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第四話「ないしょの手紙」29

 ヒカリは所轄からその足で警視庁に向かうが、横溝捜査官は警視庁内ではなく、外で話すことになるという。

 この前、瑠璃の画像を非表示にしてもらったことに絡んでの問題なのだろうか。あまりにあっさりと希望どおりに運んだので、ホッとした半面、反動の流れに傾かないか気になっていたヒカリである。

 時間を約束しているのだろう、警視庁のロビーで腕時計を気にしながら座っていた横溝捜査官は、ヒカリを見つけるなり、こちらへ、と腕まで引いて、待たせていたタクシーに乗せる。

「これから会っていただく人がいます」

 連れていかれた先は、広目ではあるが一般の住宅である。玄関前の表札をみると、神林とある。

「……」

 ヒカリは唖然とする。前の警視庁公安部長の神林宅なのである。

 あかりが鑑定した美歌の父親でもあるのだ。美歌とは先頃、原宿で偶然会っている。そのとき、美歌の事実婚になにかおかしなものを直感したヒカリだったが、根拠はなにもないから、本人には話していない。

 なにより、所轄の捜査一課の工藤巡査と霞が関の地下喫茶で会い、なんらかの報告を受けていたことを把握しているヒカリだ。工藤巡査は、神林の前に富樫総務部長にも会っている。

 いきなり敵陣に放りこまれた格好だ。

「横溝さん。中をお訪ねする前に聞いておきます。まずいこととは何なのですか?」

 さすがに心構えもなしに神林と対面するのは、いきあったりばったり過ぎる。

「先日非表示にさせた画像です。頼まれた子ばかりでなく、ページをひとまとめに非表示にさせたのですが、その後、ページ全体が削除になりました。そのページに、神林元部長のお嬢さんがいたのです」

「なんですって?」

 他の画像まではよく目を通していなかったヒカリである。四十路に近い美歌が、瑠璃のように他人にさらされたのだろうか。

「自分が非表示を命じたのは、お嬢さんの画像があるのを見つけたからだ、と神林元部長は思ったのです」

「しかしそうだとして、娘さんの性的画像を消したのなら、お礼を言われこそすれ、まずいことになるとは思えませんが」

 それ以上の話は中で、と訪問を促す。


「肖像権契約?」

 耳慣れない言葉に、ヒカリは思わず聞き返してしまう。

 神林元部長も横溝捜査官も、うなずくだけで説明をつけてこない。ふたりとも意表をつかれて、対応に腕をこまねいているのだ。

「著作権は使用されることへの対価です。使われなくなったことへの保証や賠償はありません。しかし、肖像権であれば、画像を消されてしまうことで、入るはずの肖像権使用料が入らなくなる。その損害賠償を神林元部長に求める、相手はそう言っているわけですね」

 著作権と肖像権はまったくの別物だ。著作権者であっても、あるいは著作権を買い取った者であっても、肖像権が設定された人物が写った画像や動画を使用すれば、写っている本人か、本人から委託された管理者から使用料の請求を受けてしまう。

 話を聞く前は、美歌もまた、瑠璃のようにリベンジポルノの被害でも受けたのかと考えてみたヒカリだが、そうではなかったのだ。

「現在の肖像権の持ち主はどなたなのですか。美歌さん本人と契約した人物なのでしょう?」

「それが……」

 神林元部長は一通の封書を差し出してくる。

「神林元部長のもとに、神林美歌当該の代理人と称する人物から、内容証明郵便が届いたのです。差し出しはワークプレス・エム・テイ。担当者名はありません」

「わかってきました。その人物はサイト運営者に問い合わせ、掲載画像が非表示になったのが、横溝さんの命令であることを突き止めた。横溝さんに指示したのは元上司の神林さんだと思い込んだ。その根拠は、非表示にしたページに神林さんの娘さんの画像があったから。 だから、神林さんに内容証明を送ってきたのですね。」

「そうです。ですが、実際はあなたの依頼で、元部長の娘さんとは関わりのないことです。その事実関係を元部長に説明してもらい、請求先をあなたに変えてもらう手続きをします」

「これは……。新しいビジネスとしか言いようがありませんね。肖像権など芸能人でもない限り対価を生むようなものではなく、あるとしたら、自分が写っていたものが勝手に使われた場合の賠償の性格です。しかしアダルトサイトなら一般人でも閲覧される機会はかなり多く、肖像権の売買は成立します。さらに、過去に判例があったかわかりませんが、閲覧される機会を奪われたときの賠償も、理屈では民事訴訟で可能と思われます。権利を守るための法律をお金儲けに利用するとは、誰が考えついたのか……」

