#1 君を喚ぶ怨嗟の声
「はっ、はっ、はっ」
常夜の都をアクセルリスは走る。
「なんでっ、わたしがっ」
その眼は焦点を絞れず、その息遣いは非常に荒い。
「ふっ、う゛っ、う゛う゛う゛っ」
立ち止まり、えずく。
今の彼女には、目に映るものすべてが、耳で聞こえるものすべてが、自分以外の全てが敵に見えていた。
「なんでなんでなんでだよ、私がなにをしたんだよ」
瞳が細かく震える。激しく髪を掻く。その瞳孔はわずかに開く。
彼女に何が起こったのか。
それを紐解くには、少し時を巻き戻す必要がある。
【ミスティク・イノセント】
◆
【#1】
数刻前。
アクセルリスとミクロマクロは、ある魔女の処理任務を行っていた。
魔女の名は《プレゲー》。
身体のほとんどをボロ布に隠した、不気味極まりない姿の魔女だった。
奇ッ怪で不可思議な魔法を操る、侮れない魔女であったが、二人の連携の元、斃されようとしていた。
「ここまでだ、プレゲー。降伏するなら今のうちだぞ」
アクセルリスとミクロマクロは前後を包囲し、プレゲーを追い詰めていた。
「ク。ク。ク。降伏、とは」
ボロ布を苦し気に蠢かせながらも、その声色は不敵に。
「……話してもダメそうじゃないですかね」
「うーん、平和主義な私としては穏便に済ませたかったんだけど」
「やっぱり敵は殲滅するに限りますよ」
槍を構える。
「言い残すことはあるか」
「ない。言葉など、私にとっては必要のないものだ、から」
「じゃあ、死ね」
極めて無慈悲な一閃がプレゲーを裂く。
「ク」
ボロ布ごと裂ける。
すると、断裁された身体から、黒色の粒子が吹き上がった。
「う!?」
「なんだ!」
咄嗟に身を引く二人。
急いで身を確認するが、これといった別条はない。
「なん──だったんでしょう?」
「わからない──」
当惑する二人。そして、プレゲーは。
「ク。ク。ク。クワラクワラクワラ……!」
その体の全てが粒子に変わり、霧散した。
「──なんなんだ、こいつは一体……」
かくして、謎多き外道魔女プレゲーは謎を残したまま彼方へと逝った。
──はずだったのだ。
◆
数十分前。
魔都ヴェルペルギース、北部テテュノーク駅。
任務を無事終えた二人は、報告のために帰還していた。
「いやー疲れたね」
「私はまだまだ行けますよー!」
「おっ元気だねーアクセルリスは。私はもうしんどくてたまらないよ。早く寝たい」
「寝ちゃダメですよ!? 一応これミクロマクロさんの任務なんですから!」
「わーかってる、わかってるって」
既にいつも通りの雰囲気で、クリファトレシカへと向かっていた二人。
「そうだ、アクセルリス。せっかくだし、何か食べに行こうか」
「あー……大丈夫です。あまりお腹空いてないので……」
「…………そうか」
先を歩くミクロマクロは、そうとだけ言うと──
「ッ!」
──精確で鋭利な後ろ回し蹴りでアクセルリスを襲った。
「んなぁ……っ!?」
間一髪で躱すアクセルリス。即座に戦闘態勢に入り、ミクロマクロを睨む。
「え……ミクロマクロさん!? 一体何を──」
「黙れ。お前に言う事は、何もない」
ミクロマクロははっきりとした敵意の目でアクセルリスを見据えていた。
「一体何が……!」
そのとき、ふと、先程の出来事が脳裏に再生される。
『ク。ク。ク。クワラクワラクワラ……!』
「────まさか、プレゲーが……!?」
プレゲー。その称号は《疫病の魔女》。だがその名に反して、病毒のような魔法の類は一切使う様子が見れなかったのだが──
「最後の……アレか……!」
そう。プレゲーが斃れる間際に散布した、黒色の霧。
「ミクロマクロさんは……アレを吸って……プレゲーに乗っ取られたのか……!」
自分自身が驚くほど速く、アクセルリスの中で整合が取られていた。
「──」
駆け出すミクロマクロ。
「う……!」
アクセルリスは思わず身構えるが、ミクロマクロはその直前で方向を変え、離れてゆく。
