第18話「四つの才能」
第18話「四つの才能」
カルナ村の朝は、荷車の車輪が地面を擦る音とともに始まった。
大きな鐘は鳴らない。
村役場からの知らせもない。
木製の扉が一つ、また一つと開き、庭では鶏が騒ぎ始める。
そして、街道脇にある小さな倉庫から、収穫物の入った袋を運び出す人々の姿がある。
榊原朔臣は、昨夜ヴァエリスと泊まった簡素な宿の前に座っていた。
テーブルの上には、温かな粥が置かれている。
向かいには、いつも通り背筋を伸ばして座るヴァエリス。
そして少し離れた宿の入口には、ドラエヴラが立っていた。
大きな尻尾が、ゆっくりと揺れている。
「……今日、行くのか?」
ドラエヴラが尋ねる。
朔臣はスプーンを持ち上げた。
「うん」
「どこへ?」
「グレイモスの森」
狼の耳が、ぴくりと動いた。
「……あの森?」
「知ってるのか?」
「周辺なら知ってる」
ドラエヴラは腕を組む。
「魔物が多い。道も、いつも安全とは限らない」
「それはいい」
「いい?」
「見てみたかったから」
ドラエヴラは数秒、朔臣を見つめた。
「お前、変だな」
「何人かに言われた」
ヴァエリスが小さく笑いを堪える。
ドラエヴラは朔臣を指差した。
「それに、お前は昨日、魔物の前に立ってたくせに妙に落ち着いてる」
「怖くないわけじゃない」
「顔に出てない」
「俺の顔は元々こうなんだ」
「……」
ドラエヴラは返す言葉を失った。
やがてヴァエリスが口を開く。
「朔臣。本当に森の奥まで入るつもりなの?」
「まだ決めてない」
「なら、道の状態を見てから限界を決めましょう」
「賛成」
ドラエヴラが眉を上げる。
「お前たち、いつもそんな感じなのか?」
ヴァエリスが振り向く。
「どんな感じ?」
「何でも決める前に、先にルールを作るみたいな話し方」
「違う」
ヴァエリスは淡々と答えた。
「情報がないまま決めるのが嫌なだけよ」
ドラエヴラは黙った。
そして、尻尾が一度だけ揺れる。
「……その部分は好きだ」
朔臣は粥を食べ終えた。
「じゃあ、行こう」
宿から数十メートルほど歩いたところだった。
背後から声が飛んできた。
「待って!」
朔臣が足を止める。
ヴァエリスが振り返る。
ドラエヴラはすぐに警戒した。
村の入口から、一人のエルフの少女が早足で近づいてくる。
旅のせいか、灰金色の髪は少し乱れていた。
手にはノート。
セヴレイン・オルリッセだった。
「……本当に行くんだ」
朔臣は彼女を見る。
「ここまで来たのか?」
「うん」
「どうして?」
セヴレインは数歩手前で止まった。
少し息が上がっている。
「あなたたちが次に何をするのか、知りたかったから」
ドラエヴラが首を傾げる。
「誰?」
「セヴレイン」
朔臣が答える。
セヴレインは軽く頭を下げた。
「セヴレイン・オルリッセ。ダルセンで一度会ったよね」
ドラエヴラは彼女を上から下まで眺める。
「エルフ」
「……うん」
「作家?」
「出版の手伝いをしてる」
「森と何の関係がある?」
セヴレインは口を開いた。
そして、閉じた。
「……私もまだ分からない」
ドラエヴラは朔臣を見る。
「お前の友達?」
「まだ分からない」
セヴレインがすぐに朔臣を見る。
「それ、結構ひどい答えだよ」
「そういうつもりじゃない」
「聞こえ方はそうだった」
ヴァエリスが小さく息を吐いた。
「セヴレイン。どうやってここまで来たの?」
「同じ街道を通ってきた」
「一人で?」
「完全に一人じゃないよ。こっちへ向かう商隊に途中まで乗せてもらったの。分岐点からは歩いてきた」
ヴァエリスが眉を寄せる。
「それはかなり危険よ」
「分かってる」
セヴレインはノートを胸に抱いた。
「でも、自分の目で見たかった」
朔臣は黙っていた。
セヴレインが彼を見る。
「昨日、あなたが言ってたでしょう」
「何を?」
「情報は、一人の頭の中だけに残しておいても意味がないって」
「そんな正確には言ってないと思うけど」
「意味は同じ」
「……たぶん」
「だから、あなたがどこへ行くのか知りたかった」
朔臣は小さく息を吐いた。
ようやく分かってきた。
セヴレインは、短い答えだけでは満足できない。
頑固だからではない。
一度疑問が生まれると、それをただの疑問のまま放置できないのだ。
「じゃあ、安全な範囲まで一緒に来ればいい」
セヴレインの表情が明るくなる。
「ありがとう」
その時だった。
さらに後ろから声が聞こえた。
