。

 似て非なるもの。 アーシュラはそう思った。


「うーん、美味しい! 一晩寝かせました?」

「ええ。 昨日の夜に作ったものです」

「やっぱり! 昨日のカレーって妙に美味しいんですよね」


 アーシュラの横で、既に食べ始めていたミミーナが絶賛している。

 顔が徐々に赤くなっているのは辛いからだろう。

 それでも美味しいと言いながら食べているのを見て、アーシュラもようやく銀のスプーンを手に取った。


「お口に合えばいいのですが」


 そう言って不安げにしているフロガを前に、アーシュラは意を決してカレーを一口頬張った。

 

「……まあ!」


 舌に絡みつくような、コクのあるとろりとしたルーがいつまでも口の中で主張している。

 そのせいなのか、次へ次へとスプーンが止まらない。

 野菜にはカレーの味が染み込んでいて、大きく切られているじゃがいもは口の中で簡単に溶けていく。

 イタで食べた物と比べるとスパイスの風味が薄く感じるが、野菜の甘みとコクがある。 そのおかげで食べやすく、何より米に合う。

 

「なんて美味しいの! イタで食べた物とも、シェフが作った物とも全然違うわ!」

「ありがとうございます。 お口に合ったようで良かった」


 ほっとしたようにフロガが微笑む。

 その表情に、アーシュラは胸が高鳴り、頬が熱くなっていくのを感じた。

 熱いカレーを食べたから、頬が熱いのではない。

 これはやはり恋だ。

 そう、確信した。


「フロガ様。 貴方はこんなに素敵なお料理を作ることもできますのね……」

「気に入って頂けたのなら幸いです」


 そう言って、フロガは食後のデザートとしてシフォンケーキを差し出す。

 だが、今頼んだカレーにはデザートなど付いていないはずだ。

 アーシュラはそんな事を知らないが、注文をしたミミーナは少し戸惑ったように声を上げた。


「あの、これは……」

「わざわざ来て下さったので、サービスです。 宜しければどうぞ」

「ありがとうございます! 良かったですね、お嬢様」

 

 なんて優しいのだろう。

 こんなに優しいのは、自分が貴族だからだろうか。

 いいや、違う。

 運命の王子様なのだから、優しくて当然なのだ。


 アーシュラは、フロガが理想通りの言動をする毎に自分の中の想いが膨れ上がって重くなっていく事に気付いていなかった。


「また来ます。 フロガ様」

「ありがとうございます。 お待ちしておりますね」


 ──お待ちしております。

 それは接客における定型文である。 が、アーシュラにとってその言葉は他の客に言うものとは違う、何か特別なもののように感じられた。



「美味しいカレーでしたね。 実家で母が作ってくれたものを思い出しました」


 帰りの馬車の中で、ミミーナが嬉しそうに喋っている。あのカレーが気に入ったのか、随分と上機嫌だ。


「あらそうなの。 私、あのようなカレーは初めてだったけれど、ミミーナ達にとっては普通なのね」

「なんだか懐かしさがありました。 お嬢様、本当にお口に合いましたか?」

「ええ、もちろんよ! だってフロガ様が私の為に作ってくれたんですもの。 美味しくて当然だわ!」

「え? あー、そうですね。 愛情のある、家庭料理って感じでしょうか……」

「愛情? ……ええ、そうだわ。 確かな愛を感じたの」


 ぼんやりと逆上せてているように話すアーシュラと、ほんの少しだけ噛み合っていない気がする。

 ミミーナはそんな違和感を覚えたが、すぐに忘れてしまうような、ささやかな違和感であった。



**********



以下、アーシュラの日記から一部抜粋。


 萌の月 21日

 ミミーナを連れて、ヴァルムへ食事に行った。

 前回から一週間も空いてしまったわ。

 フロガ様は今日も素敵な笑顔で「お待ちしておりました」と仰っていた。

 私も会いたくて仕方が無かったわ。

 次はフロガ様を不安にさせないよう、もっと早く行こうと思う。


 花の月 19日

 今日のヴァルムのランチはオムライス。

 フロガ様はそこにトマトソースをかけてくださって、それがハートの形をしていて凄く嬉しかった。

 ミミーナは気のせいだって言っていたけれど、どう見てもハートだったわ。 きっと、フロガ様から私への愛の告白。

 もちろん、お受けしたわ。

 フロガ様は余程嬉しかったのね。 信じられないという様子で首を傾げていたわ。


 苗の月 2日

 今日は初めてミミーナ無しでヴァルムへ行く。

 出会って三ヶ月目の記念日だから、フロガ様との大切な時間を二人で過ごしたかったの。

 でも、残念ながら今日は女性のお客様が閉店まで居て、私とフロガ様の貴重な二人の時間を邪魔されてしまったわ。

 何度か見たことある金髪のヒト……常連客かしら。


 苗の月 23日

 いつもランチ営業の閉店間際に行っていたけれど、今日はお昼のピーク時に行ってみた。

 フロガ様は忙しそうにしていたのに、私を見ると嬉しそうに微笑んでいたわ。

 忙しいけれど、二人が会える大切な時間。

 なのに、なんであの金髪の女がカウンターから出てくるの?

