第三話「すでに日は暮れて」12
ここのところ、ヒカリはろくに眠っていない。
眠る時間がとれなかったり、眠れなくなるようなことを考えるせいだったり。
今夜など、仮眠すら無理だ。
栞が死相の持ち主である可能性が濃厚な状況なのだ。
教頭からの知らせで、自転車通学の生徒は多くなく、当日は全員が部活動で学校に残っていた。
タクシー会社各社からも、優美ヶ丘女子高等学校の制服を着た乗客を載せた車がないと、吉川巡査部長から報告を受けた。
栞のラブデータで恋愛のトラブルを抱えた生徒だけ裏づけがとれていないが、そもそもそんな生徒は三、四人であり、内容も大ごとなものではない。ストーカー被害になりそうなものや、既婚者との交際からの修羅場とも縁がない生徒たちだ。
落ち着かない気持ちは、栞を観ることを、そして栞を助けることを欲していると、ヒカリ自身わかっている。
登校する間際に、ユミカの事務所からの電話を受けた。
『兄哥よ銃をとれ』の制作が中止になるという。ヒカリは、昨夜にあの男が配給を撤回する意思を固めたのだと察する。
制作中止はまだ決定事項ではないが、妹役は栞に決定していて、正式発表の前に内示を事務所に伝えていたという。それからすぐ、配給が白紙になりそうな事態となり、制作会社はまたも内々に連絡してきたのだ。
そして、社長は、どちらも栞にもすでに伝えてしまっているという。
役を得たことと、役が流れたことを、たてつづけに連絡したことになる。
社長が、いっときも早くオーディションに合格していたことを、栞に知らせたかったのには理由があった。
社長の話では、実は栞は、芸能事務所に入って三年でデビューできなければ、女優を諦めることを両親と約束していたのだ。
芸能界入りに猛反対していた両親は、三年という期限を切って、活動を認めたという。
そして、デビューが叶わなければ、事務所をやめて、大学受験に専念させる、ということを、事務所とも念書を交わすほど固くこだわっていたのである。
その三年の期限が、今年の十月。それまでにデビューするためには、遅くとも今月中には役を得なければならなかったのだ。
最後に、役をつかんでいたことを思い出に、芸能の世界とわかれさせようという思い遣りのつもりだったと、社長は話した。まさか、その直後になかったことになるとは。
お蔵入りはあり得ても、作品自体がなくなるとは思いもよらなかったという。
彼の日、事務所内の選抜にも通りそうになかった栞が、碧泉院流親占教会を訪れたのは、鑑定次第では自死を思い詰めていたのかもしれない。それくらい、栞は女優の夢に賭けていたのが、社長の話からうかがえたのだ。
鑑定の前に姿を消したのは、結果を知るのが怖かったのかもしれない。栞にとって、夢を諦めることは人生を諦めるにも等しいと思うなら、いったん逃げたとしても、その気持ちは如何ばかりかとヒカリも思う。
状況証拠は揃ったが、それでもまだ、総本山を訪れた死相の持ち主と決まったわけではない。
だか、そう思うのは、栞であってほしくない、自分の願いからだろう。すべては栞に会ってからだ。
登校したらすぐ、栞の相を見なければならない。そして、話をしなければならない。心の落ち着きなさが、これ以上ないほどにヒカリの体を震えさせる。
この電話のために、ヒカリは遅刻せざるを得なかった。教室に入ってすぐに栞を探すが、隣の席にはいない。栞は登校していないのだ。
「栞っ……!」
ヒカリは教室を飛び出した。校長や教頭、あかりにも説明している時間はない。
キャビンプロモーションが入居するビルの屋上。十階建てのその上は、二メートルを超える高さのフェンスが、誤っての転落を阻むためそびえている。
栞が靴を揃えてフェンスをのぼろうと手をかけたそのとき、いつの間にか、すぐわきに人が並んでいて、栞と同じようにフェンスに手をかけている。
「ヒカリ……!」
「いっしょに、逝ってあげようか?」
ヒカリの目が、慈しむように、とても優しい。
「なんでわかったの……?」
屋上に吹く高所の風が、二人の髪を強くなびかせている。髪はヒカリの微笑んだ口許を隠し、また見せると、唇が動く。
「友だちだから──」
その一言が、すべてだ。
