107話 羽虫捕獲
「おかえり。リーシャ。」
リーシャは、自らに起きた変化に戸惑っていた。
正確には、変化を「起こさない」事に。
先ほどまで、姿を変じるほどに水の魔力の奔流に呑まれかけていた。
それは海が堤防を越えるようなものであり、
嵐が舟を呑み込むようなものあり、
抗えないものだった。
先ほどまでは、確かにそうだったのだ。
だけど今は、掌の中で眠る魚のようだった。
制御している。
リーシャは、恐る恐る自分の手を見た。
細い指。
白く、まだ世の中の残酷さなどまるで知らぬ少女の手。
間違いなく人間の手。
「あれ?
なんか、大丈夫なんだけど。」
「レベルが上がったのよ」
「レ、レベル?
それは教会じゃないと、あげられないような……
ところで、どこ見てるの?」
「空。
ともかくもおめでとう、リーシャ。
あなたは、精霊を制御可能なレベルに達した。」
「う、うん。
ありがと。
よくわかんないけど。」
クラリッサは、空を見ていた。
洞窟の天蓋に空いた天井から、空が見える。
天空に大魔法陣。
──うまくいった。
(レべルが上昇し、リーシャが水精霊の力を制御した。
レベル不足。それがリーシャが水精霊を制御できない原因だった
ならば答えは単純だ。
レベルをあげればいい。)
そして、レベルを上げる祝福儀式設備《レベルアップ設備》が無人島には存在しないなら、用意すればいい。
レベルアップは祈り、印、詠唱の三つの工程によって成立する、ただの魔術式。
位階上昇の神聖術式体系にすぎない。
すなわち、祭壇と祈りと祝福の魔力循環を、島という巨大なスケールで再構成を行い、そして無人島そのものを巨大な教会と見立て、リーシャの為のレベル上げの装置を即興で組み上げる。
そしてその中心に、リーシャを置く。
──その魔力を届けるためには、リーシャが心を開く事が必要だった。
それはなった。
──それはなったんだけど……
(言い訳どうしよう……)
レベル上げの秘術は、教会の既得権益中の既得権益。
レベル上げの魔術式を解析してるのが、セレスティアにバレちった。
そこは無人島の一角。
無人島を一望できる場所
セレスティアは、島を見渡した。
海は雲へ。
雲は空へ。
空はまた大地へ。
水の精霊の魔力が穏やかに調和し、大いなる循環が戻っている。
(……狂ってる……
……狂気の発想だ……
島を教会と見立てるなんて……)
唇がわずかに開く。
セレスティアは思わず、胸元に手を当てる。
聖女として多くの奇跡を見てきたセレスティアをして、その発想には息を呑まざるを得なかった。
(魔王戦線でもそうだった。
クラリッサ・グランディールは、突拍子もない発想で、人類領域を拡大し続けた。)
──魔王戦線における長年の停滞を、ぶち壊し続けたんだ。
(やろうと思えばできる。
だけど誰もそれをやろうとは思わない。
それをするから、ブレイクスルーはおきた。)
とはいえ。
聖女の眉が、ほんの少しだけ寄る。
「どうしましょうか、これ……」
本来、教会が厳重に封印している秘儀そのもの。
空に描かれた、レベル上げの秘奥。
(ただでさえ、すでにクラリッサに対して聖女をやめさせろという声がすごいのに……
擁護できるかなー……)
理由どーしよー
洞窟から出たクラリッサは手を軽く上げた。
短い合図だけで、千の兵が静かに持ち場へ向かう。
それぞれの任務を帯びた兵に対して。命令は短く、的確。
「負傷者は砂浜へ。後でセレスティアにお願いする。
物資は三班で回収。
帆の補修を急ぎなさい。」
クラリッサは、冷や汗ダラダラで静かに指示を続けた。
迷いを振り切るように。
そしてセレスティアは、クラリッサに声をかけた。
「わかってると思いますが、魔王戦線に帰る前に、あなたに話があります。クラリッサ。」
「セレスティア。
私にはない。
はやく魔王戦線に帰れ。」
──うん。何事もなかった
(魔族は倒して、リーシャは水精霊の力を制御した。
現場ではどこか弛緩した空気が流れている。
達成感の為だ。
いける。
この空気なら、絶対にいける。)
──みんなで頑張った。
(それでいいではないか。
そういう雰囲気があれば、レベル上げの魔法陣の一つや二つ、きっと誤魔化せる。
私ならできる。)
「……ここで話をしてもいいんですよ?
見つからないうちに帰ろうとしている子供ですか??」
「ぐぬぬ……
言い訳考えるから、タイムアウトを要求します!」
駄目だった。
速攻つかまった。
ミーティング。
洞窟の中には、マリア。
そしてマントでボロボロの衣類を隠すリーシャがいた。
「さて、これからセレスティアに怒られないとならない。業腹にも。」
「なんで?
ていうかセレスティアって誰?」
マントを肩にかけたリーシャ。
深い色の布が、華奢な体をふわりと包む。
リーシャのまだ幼さの残る小柄な身体には、少し大きすぎるくらいか。
「今代の聖女ね。
教会のレベル上げの魔術式って、教会の既得権益中の既得権益だから。
私がレベル上げの魔術式を解析してるのが、セレスティアにバレた。
絶対に怒られる。
殴って黙らせていいかな?」
「絶対にやめて。」
「お嬢様……
観念されて、素直に謝った方がいいんじゃ……」
「そうね……肩の力が入り過ぎていたのかも……
諦めるかー。」
そしてクラリッサは、洞窟の入り口に立つセレスティアに告げた。
「本当にごめんなさい。セレスティア。
友達を助けたかったの。だから大目に見てくれる?」
「情状酌量の余地はありますが、だめですね。」
ですよねー。
クラリッサは、セレスティアにレベル上げの術式を解析していたことが完全にバレた件については、とりあえず後回しにすることにした。
──部隊への指示も落ち着いたので、今はそれより優先すべきことがある。
そこは海岸だった。
波が静かに寄せては返す砂浜。
そこへクラリッサは、歩いていく。
砂の上に、ひとつの影が横たわっていた。
シトリー。
それが彼女の名だった。
高位魔族、シトリー。
彼女が海岸に打ち上げられていた。
悪魔のような笑みで、クラリッサは彼女を出迎える。
「やあ羽虫君。
ボロボロね。
どこにいくのかな?」
「ひっ……クラリッサ・グランディール!!」
さて、拷問の時間だ。