 あの女、近くを通ったときにフロガ様と同じ匂いがした。

 もしフロガ様が私に隠れて浮気なんてしていたら……いいえ、そんな筈ないわ。

 だってフロガ様は王子様なんですもの。 前の二人とは違う。

 ミミーナに命じてフロガ様を観察する事にした。


 苗の月 24日

 昨日の夜からミミーナを観察に行かせている。 報告が楽しみだけれど、最近ミミーナは私に対して反抗的になってきたからあまり信用はできない。

 いつも通り、裏の者にフロガ様の素性を調べさせることにした。

 ついでにあの女を殺す事も視野に入れて依頼をする。

 

 でも慎重に動かないと。

 前回殺した貴族の男達は行方不明ということにして始末したのに、立て続けに殺してしまったせいでお父様が怪しんでいるみたい。

 頭が悪い癖に変な勘だけは働くんだから困ったわ。

 あの大男にはたっぷりと報酬を弾んであげたからお父様に告げ口することはないだろうし、お父様がそれを信じるとは思わないけど。

 

 

**********




 今日のミミーナは朝から憂鬱であった。

 と、いうのも前日の夜にアーシュラからフロガの監視を命じられたからである。

 今までの貴族とは違う、庶民のヒト。

 周りに使用人がいない分、監視するのは前回の二人よりは楽だが気が引けた。

 小さな食堂を営む、ヒトの良さそうなフロガをアーシュラの毒牙にかける……ではなく、アーシュラの王子様に仕立て上げてしまうのは、同じ庶民として申し訳ないのだ。


「どうにかして諦めてくれないかな……」


 思わずそんな独り言が漏れる。

 メイド服から黒い外套に着替え、まだ星が出ている夜中からヴァルムを見張る。

 やがて朝が来て、明るくなってきた所でフロガがヴァルムから出てきた。

 きっと仕入れにでも行くのだろう。

 そう思いながら物影に隠れ、眠気の混じった目でフロガを見つめた。

 が、そんなミミーナの眠気が、一瞬にして吹き飛ぶ。


「ん、あれ……誰?」


 フロガの後ろから見知らぬ女が出てきた。

 金髪で、綺麗な顔立ちをした、スタイルの良い女。

 歳はアーシュラより下だろうか。

 そういえば、アーシュラがバイトのヒトがいると言っていた事を思い出す。

 なんとなく聞き流していたが、特徴は一致している。

 

「うーん、妹かな?」


 一緒に住んでいるということは家族なのだろう。

 ミミーナは朝市へ向かう二人のあとを追った。



 朝市で食材を買い込むフロガ。

 帰りは屋台で焼菓子を買い、女と二人でベンチに腰掛けて食べている。

 特に何の変哲も無い、日常的な光景だ。


 こんなに平凡で幸せそうなフロガを、何故監視しなければいけないのだろう。

 ベンチに座って焼菓子を食べる女を微笑ましそうに眺めているフロガを見て、ミミーナの中に罪悪感が生まれてきた。

 その罪悪感があったのと、あまりにも平凡なフロガに思わず気が抜けたからか、ミミーナはふと二人から目を離して菓子の屋台を見つめる。


「お菓子美味しそー……メレンゲかな」


 大きな鉄板の上で素早く焼かれている、一口サイズの丸いお菓子。

 長いヘラで一気にひっくり返すと、綺麗な焼き色が付いていた。

 それを長細い紙袋に入れて、焼き立てを客に渡すようだ。

 ミミーナの横を通り過ぎた子供が、それをサクサクと音を立てながら食べている。菓子の中に黒蜜のような物が見えて、ミミーナは思わず喉を鳴らした。


「私もあとで買おうっと」


 通り過ぎる子供に目を取られたのほ、恐らく二、三分程度。

 視線を戻すと、ベンチに二人がいなくなっていた。


「う、うそ! やば……」

「ミミーナさん」


 聞き覚えのある声に肩が跳ね上がる。

 それでも、聞き間違いの筈だと思いながら恐る恐る振り向けば、想像通りの人物が立っていた。


「フロガさん……奇遇ですね」


 あくまで奇遇を装う。

 平然とした態度で、自分も買い物に来ていたのだという雰囲気を出した。

 

「店からずっと尾行していましたよね。 何かご用ですか?」


 穏やかな態度を崩さないが直球に言葉を打ち込んできた。

 これは誤魔化せない。

 ミミーナは思わず頭を下げた。


「申し訳ございません! これはその……私の勝手な判断で……」

「どうせ主人に命令されたんだろ。 じゃなきゃ、ただの頭のおかしいやつだ」


 フロガの後ろから、例の綺麗な顔の女が現われる。

 なんて口が悪いのだろう。

 あの綺麗な顔と小さな唇からそんな台詞が出てくるとは思っていなかったミミーナは、思わず固まった。

 

「やめろ、天狐。 でもミミーナさん、俺も少しそう思います」

「私が頭のおかしい女だと……?」

「いや、そうじゃなくて……アーシュラさんに命じられたんですか? 俺の事を調べるように、と」


 もう大体のことは察しがついているのだろう。

 当たり前だ。アーシュラはフロガと出会ってからというもの、毎日のようにヴァルムへ通っては熱い視線を送っている。

 告白めいた事をフロガに言っていたし、気付かない訳がないのだ。


「……はい。 アーシュラお嬢様は、フロガさんを『運命の王子様』だと信じて疑わない様子で……申し訳ないと思いつつ、フロガさんの生活を報告しようとしておりました」

「ん? え? 俺が、何……?」

「ですから『運命の王子様』と。 フロガさんを好いているのです」

「ええ……?」


 どうやらフロガはアーシュラの熱い視線に気付いていなかったようだ。

 首を傾げているフロガの後ろで天狐が吹き出す。

 

「ハハハ!! 王子様ってツラかよ!!」

「そんなに笑うこと無いだろ! ……ミミーナさん、とりあえずそこに座って話しませんか?」


 フロガが先程のベンチを指差す。

 そちらへ移動してから、ミミーナはフロガが何故アーシュラの『運命の王子様』になってしまったのか、その経緯と今のアーシュラが何を考えているのかを簡単に話すことにした。


