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白恋鬼譚  作者: 丹下 博観(風光明媚)
異世界にて鬼に出逢うこと
39/71

大祭終日(後編)





 どっぷん。



 体が、沈む。纏わりついてくる水のような感触に背中が戦慄く。



 一面は昏く、ただひたすら昏かった……。



 腕を上げようとしても、底に沈めようとする力の方が強く、足掻きさえも嘲笑うかのように縁の体はまるで鎖で伽藍締めされているように重く、重く、重く纏わりつく。


 水のような中でありながらも息は苦しくなく。ただ、呼吸をするごとに体中の熱が奪われ、意識が遠のく感じがする。


 ………この、感覚には見に覚えがあった。これはそう。大祭初日に、あの……惑いの森で────。



「白水さまぁぁああああ!!」


「キャ、あははははは!!!」



 穂稀の叫び声と稲良姫の甲高い笑い声が互いに木霊する。



 沈む。


 沈む。


 ────沈んでいく。



「───────!!」



 瞳を閉ざそうとした直後、燈也の叫びを聞いた気がした。倦怠感にあらがいながら瞳を開けようと目蓋を震わせる。───すると。



『このまま冥き底に沈むのか? それとも抗うのか? 縁よ……。さて、どうする?』



 女の声を、聞いた。






●○●○●○●○






 知りたくもない事実に現実逃避をしたくなったが取り敢えずは逃げる方が先だと縁達は大回りとなる外周りの通路を直走る。


 先頭を走っていた穂稀が不意に立ち止まる。屋敷まで後僅か、一体どうしたのかと縁が穂稀の前に出ようとすれば燈也が縁を押し留める。


 燈也の方へ振り向こうとしたら、どこからかピチャン、ピチャンと水の滴るような音が聞こえてきた。


 改めて前を向けば、向こうから人影のようなものが見え始めた。その人影が近付いて来るにつれて大きくなっていく水の音。



 ピチャン ピチャン ピチャン………



 薄暗い向こうから現れた人影の正体は、



「……稲良姫?」



 思わずといったように縁が呟く。

 穂稀は体を細かく震わせ、燈也は感情の見えない顔で稲良姫を見ていた。



「ふっ、ふふふ。ようやく見つけたわよ……。この卑しき賤女達………。穂稀……、あんた、わたくしの呼び出しにもかかわらず無視するだなんて何時からそんなに偉くなったのかしら? たかだか下級の女房の分際で。高貴でうつくしの中納言の姫であるわたくしに」


「……あの呼び出しは、やはり稲良姫さまだったのですね………。何故、今になってこの様な事を。王城に使える女房を拐かすなど、いくら中納言の姫君であっても許されることではありませんよ?!」


「!? 穂稀!!」



 穂稀の体が、何かに薙払われたかのように通路の外まで吹き飛んだ。


 急いで側に向かう。



「うっ、……いたっ、う……」


「大丈夫か!?」



 体をあちこち打ち付けたようだが、どうやら打撲以外の外傷はないようだ。しかし念の為、医者に見せる必要はあるだろう。



「稲良姫、一体何を……!」


「気安くわたくしの貴き名を呼ばないで!! ……虫唾が走るわ」



 吐き捨てるように言う稲良姫に縁は違和感を感じた。ほんの二、三度関わっただけだが……稲良姫はこのように鬱靴とした雰囲気を纏った女だったであろうか? もっとこう、嫌みを言ってもどこか真っ直ぐというか……こんな澱んだ目をしていたか?



