後編
深緑に包まれた深い広大な森の奥深くに、こじんまりとした小屋があることを知っている者はあまりいない。
それは、その森が魔獣などが跋扈している土地であること、そして小屋の主が口に出すことも憚られる恐ろしい人々だという噂のせいでもあった。
「なんだ。結局、父上も来たのか。」
小屋の中から現れ、歓迎の言葉もなく鼻で笑ってみせたのは美しい少女、白雪姫だった。
「へぇ、噂通りの美人だね、白雪姫」
口笛を吹いてマジマジと少女を見たロークの横で、狩人二人が担ぐ輿に鎮座している鏡に映ったオウルだった。
「そりゃあ、前の后は大当たりだったからな。
白雪はあれに似たし、俺に似て利口だから、世界で一番別嬪なのは当たり前だ。」
腕を組み、顎を摩りながら頷いている馬鹿面の父親に対して、白雪姫の冷たい視線が突き刺さった。
そして、その視界の片隅に、鏡の影となる場所で表情を曇らせているベルタが映し出された。
「相変わらず、ドアホだな父上。」
再び父親に向けられた彼女の凍てつく眼差しと呟きに、鏡を持つ狩人たちでさえ賛同を示している。ただし、鏡の中の主人には見えないように、ではあるが。
「それで、先程聞くのを忘れていたが、貴殿は?
義母上の仲間というのは分かるが。」
黒いローブを纏ったまま、この森に入ってくるような奴は魔法使いくらいだろう。白雪姫の言葉は、質問ではなく確信だった。
「これは失礼をいたしました、姫君。
僕は、魔法使いのローク。ベルタの兄弟子となります。」
「ほう、あの有名な。ツォルンたちからも話を聞いている。
数少ない、戦場を駆け巡れる魔法使いだそうだな。」
「これは、光栄なことで。
僕も、姫君の話は聞いているよ。
王家の子供に送られる魔法使いの祝福の、近年稀に見る成功例ってね。」
国を治める王家に子供が生まれた時に、国に住む魔法使いが祝福を与えるという伝統がある。
それは、王家の子供に強い守りを与えたいという考えから始まったといわれる伝統ではあるが、国に住んでいる魔法使いが腕がいいという保障はなく、成功するか失敗するかで博打に近いものとなっている。
その昔、まだロークとベルタの師が死んだばかりの頃、二人で住んでいた国の王女の祝福をもたらした時にやらかしたこと、夢のような人生→(青春時代で時が止まる)→百年の眠り、がいい例である。
ベルタほどではないが、他の魔法使い、魔女もいろいろと祝福に失敗しているらしく、その話は度々市井でも噂となっていたりする。
「まるで、実験結果を見るような言い方だな。
そんな風に面と向かって言われたのは初めてだ。」
「そりゃあ、まぁ、確かに美人だし中身もなかなかみたいだけど、
僕としては、僕のお嫁さんに敵うことはないからねぇ。」
「えっ先輩!結婚してたんですか!!!」
愛おしい人を思い出し、ロークはその不健康なまでに真っ白な頬を赤らめる。
それを、気持ち悪いだの、不気味だの、と感じている白雪姫や鏡の中のオウル、狩人たちを他所に、ベルタは驚き、ロークの纏うローブに縋りつくとガクガクと揺さぶった。
「あぁそうだ。
君からも連絡の件のついでに、それを言いにきたんだったよ。
この前、長いことかかって、ようやく口説き落とせてね。
今度、昔の仲間達にも紹介がてら、小さな宴をしようと思っているんだ。」
「今日は、ご一緒じゃないんですか?