本当の友だちだから、ヒカリはそう口にする。
「栞が死んだら、私が寂しいでしょ」
「え……」
「だから、逝くんだったら、私も逝く」
ヒカリの優しい目に見つめられ、
「ヒカリ……!」
ヒカリの胸に抱きつき、一度にたくさんの涙が、栞からあふれ流れる。
「合格良かったじゃない。おめでとう。デビューはだめでも、次があるじゃない。今回、事務所の選抜を通ってオーディションも勝ち抜いたのよ」
「次はないんだよ」
栞は力なく、死相を明滅するように見え隠れさせている。
「知ってる」
ヒカリは、誰から聞いたとも言わず、フェンス越しに斜め下に視線を向ける。
「四月にね、私の知り合いが飛び降りたの。女の人。死んだわ」
ヒカリと同じところを見ていた栞は、ビクッとして、ヒカリへ顔を向ける。
「その人、飛び降りて満足したと思う?」
栞は答えられない。
「遺体の顔がね、飛び降りて後悔した、そう言ってた。本当は死にたくなかったって。私にはそう見えた」
「……」
「ご両親のいう通りにしなさい」
「え?」
「栞が女優の道に進む運命なら、ご両親がどれだけ反対しても、女優になるように勝手に道が開かれて、運命の力によって歩まされる。もし栞が、女優なんてやめた、と思っても、運命は女優にしてしまう。だから、次はあるのよ。今はなくても、あるのよ」
もう占術士の性を隠さないヒカリだ。もう、誰も死なせない。運命は、人が生きるためにある。死に向かう運命は、人の力、人の想いで変えられる。
「ヒカリ! 私、本気で死ぬつもりだったんだよ!」
「わかってる」
「なのに、私、死ななかった。ヒカリって、神様、女神様なんだね、きっと」
ヒカリは栞の両手を力いっぱい握る。
「神様も女神様も、こんなふうに手を握ってはくれない、あったかい体温を感じさせてくれないわ。私は人。人を助けるのは人。神じゃない。人のそばで寄り添うのは、神様でなく、人間の友だちよ」
ニコリとして、なおも力をこめて、栞の手を握りつづける。
「私、運命に従う」
「いい運命なら従い、悪い運命には抗う。それが人なのよ、栞」
栞の肩に腕を回し、行きましょう、と屋上から階下へ歩み終え、地面に降り立ったヒカリは、
「私ね、いいものみつけちゃったのよ」
と、スマートホンに、あかりが作ったPDFファイルを出す。
「いいもの?」
ヒカリは、今日はじめて、ニコニコしている。
「ほら、電車で栞に動画を送ってくれた彼、ここにいるでしょ」
「ヒカリ!」
今度は栞がヒカリの手を強くにぎる。嬉しそうな顔。喜びの目。栞が死相の囚われから還ってきたのだ。
──終わった。とうとう。
心から楽しんだ高校生活。今日で別れることが、ヒカリはたまらなく寂しい。そして、ずっと友だちでいたかった栞と、今、最後の心の通わせをしている。
ユミカのスキャンダルを報じた週刊誌は、もはや、どのように終息させるかに方向を移している。
ユミカと男性はあくまで友人で、その友人の会社が反社会的勢力の所有であることが世間に容認されては、スキャンダルとはいえなくなる。
午前三時に最後の続報として、反社会的勢力の起こした過去の事件を流したが、その瞬間に、前々組長の時代のことで憲斗の会社を所有するはるか前、しかも組員の独断行動でその後に盃を返されたことが書き込まれる。
ヒカリがあらかじめ調べていた項目を適宜選んでインターネットに書き込んだ澄花は、これが最後の仕事となった。
ヒカリは最後の詰めに入る。
昼過ぎに、ユミカの事務所の公式アカウントに、これ以上の報道に対しては、過度な誹謗として法的措置をとることを明言して書き込む。
同時に、週刊誌編集部に、和解案を提示した。
お詫びの掲載は誌面への信頼を損ねるので求めない。その代わり、ユミカと窓加聡のインタビューを載せる、というものである。
スキャンダルへの対抗の意味合いがあったインタビューは、映画の制作前宣伝の形をとっていたため、制作中止が濃厚な現状では、本来掲載さるはずだった別の週刊誌は見送ることを決めていた。
その内容から、映画の宣伝を抜いて、友情をテーマにしたものとして、五人の友情をとりあげて、掲載することを求めた。
憲斗も立派な社会人のひとりとして、なに喰わぬように扱うことで、手打ちにしようというのである。