「いい様ねぇ、穂稀? 身の程知らずにもわたくしの神薙さまに侍るからそんな目に遭うのよ……。一体、どんな手を使ってあの方に取り入ったのかは知らないけどあんたみたいな女に! 神薙さまは相応しくないわ! あの方はわたくしにこそ相応しいのよ……!!」


「っ、!」



 縁に支えられながら穂稀は内心息を飲んだ。まさか………贄にされた稲良姫が、まだ神薙を慕っていたとは。穂稀は驚きを隠せない。



「それって……、単なる八つ当たりじゃないか………。あんたが神薙に見捨てられたのは何も穂稀のせいじゃない。生贄だって、もともとこの国の上層部の奴らが燈也と交わした条約なんじゃないか! それを……!」


「うるさい! うるさいうるさいうるさいうるさいうるさい────うるさいのよ、あんたは?! いっつも、いっっつもわたくしが穂稀と話しているのにしゃしゃり出て……!!」



 憎々しげに睨み付けてくる稲良姫の眼差しに真っ向から見詰め返す縁。


 燈也に穂稀の事を頼もうと声を掛けようとした時、気が付いた。



(────燈也?)



 何時も縁の側にいる燈也が未だに通路に留まっていた。


 よく見ると、燈也の顔は険しく、まるで身動きがとれないように縁には見えた。



「…………燈也に、何をした」



 自分でも驚くほど冷たい声が出た。穂稀といい、燈也といい、この世界に来てから感情の起伏が激しくなった。元の世界ではこれほど強く感情を発現したことはない。



「あっ、はははははは!! あんた、そのバケモノを気にかけてんの!? バッカじゃない?! そいつは二百年以上もの間、奉華で選ばれた姫を喰らってきた正真正銘のバケモノ!! あんただってそのバケモノに喰われ掛けたのを憶えてんでしょ!?」


「その甲高い耳障りの声を止めてくれない? 下品過ぎて癇に障る」


「んなっ!?」



 一気に沸騰したヤカンのように顔を赤くした稲良姫。その顔を無表情な顔で───しかしその瞳には凍えるような鋭い眼光を宿す───で見る縁。



「それに……あいつの名は燈也だ。バケモノなんて呼ぶなよ尻軽女」


「?!!」



 もはや顔が赤く成りすぎて檜扇を握る手は青ざめて細かく震えている。



「事実だろ。大体あの日の夜、あんた……色仕掛けを仕掛けた燈也におもくそ発情してただろ。惚れた男がいてそのざまで、尻軽女と呼ばれても仕方ないよな?」


「(チラッ)」


「(サッ)」



 座り込んでいる穂稀が女性特有の冷め切った眼差しを燈也に向けると燈也はその眼差しから逃れるように目を逸らす。



 戦慄く稲良姫と無表情で対峙する縁。


 冷め切った眼差しの穂稀と微妙に気まずそうな燈也。



 ……なんだか奇妙な空間が出来上がっていた。周りに集まった雑鬼達や祟り神も心なしか笑ってないか………?



「っ、誰が下品で……誰が尻軽女ですって!? ふざけるではないわ! 賤女の分際で!!」


「あんたのことだよ、稲良姫様? あんたの行動そのものが『貴ぶ者』と尊ばれる意義を無くさせているんだ。あんたは、周りを省みなさ過ぎたんだ」


「省みる必要がどこにあるの!? わたくしは中納言の姫君よ! 下賤の分際で図に乗るな!!」


「………賤女だ下賤だと、私にはあんたがだだをこねるガキにしかみえないけどね? 人なんざ相手が敬意を払うに値すると思えば自然にこうべを垂れるもんだ。今のあんたに、見下すしか出来ないあんたに貴ぶ者と尊ぶ者と呼び慕う者が何処に居るんだ」


「……っ!!」



 自分の周りには誰も居ない。たくさん居た女房達も、自分を慕っていると言った殿方達も、自分が慕う、神薙も─────愛おしいと慈しんでくれていた父でさえ………。


 皆がみな、稲良姫を犠牲にして生き残ろうとした。


 誰も、助けてくれなかった……。


 誰も、教えてはくれなかった……。


 誰も、逃がそうとはしてくれなかった……!