この国、いろんな国の貴族様とかが避暑に来るくらい風光明媚なんですから、
連れて来れば良かったのに」
「ちょっとお転婆な人で、家でお仕置き中なんだ。」
まるで天気を語るようにニコニコと告げられた言葉に、うろん気な視線がロークへと向けられた。
この色々と問題のあると噂高い魔法使いのお仕置きは、どんなに最少の想像をしようとも如何しようもない行為だとしか思えなかった。
「せ、先輩のお仕置き・・・」
ただし、彼と物心がつく前からの付き合いである筈の妹弟子の考えだけは別の方向に飛んでいっていた。
顔を真っ青に染め上げ、プルプルと震えていたかと思うと、
「崖の上からバンジージャンプとか、
ワニが一杯いる川の上にかかった蔓の橋を目隠し渡れとか」
どうやら彼女が想像しているお仕置きは、白雪姫たちが想像したものとは違った一般向けなものだったらしい。ブツブツと出てくるものは次第に事細かに詳しい方法になっていくのを聞いていると、実際にベルテがロークにされたものたちらしかった。
「んぅと・・・まぁそんな感じかな?」
ロークが首を傾げながら生み出した僅かな間が、ベルテが思い出している健全なお仕置きでは決して無いことを認めているようなものだ。
「君にはまだ早いだろうし、ね」
ロークの小さな声は、まだ見ぬお嫁さんの無事を祈っているベルテには聞こえていなかった。
「それで、ベルテ。もちろん、宴には来るよね?」
それは確認ではなく、命令にも近かった。
けれど、兄弟子の態度などに慣れているベルテは気にすることも一切無く、何の躊躇もなく、むしろ喜んで承諾の返事を返していた。
「もちろんです。久しぶりに皆さんにあうのも楽しみですねぇ」
「秘蔵の酒も出すからね。盛り上がるのは間違いないよ。」
ウキウキと小躍りを始めたベルテ。
数の少ない魔法使いが一同に解することは滅多に無いことな為、久しぶりに百年単位でご無沙汰している面々に会えるかと思うと、ベルテの心はもうその日へと飛んでいるようだった。
「ということで、来月あたりにベルテを10日間くらい借りるから。
よろしくね。」
「まてまてまて!!!10日間っだぁ!!?」
二人の間で勝手に決められた予定に、オウルが驚きが飛んでくる。
もしもオウルが鏡の中ではなく、ちゃんとした体を持っていたとすれば唾が大量にロークに降り注いだことだろう。
「魔法使いの宴は大概10日から、長ければ一月は続くものなんだよね。
なんたって、飽きるくらいの人生を生きる奴等ばかりだから。」
僕たちにとっての一月なんて、君達にとっての一日みたいなものだよ。
そう笑うロークの背中に隠れ、困り顔を露にしてオウルを覗き見るベルテも、その言葉を頷いて肯定している。
「だからって、そんな長い間そいつがいなかったら俺はどうしたらいいんだよ!?」
オウルの訴えに驚き、ロークの背中から姿を見せたベルテ。
「こんな鏡の中じゃあ、ベルテがいないと何もできやしないってのに!」
すぐに飛び出してきた続きの言葉に、ベルテは再び顔から色を失わせてしまう。
「その程度の魔法なら、城に戻ったら僕が解除してあげるよ。
それで、いいだろ?」
「う・・あぁ。」
僅かに低められたロークの声音に、オウルは勢いを奪われた。
「ベルテ。
先に戻って準備でもしててよ。
僕は、ここら辺で必要な薬草とか集めて行くから。」
「はい。」
頭をポンっと叩かれ、ロークのローブから手を離したベルテ。
ロークは腕を一回振って、一枚の扉板を出現させた。
それは、城のベルテの部屋へと続くよう、転移の術がかかった扉だった。
「・・・それでは白雪姫様。
お邪魔しました。」
「あぁ、義母上。結局、茶の一杯も出していないからな。
また、遊びにこられるといい。
『七人の小人』たちも、ゆっくりと話をしたいといっていた。」
急な仕事の為にベルテたちが到着した時にはもう家を出ていた古い友人たちの厳つい顔たちを浮かべ、ベルテは僅かな笑みを浮かべると、手を振り扉を潜っていった。
「父上。
後悔したくなくば、さっさと城に戻ったら如何か?
まったく、我が親ながらに一発拳を入れたくなる。
元の姿に戻ったのならば、覚悟しておくが良い。」
娘の不穏な言葉
笑みを浮かべながらも目に不穏な色を見せ始めた魔法使いローク
そして、可笑しさを感じた妻ベルテの様子
オウルは素直に娘の忠告を受け入れ、狩人たちに命じ、ベルテの後を追い扉を潜っていった。
「ふん。まったく困ったものだ。
それにしても・・・」
消えていった父親の、狩人たちに担がれて輿に乗った鏡を嘲笑で見送った白雪姫は嘲笑を、面白そうなもの見る笑みへと変え、ロークへと振り返った。
「稀代と呼ばれて恐れられている魔法使いも、随分と妹弟子には弱いのだな」
意外、意外!!抑えきれずに笑い出した白雪姫の声は、深緑の森の中に響いたのであった。
終わりませんでした。
ということで、次回「完結」ってことで四話ということになってしまいました。