世間からは、誹謗しておいてなんだ、と非難されるだろうが、内容が人の讃えなら、バッシングもそのときだけで、尾を引くことはないだろう。
ヒカリの私室で、缶酎ハイをあけて、あかりは、これが飲まずにいられるか、とプリプリしている。
「あと一週間で夏休みなんだから、それまで高校生をやらせてくれてもいいのに。そう思わない? ヒカリ」
あかりも週明けには死相を持つ生徒が特定され、潜入の役目が終わることがわかっていた。
だが、昼休みに突然、懸案は解決と言われ、制服も学生証も返せとなったのである。
追い出されるように学校をあとにした形で、怒り心頭にプンプンしているのである。
生徒の無事が確保された今となっては、外部から潜入した人物はいなかったことにしたいのが校長の考えだ。
「もはや無関係の人間だから、学校の立場としては当然よ」
そういうヒカリも、寂しさが拭えない。七海にも、調理部の仲間にも、別れを言うことができなかった。
今日は欠席となった栞も、ヒカリがもう学校にこないとは思っていない。
心の内をわかり合う友だちの間柄は、ずっとつづくと思っているだろう。
ヒカリは、ユミカと小学校時代からの友だちを思わずにはいられない。
──いつまでも変わらない友情を誓って。
ヒカリが考えた一文だが、自分で読むと、この言葉に憧れている自分自身がわかるのだ。
あっけらかんとして、気の置けない、それでいていつも自分のことを気にかけてくれているあかりも、大事な友だちだ。
だが、あかりのような性格は、男次第でどうにでも転ぶのもわかっている。
そもそも女同士の友情は、男の存在でひびが入るのが世の常でもある。
男をとるか、友情をとるか、その選択を迫られたとき、たいがいの女性は男を選ぶ。
ユミカたちがあたたかい友情を保っていられるのは、男子が中に入っているからだろう。それでも、羨ましい。
自分は長くつづく友だちを得ららるのだろうか。
思ってすぐ、強く首をふるヒカリだ。
──そんなこと考えるなんて、栞とさよならしたのが、よっぽどこたえているんだわ。
あかりだって、男を選ぶことが自分と袂をわかつことにつながるとは、まったく限らない。
「また戻りたいなあ。来年でもいいからさ」
あかりが腕を頭の後ろで組んで、あぁあとため息をついている。
「あんた、来年こそは熟女優よ」
「だから、それなんなのよ。この前も同じことを──」
みなまで聞かないうちに、クスクス笑い出すヒカリである。
一週間たち、学校は夏休みだが、ヒカリにもあかりにも、もう関係がない。
あかりも伝説の恋愛マスターとして名を広げたが、早晩忘れられるであろう。
昼は麻雀店とパチンコ店で小金を稼ぎ、夕方からタロット占術の鑑定をする日々が戻ってきた。
日付けがかわる少し前に、鑑定所から住まいのアパートに戻る生活も戻っている。
今日もあかりがコンビニエンスストアからパンと惣菜を買って帰ると、ドアの前に男性が立っている。
「あら、すっぽんぽんのお兄さん」
身ぐるみ剥がされた上に、スタンガンで眠らされて横たわっていたその人である。
もちろん今夜はきちんと服を着ている。それもバリっとした背広だ。
「先日はありがとうございました。お借りしていた服をお返しにきました。それとお礼を」
紙袋の中には、ジャージパンツとTシャツのほかに、下着も入っている。
「下着はもらっておきなさいよ。返されても使い道がないし、かまわないわ」
「そうですね。人の使ったものを、恋人に着せられませんしね」
「その通りよ。ま、今のところフリーだけど」
言ってすぐ、余計なことを口にしたと気づくが、思い直すと、そうだ、とひとつ閃いた。
「お礼というなら、これからご飯に付きあいなさいよ。なんなら、飲みでもいいわよ」
「いや、お酒はちょっと」
「じゃ、ご飯で決まりね。さ、いくわよ」
あかりは男性の腕を引き、歩き出す。
ヒカリの推測では、この男性は麻薬の取り引きに関係しているかもしれない。
ひとつでも正体を見極める情報をとりたい。あかりにも、少しは何かの役に立ちたい気持ちがあるのだ。
「なんか食べたいものある? 一応お礼だから、そっちのおごりだからね」




