#2 執行の悪魔は深淵を嘲笑う
【#2】
「うう、ううう……!」
走り続けるアクセルリス。息は切れているが、止まらない。止まれない。
「ッ……!」
極限状態に陥っている彼女であるが、残酷なる勘は失われていないようで。
「あっぶな……!」
背後から飛来する数本の短剣を転がって回避する。
「また追手!?」
前転からそのまま立ち上がり、襲撃者を睨む。
「……」
ゆっくりと陰から歩み出てきたのは、嘲るような表情をした悪魔の面を被った、黒衣の魔女。
「あいつは……!」
その魔女の得物が陰から引きずり出される。
両刃の穂先を持った、槍と矛のハイブリッドのような武器。その柄は背丈よりも長く、扱い辛そうに見えるほど。
「こういうのは、本来私の仕事じゃないんだけど」
「クソ……ッ! 次から、次へと!」
焦りと苛立ちは怒りの導火線に火を灯した。
銀の瞳が残酷に揺れ、アクセルリスの周囲に鋼の剣を多数浮かせる。
「その仮面……ムカつくな……クソムカつく……! 悪趣味だなオマエ……!」
「……」
「何か! 言ったら! どうなんだ!」
爆発する感情と共に、剣の軍勢が敵に迫る。
「……」
仮面の魔女はその得物を華麗に操り、全ての剣を安全に弾く。
「があああッ!」
その太刀捌きは、続けて迫っていたアクセルリスをも退ける。
「この程度か? 残酷のアクセルリスとは。噂に聞いていたほどでもないが」
「黙れェッ!」
「何か言えと言ったのはお前だろうに」
両手両足に鋼塊を纏わせ、大振りで乱暴な攻撃を繰り返す。
「そんな攻撃では当たらないぞ」
仮面の魔女はその攻撃を軽々と躱す。
行き場を失った鋼塊は地面を噛み砕く。石畳が砕け、砂埃が舞う。
反撃の刃がアクセルリスの首筋を狙って走った。
が、銀色の残像を残してその姿は消える。
「……速い」
バックステップ回避したアクセルリスは両腕の鋼を打ち鳴らし、威嚇する。
「ううううあああアアア……ッ!」
かなりの質量があるだろうそれを纏ってなお、アクセルリスは普段とほぼ変わらぬ俊敏さを見せる。追い詰められたが故の馬鹿力か、あるいは彼女のポテンシャルか。
「……怪物が、目覚めようとしているのか」
一呼吸置いたのち、穂先に近い所を持って、じりじりと歩み寄る。
「……」
アクセルリスも目を細め、間合いを測る。
攻撃動作を見てすぐに鋼で防御し、カウンターを叩き込む。
肉体は野生に近づこうとも、理性は依然と聡明な魔女のまま。
(こんなとこで……手間取ってる場合じゃない……!)
悪魔の仮面の動きが止まる。
アクセルリスの眉が上がる。来るのか。
鋼を生成する準備をした、次の瞬間。
「がッ!?」
長い柄での殴打がアクセルリスの脳天を打った。
「が……あッ!」
一歩を踏み込む姿が見えなかった。ゆえにアクセルリスの防御は間に合わなかった。
だが無理もない。仮面の魔女は、その場から踏み込んでいなかったのだから。
長大なリーチを持つその柄を用いて、悟られることなく、目にも止まらぬ速さでアクセルリスを打ったのだった。
「ぐ……ぐァ!」
意識が点滅するが、歯を食いしばり、踏み留まる。
「へえ。見上げた根性だ」
「う……ああああああッ!!」
拳が走る。アクセルリスの視界は今だ点滅の中に在ったが、残酷なる本能に従って放たれたその拳は、狂うことなく確かに仮面を穿った。
「おっ……と」
仮面の魔女がよろめく。鋼塊の直撃を受けた仮面は外れ、カランと音を立て転がる。
「……なんて一撃だ。面が無かったら危なかったな」
冷や汗を拭い微笑んだ、その素顔。
アクセルリスには見覚えがあった。
「……フネネラル……?」
フネネラル。《葬送の魔女》にして、魔女機関から生じた裏切り者の処断を任務とする《執行者》。
「そうだ。君と顔を合わせるのは二度目だね。まさかこんな形になるなんて、予想はしてなかったけど」
「ぅ……!」
《執行者》であるフネネラル。その存在は魔女機関において不吉とされ、名を呼ぶ事すら憚れる忌避の対象。