「恐らく一目惚れです。 助けていただいた、あの日に」

「惚れるような要素があったのか?」


 天狐の問いにミミーナが「うーん」と唸る。


「……私も助けて頂いて感謝の気持ちはありますが、フロガさんが御伽噺に出てくる王子様かと言われると全然違いますね。なんか野暮ったいですし」

「まあ、俺もそう思いますよ……」

「王子様……! もうそれ言うのやめろ!」


 天狐が肩を揺らして笑っている。

 どうやら笑いのツボに入ってしまったらしい。


「それから何度かヴァルムにお伺いしたとき、オムライスを出してくれたんですが」

「オムライス……? いつでしたっけ」

「2ヶ月くらい前でしょうか。 そのときのオムライスのソースがハート型に見えたそうです。 お嬢様はそれを愛の告白だと」

「そんな……」

「ハートには見えなかったので、勘違いだと申し上げたのですが……お嬢様は思い込みの激しい方なんです」

 

 ミミーナが大きく溜息をつく。

 それから、見てしまった日記の話をした。


「お嬢様は完全にフロガさんと交際しているつもりになっています。 ですから、そちらの……妹さん……? にも敵意を向けている様子で……」

「話は大体わかりましたけど、俺は既婚者ですよ」

「えっ」

「こいつは妹じゃなくて妻です」

「えっ」

「ですから、アーシュラさんとはお付き合いできません」

「た、大変だ……」


 ミミーナが顔を真っ青にしている。

 突然立ち上がり、走り出したのを慌てて呼び止めると、ミミーナは動揺しながらフロガを見上げた。


「お嬢様は思い込みが激しくて……これがわかったらきっと、そちらの奥様に危害を加えます!」

「落ち着いて下さい。 妻は見ての通りなので、ちょっとくらい何かされても動じる奴じゃありませんよ」

「ちょっとじゃないんです! 最悪、殺されるかも。 あの二人みたいに……!」


 そう言ってミミーナは走り去ってしまった。

 フロガと天狐が顔を見合わせる。

 知らない内にとんでもない事に巻き込まれているのではないだろうか。

 そんな気がして、二人は眉を顰めた。


 

********** 

 

 

「おかえりなさい、ミミーナ。 フロガ様はどうだった?」


 あれからミミーナは適当に時間を潰して、翌日の朝にお屋敷へ戻った。

 いつもと同じように、アーシュラに笑ってみせてから昨日のことを報告する。

 もちろん、天狐の事は「ただのアルバイト」と嘘をついた。

 

「あの……お嬢様。 フロガ様は庶民のかたです。 もし結婚となっても、旦那様がお許しになりません」

「あら、それなら大丈夫よ」


 ミミーナが、ほんの少しだけ表情を崩す。

 家柄の事を言えば、アーシュラが諦めると思ったのだ。

 歴史ある子爵家と小さな食堂のマスターとではあまりに釣り合わない。 そう言いたかったのだが……


「フロガ様はね、あのエリュプティオ伯爵のご子息なんですって!」

「エリュプティオ伯爵って……メロウラージュの領主……?」

「ええそうよ! あそこの果物は私も大好き! まさかそんなすごい方だったなんて、やっぱり私達運命なんだわ!!」

「お待ち下さい、お嬢様! そんな方があんな所で小さな食堂なんてやっている筈がありません!」

「あら、確かな情報よ。 嘘つきの貴女とは違うの」


 アーシュラの言葉へ、ミミーナはすぐに返事することが出来なかった。

 聞き間違いでなければ、「嘘つき」とアーシュラは言った。

 頭の中がすっと冷たくなり、心臓の鼓動が上がる。

 ミミーナが報告するよりも早く、アーシュラは別の者からの報告を聞いたのだろう。

 もしかしたら、はじめから信頼されていなかったのかもしれない。

 

「ねえミミーナ、あの女はバイトじゃなくて奥様なんですって。 でも有り得ないわよね? だってフロガ様と私は相思相愛なのよ」

「あの……でも……それだと、不倫では……」

「違うでしょう。 最初から私とフロガ様は結ばれていたの。 それをあの女が先に回って邪魔をした。 きっとフロガ様が貴族だから玉の輿を狙ったのね。 本当に卑しい女だわ……だから庶民って大嫌い!」


 アーシュラの思い込みは止まらない。

 何をどうしてそういう思考になったのか、ミミーナには理解できないが、とにかく不味い状況なのは理解している。


 (どうしよう……)


 ミミーナは心の中で頭を抱えた。

 エリュプティオ伯爵家と結婚なんてなれば、きっとオクパルト子爵は小躍りするほど喜ぶだろう。

 しかし、そんな凄い家柄で三十路を迎えている男が、何故爵位も継がずにあんな小さな食堂をやっているのか。

 何か喋っているアーシュラの話を聞き流しながら、ミミーナは一つの結論に辿り着いた。


 ──フロガは身を隠しているに違いない。


 原因はあの天狐という女だ。

 あの口の悪さはきっと平民出身のメイドか、屋敷に出入りしていた物売りだろう。

 ひょんな事からフロガと惹かれ合ったが身分の違いから結婚を許されなかった。

 そんな二人は家を出て駆け落ち、そして神都の目立たない所で小さな食堂を始めたのだ。

 フロガは天狐を妻だと言っていたが、きっと内縁の妻なのだろう。

 エリュプティオの屋敷に見つからないように、二人は慎ましくも幸せな生活を送っているに違いない。

 

(うう……なんという悲劇……!)


