和解 ニコラスとヨセフ
和解 ニコラスとヨセフ
退位の翌日、ニコラスはモスコーノフグラード(旧カノンノフグラード)のブルティースカ大牢獄の4番特別房に向かった。
「お久しぶりです、ヨセフ兄」
冷たい石造りの牢獄の中、かつて魔王だった男は幽閉されていた。ポツンポツンと水が滴り、かつての栄誉を、今は亡きユーロ=ルーシー魔王国の魔王として纏っていた衣装は布がほつれたり穴が空いてしまったりしていて、まるでユーロ連邦国その物であった。
しかしそれを纏うヨセフという男の覇気は未だに衰えず、かつての栄光を思い浮かばせる。
「包帯越しからでもわかる。本当に醜い顔をしているな」
ニコラスの顔は涙腺や表情筋の一部が熱で焼け落ちてしまい、生活に重度の支障はないがおおよそ健康な人の顔をしているとは言えず、本当に醜い顔となっていた。
だがヨセフという男はその顔に対して、かつての美貌が失われて勿体ないなと思う一方、彼は戦士であり彼の様な顔を幾度となく見てきた物なので、その醜さこそ戦士の名誉であると誇らしい気持ちでもあった。
「むしろ顔と左腕だけで済んで幸運でしたよ。結構諦めかけてたんですから」
しかし外見の醜さとは反面、彼の色気というものはかつてよりも増しているとヨセフは感じていた。何故ならあのオドオドした様な、幼子の雰囲気は消えて堂々たる戦士の顔となった。それも、歴戦の戦士の顔だ。それでいて上品な所作と気高き心を持っているのだから色気が無いなんてあり得ないのである、
「それで、なんの用だ。死体蹴りしにきた、という訳ではないだろう?」
「いや、ある意味的には死体蹴りになってしまうかもしれない。ヨセフ兄、私は、僕は兄弟として貴方と和解したいのです。僕とアレクサンドル兄がそうなれた様にもう一度握手をしたい。貴方が処刑される前に」
ヨセフは大きく笑った。滴る水の音を掻き消す様に笑った。
「和解?それに何の意味がある」
「意味なんてありません。ただ悲しいじゃありませんか、兄弟なのに嫌いあったままなんて」
ヨセフは呆れた。何故なら弟のこの言葉が自分の唾棄してきてた弱い人々の言葉と同じだったからだ。
「はっきり言ってやる、反吐が出る。兄弟なぞ、少し似ている傾向があるというだけの他人に過ぎない。そんな他人に寄っかかって自分を曲げる?それは弱い人間だ」
「でも、それが人ではありませんか。貴方だって、その思想の提唱者であるラスアジィンニコだってそうだった。結局ラスアジィンニコが女を取っ替え引っ替えして、自分の弱さを慰めてもらおうとした様に、あるいは貴方が好き勝手と言いながら何処か真面目な部分があったりと、強い人にははなれなかったではありませんか。この世の誰も、真に強い人になんてなれないんです」
「カウンセラー仕草で憐れんでくるんじゃない。いいか、ニコラス。確かに人は真に強い生き方はできない。でもそれは星強だって同じだ。人が善人になりきれない様にな。だから本質は強い人になることではなく、強く生きようという所にある」
ニコラスは知っていた。それは苦しいだけであると。自分が最後まで清廉であれなかったように、無理なものを突き通そうとするのは本当に苦しく辛いものなのだ。
「辛くありませんか」
「それがカウンセラー仕草だと言っている。そもそも辛いからやらないというのはおかしな話だ。勿論、その先に報酬が無くてもだ。だってそうだろう、生きる事は空腹に苛まれると同じ。その過程が如何に幸福だとしても待っているの死であり、むろん殆どの人は生きる過程において不幸だ。生きるという行為がそうであるように、過程が辛く報酬が無に等しいとしても人間はやるんだ」
ニコラスは何も言えなかった。何故ならヨセフという人間が自分とは徹底的に違う人間であると理解したのである。
「では和解は無理なのですか。僕は悲しいです、それでは」
「そうやって可愛げのあるような言葉通用したのはお前の顔が美しかったからだ。でも今は醜い、そのような卑怯なやり方が通じると思うなよ」
ヨセフは立ち上がり、檻の前で自分の姿を見せた。偉大なる獅子と名誉あるボロボロの服を誇りこう言った。
「何よりだ。俺はアレクサンドルじゃない。俺はあいつのように、あるいはお前のように兄弟だとかそういう気持ち悪い物の為に自分を曲げたくない。それは将としての俺の矜持でもあるしな。だから今すぐ出ていけ」
ニコラスは納得するしかなかった。だからもう和解は諦めるしかなかった。でも家族としての義理は通さなくてはならないので、彼はヨセフにこう伝えた。
「じゃあ最後に伝えておきますね。僕、結婚するんです。シャルージェと」
ヨセフは珍しく豆鉄砲を打たれた鳩のような顔をしていた。弟が結婚する、いずれはそうなるだろうとは思っていたが、まさか本当に結婚してしかもその相手が元革命家のシャルージェ・ウリヤノワなんていう女だとは思っても見なかったのだ。
「…あの女は良い女だ。しかしあれと結婚したという事はあれの信念とかそういうものを踏み躙って粉々に砕いたという事になる。お前は…」
「えぇ、勿論。そうしましたよ。僕は僕の為に彼女の夢も信念も打ち砕きました。僕の欲望の為にです」
基本的に誰かに与えるしかやらなかった弟が我欲を優先して他人を損なった。それはヨセフにとって喜ばしい事だった。何故ならヨセフの思う強い生き方とは、他者を損なってでも我欲を通すという力強さであるのだから。
「そうか、成ったな。おめでとうと言っておこうか」