「まだ出発してなかったんですね」
全員が振り返る。
革袋を持った少女が歩いてくる。
濃い赤褐色の髪はきれいにまとめられ、その腕には薄い帳簿が挟まれていた。
ゴーレル・ヴェンセール。
朔臣は目を細める。
「お前もか」
「残念ながら」
ゴーレルは淡々と答えた。
「どうして?」
「セヴレインが、本当の目的地を教えずに出ていったからです」
セヴレインが瞬きをする。
「カルナへ行くとは言ったよ」
「どうして行くのかは言ってないでしょう」
「……確かに」
ゴーレルが3人の前まで来る。
そして、その視線がドラエヴラへ移った。
「彼女は?」
「ドラエヴラ・コルーン」
ドラエヴラは軽く手を上げた。
「ドラエヴラ」
ゴーレルも礼儀正しく頭を下げる。
「ゴーレル・ヴェンセールです」
ドラエヴラがゴーレルをじっと見る。
「私はお前みたいなタイプを知ってる」
ゴーレルが止まる。
「私みたいなタイプ?」
「考えすぎるタイプ」
ゴーレルは薄く笑った。
「私も、あなたみたいなタイプを知っています」
ドラエヴラが目を細める。
「どんなタイプだ?」
「考えなさすぎるタイプ」
沈黙。
朔臣は顔を逸らした。
ヴァエリスは口元を手で隠す。
セヴレインは小さく笑った。
ドラエヴラがゴーレルを指差す。
「こいつ、嫌い」
「まだ5分も経ってませんよ」
「十分だ」
ゴーレルがため息をつく。
「私も、あなたを好きかどうかはまだ決めていません」
朔臣はとうとう立ち上がった。
「お互いの評価が終わったなら、行こう」
ドラエヴラが鼻を鳴らす。
「私は行く」
ゴーレルも眉を上げた。
「私も」
セヴレインはノートを握り直す。
「ここまで来たんだから、私も行く」
ヴァエリスは3人を順番に見た。
そして朔臣を見る。
「どうやら、もう決まったみたいね」
朔臣はグレイモスの森へ続く道を見る。
「そうみたいだ」
5人は歩き始めた。
---
カルナを出る道は、次第に細い土道へと変わっていった。
最初のうちは荷車も通れる。
だが数キロ進むと、車輪の跡は途切れ途切れになっていく。
グレイモスの木々が、少しずつ密集していった。
先頭を歩くドラエヴラが、何度か鼻を動かす。
「左に小さい魔物がいる」
朔臣が振り向く。
「何匹?」
「分からない。湿った土の匂いと混ざってる」
セヴレインがすぐにノートへ書き込む。
ゴーレルがそれを見る。
「いつもそうなんですか?」
セヴレインは顔を上げない。
「何が?」
「何でも記録すること」
「私なら覚えていられると思う。でも、他の人も同じとは限らないから」
ゴーレルがノートを見る。
「つまり、自分の記憶だけに頼らず、他人が同じ情報を失わないように保存している?」
セヴレインはようやく顔を上げた。
「だいたい、そんな感じ」
「面白いですね」
その瞬間だった。
ドラエヴラが手を上げた。
全員が止まる。
「静かに」
ドラエヴラが前方の茂みを指差す。
数秒後。
――バキッ。
枝の折れる音。
茂みから、1頭のフォレストボアが姿を現した。
普通のイノシシよりも遥かに大きい。
短い牙だが、十分に鋭い。
ドラエヴラが前へ出る。
「私に任せろ」
朔臣は止めなかった。
フォレストボアが突進する。
ドラエヴラは退かない。
数メートルまで近づいた瞬間、身体を横へ滑らせた。
左手で魔物の頭部の勢いを受け流し、右手を首元へ叩き込む。
巨体がよろめく。
ドラエヴラは身体を回転させた。
次の投げで、地面が震える。
フォレストボアは動かなくなった。
セヴレインが記録する。
ゴーレルはドラエヴラの呼吸を見る。
ヴァエリスは足の位置を見る。
朔臣は、その全てを見ていた。
「強いな」
ドラエヴラは肩をすくめる。
「まあまあだ」
ゴーレルがすぐに口を挟む。
「まあまあではありません」
ドラエヴラが振り向く。
「何?」
「必要な分だけ力を使っている。魔物を追いかけない。無駄な動きも少ない」
ドラエヴラが少し驚いた。
「戦いが分かるのか?」
「いいえ」
「じゃあ、何が分かる?」
「無駄が分かるだけです」
朔臣が小さく笑う。
「それ、いかにもゴーレルらしい」
ゴーレルは帳簿を閉じた。
「力でも時間でもお金でも、何も生み出さずに消費するなら、それは無駄です」
ドラエヴラはフォレストボアの死体を見る。
「じゃあ、この魔物は食料になる」
「ええ」
「なら無駄じゃない」
「きちんと利用するなら、そうですね」
