記憶喪失
経営が軌道に乗り始めた頃。
「お嬢様、大変です! 裏で人が!」
開店前の朝方、店の裏路地で人が倒れていた。店周りを掃除しようとしたマリーが、見つけてきたようだ。
フェリシアはマリーとニコラスと共に急いで見にいく。そこには若い男性が、血だらけで倒れていた。
「ともかく、一旦お店に運びましょうか」
店の個室の部分に運び、血や汚れを拭ってやる。そして回復薬を傷口や口元に充て、回復を促した。
「う……ここは?」
「目を覚ましたようね。あなた、名前は言えるかしら? それと、倒れていた理由は?」
目を覚ました男性に、フェリシアは声をかける。
「俺は……ウィリアムと言います。倒れていた理由は、思い出せません」
「他は? 所属とか、家族とか」
「ええと……すみません。よく覚えていなくて……」
「あら、記憶喪失?」
フェリシアは口元に手を充てる。
「あの失血量なら仕方ないかと」
「どうします?」
ニコラスとマリーは、フェリシアを見た。
「彼、相当に腕が立つ者の体つきですよ」
ニコラスがこっそりと教えてくれる。確かに、引き締まったシルエットをしていた。
「なら。とりあえず、手伝い兼護衛として雇うことにしましょうか」
丁度、店の防犯が気になっていたところだ。せっかくなので新たに雇うことにして、契約書に署名させる。
それから少し看病すると、元気になった。
「あの、本当に俺を雇ってくれるんですか?」
「もちろん。何者でも良いから、今は手を借りたいところなのよね。大丈夫よ、強い悪意はないもの」
心配そうなウィリアムに、フェリシアは微笑んだ。
「ありがとうございます!」
感謝するウィリアムは、とても嬉しそうだった。
「(妙に人懐っこい気がするわね……。それと、記憶喪失のフリをしているみたいね)」
(態度がわかりやすいため)そう察する。何か理由がありそうだ。だが、嫌な感じはしないので、そのままにすることにした。
「ともかく。彼を一度、家まで連れて行きましょうか」
「良いんですか?」
「怪我人をお店に置いておくわけにはいかないわ。マリー、ニコラス。彼の事頼んで良いかしら?」
「分かりました」「かしこまりました」
×
終業時間後、フェリシアは家に戻る。すると、ニコラスが迎えてくれた。ウィリアムの事はマリーに任さているようだ。
「空いている部屋に通しました」
「ええ、それで構わないわ。さて、どうしようかしらね」
フェリシアは口元に手を充てる。
「……彼の動作は、毒蛇の公式組織の動きに似ていますね」
と、ニコラスは小さく告げた。
毒蛇の公式組織は中立を保ち、雇われの仕事を淡々とこなす組織だという。
「そう。少なくとも、呪猫の者ではないのね。とりあえず、ちゃんとしたお医者様に診せなければ」
次の日、休みだったので医者を呼ぶことに。
フェリシアが知っている医者はラファエラだったので、連絡をしてみることに。
連絡をすれば、すぐに来てくれることになった。
「ふーん。ただの怪我と言えばそう。外傷はもうないみたいだよ。傷の治りが早いみたい」
軽く診察して、ラファエラはそう答えた。彼女から「もう動いても大丈夫だよ」とお墨付きを貰ったので、次の営業日から働いてもらうことになった。
×
「あなたはこっち。飲食店の方を手伝ってくれるかしら」
正直、魔導書店の方は式神とニコラスで十分に回せている。なので、飲食店の手伝いをさせることにした。
「どちらでも良いですよ、あなたの役に立てるなら」
ウィリアムはにこにこと上機嫌そうだ。
「(……言い方が、少しわざとらしいわね)」
そう思うも、強い悪意は感じなかったのでそのまま放置する。
ウィリアムは物覚えがよく、手先も器用だった。そのため、ウェイターや料理人の両方が出来そうだ。
「暫くはウェイターをしてちょうだいね。あなたが居れば、厄介なお客さんも黙って帰ってくれるでしょう」
「分かりました」
「ここで出している料理は、呪猫のものがほとんどよ。あなたの口に合うかはわからないけれど……」
試しに、フェリアシアは試作品を、ウィリアムに味見をさせてみる。
「これ、おいしいですね! これならお客さんもたくさん来ますよ!」
結構気に入ってくれたようだ。
飲食店の客達は、ウィリアムの存在を大して気にしていないようだった。
×
飲食店がひと段落したところで、フェリシアは魔導書店の方に顔を出す。顔見知りの他にも、新しい魔術師や錬金術師が訪れている様だ。
「集客は上手くいったようね。やはり、良い店でも知るすべがなければ広まらないもの」
そう答えれば「さすがです、お嬢様」とマリーが感激した様子を見せた。作戦通りに物事が進んでいて、フェリシアは一安心する。
「新しい方が増えましたね。どうしたのです?」
フロンスが声をかけてきた。
「あら、あなた今日は滞在時間が長いのね」
「ええ、気になってしまったので。それで、新しく飲食店の方で雇い始めた彼は誰ですか?」
「ウィリアムよ。所以があって、雇うことにしたの。彼、手先は器用だし、人当たりも良いから助かるわ」
「そうですか。……正直、彼でなくても雇えたのでは?」
鋭い指摘に、一瞬詰まりそうになるが耐える。
「いいのよ。丁度良かったのだから。聞きたいことはそれだけ? 今日はお勉強の日でもないのだから、用事が済んだら帰られても良いのよ?」
「……そうですね。今日のあなたは機嫌が良くないらしい。帰らせていただきましょうか」
やや不服そうだったが、フロンスは魔導書店を後にした。それを見届けてから、フェリシアは飲食店の方に戻る。
「先程の男性はどなたですか?」
ウィリアムが声を掛けた。こっちもか、と内心でため息を吐く。
「古くからの魔導書店の常連の方よ。私に魔術や色々を教えて下さるの」
「魔導書店の利用者が? 客の範疇を超えていませんか?」
言われて見れば確かにそうだ。
「前店主のヨハンさんのお墨付きだったから。実際、彼が教えて下さる魔術は面白くてわかりやすいの。だから、ヨハンさんの目は確かよ」
フォローを入れておく。
「そうなんですね……」
どこか不承不承と言った様子で、ウィリアムは引き下がった。
「(……なぜだか、人間関係が複雑になった気がするわ)」
内心で首を傾げるも、フェリシアにはよく分からなかった。




