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死と旅立ち

極北の冬は、夜がとても長い。

窓の外はいつも雪だ。まれに晴れた日は目が痛いほど空と雪原が眩しいけれど、正午前に登った太陽は、3時間ほどで暮れてしまう。


夏の間は質素だったインテリアは、収穫祭、降誕祭、新年祭と行事を重ねる毎に華やかになってゆく。

屋内を美しく飾ることは、雪国に暮らす人たちの生活の知恵なのだろう。


極北の寺院で、私は回復した。


冬至が過ぎて、何となく薄暗い昼の時間が増えてきた頃、主治医から手術を勧められた。

幼い頃に酸で焼かれた顔は、皮膚がひきつれて赤黒く、目と鼻は潰れ、口も変形している。

眼鏡をかければものは見える、匂いもわかるので、機能的にはまあ、問題ない。厚生大臣あがりの宰相様の伝手で、最高の医療を施されたのだと思う。


かつては、どんな魔法をかけても治らないと信じていたけれど、この国の技術なら、失敗した抽象画みたいなこの顔を、人間に見えるレベルにしてくれるらしい。


宰相様の伝手がありながら、なぜ今までそれをしてもらえなかったのか。

今なら、わかる。わかりたくないけど、わかってしまった、

私の包帯を引き剥がし、笑顔で頬ずりするお母さんの監視下でそれは、自殺行為だ。今度は全身に強酸をかけられるかもしれない。


手術するにあたって、私はシスターたちに助言を求めた。

私を死んだことにできないか、と。

体さえ回復すれば、私を食べさせるくらいの働きはできる。宰相家で仕込まれたハウスメイドの技術は、大抵のお屋敷で通用するだろう。

醜いアグネス・ウェーリーに、お墓を。

そうすれば、お母さん自身とお母さんの家族を殺し、傷つけた人の遺伝子がこの世から消える。

そうすることで、お母さんの心が安らげばいい。


お兄ちゃんからの手紙はショッキングな内容だったけど、あまり傷つかなかった。

私に対してだけ極端に言動がおかしかった理由がわかって、悲しかったけど腑に落ちた。

お母さんが私を愛するなんて、私が発生した瞬間から無理だったんだ、と。

虐げるつもりは、なかったと思う。ただ、愛することに激しく失敗しちゃっただけで。

お父さんか、奥方様が生きていたら、ひょっとして成功したかもしれないけど…そんな現在は存在しないんだから、しかたがない。



雪はまだ解けないけれど、昼と夜が等しい長さになる頃、手術が終わった。

大きくも小さくもない目。高くも低くもない鼻。薄くも厚くもない口。白くも黒くもない肌は、首の色にあわせた。

酸で焼ける前の顔はぼんやりとしか覚えていないけれど、あの顔とも全然違う。

どんな顔にもなれると言われたけれど、あまり印象に残らない平凡な顔にしてもらった。宰相家の人々と、どこかですれ違っても気がつかれないように。


私は新しく「ステラ・レイン」という名前をもらい、洗礼を受けた。

宰相家には自殺と伝えてもらった。

ここに来てから、お母さんはもちろん、お兄ちゃんにもベロニカさまにも会っていない。

味方だと思っていたお兄ちゃんがそうでもなくて、敵だと思っていたお嬢様に守られていたことの方が、お母さんの過去より何倍も腑に落ちなかった。


嫌いなら、優しくしないで欲しかった。

友達なら、優しくして欲しかった。


あのふたりに裏切られた気分が消せないのは、無意識に期待していたんだと思う。お母さんと宰相様よりは。

期待すれば傷つくし、しなければダメージはない。


宰相さまには手術の前に、2回会っている。

庇護者として、衣食住と医療を提供してもらい、今後の人生をサポートしてくれる。秋になったら学校に通わせてくれるらしい。

それを贖罪とは言わないあの人を、私は今では1番信用している。信用ならんヤツだと信じさせてくれるから。

だけど、学校には行かない。ずっとあの人を頼りに生きていくなんて、あまりにも自分が惨めだから。


私は、人間だ。

贅沢ができるモルモットでいたくない。貧しくても人間として生きたい。虐げられた代償に、生きるスキルを得たのだから。


ならば、アグネスを殺そう。

それが、ステラを自由にするから。


最初は渋っていた主治医やシスターたちをどうにか説得して、お葬式をひらくことができた。

私は聖歌隊のシスターたちに紛れて、レクイエムを歌った。

参列者はふたりきり。

宰相様とお兄ちゃんだけ。

宰相さまはまあ、私の茶番を見抜いているだろう。沈痛な表情を作って、この小さなお葬式の喪主をかって出てくれた。

お兄ちゃんは、騙されてくれてるだろうな。ここに来るまで、泣きはらしたのだろう。目が赤い。頰が窪んでいる。白百合の花束を無人の棺に入れた瞬間、そのまま顔を覆って座り込んでしまった。


騙した罪悪感はなく、スッとしたのはなぜだろう。


お母さんから庇ってくれなかったお兄ちゃんを、私の顔が焼けた事を歓んだお兄ちゃんを、憎んでいるんだろうか? 今さら?