 ヒカリが警視庁内で横溝捜査官に依頼するに至った経緯を神林元部長に伝えると、

「この書類に署名捺印をしてください。自分への依頼者が神林元部長からあなたにかわります」

 横溝捜査官から、認め書きを渡される。

 支払いを拒否できる法的根拠はなにもない。神林元部長もそれがわかっているから、債権をそのままヒカリに渡そうとしてるのだ。

「事実、依頼したのは私ですから、こんなバカバカしい請求は私のほうで処理します。ですが、これにサインする前に、神林さんにはお聞きしないといけないことがいくつかあります」

「八矢さん。因果関係の当事者なのに、それは失礼ですよ」

 横溝捜査官は強めの口調でたしなめてくるが、

「いえ。美歌さんのこれからに関わることですから、ぜひ聞かなければなりません」

 そう聞くと、神林元部長も横溝捜査官に、かまわない、と目配せをしている。


「私は実は美歌さんと二度面識があります。先日も原宿で偶然ですがお会いしました。それを含んでいただいて、私の質問にお答えくださいませんか」

 神林元部長も横溝捜査官も、美歌とヒカリが知人であったとは知らなかったから、目を大きくして驚いている。

「神林さんは、美歌さんの結婚についてどのようにお考えですか」

 神林元部長は、娘の事情をある程度知っている人物だと、ヒカリのことをみたのだろう。ためらうことなく話し出す。

「美歌は理想が高すぎるのか、平凡な結婚にはまったく興味がなく、私や家内が持ち込む見合いの話も、けんもほろろに断り続けてきました。もう四十も近いというのに、いかず後家です。結婚がすべての世の中ではなくなったとはいえ、娘親としては悔いが残ります」

 在職中の役職に箔がつくような結婚相手を勧めつづけていたのだろう。それが叶わなかった悔いもあろうが、やはり女の幸せは結婚にあるとの意識が強いようだ。

 結婚そのものが幸せとは限らないが、本人がその気になれば結婚で幸せになることはできる。ヒカリも結婚してはじめて、それが幸せなものだとわかったのだから、神林元部長の親心も余計なお世話とは思えない。

「美歌さんとはじめてお会いしたのは、私の妹弟子の鑑定所に、結婚の鑑定を受けるためでした。結婚といっても事実婚で、しかもお相手は既婚者です。神林さんは大反対なさっているとお聞きしています」

「当然でしょう。早い話、妾でしょう。どこの親がそんな関係を許しますか」

「二度目にお会いしたとき、神林さんとは口をきいていない、と言っていました。口をきかないということは、説得する気はないということです。美歌さんは家を出て、その男性のところへいくつもりです。神林さん。父親としてどうされますか」

「当然連れ戻します。ですが……」

「結婚に関心を示さず独身を通すおつもりだった美歌さんに、事実婚とはいえ結婚を意識させた男はどんな人物なのか、父親として知っておきたい。そうですね?」

「さすが警視庁でも評判のあなただ。正直なところ、その通りです」

 ヒカリは、それはいずれわかることになりますよ、となにかに気づいたのか含んだように伝えてから、内容証明の郵便物を手に取り、これについてのお話をしましょう、と神林元部長の目を見る。

「美歌さんの裸の画像がアダルトサイトに投稿されていたというのは、私も驚きましたが、誰が撮影したのか──。美歌さんは事実婚のお相手以外に交際されていた人はいませんでしたし、お相手とは体の関係もまだとのことでした。他に美歌さんを撮影できる人物は見当たりません」

 では誰が、と横溝捜査官は口をはさんでくる。

「状況的に、自撮りした画像をご自分で投稿した可能性が非常に高いです」

「なぜそんな恥ずかしいことを自分で……。考えられん」

 神林元部長は、憮然とした顔になる。だが怒りを見せないのは、親として、娘の気持ちが切実なのを感じ取れたのだ。

 ここは、ヒカリも美歌の心情を慮り、美歌の気持ちになって話してみる。

「私はリベンジポルノを対応したときに他の人の画像もいくつかみましたが、自撮りの割合は高いものでした。自撮り投稿は女性の承認欲求のあらわれで、欲求自体は年齢に関わらず多くの女性が持っているものです。自分の裸体の公開は特殊な欲求のあらわれかたではありますが、美歌さんはそれをしないと心の均衡が保てなかった。そういうことだと思います」

 自分から衰えはじめたであろう自分の裸体を見せる。まだ女性としていける、という評価を得たい。そして今の年齢の自分を、自身でも肯定したかったのかもしれない。

「美歌さんは、潜在意識では焦っていたのですよ。女性として価値が低くなっていくことに」

 神林元部長の表情に、怒りよりも、やり場のない感情に苛まれていたのだろうとヒカリは察する。

 ヒカリはまた、内容証明の書面に視線を落とす。

「そして、その自撮り画像をみて、美歌さんの肖像権をものにしようと考えた人物がいます。肖像権の契約は、本人と交わさないと成立しません。その人物は美歌さんを探しだして対面し、肖像権の譲渡に同意させた──内容証明郵便からもこの流れで間違いないでしょう」