 ミミーナの結論は「家を出た」という所のみ当たっているのだが、彼女がそれを知る事はなかった。



**********



「アーシュラさん、エリュプティオの繋がりだと思ったんだけど違ったね」


 ミミーナが走り去って行ったあと、二人は自宅へと戻っていた。

 軽い昼食を終え、いつものようにソファで寛いでいる天狐に紅茶の入ったカップを手渡す。


「思ってたのと違ったが、そのうちお前んちに繋がりそうではあるな」

「そうだな。 多分、俺の事は調べ終わってるんじゃないかな」


 天狐の隣に座り、フロガは珈琲を一口飲む。


「で、どうするんだ?」

「次に来た時、俺はお前と夫婦で、家とはもう縁が切れている事を話すよ」

「先を急いでエリュプティオ家に連絡していたら面倒なんじゃないか」

「大丈夫。 もし家から俺に連絡をしてくるとしたら、執事しかいない。 俺はただ、家族に会いたくないだけだから連絡が来るくらいならどうってこと無いよ」


 そう言いながらソファに沈むフロガの表情は暗い。

 だからといって何か励ましの言葉を掛けてやる天狐ではないが、少しくらいは気を使う。

 狐の姿に変わり、膝に乗ってやるとフロガの表情が柔らいだ。

 大きな手が天狐の頭から背中まで撫で、また頭を撫でる。


「落ち込んでる訳じゃないから大丈夫だよ」

「別に心配してない」

「でも気を使ってくれたんだろ」

「まあな」

「……ありがとう」


 天狐を抱き上げ、柔らかな毛並みに顔を埋める。

 甘い香りを吸い込みつつ、一番柔らかい腹に頬擦りすると尻尾で頭を叩かれた。


「調子に乗るな」


 言い終わると同時に天狐はヒトの姿に変わり、フロガの顎を掴んで引き剥がした。

 そのまま膝から降りようとしたのだが、離すまいと言わんばかりに抱き竦められて、身動きが取れなくなる。


「狐も良いけど、やっぱりヒトの姿が一番好きだよ」

「馬鹿か、お前」


 呆れたように悪態をついているが、嫌がってはいない。 大人しく腕の中に収まり、フロガの肩口に頭を乗せて腕が離れるのを待った。

 ……待ったのだが、離れる気配がない。


「おい、いい加減離せ」

「それより、殺されるかもってミミーナさんが言ってたけど」


 離す気はないらしい。

 仕方が無いのでフロガの好きにさせることにした天狐は、腕の中に収まりながら話を聞いた。

 

 「簡単には死なないから安心しろ」

 「わかってる、心配はしてないよ」


 天狐を抱き締めている腕に、少しだけ力が入る。

 苦しくはない、むしろ心地良くて落ち着くのだ。

 

 ──いつまでもこうしていたいと思う。

 しかし、それを口にする事は憚れる。 時間も無限ではない。

 だから天狐は黙って目を瞑り、身を任せる。

 やがて眠ったふりをすれば、長くこの時を楽しむ事ができるのだ。

 

「天狐? また寝ちゃったのか」

 

 時間がゆっくりと流れていく昼下がり。

 天狐は幸せに包まれる中で、いつの間にか本当に眠ってしまっていた。

 


**********



 アーシュラは今日もヴァルムへ行く。

 いつものようにミミーナを連れて、いつものようにフリルのついたドレスを翻して。

 いつもと違うのは、今日はフロガを両親に紹介しようと思っている事だ。

 昼の営業が終わる時間を見計らって店に行き、共に屋敷へ行こうと考えていた。


「フロガ様、きっと喜んでくださるわ。 それにお父様も」

「ですがお嬢様、こういった事は事前にお話して段階を踏んだほうが……」

「ミミーナ、あなた最近反抗的ね。 私の何が間違っているというの? 主人に逆らう気?」

「……いいえ」

「なら黙っていて頂戴。 今日はここで待ってて良いわ」


 大通りに停めた馬車の前にミミーナを立たせ、アーシュラはヴァルムへ向かった。

 もうすっかり慣れた薄暗い路地を歩き、辿り着いたヴァルムには「CLOSE」の札がぶら下がっている。

 それを気にもせず、アーシュラはドアノブを回した。

 店に入ればフロガがいつものように笑顔で出迎えてくれる……はずだった。


「今日はもう閉店です」


 そう言ってきたのは、バイト……ではなく天狐。

 フロガの姿は見えない。

 天狐が箒を手に持っているところを見るに、閉店後の掃除をしていたのだろう。


「フロガ様に大事なお話があるの。 あなた、席を外してくださる?」

「夫は今、お客様に忘れ物を届けに行きました。 そのうち戻ってくるとは思いますが……日を改めた方が良いかと」


 表情を変えずに淡々と天狐が喋る。

 その様子にアーシュラは軽く溜息をついた。


「ねえ貴女、フロガ様の奥様なんですって? こんな所でこんな食堂をさせて、フロガ様が可哀想だと思わないの?」

「あ……?」

「どうせフロガ様が貴族だからお金が目的なんでしょう? お金なら私が上げますから身を引いて頂戴。 いくら欲しいの?」

「なに、馬鹿な事を言っているんだ?」

「貴女といるとフロガ様が不幸になるって言っているの。 平民は平民らしくなさって」


 天狐が何かを考えるように、顎へ手を当てる。

 鋭い琥珀色の瞳がアーシュラを品定めでもするかのように上下し、伏せられた。


「……金を出すと言ったな。 いくら出せるんだ?」

 

