道の先、祭壇の間
木漏れ日の間から月の煌々とした光が灯籠に灯された炎の朱と混じり合い幻想的な雰囲気を醸し出している。これで───、
「なぜ祭壇のある場所まで輿で行かないのよ! ああ!! もう足が疲れてしまったわ!! 神祇寮の者達はわたくしの美しい足を汚した責任をどうとるつもりなのよ! もう嫌ぁ!!」
この意味不明な雑音が無ければ、もっと良かったのに。残念だ。本当に、残念だ。
稲良姫が覚えている肉体的疲労よりも、縁が感じている精神的疲労の方が遥かに上だろう。
さっきから体中に纏わりつくかのような疲労感と倦怠感は、確実に縁の精神を削っていった。
惑いの森の入口で神祇官達と別れてから大体十分ほど経った頃、稲良姫がまたもや騒ぎ出したのだ。
いや言うほどまだ歩いてないし。早く着きたきゃ口ではなく足を動かせ、足を。
稲良姫のギャーギャー喚く声を聞きながら更に十数分歩いていたら洞窟の入口が見え始めた。目的地はもうすぐである。
「稲良姫、洞窟の入口が見えました。早く行きましょう」
「ちょっと! わたくしはもう疲れているのよ!! なのに催促するなんて! なんて酷い女なの!?」
「……………」
いくら深窓の姫といえど、酷すぎやしないかこの女。神薙に聞いた限りだと奉華に選ばれるのは大変名誉であると同時に、帝の代わりに祖霊や二百年前に無念の死を遂げた災厄の犠牲者達の鎮魂を願う儀式のはず。
災厄の犠牲の上に成り立つ今の生活に対して、その犠牲者達に思うところは無いのだろうか?
縁とて広島長崎の原爆の六日、九日の日には黙祷ぐらいするぞ。
無視して先に進みたいのはやまやまだが、奉華の姫はあくまでも稲良姫。彼女がいなくては始まるものも始まらない。
縁は稲良姫が鬱憤を吐き出しきるまで待ち、落ち着いた頃合いをみて共に洞窟に向かった。
洞窟の奥を覗くと灯籠の代わりにロウソクの火が奥まで続いているのが分かる。まだ歩くのかと癇癪を起こす稲良姫を軽くいなしながら祭壇がある奥へと進む。夜明けまで時間がない。
ここでふと、縁は思った。
(そういえば……この森はなんで『惑いの森』って呼ばれているんだ?)
別に迷いやすい森というわけではないだろう。もしそうだったら神薙や神祇官達がそう忠告するはずだ。この森は祟り神が出やすいらしいが、だとしても『惑い』という名が付くのだろうか?
今更ながら何故か引っかかる。付き添い人を引き受けてから、いや、神薙に保護されてから纏わりついてくるこの焦燥感はなんだ?
私は、何を見逃している?
違和感を感じながらも、縁は立ち止まることなく先に進む。
縁はこの時、すでに分かっていたのかも知れない。自分が引き返すことの出来ない場所にまでいることを。この先、何かが起こることを。
●○●○●○●○
祭壇に着いた稲良姫はひどく苛立っていた。
誰も彼もが高貴で気高く美しい己を褒め称えるどこか、少し休みたいとこぼしただけでネチネチと嫌みを言ってくるのだ。
貴女様は奉華の姫なのです。もっとご自覚くださいだの、進行が遅れるので我慢してくださいだの。お前たちこそわたくしが帝より奉華を賜った姫だと自覚しているのかと怒鳴りたくて仕方なかった。
ある神官なんて、これ以上の我が儘をおっしゃるようなら神薙さまをお呼びしてこの現状をお伝えしますよ。とのたまったのよ!! 国の為に身を粉にしていらっしゃる神薙さまに自らの不甲斐なさを棚上げして、さもわたくしが悪いかのように…!
なによ! 進行が遅れているのであれば神社の参拝なんて省略してしまえばいいじゃない!! 同じことをただ繰り返しているだけなんだから!
そして何より気に入らないのは白水とかいうこの賤女よ! この女はわたくしに二度も無体を働いておきながら反省の色すらない。それどころか神薙さまの側付きになってあの方のお屋敷に共に暮らしているだなんて!! 穂稀といい、この賤女といい身の程知らずはこれだから嫌なのよ!!
神薙さまには高貴な血を引くわたくしこそ相応しい方なのよ。それを……! あの穢らわしい者共は!!!
縁に促され腹が立ちながらも稲良姫は祭壇にえと上がり事前に教えられていた文句を唱えた。
「惑いの森におわす古き者よ。森の主よ。建国に交わせし約定の下、奉華はいま汝の下に訪れり。我らが国に、汝の加護をもたらさんと願う──!!」
稲良姫の背後で縁が息を飲んだのが分かった。
(森の主だと? ちょっと待て、私は神薙からそんな話聞いてないぞ! しかもその文言)
縁の頭を必死に回した。
いままでのことを思い出せ。
穂稀。祟り神。駆けつけてきた神薙。客人神。神祇官。王宮内にある神薙の屋敷。益稀。側付き。奉華の儀。奉華の─姫。
奉華、奉じられる華………。捧げる、華?
まさか!?
縁の脳裏にある可能性が浮かんだ。
「いな────っ!!」
稲良姫の名を、縁は最後まで告げることが出来なかった。稲良姫の座る祭壇が突如として歪み、切りだった岩肌以外何もなかった筈の祭壇の前に朱塗りの回廊が現れたのだ。
「──来たか、奉華の姫君。随分と遅かったではないか……待ちくたびれてしまったぞ」
玲瓏な美しい声が回廊の奥から聞こえた瞬間、縁の身体は硬直した。




