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――トウキョウ。
この街に住む人々の平穏な日常は、ほんの30分前に崩れ去った。
暗い灰色の雲に、鳥のような影が無数に映る不気味な空の下。
街のあちこちで火災が発生し、いたるところから黒煙がモクモクと上がっていた。それが空を覆い隠す雲の一部になっていくサマは誰も見ていない。そんな暇は人々にはなかった。
政府が用意した地下シェルターまで走らねば死ぬからだ。
大勢の人々が大波のように一塊になって走る。
走っている中で何人か転んで、踏みつけられ死んでいるが、気にする者はいない。全員が自分のことだけで精いっぱいなのだ。
建ち並んでいるビルのほとんどは倒壊寸前。すでに瓦礫の山と化しているのも多い。
いくつもの電柱は根元からへし折れ、千切れてブラブラと揺れ動く電線からは、火花がバチバチと音を立てて散る。その近くには運悪く感電死したらしい人間の亡骸が放置されていた。
世界で稀に観測されるアポカリプスサウンドよりも、間近に死体があるせいか、よほど恐怖を煽る音であった。
アスファルトの道路もガタガタで、あちこち隆起している。加えて、所々に落とし穴かと思うくらいに大きな亀裂が走っていた。さらに瓦礫や石、倒れた電柱などが散乱している状態だ。
なので車は1台たりとも走っておらず、大半が乗り捨てられており、瓦礫や石ころと同様にただの障害物と化している。
多くの人が障害物や亀裂などに足を取られて転び、その転んだ人に足を取られてまた人が転ぶ災難の連鎖があちこちで起こっていた。
転んで動きを止めてしまった人間に、待ち受ける運命は死あるのみ。
何故ならば……
「DGUUUUL……」
地上には体長2メートルほどもある、巨大イモリの毒液怪獣ドグムルと
「GOOOOC……GOOOOC……」
イナゴとリオックが混じったような見た目をした体長1メートル弱の巨大昆虫、暴食怪虫イナゴックに
「SORRRRRRRS!」
空には翼を含めて全長15メートルもある巨大コウモリの音波怪獣ソルデスが。
それぞれ血肉を貪るべく、あちこちから狙っているのだ。
日常から人食いの化け物がいる地獄への転落。 瞬時に適応できる人間はいない。
いくら避難訓練を積もうとも、避難経路を頭に叩き込もうとも無駄。
平和に慣れ親しんで暮らしていれば危機感知能力は鈍り、パニックに陥るのだ。
「うわあああああ!?」
――ゴリュ……!
転んだ一人の男が、接近してきたドグムルに飛び掛かられ、すぐさま頭を噛み千切られた。
獲物を仕留めたドグムルは、ゴチュッ……ゴチュッ……と口のなかの頭部を咀嚼し、飲み込む。そして首無し死体となった肉塊を、モッチャモッチャと湿った音を立てて食べていく。
「EPPPPPP」
――クチャ……クチャ……
「EPSYAAAA……!」
――モチュッ……クチャ……
「EPPP……」
――クチャ……クチャ……モチュ……
そのすぐ近くでは3匹のイナゴックが、避難中に転んで、大勢に踏み潰されて死んだ人間の肉を奪い合うように貪り食っていた。服も骨も何もかも……悪食で暴食の彼らは、ヒトの痕跡を消し去るまで徹底的に食い尽くすだろう。
空では無数のソルデス達が一人になった人間を狙い、隙を察知した瞬間一気に急降下し、一瞬で人間を掴まえて、大口を開けて一気に捕食する。
「ひっ――ガヴッ!