 やはり卑しい平民だ。 簡単にフロガを売ろうとしている。

 アーシュラは笑いそうになるのを堪え、冷静なふりをした。


「貴女が一生掛かっても見ることの出来ない金額を出せますわ。 そうねえ、一億クルタなんてどう?」

「その程度か」


 天狐が鼻で笑う。

 どこまで卑しいのだろう。 仕方が無い、とアーシュラが溜息をつく。


「なら、二億クルタ用意するわ」

「へえ、あいつの価値はたったの二億か」

「……いくら欲しいの」

「子爵の財産全部寄越されても足りないなぁ」

「ふざけてるの!?」

「ふざけてんのはそっちだろう」


 伏せられていた瞳が、アーシュラを見据える。

 先程とはまるで違う、猛獣のような鋭い視線にアーシュラは思わず後退った。

 しかし、踏み止まる。


「私は真剣よ! あのね、貴族には貴族の生活があるの! フロガ様はこんな所で食事を振る舞うような方ではないのよ!? フロガ様の幸せを考えているのなら、身を引くのが当然じゃないかしら」

「……あいつがそう望むなら。 あいつが、本当に幸せになるのなら私はいつだって身を引くつもりだ」

「それなら……」

「だが、まだその時じゃない。 今フロガを幸せにしているのは、この私だ」


 淡々と喋っているのに妙な威圧感がある。

 しかしそれは、アーシュラに言っているはずなのに、天狐の独り言のようにも聞こえた。

 天狐はアーシュラに背を向け、続ける。


「そう。 他の誰でもない、この私だけ……お前には渡さない」


 最後の言葉は微かに震えていた。

 自分で言った言葉なのに、勝手に動揺しているようだった。

 きっと、こんな台詞で動揺してしまうほど、普段から愛の言葉を発していないのだろう。

 それを考えるとアーシュラは沸々と怒りが込み上げてきた。


「……なんなの。 身を引くつもりなんて一つもないじゃない」


 天狐は後ろを向いたまま、答えようとしない。

 アーシュラが、軽く手を上げる。


「それなら私が引き離してあげるわ」


 言い終わった瞬間、天狐の背中に冷たいものが突き刺さる。

 それはすぐに抜かれて、振り返った天狐の胸へ二度、三度と連続で刺された。

 天狐の眼の前には、ナイフを手にする黒い外套を纏った大男。

 こんな男が店内に入ってくれば、いつもならすぐに気付いていた。 だが、動揺していた天狐は判断が遅れたのだ。

 アーシュラは微動だにしない。

 多分、今までもこうした事をやってきたのだろう。

 流れる血液が足を伝って床に血溜まりをつくっていく。

 徐々に広かっていく痛みで、天狐は思わず膝をついた。


「ふざけ……やがって! 炙り殺してやる……っ!」


 炎を出そうと手をかざす。

 指先から小さな炎が上がった瞬間、勢いよくドアが開いた。


「やめろ、天狐!」


 フロガの声で、ぴたりと天狐が動きを止める。

 指先から上がった炎は消え、かざしていた手を走ってきたフロガが取って天狐の身体を抱きかかえた。


「どうしてこんなことに……」

「はっ……知るか……」


 傷口から溢れる血が、フロガのシャツに染みていく。

 止血を試みるも、刺された箇所が多すぎて意味をなさない。

 そんな光景を眺めながら、アーシュラはフロガへ笑いかけた。


「また、私を助けてくださったのね。 フロガ様」


 フロガが静かに首を振る。

 

「いいえ。 俺は妻を助けたかったんです」

「妻だなんて……冗談を仰らないで。 このヒト、お金が目的で貴方を利用しているのよ? 貴方に依存して、貴方を束縛して、離れられないようにしている。酷いヒトだわ」

「それは違います」

「何も違わないわ! このヒトは貴方を手放すなんて言いながら、そんな気一つもないのよ!貴方を不幸にしているの!」

「ちょっと黙ってください」


 低く唸るようなフロガの声。

 髪に隠れているために表情は見えないが、その声色にアーシュラは初めてフロガの怒りを感じ取った。

 それからフロガが軽く息を吐く。


「依存させて、束縛して、離れられないようにしているのは、俺なんです……もし本当にこいつが俺を手放さないと言ったのなら、俺は幸せです」


 フロガの口許が、微かに笑みを浮かべている。 ……ように見える。


 ──その瞬間、アーシュラはゾッとした。


 あんなにヒトの良さそうな顔をして、誰にでも優しくしていた男が、えげつない程の独占欲と執着心を見せつけている。


 それは、夫婦の絆という言葉で片付けるにはあまりにも強固で恐ろしく重い、ある意味病的な何か。

 その何かが垣間見えたのはほんの一瞬であったが、アーシュラは恐怖に似たものを感じた。

 同時に、この二人は他人が決して踏み込めない、触れてはいけない世界にいるのではないか。 そう思った。

 

(こいつは私の王子様じゃない……)


 それなら、前の男二人と同じようにフロガも殺してしまおう。


 あの二人と同じ、運命の王子様でないのなら、思い通りにならないのなら、この男もいらない。

 そう思った瞬間、今この場にフロガが存在していることすら煩わしく思えた。

 

 アーシュラが大男に目配せをする。

 それに頷いたあと、大男はフロガへナイフを向け、素早く振り下ろした。

 しかし。


 フロガの方が早かった。

 ナイフを持つ手を掴まれ、そのまま足払いをされて大男は床へ転がる。

 そしてフロガは再びしゃがみこんで、天狐の手を取った。


「ねえ……そのヒト……もう死んでいるわ」


 狼狽えながら、アーシュラは声を絞り出す。

 フロガの腕の中に抱えられた天狐は、もうピクリとも動いていない。


 それどころか、瞳孔が開いている。

 細かった呼吸は絶え、フロガが握っている手は力無く垂れ下がっていた。

 これは間違いなく死んでいる。 今まで殺した二人の男も、このようになっていたのでアーシュラには良くわかった。


「……お帰りください。 今から警備隊員を呼んで、あとはこちらで何とかします」


 見逃してやる。

 遠回しにそう言っているように聞こえた。

 