その向かった先は──
「クリファトレシカ……!」
アクセルリスの中に恐ろしい未来が映る。
「真実を知ってるのは私だけ──虚偽の申告をして、私を消すつもりなのか……!」
脳裏が恐怖で塗り潰されてゆく。
「トガネッ!」
使い魔の名を叫ぶ。だが、返事はない。
「トガネ……!? まさか、あいつに連れて行かれたのか……!?」
絶望が膨れ上がってゆく。数々の苦難を共に乗り越えてきた相棒が、この大危機に瀕して、居ない。
「やばい……やばいやばいやばい!」
額を大量の汗が濡らす。
「シャーデンフロイデさんに伝えなきゃ……!」
己の体を弄る。だが、探し物は見つからない。
「伝気石はあいつが持ってるのか……!」
背筋が凍る。大量の虫が這い回るような感触を味わう。
「……直談判だ、こうなったら直しか手はない……!」
焦る心に引き摺られるようにして、アクセルリスもクリファトレシカに向かって駆けだした。
◆
「ハッ、ハッ、ハッ」
人通りの少ない道を走り続けるアクセルリス。
「速く……速くしなくちゃ……! 手遅れになる前に……!」
と、その時。
「!」
その前に一つの影が立ちはだかった。
それは──
「シャーデンフロイデ…………さん……!」
「……アクセルリス」
その時、アクセルリスの世界が凍った。
弾けた様に言葉を投げかける。
「違うんです! 私は……私は! 私じゃないんです! あれは、ミクロマクロさんに取り付いたプレゲーが……!」
鬼気迫る勢いで必死に弁明する。が、シャーデンフロイデは眉一つ動かさない。
「……」
彼女はただ無言のまま、構える。
「う……う!」
アクセルリスがシャーデンフロイデの臨戦態勢を見るのはこれが初めてだ。
足を肩幅に開き、右の手は自然に開いた状態で前に出し、左の手は握り拳を作り腰に当てる。
まるで壁画のように、がっちりとした隙の無い厳かな構え。残酷魔女の隊長にふさわしい振る舞いである。
──と、相手を客観的に評価することは今のアクセルリスには当然不可能。
ただ生存本能に従い、目の前の敵と戦う道を選ぶ以外考えることは無い。
「う、わああああああッ!」
歪んだ鉤爪を両腕に備え、我武者羅に迫る。
「……」
シャーデンフロイデは言葉を発さない。その瞳が青白く輝く。
「あああああッ!!」
爪がその喉笛をカッ切ろうとした、次の瞬間。
「え」
アクセルリスの天地が逆転する。
「ッ!?」
そして、頭部に鈍痛が走る。
「痛ッ!」
混乱と痛みで頭がぼやける。
首を振り、脳にかかった靄を振り払い、アクセルリスは己の状態を確認した。
──彼女は、シャーデンフロイデに背を向けて倒れていた。
「な──な」
起き上がり、震える眼でシャーデンフロイデを見る。
その構えには僅かなブレもない。
何も見えなかった。何も感じなかった。何も──分からなかった。
これが、残酷魔女隊長の実力だった。
(────勝てない)
アクセルリスの脳裏にその文字が浮かぶ。
そこから導き出された行動はただ一つ。
「ッ!」
「──」
アクセルリスは駆けた。振り返る事無く。
『逃亡』だ。
シャーデンフロイデがそれを追う素振りは見せない。
(不本意だけど……話が通じそうな相手じゃない! ここは一旦退いて、新しいチャンスを……!)
脳裏で言葉を繰り返す。
(チャンス……チャンスを)
未来の展望が暗黒化していくのを感じる。
(どうにか──できるのかな)
危機を脱したアクセルリスだが、依然としてさらに巨大な危機の渦中にあることは変わりない。
「ッ!」
歯を強く噛み締め、アクセルリスはなお走った。当て所の無い逃亡劇を演じるために。
「……」
シャーデンフロイデは暫しその場に立ち止まっていたが、すぐに歩き始めた。
アクセルリスの向かった方とは別の方角に、だ。
「さて、どこまで足掻くつもりか……」
【続く】