ドラエヴラが満足そうに頷いた。
「少し、お前の考え方が好きになった」
ゴーレルも微笑む。
「私も、少しだけあなたを好きになりました」
セヴレインがまた笑う。
ヴァエリスは朔臣を見る。
「仲良くなるのが早いわね」
「俺も驚いてる」
---
さらに森の奥へ進む。
グレイモスの森は、何もない静かな森ではなかった。
鳥の声。
虫の音。
遠くから聞こえる水の流れ。
地面には魔物の足跡。
木々には爪痕。
そして時折、人間が使っていたらしい古い道も見つかった。
セヴレインが周囲を観察する。
「誰かがここを通ってる」
ドラエヴラが頷く。
「狩人。薬草を採る奴。たまに冒険者もいる」
「この道は、どこまで続いてる?」
「分からない」
セヴレインが再び書き込む。
ゴーレルは土の道を見る。
「もし今も使われているなら、この森の中に何か需要があるということですね」
朔臣が振り向く。
「どうしてそう思う?」
「利益がない場所に、人は道を維持しません」
ドラエヴラが頬を掻く。
「無理やり入らなきゃならないこともあるぞ」
ゴーレルが足を止めた。
「……確かに」
帳簿に何かを書き込み、そして線を引く。
「その要素も入れておきます」
セヴレインが笑う。
「自分の考えが変わったことまで記録するんだ」
「記録しなければ、なぜ考えを変えたのか忘れるかもしれません」
セヴレインは、ゴーレルを少し長く見つめた。
2人は何も言わなかった。
だが、何かが変わった。
互いの考え方が違う。
だからこそ、それぞれが集める情報は別の角度から世界を捉える。
そして、その違いがあるからこそ、1人では見えないものまで見えてくる。
---
夕方。
5人は、森の中に比較的安全な場所を見つけた。
木々の間にある平坦な土地。
魔物の足跡も少ない。
近くには小さな川が流れている。
朔臣は周囲を見渡した。
「今日はここで止まろう」
ドラエヴラはすぐに周囲の警戒を始めた。
ヴァエリスは簡単な食事と道具を整える。
ゴーレルは食料の残量を確認する。
セヴレインは川の近くに座り、ノートを開く。
朔臣は、その光景を眺めていた。
誰も命令していない。
役職もない。
決められた役割もない。
それなのに、全員が自然と自分のやるべきことを始めている。
ドラエヴラは安全を守る。
ヴァエリスは全体を整える。
ゴーレルは必要なものを計算する。
セヴレインは情報を記録する。
そして朔臣は、その中心にいる。
ふと、妙な感覚があった。
森ではない。
彼女たちに対してだ。
「……気づいてるか?」
4人が振り向く。
「何を?」
ヴァエリスが尋ねる。
朔臣は1人ずつ指差した。
「みんな、違う能力を持ってる」
ドラエヴラが肩をすくめる。
「人間もエルフも、みんな違うだろ」
「そういう意味じゃない」
朔臣はセヴレインを見る。
「セヴレインは情報を覚える」
次にゴーレル。
「ゴーレルは商売と数字を理解する」
そしてドラエヴラ。
「ドラエヴラは戦える。危険も察知できる」
最後にヴァエリスを見る。
「ヴァエリスは、全体が崩れないように整えられる」
ヴァエリスは黙った。
ゴーレルが帳簿を閉じる。
セヴレインも筆を止めた。
ドラエヴラが3人を見る。
「それで?」
朔臣は後頭部を掻いた。
「まだ分からない」
「それ、よく言うな」
ゴーレルが呟く。
「分からないものは、分からない」
朔臣は小さな焚き火のそばに座る。
「でも、もし4人の能力を組み合わせたら……」
そこで言葉を止めた。
セヴレインが待つ。
ヴァエリスも見る。
ドラエヴラは、なぜか食料から肉を取り出していた。
「組み合わせたら?」
「情報があれば、判断を助けられる」
朔臣が続ける。
「判断があれば、優先順位を決められる」
ゴーレルを見る。
「優先順位があれば、資源を配分できる」
ドラエヴラを見る。
「資源があれば、安全や移動に使える」
そしてヴァエリスを見る。
「その全部が混乱しないように、誰かが整える必要がある」
誰もすぐには答えなかった。
焚き火が小さく鳴る。
――パチッ。
セヴレインがゆっくりノートを閉じた。
「それなら……」
彼女は微笑んだ。
「一緒に仕事ができるね」
ゴーレルが頷く。
「実際的には、そうでしょうね」
ドラエヴラは肉を齧る。
「私は構わない」
ヴァエリスも4人を見渡した。
「私も」
朔臣はため息をついた。
「組織を作ったみたいに言わないでくれ」
ゴーレルが微笑む。
