第三話「すでに日は暮れて」2
佐藤栞は高校二年生。女子高に通い、学年のなかでも一、二を争う可愛い容姿と噂されて、他校でもおおむねそんな評価で、本人もまんざらではない。
だが、いまだ男女交際の経験はなく、実際それどころでない日々なのだ。
部活動ではなく、個人的な活動なのだが、電車に乗り込んで人の波に押されても、頭のなかはそのことでいっぱいだ。
朝のもっとも通勤通学で込み合うこの時間に乗らなければ、学校に遅刻してしまう。睡眠を削って何本か早めても、座席がとれるわけでもないから、時間的に一番折り合いのいいこの電車を毎日利用している。
出入り口から四、五歩ほど中に入った場所で、通学カバンを胸元で抱えて、前に立つ人を押さないようにこらえる栞だが、後ろは容赦なく背中を押してくる。
こんなのはいつものことだ。
だが、いつものことでないことが、この朝は起こった。
栞のお尻に人肌の感触がするのだ。制服のスカートを気づかないようにまくられ、下着の中に手を入れられている。
まさかと思ったとき、その手は下のほうへ深く入り、性器を指で撫でてくるのだ。
指に陰核をこすられ、力が抜けそうになったが、立つ力まで失わないようにこらえたら、全身にムカムカとした怒りが沸き上がってくる。
「おい、後ろの痴漢。次の駅で降りなかったらブッ潰す!」
容姿の可愛さからは想像もつかない低く強い声に、周りの人たちも驚いて、痴漢はどいつだと、視線を向けてくる。
次の停車駅はあと一分もしないうちだ。自分の後ろには三人の男が立っているのは、栞にもわかっていた。
どの男が痴漢なのかまで栞にはわからなかったが、果たして、そのうち一人が、停車するや、スッと降りていく。
心の底からホッとする栞に、すぐ近くにいた二十代くらいの女性が、心配そうに、大丈夫ですか、と声をかけてくる。
すると、前のほうに立っていた若い男性も、ねえ、と声をかけてきた。
「きみ、よく耐えたねえ」
男は感心して、栞に笑顔を見せる。そして、スマートホンを見せて、
「きみが痴漢に警告してから、動画を撮っておいたから、きみの端末に送ってあげるよ」
近くの端末に画像や動画を送れる機能を立ち上げる。
栞は送られたファイルを受け入れる操作をしながら、
「後ろに三人いて、どの人が痴漢かわからなかったんですよ。あの状況じゃ、騒いでもシラを切られるし、人違いしたら大変だし、ああ言えば、痴漢したのが逃げていくと思って──。それを撮ってくれてる人がいますようにって」
落ち着いた行動をとれたと、自分を褒めてやりたいくらいの栞だ。
「そのとおり、思惑通りに動画を回してたヤツがここにいたわけだ」
若い男性は清々しく笑って、
「逃げていくところも、逃げた男の顔もバッチリ撮れているから、役立ててくれよな。駅員でも、警察でも、これを見せれば動いてくれるよ」
そう言うと、ちょうど次の停車駅となり、ドアが開く。
「おれはここで降りるから。グッドラックだよ」
人並みをかき分けてススっとドアをくぐっていく男性に、礼を伝えていないことに気づく栞だが、もう遅い。電車はすでに動き出してしまった。
痴漢被害の申告をするために少し遅れる、と学校に電話連絡をし、およそ十分遅刻して、栞は二年A組の教室に入った。
すると、見たことのない生徒が、担任と並んで教壇に立っている。
「佐藤さん、大変でしたね」
担任はすでに事情を伝えられているようだ。
「改めて紹介します。転校生のヒカリさんです」
ヒカリと呼ばれた転校生は、よろしくお願いしますね、とニコリと笑みを見せる。
「こっちこそ、よろしくね」
急な転校生に驚きながら、ヒカリの容姿から醸される不思議な感覚に、戸惑う栞だ。
制服も着ており、見た目は女子高校生そのものだが、大人のような子どものような、つかみどころのない雰囲気に、意思の強そうな目の光、なのに優しげな表情。
多分変わった子なのだろう、と印象をまとめたとき、担任は、佐藤さんの隣に席を作りますので、と言ってくる。
「いろいろ教えてくださいね。頼りにしますから」
のっけからそう言われると、ウザそうだが邪険にできない、と栞は思う。先手を打たれた感がして、かなりできる子だと推し量られるのだ。
「早速だけど、今日、帰りにお茶でもしません? お近づきにご馳走するわよ」
「悪いけど、用事があるの。行かなきゃいけないところがあって。だから、また今度ね」
栞の用事は本当のことだ。個人的な活動、そのための打ち合わせがある。
するとヒカリは、栞の顔を見据えて、はっきりとした口調でいう。
「その用事、かなり困難なことね。自分ひとりの力では成し遂げられないかもよ。もし力になれることがあれば、話を聞くわよ」
「ええ?」
ヒカリのいうとおり、努力が報われるかどうかは難しい状況なのだ。なんの話も交わしていないのに見抜くとは、いったいどんな子なのだろう。
変わらずニコニコしているヒカリの顔を、栞は不思議そうに見るのである。