それが今、自分の目の前にいること。
その事実がアクセルリスにさらに重い意味を持ってのしかかってくる。
「第二ラウンドといこうか」
フネネラルは槍矛の穂先に手を当てる。
紫の光がその刃を包み込む。
そして。
「ふっ──」
刃を振り抜く。
するとどうだ。両刃の穂先、その片側から湾曲した刃が出現し、魔力により凝固する。
それは、『鎌』だった。
「魔力で、鎌を創り上げた……?」
「その通り。これが私の真の得物。鎌の方がイメージに合うな、って思って使い始めたんだけど、案外使いにくくてね。慣れるまで苦労したよ」
曲芸のように鎌を操り、アクセルリスへと一歩一歩近づく。
「……」
アクセルリスは息を飲む。
彼女と言えど、鎌を得物とする魔女と戦った経験はない。ゆえに、深く警戒する。
全身に魔力を滾らせ、相手の動きを読む。銀の瞳が鋭く光った。
そして。
「──ッ」
初撃。足首を狙って放たれた斬撃を、アクセルリスは寸でで跳び、躱す。
だが、処刑の刃は油断ならなかった。
そして、アクセルリスも、刃から迸る『死』を感じ取っていた。
(ヤバ──)
空中で無理矢理に体を仰け反らせる。
直後。刃が彼女の胸を掠める。
「う──ッ!」
背筋が凍る。あと一瞬でも判断が遅れていれば、アクセルリスの体は袈裟懸けに切断されていただろう。
『鎌』という扱いやすいとは言えない得物を使いながら、ここまで俊敏に脅威となる攻撃を行うとは、なかなかの腕前だ。
──と、普段のアクセルリスならばそう分析していただろう。
だが今回はそうもいかない。『間一髪躱せた』という情報を己の中に飲み込むので精一杯である。
「は──あッ」
着地するが、その荒い呼吸は収まる気配が無い。
「初手を躱したか。手の内を読まれるのがキライだから速攻で仕留めに行くのが私のスタンスなんだけどな。やるじゃん」
「ほざけ……! お前如きに私を殺すことは出来ない……!」
「言うじゃん。じゃあ、試してみるか──!」
歪曲の刃が不規則なリズムでアクセルリスを攻める。
必死に防御するが、完全な回避は難しく、掠り傷が増えていく。
「──ッ」
目を細め、その軌道を見極める。
「見切ろうとしてるのか? でも、無駄だ」
フネネラルが得物を振るう。
その穂先から刃は消え、槍矛へと『退化』していた。
「んなッ!?」
虚を突かれ、行動が鈍る。咄嗟の防御が無ければ、浅くはない傷を負っただろう。
「さあ、次はどっちかな」
振り被る。アクセルリスは穂先を強く睨む。
そして、振り下ろされる直前、刃が再び生み出されるのを見た。
「ッ!」
鎌だ。深く地を蹴り、長めに距離を取る。
「おっと、正解だ」
斬撃が走った。浅い踏み込みでは避け切れていなかった。
「は……ああッ!」
視覚を研ぎ澄ませ、槍か鎌かを見極め、回避を取る。
トガネがいない今、自力でどうにかする他ない。
無論、そこには反撃の猶予もなく、ただひたすらに対応するのが精一杯だった。
幾度かの『刃問答』の後、つまらなそうにフネネラルが言った。
「はあ。さっきからちまちま躱して、逃げてばっかりじゃんか」
その言葉に、微かな反応が起こる。
(逃げる──逃げる?)
疲弊し切ったアクセルリスの中で、忘れていた可能性が想起する。
(そうだ──私は逃げていたんだ。こんなところで、いつまでも、戦っている必要はない。ただ、逃げなければならないのだ)
命題を思い出したアクセルリスの行動は速かった。
「はッ!」
数本の剣をフネネラル目がけて放つ。
「なんだ?」
当然、それらは鎌によって弾かれる。
だが、アクセルリスが欲していたのは、その僅かな間。
「!」
フネネラルが見たのはアクセルリスの背中。
そう。彼女は迷うことなく『逃走』を選んだのである。
「逃がすものか。駅へは行かせない!」
フネネラルの声が脳内に響く。
(駅──駅)
そうだ。この窮地から抜け出すには、駅に行くしかない。魔行列車以外でヴェルペルギースから去る手段はない。
アクセルリスはひた走った。
【続く】