 仕方がない、と。だから許してくれ、と。稲良姫を大切に思う気持ちに嘘はないんだ………と。



「黙れ……。黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れぇ—――――!!!!!!」



 頭の中で反芻する声を追い払うかのように叫び出す稲良姫。縁の容赦のない言葉に僅かに残っていた自尊心を傷付けられて錯乱する。


 何時になく強い感情を持て余していた縁は、ここでようやく己が失態に気付く。錯乱した稲良姫を見て、ただでさ様子のおかしかった稲良姫の周りにドロッとした澱んだナニカが波打った。



「───!!」


「?! しまっ、燈也!!」



 稲良姫の周りにあったナニカが燈也に向かって殺到する。


 何故か金縛りにあった人の如く身動きが取れない燈也に、避ける術はない。

 ナニカが燈也の身を覆うように被さろうとするのを見た縁は懐に忍ばせてあった清水の封を外してナニカに投げつけた。



『────!!、───!────!!!!』



 ジュッと音を立てて叫ぶナニカは目論見通りに燈也から離れる──が、その様子を見ていた稲良姫は不気味な笑みを浮かべていた。


 それに気付かず、燈也の元に向かおうとした縁に、こちらを見た燈也が驚愕に顔を歪めて焦ったように声を上げた。



「───逃げよ! 罠だ!!」


「っ、っつ!?」



 反射的に後ろを振り向いた縁を、ナニカが一気に覆い被り─────


      ─────────呑み込んだ。






●○●○●○●○






 沈む。


 沈む。


 沈んでいく───。



 昏い、昏い、水底のような冥がりの、光すら届かない暗闇の深淵へ───。




 『このまま冥き底に沈むのか? それとも抗うのか? 縁よ……。さて、どうする?』




 まみえる人はうつくし郎女。


 黒衣を身に纏う、稀代の術士。

 されど今身に纏うは黒衣では無く。

 まるで燃えさかる炎の如く、鮮やかで艶やかな仄かな衣。


 赤と橙を混ぜたような陽の眷族を体現した、天上の陽女神ひめがみの産みし炎の華の娘。

 その娘を現す至高のいろ





         『唐棣はねず




 愚問である。冥き底に沈むか、それとも抗うか。


 ────答えなんて、決まってる。



 恐らく私はまた彼女を忘れるだろう。あの日見た夢の中のように。それでも構わない。今必要なのはこの国の覆う永きに渡った闇を祓うこと。『縁』という自分が生まれてから欠けていた欠片。ようやく取り戻し始めたのに、こんな所で終わってなんかいられない───!!



降ろせ(・・・)! 出水姫!!」


『ふふ。委細承知』



 軽やかに微笑む出水姫に手を伸ばす。


 出水姫の手が、差し伸ばされた縁の手を取った。






●○●○●○●○






 ヘタりと燈也が膝を突いた。


 茫然と縁がナニカと呼んだモノを虚ろな目で見詰めている。縁を呑み込んだナニカはドプッ、ドプッと生き物のように蠢いている。


 脳裏によぎる、過去の情景が目蓋の裏に蘇る。



『……のぅ燈也。おまえは何時も、私を護ってくれるがな。少しは己が身を省みよ。…………ん? ふふ、ふふふ。私はそこまで頼り無いか? 心配し過ぎよなぁ……おまえは』


『…………信じておるよ、燈也』



 ───信じておるよ。



 ザァアア───ザァアアアアア────。


 降りしきる雨の中。

 血塗れた肢体。雨露に濡れるのぬばたま黒髪。血の気の抜けた小瓜の顔。


 少しずつ、流れ出る命の証───。



「─────!!」



 燈也の動きを縛っていた雑鬼や祟り神の妖気が燈也の発した妖気によって吹き飛んだ。


 稲良姫は燈也を雑鬼や祟り神の発する妖気や邪気、障気によって動きを封じ込めていた。その方法は奇しくも、かつての蓮炎国の建国者達が燈也を使って惑いの森に集まる邪気の類を封じる方法と同じだった。


 本来ならば格上である燈也の力であればこの程度の力を弾き飛ばすのは訳はないが……そんなことをすれば縁に何かしらの影響が出るのではと。それを懸念した燈也は敢えて黙って囚われたのだ。