「SOLLLLZ!」
女性が一人、喰われた。
しかし誰も振り向かない。
助けられないし、噛みつかれた時点で手遅れで助からないと知っているからだ。
このソルデスという怪獣の被害が一番甚大であった。個の力は他の怪獣よりも貧弱だが、空にいるというアドバンテージが大きいのだ。
ソルデスに襲われないようにするためには密集して逃げるのが最善だが、事故のリスクが跳ね上がる。もし集団で転倒すれば一網打尽にされてしまうだろう。
しかしそのリスクを負ってでも、人々は密集して逃げる。自分が襲われる確率を少しでも減らすために……皆、他人を肉壁扱いして群れることを選ぶのだ。転んだヤツや、ソルデスに襲われたヤツは運が悪いと見放して、自分だけでも生きようともがいているのだ。
「はぁ……はぁ……!」
道のどまんなかで横転しているトラックや、電柱に激突したらしい救急車を横目で見ながら、人の群れの中にいる少年は懸命に走る。
「走れ走れ、捕まったらゲーム没収だからな!」
彼の後ろには父親が同じように走っていた。
時折背中を押して、疲労で止まりそうになるのを防いでいる。
「ただし逃げ切ったら夜通しゲームやり放題だ、新しいの買ってやってもいいぞ!」
「はぁ……はぁ……うん……!」
励ましながら走る父親の足は限界が近い。真っすぐ走れているとはいえないレベルで、速度もだんだんと落ちてきている。
少年もそうだ。人間はいつまでも全力で走っていられる訳がないのだ。
それでもとにかく前に進む。身体はそれだけに集中していた。
「頑張れ! もうちょいでシェルターだから!」
「うんっ……」
息子の背中を押して、励ますことしか自分にはできない。その事実に父親は自分が情けなく思えた。
もし怪獣に襲われたら、助けてやれないことが悔しいのだ。これでは息子を一人にしているのと同じではないか……そう思えてしまっていた。
だが息子からすれば、父がそこにいるというだけで、勇気や希望などのプラスの感情が湧いてくるもの。親という存在は親が思うほど、子にとって小さくない。
どんなときも無条件で安心を与えてくれるのは家族だけ。だから少年は、こんな絶望的な状況下でも泣かずに走れている。
「もうあと少しだ気張れ!」
少年の体力はもう限界に近い。止まったらもう走れなくなるとわかる肺の痛みがある。
父親も同じだ。息が苦しくて頭が回らない。
しかしゴールは目前。シェルターの出入り口たるハッチはもう見えている。
残りわずか50メートル……というところで「SOLLKLLLLZ!」と奇っ怪な鳴き声を響かせながら、空からコウモリの怪獣ソルデスが飛来してきた。
数はたった1匹。速度は大人が平常に漕ぐ自転車くらいか。
それでも走っている人々は怖気づく。自分が喰われてしまうのではないかと不安に陥るのだ。
だがしかし、襲われる前にハッチを開けて、中に飛び込んでしまえば何の問題もない。
少年とその父親はそう考えていた。
襲い来るソルデスの速さはどうということはない。充分にハッチに間に合うはず……だった。
「SOLLLLZ!」
飛来するソルデスの加速。それに気が付き、狙いを本能的に悟った父親は「振り向くな!」と叫んで少年の背中をドンッと押した。
「はしッ……バチュンッ!!
言葉は最後まで紡がれず、代わりに血肉が弾ける音が鳴った。音源は少年の背後。父親がいるはずの場所だ。
一瞬の出来事で見てもいないが、少年は何が起きたのか察してしまう。父親の気配が消え、ソルデスの咀嚼音がどんどん遠くになっていくことで理解してしまう。
「……うぅ!」
言葉は最後まで紡がれなかったが、確実に「走れ」だった。
少年は泣きながらその指示に従う。振り向くことなく、シェルターがあるところまで全力で走る。
父親が消えて数秒後、シェルターに到達。
少年の周囲を走っていた人々が、我先にとシェルターのハッチを開けて中に逃げ込もうと群がっていた。
しかし大勢の大人が力を込めてもハッチは開かなかった。内側から施錠されているからだ。
「開けろ!」「開けてくれ!」と、子供のように喚く大人達。どれだけ叩いても開けようとしても、もちろんシェルターのハッチは何も答えない。
実は、そのシェルターはもうすでに収容限界を超えている。これ以上は受け入れられないのだ。
少年は大人達がハッチをこじ開けようとするサマを、ほんのちょっぴり離れた位置から見ていた。助力するだけの筋力もやる気もなかったからだ。
ほんの数秒前に、父親が死んでしまった。
別れも言えないまま喰われてしまった。
悲劇的な事実に直面した少年は座り込んでしまう。立っている気力がなくなってしまったのだ。
少年と同様、立ち止まってロクに動きもしない人々。怪獣の格好の餌食である。
「ああヤバいッ! こっちに怪獣の群れが来るぞォォォ!?」
空からはソルデス。陸にはドグムルとイナゴック。腹を空かした怪獣たちが、人間の入れ喰いを楽しみに迫ってきていた。
その危機に大人達は発狂する。
開けろと言いながらハッチを叩き続ける者もいれば、猛ダッシュでその場から離れていく者もいる。ただ絶望して泣きわめく者もいた。
そんな大人たちに囲まれていた少年は、疲れ果てており座ってから動くことができない。
「うっ……うぅ……」
嗚咽とともに涙がポロリと落ちる。
父親が死んだ。もう助からないという絶望。
同時に襲ってくるべきではない悲劇によって、少年の心は砕かれた。
「DGUUUUUUUL……」
周囲を大人達は迫ってくる5匹のドグムルに気付いた。壊れてしまった少年も気付くが、立ち上がる体力も気力もなかった。
大人達はシェルターに見切りをつけて逃げ去っていく。皆、生き延びるのに必死で少年のことなど、見えていないようだった。
全てを諦めた少年は、目を閉じてその時を待つ。
しかし、黒い学ランを着た大柄の青年が少年の腕を引っ張り、無理やり立ち上がらせる。
「馬鹿野郎! 死にてぇのか!」
怒鳴りつけながら、男は少年の腕を引っ張って無理やり走らせる。
その青年のおかげで、少年は無事に別のシェルターに入ることができ、生き延びることができた。
騒動が終わった際にはぐれてしまい二度と会うことはなかったが、少年は青年の、誰かのために動く姿に憧れを抱くようになった。
自分も父親やあの青年のようになろう……そう思いながら、少年は過酷な怪獣戦国時代を生き延びていく。