「フロガ様……」

「もうここには近寄らない方が良いですよ。 できれば、俺にも話しかけないでください。 ……ね?」


 そう言ってようやくアーシュラを見た紫紺色の瞳は、沸き上がる怒りを抑え込んでいるようだった。

 いつも優しい笑みを浮かべていた唇は、固い直線を描いている。

 


 ──アーシュラは、命の危険を感じた。

 あの盗賊に遭遇した時よりも、もっと末恐ろしい物に出会ってしまったような感覚であった。

 

 ゆっくりと後退り、カーテシーをする。

 それから転がっている大男を叩き起こし、その場から走って逃げた。


 薄暗い路地が一層暗く思える。

 早足で路地を抜け、大通りに止めていた馬車に飛び乗るとミミーナが驚いた顔をしてアーシュラを見ていた。


「どうなさったのですか、お嬢様」

「……フロガ様とお別れしてきたの。 早く馬車を出して」


 言われるままに馬車が動き出す。

 徐々に南区から離れていくと、アーシュラは安堵の息を吐いた。


「お嬢様、一体何があったのですか?」

「フロガ様があんなヒトだと思わなかったわ」

「はあ……あ、奥様のことですか?」

「あの二人、気味が悪いわ。 まるで沼の中にいるみたい……」


 ミミーナが首を傾げる。

 あの夫婦は仲が良いように見えたから、アーシュラはそれに圧倒されてフロガを諦めたのだろうか。

 前の男は理想的な行動を取らなかったから、というくだらない理由で殺されたと屋敷内の噂で聞いていたが、あの夫婦が殺されなかったのなら良いことだ。

 ミミーナは安堵から、にっこりと笑ってみせる。


「それだけ信頼し合っているという事ではないでしょうか。 いつかお嬢様も結婚して歳を重ねたらわかりますよ」

「そうかしら……歳を取ったらわかるものなの? 私はまだ子供っていうこと?」

「うーん……そうかもしれませんね」

「なら、大人って何なの? 夫婦ってみんなああなるのかしら」


 難しい質問だ。

 これに答えられるほどミミーナは歳を重ねていないし、人生経験が豊富な訳では無い。

 だから誤魔化した。


「カレーです……」

「は?」

「辛いカレーを食べられるようになったら、きっと大人になった証拠です。 それに夫婦の形もカレーと同じくらい色々な物がある……と、私は思います」

「……そう」


 あまり納得はしていないようだったが、アーシュラがそれ以上なにか言うことはなかった。

 


**********

 


 走り去るアーシュラが閉めたドアに、ドアベルが激しく反応する。

 乱暴に響き渡るベルの音が止むと、店内は静寂に包まれた。

 

 やり場のない怒りと、どうしようもない悲しみで、フロガの手は震えている。

 こんな気持ちになったのはいつぶりだろうか。


「てんこ…………天狐……?」


 当然だが、呼び掛けに返事はない。

 腕の中に居る天狐の身体は、流れていく生温い血液とは反対に冷たくなりつつある。

 光を失った瞳が虚空を見つめ、綺麗だった琥珀色は濁っているようにも見えた。

 半開きになっている唇からは吐息を感じられない。

 アーシュラの言う通り、天狐は死んでいるのだ。

 その身体を抱き締め、フロガはじっと待った。

 『簡単には死なない』

 そう言った天狐の言葉を信じているのだ。

 

 どれくらい時間が経ったかわからない。

 まだ陽が沈んでいないから、きっと大して時間は経っていないだろう。

 ふと、フロガの腕の中にいる天狐の指が微かに動いた。

 

「……っ、はっ……、フ……ロ、ガ……」


 止まっていた呼吸が動き出す。

 力無く項垂れていた手が、フロガの服にしがみついた。

 か細い呼吸を繰り返し、弱々しい声でフロガの名を呼び、光の戻った瞳は虚ろではあるがフロガをしっかりと捉えている。


「天狐……! よかった。 今警備隊を呼ぶからな」


 強盗が入ったと嘘の通報をしてから、警備隊が来るまでは一分もかからなかった。

 転移魔法を使い、現れた数名の警備隊員と医師と共にまずは病院へと向かう。

 天狐が治療を受けている間、警備隊からの聴取と店の片付けを終えて、落ち着いたのは夜も随分と更けてからだった。

 治療が終わったと連絡を受け、診療所の病室へと向かう。


 個室の扉を開けると、薄暗い室内を月明かりが照らしていた。

 ベッドに近付いて、天狐の顔を覗き込む。

 元から白い肌は月明かりによって更に青白く見え、まるで生気を感じられない。

 まさか、死んでいるのではないか……そんな不安にかられて、フロガはそっと天狐の頬を撫でた。

 体温は低いようだが、微かに温かい。

 

「……天狐、生きてるか?」


 一応、声を掛けてみる。

 すると、閉じていた瞳がゆっくりと開いたので、フロガはほっと息を吐いた。


「油断した」


 掠れた声で天狐が一言呟く。

 悔しそうに顔を歪めているのを見る限り、本当に油断してしまったらしい。


「ごめん……俺がアーシュラさんにちゃんと話をしていれば、こんな事にはならなかったのに」

「いや、隙を作った私が悪い。 本当に間抜けな事をした」

「確かにあの程度の相手にやられるなんて、お前らしくないけど……何があったんだ?」


 天狐は決まりの悪そうな顔をしている。

 唇をギュッと噛み、フロガから視線を逸らして頭を抱えた。

 どうやら、言い難い何かがあったらしい。

 