 縁を慮がるが故に、燈也は躊躇った。そしてその結果がこれだ。


 爆発した燈也の妖気は渦を巻いて王城一帯を覆い被さった。



「……っ、きぃやぁああああ!!」


「うふ、ふふふ。ふふふふふふ」



 悲鳴を上げて荒れ狂う突風に耐える穂稀と薄ら笑いを上げる稲良姫。


 直後、ひときわ強い突風が穂稀を襲った。

 耐えきれず、飛ばされ掛けた穂稀を引き寄せる力強い腕。



「っつ!? か、神薙、さま……!?」


「無事ですか? 穂稀」



 唐棣色の衣装を纏った神薙が腕の中に穂稀を引き寄せる。厳しい眼差しを燈也に向ける。



「あの人はどうしたのですか? 白水殿は一体どこに?」


「い、白水さまが……白水さまがあの黒い水溜まりのようなモノの中に……!」


「なんだって?!」



 神薙の顔色が一気に青ざめた。

あれは穢れが凝り固まり出来た冥がりへと続く道。



(あの中は、徒人ただびとが身一つで無事で済むような所ではない! 早く助け出さねば白水殿の身が…!!)



 唐棣上空に現れた穢れの原因を王城内の隠し部屋の中で太政大臣と左大臣、蓮炎国国王に対しての報告を神薙はしていた。燈也が惑いの森から出たことに三人は驚き、言葉もなかったようだが燈也に奉華の姫君を差し出さなくなるかも知れないことにどこか安堵しているようだった。


 太政大臣は歴代の奉華の姫君に対する罪悪感から。左大臣と国王はとうやに贄を差し出してまで国の安寧を乞うという屈辱的な立場からの解放を喜んで。



 ………正直なところ。人としてまともな感性を有しているのが太政大臣だけだという事実に安心すべきか嘆くべきか神薙は少し迷ってしまった。



 だが燈也の加護無しに国を障気や邪気といった穢れから護ることはほぼ不可能。取り敢えずは唐棣だけでも神祇官全員で強固な結界を結んで時間を稼ぐことで話はついた。


 しかし、王城全体の穢れの濃度が一気に濃くなったことで事態は一変。雑鬼や祟り神の出現に左大臣は慌てふためき、太政大臣は「これも己が咎めか」と呟き、国王に関しては王都を棄てる算段を付け始める始末。神薙はもはや嗤うしかない。


 それでも神薙は穢れの発生源である場へと向かう。益稀には王城内の官吏や女官達の避難誘導を任せた。


 理由は穂稀と白水。避難する者の中に穂稀は居らず、屋敷に張った結界から白水が抜け出したことを察知した神薙が二人の身を案じたからだ。


 神薙には蓮炎国への愛国心なぞ無い。自分が大切と感じる人間以外はどうでもよい。蓮炎国に居るのはただの自己満足に似た償いの為。


 穂稀は言うに及ばす、白水に関しては燈也が憑いているとはいえ穢れに満ちた王城内はやはり危険過ぎた。



 そう思い行動した結果でありながらこの結果だ。



 穂稀は全身打撲だらけ。白水は高密度の穢れに囚われ。そのことに激怒した燈也が抑えていた妖気を爆発。唐棣全域の穢れを退ける手立てすらないこの状況下では最悪の状態である。



(いっそ……滅んでも良いかも知れない。こんな国(・・・・)



 あの人を、彼女を犠牲に無理やり造られた国なぞ滅んだ方がよほど彼女達・・・に対する弔いになるのではないか……。そんな考えが神薙の脳裏によぎった時だった。



『勧請し奉る。禍事まがごと禍物まがもの祓い給え清め給えと───』



 ………何処からか、声が、聞こえてくる。

 広く、広く、染み渡るかのような清らかに満ち満ちた、そんな声が。



『───かしこみ恐み申す!』



 冥がりに続く穢れの道が溢れる光に浄化されていく――――――。

 浄化された穢れか在った場所に代わりにいたのは……。



「白水……殿………?」


  

 体に青白い気を纏う縁の姿だった.


