1834話 山翔兎轟
翌朝。
俺は桜花城の中庭で、まだ人の少ない朝の静けさを切り裂くように鍛錬をしていた。
剣を握る手に力を込め、肩の力を抜く。
先日の”大黒天”戦の余韻は、まだ体の中に残っている。
けれど、だからこそ立ち止まってはいられなかった。
これから先、俺たちが直面する困難を思えば、腕を鈍らせるわけにはいかない。
「肉唸――轟」
踏み込みと同時に剣を一閃する。
重く、鋭く、まるで獣が牙を剥いて喰らいつくような一撃。
刀身が空気を裂いた瞬間、腕から肩、背中へと連なる力が一息に乗り、木製の的を斜めに深く断ち割った。
斬られた表面がびりびりと震え、少し遅れて鈍い破裂音じみた響きが中庭に広がる。
悪くない。
いや、思いつきで放ったにしては上出来だ。
俺はすぐに足を運び直し、間髪入れず次の型へ移る。
「山翔兎――轟」
今度は逆だ。
重さではなく、軽さと速さ。
身を弾ませるようにして連続で刃を走らせると、斬撃が跳ねるように的の各所を駆け抜けていく。
一拍遅れて、表面に細かな裂け目が幾筋も浮かび上がった。
線は浅い。
だが、その数と角度が重なれば十分に致命打になる。
「ふむ……。これも意外にいいな」
俺は『ステータス操作』のチートスキルを持っている。
例えば『剣術』や『火魔法』のスキルを取得すれば、直接的にその能力を得ることができる。
他にも、『腕力強化』や『脚力強化』のようなスキルを取得すれば、人間としての基礎的な能力を伸ばすことができる。
まさに、なんでもござれ。
しかしだからこそ、実戦で使用する”技”に必要なのは才能よりも着想となる。
こうした日々の鍛錬が重要なのだ。
「朝から精が出ますね、高志様」
後ろからしとやかな声がして、俺は剣を下ろしながら振り向いた。
そこに立っていたのは紅葉だった。
朝の光を受けた髪がやわらかく艶めき、いつものようにきっちりとした佇まいを崩していない。
背筋は真っ直ぐで、表情も穏やか。
だが、その視線だけはわずかに落ち着かず、俺と木剣の的との間を行き来していた。
ここ最近の彼女は、ときどきこんな顔を見せる。
俺の側近『桜刃三戦姫』の中で、最も古株なのが紅葉だ。
しかしその”古株”という立場は、ミティやアイリスたちの合流で揺らぎつつある。
俺の前で、露骨に態度へ出すことはない。
けれど表に出しすぎないぶん、ふとした間や視線の揺れに本音がにじむ。
そういうところまで含めて、紅葉らしいと思う。
「おう。これから忙しくなるしな。腕を錆びつかせるわけにはいかん」
「そうですね。高志様が天下を統一されるため、私も活躍していきませんと」
軽く肩を回しながら言う俺に、紅葉は小さくうなずいた。
声音は落ち着いているが、その言葉の端にはきちんと熱がある。
「頼もしいな」
そう返して笑うと、紅葉はほんの少しだけ胸を張った。
誇らしげで、それでいて控えめなその仕草が妙に可愛らしい。
真面目な顔をしているのに、褒められたことはちゃんと嬉しいのだと分かってしまう。
一瞬、気が緩みそうになった。
けれど今の俺たちには、本当に時間がない。
大黒天の脅威。
東方諸勢力の動き。
まだ合流できていないミリオンズのメンバー。
片づけるべき問題は山ほどあって、そのどれもが軽くない。
城の穏やかな朝とは裏腹に、状況はまるで休ませてくれそうになかった。
「ま、ミティたちが合流してくれたし、他にも頼もしい新メンバーがいる。戦力的には心配してないけどな」
俺がそう言った瞬間、紅葉の笑みがぴたりと止まった。
空気がほんの少しだけ張る。
「ミティ……あの者たちには絶対に負けたく――いえ」
言いかけて、紅葉は咳払いをひとつ。
乱れかけた感情と声音をすぐに整え、何事もなかったように表情を戻す。
「それよりも、他に新たな戦力がいらっしゃるのですか?」
いかにも取り繕った切り替えだった。
しかし、そこを突っ込むのは野暮だろう。
「ああ。俺の“能力”でな」
「……なるほど」
紅葉はすぐに察したようだった。
紅葉、流華、桔梗には『ステータス操作』の概要をすでに説明してある。
彼女たち自身にも通常の加護を付与済みで、その恩恵は身を持って知っている。
だからこそ、その一言だけで理解したのだろう。
ただ兵を補うという話ではない。
戦力として間違いなく計算でき、そして何より――
「その者も、高志様をお慕いしているのですね」
「まあ……そうだな」
紅葉は俺のわずかな間をどう受け取ったのか、一瞬だけまぶたを伏せた。
それでも次に顔を上げたときには、いつもの凛とした表情に戻っている。
「でしたら、共に力を合わせていきたいと存じます。して、その者はどちらに?」
「ああ、それは――」
答えかけた、そのときだった。
「むっ!?」
中庭の向こうから、突如として巨大な炎が迫ってきた。
火球というには、あまりにも大きい。
壁そのものが燃えながら突進してくるような火の奔流が、石畳を舐め、周囲の空気を灼き、一直線にこちらへ襲いかかってくる。
朝の冷気は一瞬で吹き飛び、肌を刺すような熱が視界ごと押し寄せた――。