「天狐?」


 追い打ちをかける。

 すると、天狐は視線を逸らしたまま、重々しく口を開いた。


「私は……自分が思っていたより、お前の事が好きらしい」

「……そう、ようやく気付いたんだ」

「気付きたくなかったがな」

「それで動揺して隙ができたのか」


 フロガが笑みを浮かべている。

 その顔を苦々しく睨みつけてから、天狐は布団を被ってしまった。

 それからしばらく沈黙が続く。

 外から微かに聞こえてくる虫の声に耳を澄ませていると、フロガが先に口を開いた。


「お前が無事で良かったよ」


 心底安心したような声に、天狐が顔を出す。

 見上げたフロガの顔は、いつもと同じ穏やかな笑みを浮かべてはいるが拭いきれない不安の色が見えた。

 それもそうだ。

 一度死んでしまったのだから無理もない。


「正確には無事ではないが……生き返る事が出来てよかったと、私も思う」

「一応確認するけど、天狐は不死ではないんだよな?」

「そうだ。 九回は確実に生き返る事ができる、らしい。 それ以降は知らん」


 その言葉にフロガが目を細める。

 つまり十回目は本当に死ぬという事だ。

 不老であり、長寿でもあるが不死ではない。

 そんな不可思議な天狐の身体は、天狐自身にも仕組みが良くわかっていないようだった。


「今まで何回死んだ?」


 その問いに少し間を置いてから、天狐が指折り数える。

 それが片手で済まない事に、フロガは顔を顰めた。

 

「……遊びや実験で殺されたのが五回、この辺は曖昧だから正確ではない。 確実なのは封印された時に一回、お前と旅をしていた時の一回と今回。 ……おそらく、全部で八回だ」

「八回……ということは」

「あと一回死ねるなぁ。 多分だが」

「洒落にならないからやめろ」


 天狐が鼻で軽く笑う。

 だが、フロガにとっては笑い事ではなかった。

 

「心配するな。前に言った通り、お前が死ぬまで一緒にいてやる」

「……もし、俺がお前と同じくらい長く生きられたら」 

「そんな事する必要無いと言ったはずだ」

「お前のためじゃない、俺がそうしたいんだよ。 それに不老長寿なんて、誰だって欲しがるだろ? 俺もその一人ってこと」


 そう言って笑うフロガに、今度は天狐が顔を顰めた。

 そのまま背中を向けてしまった天狐に、フロガは続ける。


「もし俺がそうなっても、一緒に居てくれるか」

「お前がどうなろうとも、いつだってそばにいてやるよ」


 素っ気ない言い方をしているが、ほんのりと赤く染まっているうなじを見る限り照れ隠しなのだろう。

 今すぐ抱き締めたいが、まだ天狐は病み上がりだ。

 半分持ち上げた腕を下ろしてから、フロガは「うん」とだけ答えた。

 



**********



 あれからアーシュラは一度もヴァルムへ行っていない。

 それどころか、運命の王子様などという言葉すら言わなくなったのだ。

 積極的に夜会へ参加しては、結婚相手を探しているらしい。


 今夜も、アーシュラは夜会へ父と共に参加していた。

 美味しい料理に美しい音楽、綺羅びやかな装飾に囲まれて、レースとフリルがふんだんに使われた可愛いドレスを翻す。

 なんて楽しいのだろう。

 アーシュラは夜会に参加する度、貴族の楽しさを噛み締めていた。

 ゆっくりと周りを眺めると、遠くにカインホルスト侯爵が見えた。

 それから、ソファに座って仲良くお喋りをしているエイゼルシュタイン子爵夫妻もいる。

 この夫妻はアーシュラにとって憧れであった。

 なんせ、見た目も結ばれるまでの物語も、まるで絵本に出てくる王子様とお姫様そのものなのだから。


「ジョンドウ伯爵、お久しぶりです」

「やあ、オクパルト子爵。 夜会に参加するなんて久しぶりじゃないか」

「ああ、実は娘の……」


 そんな風に挨拶まわりをする父の傍らで、アーシュラはふと、見慣れた後ろ姿を見つけた。

 それは、すらりと伸びた長身の男だ。 癖のある焦げ茶色の髪に、アーシュラは見覚えがあった。


 (焦げ茶色の髪で背の高い男性なんて、どこにでもいるわ)


 アーシュラはそう思い直したが、その男から目を離す事ができなかった。

 どうにか、顔が見えないだろうか。

 そう思ったとき、男が振り返り、目が合った。


 紫紺色の瞳。

 穏やかな表情。

 目と口の下にあるホクロ。

 その男は、アーシュラを見ると優しく笑いかけて、こちらへ歩いてきた。

 

「あ……」


 見間違える訳がない。

 あんな事があったが、もしかして、あのあと思い直して追い掛けてきてくれたのだろうか?