 穢れの中から出てきた縁は燈也と穂稀の姿を確認した。穂稀は突然出てきた縁の無事な姿に涙目になり、燈也は茫然と佇んでいる。その際に神薙の姿が目に入り僅かに眉を顰めたが何も言わず、稲良姫に向き直った。


 しかし稲良姫は縁ではなく、その眼差しを神薙にひたすら注いでいた。まるで―――神薙の姿以外目に入らないとでもいうように……。



「何故ですの? 神薙さま……。何故、わたくしではないのです? 何故………その女ばかりを構うのですか!? 何故!? どうして……!?」



 急に泣き始めた稲良姫は髪を振り乱しながら涙に濡れて充血した瞳で睨みつける。



「貴方に相応しいのはわたくしですのに……! わたくし程、神薙さまをお慕いする者はいませんのに! どうして……、取るに足らないそんな女が貴方の側に居るのよ!?」



 穢れが、濃くなる。

 稲良姫が慟哭を上げるごとに穢れが広まり、闇が深くなっていく―――。



 パァアアアン



 その闇の中を柏手の音が切り裂いた。



「 知 る か そ な こ と 」



 ──妙にドスの効いた声と据わった眼差しが稲良姫に突き刺さる。



『掛け巻くもかしこ照御平大神てらしのおんたいらのおおがみ日倭之国ひわのくに天津美あまつまみ国津美くにつみ種種くさぐさの犯したる罪ごと憂いし時にその御光もちて日倭之国を降り注げばその御光よりていと麗しき神産まれん。その神、あらゆる罪穢れを掃き清めて日倭之国を平らげん。その二つとなき尊き御柱おんはしら、照御平大神が産みし八ノ姫』



 縁の口から次々と祝詞が紡がれる。



『勧請し奉る。今、この地を穢すもろ々《もろ》の天津美国津美種種の罪穢れを祓い給え清め給え鎮め給えと恐み恐み申す───!!』











『降りせ召しませ、蓮智那炎比売命はちなひびめのみことーーー!!』









 


 ふわっ、ふわっと。


 黒く澱んだ蒼空の隙間からふわりふわりと炎の花弁が舞い落ちる。


 その花弁は唐棣全域隅々まで降り注がれ、雑鬼や祟り神の襲来で慌てふためいていた民衆の心を落ち着かせた。


 舞い落ちる花弁に触れた雑鬼や祟り神は淡い光に包まれた後に空に融けるように消えていった……。



 炎の花弁は縁達のいる外通路にも降り注がれた。



 穢れは花弁が触れるたびに浄化される。傷付いていた穂稀の上に炎の花弁がふわっと弾ける。すると弾けた花弁が優しく穂稀の体を包み、たちどころにその傷を癒やしてしまった。


 驚く穂稀に、神薙は軽く穂稀を抱き寄せた。燈也は縁を凝視するばかり。……無理は無いと神薙は思う。



(まさか神々の居わす天御原あまみはらの主神たる照御平大神の産みし八ッ目の柱。炎の女神を降ろすとは───)



 神薙の──そして燈也の目にも視えているのだろう。縁の中に蓮智那炎比売命が宿っているのを。


 その身に神を降ろした縁は次々と炎の花弁を降らせてあらゆる罪穢れを清めていく──。二百年にも及ぶ蓮炎国の闇が晴れていくのが分かった。



(白水殿……。貴女は、本当に何者なのですか?)



 神降ろしなど簡単に出来ることではない。それも元は蓮智那炎比売命の加護在りし地でありながら彼の女神の怒りを受けて去られたこの呪われた地で。



 出来るとしたらそれは、かつて滅ぼされた一族にして神の血筋。祖たる炎の女神を祀り上げて暮らしていた術士の隠れ里。



 その里を治める稀代の女術士にして神の巫女。



 朱華はねず一族が首領、出水姫。


 蓮智那炎比売命の血を誰よりも色濃く継いだことにより。強い神力を人の身で宿した娘はその力に呑まれ、喰われぬように真名を奪われ、相剋である水の名で封じられた神の御子。



