『蓮炎国』の罪
場の空気が一気に重くなった。男から目には見えない冷気の様なものが発せられている。
これには縁も震え上がった。相手が人外であり、本来自分の手では負えないモノだということに。わかっていたはずだったが、どうやら縁が抱いていた認識はそれでも甘かった。
男の冷気に当てられて気絶している稲良姫が羨ましい。だからといって縁まで気絶してしまっては元も子もない。ここが生きるか死ぬかの正念場だと縁は震えそうになる歯を噛み締めて前を向いた。
「あぁ…娘、そなたの疑問はもっともだ。そう、そなたの言う通りだ。生け贄などという野蛮な行いなぞ、この国以外ではしておらぬ……。他の国々は先ほどそなたが言ったように開祖と鎮魂の儀としてつつがなく歴を紡いでおる」
男の物言いに違和感を感じる。生け贄を野蛮と言い切るその様は自ら生け贄というものを欲しているようには見えない。嘘をついているようにも見えなかった。
───本当に嫌悪している……?
「なんと愚かしいく、無様なことか……。自らの力で立つのではなく、他者に寄りかかり依存し、堕落してゆく……。ケダモノの性を持った忌々しき奴ら。獣とて道理を弁えるというに。略奪を当然のものとし身勝手極まる能弁を垂れ流す。許せぬ───許せぬ許せぬ許せぬ許せぬ許せぬ許せぬ許せぬ許せぬ許せぬ許せぬ許せぬ許せぬ許せぬ許せぬ許せぬ許せぬ許せぬ許せぬ許せぬ許せぬ許せぬ許せぬ許せぬ許せぬ許せぬ許せぬ許せぬ許せぬ許せぬ許せぬ許せぬ許せぬ許せぬ許せぬ許せぬ許せぬ許せぬ許せぬ許せぬ許せぬ!!! 我からよくぞ奪い取った。この怨み、千代に八千代に忘れはしない! 我が甘露。我が甘き一滴の水。尽きることなき癒やしの命………。なのに、なのに何故、あぁ─どうしてそなたは、そなたは一人で─────!!!!!!!」
男の慟哭が冷気と共に波のように押し寄せてくる。まるで冷凍庫の中にいるかと思わせるほどの冷たさに、縁はついに膝をついた。
身体から体温が抜けていき、寒さで震えが止まらない。しかも最悪なことに寒さのあまり思考が鈍り、意識も遠ざかり始めた。
(……眠い。何だこれ? 寒い…………)
意識が、遠のく───。
縁の様子に気付いていない男はの慟哭は続く。
「我らを欺き、嵌め、騙し、裏切った者共よ。奪うことで栄華を手に入れ、偽ることで繁栄を極めんとする薄汚き略奪者! たとえ千の月日を越え万の終焉を迎えても、我は忘れぬ。忘れてなるものか!!!」
男の過去に何があったのか。明らかに正気を失っている。身体が完全に動かなくなる前に逃げ出すべきだ。
……でも何故だろう。今は稲良姫や自分の身よりもこの男のことが気になってしょうがない。
何とかしなくとは。と思ってしまう。
それはこの男の醸し出す空気が、発する言葉が余りにも哀しいと思ったからだろうか?
蓮炎国は、この男に一体どんな『罪』を犯したんだ?
「あぁ娘。奉華の姫。こちらに来い。自らの保身の為に切り捨てられた姫よ。己が親兄弟、友や恋人、親類縁者すべてを呪うがいい。その怨嗟や憎悪に染まった肉の一欠片、髪の一筋、血の一滴を我が喰らおう……。憎むがよい恨むがよい怒り狂いて世の全てを呪え!!!!!!!!」
男の瞳に残虐な色が宿る。それを確認した縁は稲良姫抱えて走り出した。
●○●○●○●○
気絶している稲良姫を引きずるように抱えて逃げ出す縁を、男は追ってこなかったが、近づいて来ていると縁の本能は告げていた。
(あの男、マジで性格悪りぃ。追いつけるのにわざと私達を逃がして愉しんでる。完全にいたぶる気だなあの野郎)
内心毒づきながらも、縁は歩みを止めなかった。しかし男に当てられた冷気のせいで、未だに寒気と眠気が縁を襲っている。
……そして、ついにその足は洞窟の出入り口手前で膝を折った。
「よくもまぁ……。我が妖気に障りながらも女一人を抱えてここまで歩いたものだ。その精神力、誉めて遣わそう」
さらり、さらり。
足音よりも衣擦れの音が縁の耳に聞こえてくる。
遠ざかろうとする意識を必死にかき集めて縁は稲良姫を背後に押しやった。
男はその様を鼻で嗤う。その眼差しは冷え切っていた。
「そなたはその言動に似合わず、随分と忠義に厚いようだ。その娘が自らの身体を張るほどの価値が有るとでも本当に思っているのか? だとしたら……。そなたはとても愚かだ。その娘には忠義を掛けられる重さも。その忠義を背負える器も持ってやしない。ただ自らの欲望に従い、幼児のように本能で動いている。その身に付随する力の対価を果たそうともせず、ただただ振りかざし、搾取することだけに執心する。………誠に、見苦しいことよ」
嘲りと侮蔑を含む言葉に冷気───妖気が込められそれが更に縁の体力を奪っていく。
「そなたはとても愚かで──哀れなことよ。その身を賭しながらも主は応えず。我が身を省みて虚しくはならぬのか?」
「ならないね」
男の放つ妖気とやらに触れ、身体の震えも隠せなくなっている有り様なのに、縁はそれでも顔を上げてその眼差しで男を射抜く。
「まったくならないね。これっぽっちも」
何故なら。
「そもそも私はこのお姫さんにも、その父親にも忠義なんてもの捧げてないよ」
予想外の言葉に呆けている男に縁は。
「この女を助けようとしているのは、何てことはない。単なる嫌がらせだ」
それはそれは良い笑顔でそう言い切るのだった。