「さっき、私たちの能力が互いに補えると言ったのは誰でした?」
「それは組織じゃない」
「分かっています」
セヴレインが再びノートを開く。
「じゃあ、何?」
朔臣は焚き火を見る。
「たまたま一緒に仕事ができる人間が集まってるだけ」
ドラエヴラが笑う。
「名前、長いな」
「名前をつけたつもりはない」
「よかった。長い名前は嫌いだ」
ヴァエリスが小さく笑う。
「名前なんていらないわ。まだ」
その言葉に、朔臣がヴァエリスを見る。
ヴァエリスは続けた。
「これが長く続くのかどうかも、まだ分からないから」
朔臣は頷いた。
「そうだな」
誰も反論しなかった。
誓いを立てたわけではない。
組織を作ったわけでもない。
忠誠を誓ったわけでもない。
紋章もない。
役職もない。
ただ、森の中で小さな焚き火を囲む5人がいるだけだった。
それでも、その夜。
組織よりも遥かに小さな何かが生まれ始めていた。
共に動くという習慣。
---
夜が深くなる。
最初の見張りはドラエヴラ。
セヴレインはノートを握ったまま眠っていた。
ゴーレルは食料の残量を確認し終え、帳簿を閉じる。
ヴァエリスは焚き火から少し離れた場所に座っている。
朔臣は、その隣にいた。
「満足そうね」
ヴァエリスが言う。
「そうでもない」
「嘘」
朔臣は少し笑った。
「……少しだけ」
ヴァエリスは焚き火を見る。
「こんなこと、最初から予定してなかったでしょう?」
「してない」
「私と出会った時も?」
朔臣は首を横に振った。
「あの時は、ただ助けたかっただけだ」
ヴァエリスは黙った。
「セヴレインも?」
「彼女は、能力が目についただけだ」
「ゴーレルは?」
「同じ」
ヴァエリスが少し俯く。
「ドラエヴラは?」
「……まだ分からない」
その瞬間、遠くから声が飛んできた。
「聞こえてるぞ!」
朔臣が笑った。
「耳が良すぎる」
「私のことを話すな!」
「分かった」
ヴァエリスも微笑んだ。
しばらく、2人は黙っていた。
やがてヴァエリスが静かに言う。
「だったら、何かに名前をつけるのを急がないほうがいい」
朔臣が彼女を見る。
「どうして?」
「名前をつけると、それが永遠のものみたいに感じるから」
焚き火の光が、彼女の暗い紫色の瞳を照らす。
「私たちがこれから何になるのか、まだ誰にも分からないでしょう?」
朔臣は、3人の少女を見る。
ノートを抱えたまま眠るセヴレイン。
丁寧に帳簿をしまったゴーレル。
闇を見つめながら見張りを続けるドラエヴラ。
4人の少女。
4つの才能。
4つの世界の見方。
そして、その中心にいる1人の少年。
最初は、ただ静かに暮らしたかっただけの少年。
「……そうだな」
ヴァエリスが振り向く。
「何が?」
「まだ名前はいらない」
朔臣は再び焚き火を見る。
「今は、一緒に動けばいい」
その夜。
ヴェイルクレストという名の組織は、まだ存在しなかった。
会社もない。
拠点もない。
王国を築く計画もない。
ただ4人の少女と、1人の少年がいるだけだった。
しかし翌朝。
彼らはもう、5人の他人として歩き始めることはなかった。
自然と、1つの集団として動き始めていた。
そして朔臣は、これまで考えたこともなかったことに気づき始める。
自分のシステムで最も大きな力とは。
召喚できるものではないのかもしれない。
誰かに何かを与えた時。
その人間が、どこまで成長できるのか。
その可能性こそが――
本当の意味で、自分の力になるのではないか。
グレイモスの木々の向こうで。
彼らの旅は、静かに方向を変え始めていた。
誰一人、その変化に名前をつけることなく。
---
【次回予告】
第19話「地球文明の倉庫」
ヴァルケイルの森に作った仮の野営地から、朔臣はこれまで少しずつしか使ってこなかった「アース・アーカイブ」を、ついに本格的に調べ始める。
アイテムボックスに収納されているのは、食料や衣服、車だけではなかった。
それは――地球文明を支えた、ほぼ全ての技術基盤。
「交通」
「衣料」
「食料」
「工業」
「医療」
あらゆる分野のデータと物資が、そこには存在していた。
しかし、調べれば調べるほど、朔臣は1つの問題に気づく。
――技術を持っていることと、その技術をこの世界が使えることは、同じではない。
そして今度は。
共に歩き始めた4人の少女たちが、これまで朔臣が1人で隠してきた秘密の一端を見ることになる。
【次19話へ続く――】