寺院の裏に、共同墓地がある。

その奥は、断崖絶壁の海につながっている。

私はそこから身を投げた、という設定なので、棺桶は空っぽ。お墓も空っぽだ。


お葬式までしなくても、と言われたけど、このくらいしないと、お母さんは私の死を信じないだろう。

多分だけど、そのうち外出許可を取ってお墓詣りに来ると思う。そして全ての人の隙をついて、お墓を傷つけるか汚物でもぶっかけるだろう。

自給自足が推奨される施設だから、家畜の汚物には事欠かない。

お母さんに関しては、それでいいと思う。

心の痛みががそれで軽減されるなら、無人の墓を荒らされるくらいなんてことない。


だけどもう、そういうのは見たくない。

誰かから聞かされるのも真っ平だ。


私はもう、私を愛せないお母さんから、卒業するのだから。




* * *





雪が溶けて若葉が茂り、お世話になった寺院に別れを告げる日がきた。

馬車を待たせて、最後に墓地に立ち寄ることにした。

共同墓地には白い十字架がまばらに立っていて、伸び始めた夏草が海風になびいていた。


アグネスのお墓からは、遠くの海岸線と灯台の岬が見える。冬は寂しいけれど、大好きな景色だ。


風の音が強すぎて、近づいて来る足音を察知できなかった。

気がついたときには、逞しい腕の中にすっぽりと包まれていた。背中が、とても暖かい。


「やっぱり、きみだったんだね」


懐かしくて、でも以前よりも掠れた声。

上質な背広と、貝細工のカフス。


「葬式の時に、もしかしたらそうなのかなって思っていたんだけど…よかった。きみがここにいてくれて」


心の底から安堵してる声に、なんだか毒気をぬかれた。

ほんと、この人、憎めないボンクラだなあ。


「なんで…いるの?」


「声がよく通るようになったね。きれいな声だ」


「質問に答えて」


「アグネス・ウェーリーは死をもって宰相家の保護下から離れるってことだろ。なら、術後のケアが終わる頃にここを発つだろうって」


抱きしめる腕に、力がこもる。

思えば、小さい頃のお兄ちゃんは、私を抱きしめてくれなかった。酸で顔が変わってからだったな。それなりに可愛がってくれるようになったのは。


「ベロニカお嬢様が言ったの?」


「ああ。絶対に会えるから行けって、蹴り出された」


思わず瞬きした。なぜか涙がこぼれ落ちた。

言いたいことが、あったはずだ。

聞きたいことも、あったはずだ。

全部さらにして、サヨナラするつもりでいた。


それなのに。


どうして。

どうして。


頭の中で考えてがまとまらない。


ただ、ただ、涙があふれて 、こぼれて、止まらない。


私は、暖かい腕を振り払って、正面からお兄ちゃんを見上げた。

まだ20代になったばかりのはずなのに、人生の荒波を乗り越えたような笑顔だった。

優しいまなざしに、会ったことのないお父さんを連想した。

私が発生させられたことで殺されてしまった、罪のない男性。お父さんと思うことすら、本当は烏滸がましいけれど……。


「生まれてきて、ごめ…」


「生きていてくれて、ありがとう」


言いかけたことばを、厳かで慈愛に満ちた声が止めた。

風が、私とお兄ちゃんの髪を、服の裾を、めちゃくちゃに撫でつける。

私は手を伸ばして、正面から彼を抱きしめた。

力強い両腕が、ひしと受け止めてくれた。


「愛しているよ」


低い声が、耳をくすぐる。


「きみは僕にとって、ただ1人の、最愛の妹だ。だから、忘れないで。きみが生まれてきて、今、生きていることを、誰より僕が感謝していると」


屋敷にいたころに言われていたら、アグネスは死なずにすんだのだろうか。

こんなにも、心の奥底に響いただろうか。

わからない。

わからない。

ただ、嗚咽が止まらない。


私は、(アグネス)のお墓の前で、疎み疎まれ、傷つき傷つけられ、愛し愛してくれた、唯一の家族と決別を果たした。


夏草がたなびく墓地で。


強い海風に吹かれながら。


風と、断崖にぶつかる波の音を聞きながら……。










〜〜 fin 〜〜


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