1837話 紅蓮竜の人間形態
中庭の石畳を、ドラちゃんがぱたぱたと駆ける。
「火は弱く! 足は止めない! 紅葉の動きを見ろ!」
「うんっ!」
元気な返事と同時に、ドラちゃんが身をひねった。
小さな炎が尻尾みたいに揺れ、足元をかすめる。
さっきまでの、城ごと焼きかねない勢いに比べれば、ずいぶん大人しい。
とはいえ、普通の人間なら十分すぎるほど危険だ。
「甘いですよ」
紅葉が一歩踏み込み、木刀の峰でドラちゃんの肩口を軽く叩く。
その動きは、滑るようだった。
踏み出したと気づいたときには、もう間合いの内側にいる。
「あうっ!」
「炎に頼りすぎです。火勢を弱めた分、体捌きで補わなければなりません」
「むむむ……! 紅葉、強い!!」
「高志様のお側に仕える以上、当然です」
紅葉は涼しい顔で言い切った。
言葉だけならいつも通りだ。
だが、その目にはほんの少し、得意げな光がある。
ドラちゃんに実力を示せたのが、うれしいのかもしれない。
「よし、今度は俺が受ける。ドラちゃん、火力は最小。紅葉は横から牽制だ」
「はい!」
「わかった!」
ドラちゃんが両手をぎゅっと握る。
頬を膨らませ、必死に炎を抑えようとする姿は、竜というより子犬に近い。
いや、子竜か。
「いくよ、タカシ!」
「来い」
ドラちゃんが駆け出した。
小さな火の粉が朝日にきらめき、赤い尾を引く。
俺は木剣を構え、あえて受けに回った。
突進の角度は素直。
だが、身体能力そのものが高い。
油断すれば、軽く弾き飛ばされる。
「やああっ!」
「踏み込みが大きい」
俺は木剣で受け流し、ドラちゃんの勢いを横へ逃がす。
そこへ、紅葉が滑り込んだ。
「そこです」
「わわっ!」
ドラちゃんが慌てて身を屈める。
紅葉の木刀が、頭上すれすれを通り過ぎた。
ぎりぎりではあるが、避けた。
「おお、今のはよかったぞ」
「ほんと!?」
「ああ。竜としての力だけに頼らない、見事な動きだった」
「えへへ!」
褒めると、すぐに顔が明るくなる。
実に分かりやすい。
「……ん?」
そのとき、中庭の入口にひとりの女性が立っているのが見えた。
燃えるような赤い髪。
均整の取れた長身。
薄い衣をまとっているだけなのに、周囲の空気が自然とひれ伏すような圧がある。
美しい。
だが、ただ美しいだけではない。
肌の下に巨大な熱量を隠しているような、底知れない存在感があった。
紅葉が、すっと前に出る。
「どなたですか?」
声は丁寧だ。
だが、木刀を握る指には緊張が宿っている。
無理もない。
あれはただ者ではない。
初見で警戒するのが当然だ。
女性はゆったりと微笑んだ。
「ふふ。昨晩は世話になったわね、タカシ」
「ママ!」
ドラちゃんがぱあっと顔を輝かせ、一直線に駆け寄る。
女性は少しも驚かず、両腕を広げた。
ドラちゃんはその胸に勢いよく抱きつく。
どん、と小さな音がしたが、女性は微動だにしない。
「え……ママ?」
紅葉が目を瞬かせた。
警戒と困惑と理解不能が、綺麗に同居した表情だった。
「ああ。彼女は紅蓮竜……フレイムドラゴンの人間形態だ」
「この方が……」
紅葉は驚きを隠しきれない様子で、あらためて女性を見た。
まあ、気持ちは分かる。
昨晩まで巨大な竜だった存在が、朝になったら美女の姿で歩いてくるのだ。
初見では情報量が多すぎる。
俺はその姿を見ながら、昨晩のことを思い出していた。
ドラちゃんとは違い、紅蓮竜への加護付与はうまくいかなかった。
通常の加護どころか、加護(小)すら達成できていない。
以前にも考察した気がするが、やはり「地位がある」「年上」「既に強い」「男性」などの条件を満たす者は、忠義度が上がりにくい傾向にある。
紅蓮竜の場合、「男性」以外は見事に該当していた。
竜であり、母であり、既に圧倒的な力を持つ存在。
しかも、俺に仕える理由があるわけでもない。
娘を救われた感謝はあっても、それは忠義とは別だ。
この点、単なる友好度や親愛度とは異なり、少しだけ厄介である。
とはいえ、加護の条件面ではイマイチだったが、彼女が俺を悪く思っていないのは確かだ。
昨晩はドラちゃんと共に、三人で実に素晴らしい体験をさせてもらった。
親子の再会。
語り合い。
涙。
和解。
温もり。
いや、本当に素晴らしかった。
いろいろな意味で。
思わず口元が緩む。
「……高志様」
「ん?」
紅葉の声が、妙に低い。
俺は反射的に振り向いた。
そこには、きれいな笑顔を浮かべた紅葉がいた。
笑顔だ。
間違いなく笑顔である。
しかし、目が笑っていない。
「今、何を思い出しておられたのですか?」
「いや、別に」
「別に、というお顔ではありませんでした」
「顔に出ていたか」
「はい。とても」
紅葉は一歩も引かずに言った。
その声は静かだった。
静かすぎて、逆に怖い。
これはマズイ……。
「何が不味いのです? 言ってみてください」
しまった。
声に出ていたらしい。
俺は木剣を握る手に、じんわりと汗がにじむのを感じた。
戦場で敵に囲まれたときとも違う緊張がある。
紅葉が一歩近づく。
石畳を踏む音はほとんどしない。
だが、その一歩で、俺との距離が確実に縮まった。