「では、娘はターゲットにされたと?」

 肖像権設定という思いつき自体、お金儲けの発想の産物です、とヒカリは言いきる。

「この人物は、アダルトサイトに自分の裸体を投稿している美歌さんを狙って近づいたのです。おそらく美歌さんは、非表示をなったもの以外にも、多数の投稿をしていて、目立っていたのだろうと推測できます」


「八矢さん。娘をその男と別れさせたい。それに、娘の画像は全部消してしまいたい。あなたに協力してもらいたい」

 それぞれは別個の事案である。画像だけでも、総務省、プロバイダー各社、サイバー犯罪対策課、行政書士。事実婚をする男性とは、別れさせ屋、弁護士。それぞれの専門とするところに頼むと、娘の醜聞を知る人間が多くなってしまう。

 いくつもの捜査案件解決へのヒカリの頭脳的貢献を聞いている神林元部長だから、今この場で、美歌の知人でもあるヒカリに頼むのが、最善の策なのだ。

 それがわかっているヒカリだから、わざと嫌な顔をしてみせる。

「神林さんは、私に別れさせ屋をさせようとしているのですよ。それに、肖像権については法的な契約と思われます。契約の解除も法的に行わなければなりません。それがうまくいっても、画像をネットの世界から完全に消すのは、並大抵のことではありません。消してもゾンビのように復活してくるのが性的画像です。今も、私が消そうとしているのも、日本のどこかで端末保存された画像で、誰がいつ再度の投稿するのか、まったくつかめずに防御の手段も見つからないのですよ」

 そんなヒカリの反論を聞いても、横溝捜査官は、八矢さんが適任者と自分も思います、と意見を入れてくる。

 ──向こうは私に頼らざるを得ない。

 ヒカリは意を決した。今が攻めどきだ。敵かもしれないが、懐に飛び込んでみよう、と。

「……神林さん。私のことは、以前からご存じですよね。碧泉院流占術士のヒカリです。そして私の主人もよく知っているはず──公安課に在籍していた、あなたの直属の部下だった、八矢圭吾です」

 ヒカリが圭吾の妻だったことは、横溝捜査官から聞かされていた神林元部長である。

「八矢は碧泉院流親占教会を隠れ蓑にした政治資金の還流と、企業からの闇献金の調査を担当していたと記憶している。私が定年退職したあと、八矢は警察を辞め、その後、痛ましいことになったことは噂で聞いています」

「主人がなぜ、誰の手によって殺害されたのか、ご存じであれば教えてください。わからないのであれば、主人が在職中に担当した案件をすべて教えてください。ほとんどすべて神林さんから直接受けた任務なのでしょう?」

 工藤巡査のことには触れず、神林がヒカリの両親や圭吾の殺害に噛んでいると推測していないように思わせるヒカリの言い方である。

「八矢さんは、ご主人の八矢が公安の任務に関連して命を失ったとみているのです」

 公安の任務が圭吾の死と関係なければ、総本山の関与が濃厚になる。ヒカリが知りたいのはそれなのだが、横溝捜査官と神林元部長には、公安任務を怪しんでいると思わせておいたほうが良いだろう。

「それともうひとつ、横溝さんにも条件をつけます。美歌さんの画像を完全に消すには、私にかなり強力な権限が必要です。先日のリベンジポルノの子の画像が、再びネットにさらされています。同じことが、美歌さんにも起こり得ます。私に関係各位に命令できる立場を与えてください」

「できないことはないですが、総務省と警視庁のサイバー犯罪対策課並みのものまでです。率直にいって、表現の自由のほうが上位で、強力とまではいえません。例の子のように、児童ポルノ法の対象であれば問答無用も可能ですが、一般のポルノでは限界がありますよ」

「そこは私のほうで策を考えます。約束いただけるなら、美歌さんを男性から引き離し、神林さんと奥さまの元にお戻ししてみせます。美歌さんの画像もネットから完全に消してみせましょう」

 交換条件は成立した。

 神林元部長は圭吾の殺害に直接関与している人物はわからないという。代わりに、圭吾が公安時代に担当した案件を、近日中に直接手渡してもらえる。

 神林元部長と横溝捜査官は、ヒカリの身分証の発行を警視庁と総務省に準備させ、ヒカリは肖像権賠償の当事者たる証明の書類にサインを記す。

 ──圭吾くん、待っててね。

 事件の解明に大きく近づくに違いない。ヒカリ、がんばれよ、と励ましてくれる圭吾の声。ヒカリの心には、あたたかく聞こえているのだ。

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