 不意に、出水姫の姿が、白水の姿と重なった。



 白水の体から蓮智那炎比売命が離れる。ぬばたまの黒髪に華のかんばせ。炎の華と謳われる陽女神の娘。白魚の滑らかな手が白水の頬に触れる。


 炎華の女神が華のように神を綻ばせ。



『──────────』



 白水に何かを告げるとそのまま天に還っていった……。


 不意に白水の顔がぐらりと揺れて崩れ落ちる。地面に伏す前に白水の体を燈也が抱きかかえる。


 気絶している白水を、燈也は泣きそうな顔で、壊れものをふれるかのように彼女を抱き締める。



「……稲良姫さま………」



 穂稀の呟く声が聞こえて稲良姫の方を見てみると。……彼女はうつ伏せに倒れていた。


 恐らくは白水の降ろした蓮智那炎比売命の炎の花弁をその身に受けて稲良姫に取り憑いた邪気が浄化されたのだろう。稲良姫は今は先ほどの醜悪な様を取っていたとは思えないほど安らかな顔で眠っている……。



(彼女はもう、大丈夫でしょう………)



 肺のすべての空気を吐き出すように深いため息をいて穂稀に額を埋める。



「神薙、さま……」



 穂稀は一度、強く目を閉じて立ち上がり神薙に向き直った。



「───穂稀?」


「………」



 穂稀は無言で神薙の頬を殴り飛ばす。



「?! ……ッ!!」



 頬に感じる鋭い痛みに、神薙は言葉もなくもんどりうった。



「───貴方さまが、何を考え何を護ろうとしているのか……矮小なこの身では図れるものではないのかも知れません」



 でも、と穂稀は真っ直ぐ神薙を見詰める。



「それでも、神薙さまは誠実で在らねばならなかったのではありませんか? 白水さまにも───稲良姫さまに対しても」


「………」



 無言で俯く神薙に、それでも穂稀は言葉を紡ぐ。



「貴方さまは彼のお二方をしっかりと見ていましたか? 人一人の人間として。痛みを苦しみを不安を感じる人として」



 確かに神薙は白水を保護して衣食住などの世話をしたかも知れない。稲良姫にも丁寧な対応をしていたかも知れない。


 だが、その瞳は本当に彼女達を見ていたのだろうか?



「神薙さまは謝るべきです。白水さまと稲良姫さまに。たとえ許されなくても」



 それが、貴方自身の為でもあるのだから。



「………」


「………」



 顔を上げた神薙は眩しそうに穂稀を見上げた。



「穂稀は、本当に真っ直ぐだね。君くらいなものだよ……。私を叱ってくれる人は……。そんな人はもう、私には現れないと思っていたから………」



 自分で見捨て、裏切り、壊したあの日に。



 二人の様子を白水を抱き締めてながら伺っていた燈也は、腕の中で僅かに身じろぎする白水に気付いた。


 白水は何時の間にか目覚めており、燈也と同じく神薙と穂稀の様子を見ていた。



「………私が殴り飛ばす前に先を越されちゃったか。仕方がないなぁ……」



 気怠げに瞬きしながら。白水は燈也に頼んだ。



「───眠くて、仕方がない。お前も疲れていると思うけど……悪いが私を運んでくれかいか………?」


「ふっ、構わぬよ……。………ゆっくりと休むが良い」



 こくんと頷き、全身から力を抜いて──ふと縁は気付いた。



(ああ……そうか。私が穂稀に対してこんなに気をかけるのは………きっと穂稀が私を真っ直ぐ見てくれるからだ…………)



 元の世界では家族であってもどこか腫れ物に触るように縁を扱った。自分の責任でもあった為、縁は特に気にしていなかったが………。それでもきっと、穂稀のような人が縁には嬉しかったのだ。


 そしてそれは………。



 すぅと意識が落ちていく───。


 寝息を立て始める白水を優しく見詰めながら……燈也は白水を抱えてその場から立ち去った。



 何処からか神薙達に駆け寄る足音と聞いたことのある若い男の声が聞こえた気がした──。




 










 




 



 




















次回、エピローグを入れて白恋鬼譚の第一部は完結となります。


もうしばらくお待ちください。

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