 高鳴る鼓動で胸が張り裂けそうになりながら、眼の前に来た彼を見上げた。


「お久しぶりです、オクパルト子爵……そちらはお嬢様ですか?」

「これはこれは、エリュプティオ子爵! ええ、娘なんです。 今夜はお父上はご一緒ではないのですか?」

「生憎、父は欠席しております。 代わりに、私が」

「そうでしたか。 伯爵にも是非ご挨拶をしたいですな!」

「伝えておきます」


 エリュプティオと、父は呼んだ。

 子爵と言ったのは、まだ爵位を継承していないからだろう。

 しかし、間違いなくフロガだ。

 まるで初めて会うような口振りではあるが、きっと食堂をやっていた事を後悔しているからに違いない。

 アーシュラを見た彼の瞳が、優しく細められた。

 うっとりとその瞳を見つめる。 そして思わず、口から愛しい名前が出た。


「フロガ様……」


 彼はいつものように微笑む。

 そして、首を傾げた。


「フロガは私の弟ですが……ご存知なのですか?」

「ああ、確か行方不明だとか。 知っているのかい、アーシュラ」

「え? あ、いえ……その、私……」

「ああ、そうだ。 あちらのソファで話しませんか? オクパルト子爵、宜しいですよね?」

「ああ、勿論だとも。 楽しんでおいで、アーシュラ」


 アーシュラが父を見て、言い辛そうにしているとすぐに男は手を差し出した。

 大きなソファ席までエスコートし、アーシュラにレモネードを持って来て渡す。

 グラスの中で揺れる濃い金色を見て、一瞬だけフロガの妻のことを思い出した。

 あの後、どうなったのだろうか。

 少しだけ気になったが、どうせ死んだのだから、どうでも良い話だ。

 今は目の前で微笑んでいる男の方が気になるのだから。

 

「エリュプティオ子爵は……フロガ様のお兄様なんですの?」

「はい、クレヴォと申します。 フロガは私の双子の弟なんです」

 

 双子というだけあって、喋り方も、表情も、何もかもが同じだ。

 まるで隣でフロガが喋っているような錯覚すら起こすほどに。

 

「アーシュラさんは、フロガに会ったことがあるんですか?」

「あ、はい。 南区で小さな食堂をしておりましたわ」

「食堂? どうしてそんな……」

「あの、行方不明って誘拐か何かですの?」 

「……いえ。 あいつが勝手に出て行っただけですよ」 

「まあ! もしかして、駆け落ち……?」

「そういう相手はいませんでした……私にも詳しい理由はわからないんですが、きっと悩みがあったのでしょう。 私がちゃんと気にかけてやれば良かったんです。 フロガは元気でしたか?」


 心配そうにしているクレヴォは、きっと弟想いの兄なのだろう。

 そう思ったアーシュラは、フロガが南区でヴァルムという食堂をやっていること、妻がいることなどをなるべく詳しくクレヴォに話した。

 そうして聞き終わったクレヴォは、安心したように頬を綻ばせていた。


「ありがとうございます、アーシュラさん。 フロガが幸せそうで良かった……私も、近いうちにその食堂へ行ってみます」

「ええ、是非」

「アーシュラさんは、婚約相手を探しているんですよね? 御礼と言っては何ですが、今度良いヒトを紹介しますよ」


 それよりも、クレヴォともっと親しい関係になりたかった。

 多少、歳の差があるものの、フロガのように優しい彼とならきっとうまくやっていける筈だ。

 

「クレヴォ様、私……」


 もっと貴方と一緒にいたい。

 そう言いかけたとき、クレヴォが視線を外してスッと立ち上がる。

 視線の先には、白いタイトドレスを纏った女が黒い瞳を細めて微笑んでいた。

 とても優しそうな、慈愛の含んだ笑みだった。


「クレヴォ様、そんな可愛らしい子を捕まえて何をお話しているのかしら」

「フォリー。 こちらのアーシュラ嬢が、フロガを見たって言うから詳しく話を聞いていたんだよ」

「あら、そうなの?」

 

 クレヴォがフォリーと呼んだ女の手を愛しげに取る。

 アーシュラは、なんだか嫌な予感がした。

 

「アーシュラさん、妻のフォリエンヌです」

「ごきげんよう」


 にっこりと微笑むフォリエンヌが、プラチナシルバーの髪を揺らしてカーテシーをする。

 照明に照らされてキラキラと輝くプラチナの隙間から、インナーカラーの鮮やかな赤色が見えた。

 クレヴォ同様、優しそうで穏やかで、それでいて美しい女性だ。

 

 クレヴォはいずれ爵位を継承するのだから、結婚していない訳がない。

 頭の中ではわかっていても、アーシュラは沸き上がる殺意を抑えきれなかった。

 しかしここは夜会会場。 暗殺を依頼していた大男もミミーナもいないのだ。

 アーシュラはぐっと堪えると、軽くカーテシーをした。

 

「私、そろそろ父のところへ戻ります」

「私も今日は帰ります。 それじゃあ、また」

「ええ、ごきげんよう」


 アーシュラが後ろを向き、歩き始める。


 だから、気付かなかったのだ。

 フロガと同じように優しく微笑んでいたクレヴォが、フロガがしないような嘲笑を浮かべていたことに。


(帰ったらリカルドに言ってあの女を始末しないと)

 

 今みたいにペラペラと喋って回られると面倒なことになる。

 フロガは行方不明。 そういう事で良いのだ。

 南区でボロ臭い食堂なんかやっているなんて知られれば、エリュプティオの価値が下がる。

 

「あいつが食堂ねえ……」

 

 小さく呟くと、隣にいるフォリエンヌが首を傾げた。


「何か仰った?」

「いいや。 君のドレスとアクセサリー、今日も良く似合ってるなって思っただけだよ」

「あらあら、嬉しいわ」


 美しい妻がクスクスと笑う。

 クレヴォもまた微笑むと、妻の手を取って帰りの馬車へとエスコートした。


 

 後日、アーシュラが消えたと騒ぎになったというのは別の話である。




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