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第二話「死と変容」20(最終回)

 あかりが約束の午後一時に、待ち合わせる新宿の喫茶店を訪ねると、すでに身支度を整えたヒカリが待っていた。

 どこからかの帰りらしく、『光の路』ではなく新宿で落ち合うのは、これから向かう先との乗り換え地点なのだろう。

 せっかくだからパフェでも食べていきましょ、とヒカリはウエイターをつかまえて注文を伝える。

「あら、遠慮なくごちそうになるわ」

 甘いものには目がないあかりだから、もちろん一番高いものを選ぶ。

「どうぞ。これからひと働きしてもらうから、バワーを蓄えてもらわなきゃ」

「ええ?」

 お腹を喜ばせた二人は、少し歩いたところでタクシーをつかまえると、目的の住所を伝えて乗り込む。


 到着した場所は、あかりははじめてだが坪井分家、澄花の家である。

「ヒカリさん、あかりさん、いらっしゃい」

 澄花の両親も一緒に出迎えてくれている。昨晩、吉川巡査部長を通じて、翔馬の死は春佳の過失で起こった事故であること、春佳は自殺とみられることを伝えてあった。

 過失致死案件だがすでに発生から十年の時効を過ぎており、警察が事故を書類送検することはなく、今後も事故のことで隠蔽などの他の罪が問われる人物もいないという。

「春佳さんは、亡くなる前に何か書き遺していると思うのです。そして、それを見つけてもらうことを願っていた。私はそう考えています」

 ヒカリは春佳が遺書をのこしているとみて、探すために分家を訪れたのだ。春佳の思い残しを成就させるために。

 すでに物置や両親の部屋の押し入れから、多くのものが客間に持ち込まれている。

「春佳さんの持ち物で、澄花さんのためにしまいこんだものも、全部みさせてくださいね」

「わかりました。まだありますので、これから出しておきます」

 捨ててしまったものはないはずだと、澄花の父はいう。

 春佳の生前使っていた部屋にあったもの、澄花の精神状態を心配した父親がし舞い込んで隠したもの、すべてを確かめるのだ。

「あたしを連れてきたのはこのためね。こりゃ、一人で調べるのは大変だわ」

 あかりは、うんざり気味な言葉とは裏腹に、ひとつひとつを丁寧に確認していく。このようにこまかい作業がひとつも苦にならないから、細密な絵が描けるし、これも才能だとヒカリは感心している。

 だが、ヒカリとあかりがどれだけ目を行き渡らせても、一向に見つからない。

 バッグ類も、ノート類も、収納ケースも、書籍も、衣服のポケットまですべて改めたが、春佳の持ち物からは、遺書らしきものは出てこないのだ。

 携帯電話は契約しておらず、パソコンももっていない。日記をつける習慣もなかったようだ。

「見つけてもらうために書いたなら、いくら探しても見つからないようなところには隠さないと思うの」

 ヒカリは本のページをパラパラめくりながら、あかりに話しかける。

「あるかどうかもわからないんだから、骨折り損にならないことを祈るわよ」

 あかりもさすがに疲れてきたようだ。パフェのエネルギーも枯れたとばかりに、一休みしない?とヒカリに目で訴えている。

 澄花も察したらしく、

「私の部屋で、冷たいのを飲みませんか?」

 と、自室にヒカリたちを案内する。

 母親がアイスコーヒーを差し入れてくれ、一息をつくヒカリとあかりだ。

 澄花の部屋にも、春佳の生前の持ち物が少しあるが、記憶を変えられた澄花に使わせるためになら、あらかじめ父親が改めているはずだ。こちらにある可能性は極めて薄い。

 さて、つづきにかかりましょう、と立ち上がったとき、ふと、ヒカリはクローゼットの横に置かれている鏡台に気がつく。

「これ、確かお姉さんのでしたよね。澄花さんの記憶が戻るまで、お父さまが隠されていた」

「そうです。おばあちゃんの形見です。これも見てみますか」

 私が受け取ったときは、お化粧道具しか入っていなかったです、と澄花はつけ加える。

 ヒカリはうなずきながら、引き出しを開け、鏡の後ろのすき間、台の裏を確かめたが、やはり何もない。

 見落としはないかと、なおもそこかしこの角度から鏡台を見てみると、

「この引き出し、外から見るよりも中は浅いわね」

 と気づく。

 ヒカリが引き出しの裏を見ると、上げ底になっているわけでもない。

 すると、あかりが、これはもしかするわよ、と引き出しの中身を出して、逆さにしてみる。

 そして、裏をトントンと叩くと、果たして、中板と便箋が落ちてきた。

 ヒカリと澄花は目をみはって、あかりのほうを見る。

「昔の鏡台の引き出しは、二重底にしているのがあるのよ。旦那以外の男からの恋文を隠しておくためにね」

「それ、あんたならではの知識ね」

 ヒカリは感心するばかりだ。

 他の引き出しも確かめてみると、三つの引き出し全部に、一通ずつ便箋が隠されていたのである。

 三通の便箋は、それぞれ、澄花、美智子、両親にあてられていた。

 どれもに目を通したヒカリは、

「澄花さん、ご両親のところへ行きましょう」

 便箋を畳んで、腰を上げるのだ。


 両親へあてたものは、まさに遺書であった。

 翔馬を死なせてしまったのは、実は自分であること。

 翔馬は間違いなく事故死であること。

 美智子は自分をかばったために疑われたこと。

 美智子にどれだけ申し訳ないか。翔馬がどれほど可愛かったか。

 命を絶つ親不孝をわかって欲しい。

 そして、父と母と、澄花との思い出を書き連ねているのであった。

「春佳さんは、自分の死後に、これを見つけてほしくて、鏡台の引き出しに入れたのだと思います。真実を隠しつづけることが、きっと苦しかったのでしょう」

「私が鏡台をし舞い込んだために、今まで……」

 春佳の想いまでし舞い込んでしまった、と澄花の父は向けようのない嘆きを呟く。

 探さなければわからない場所に入れたのは、なんでかしらね、とあかりは不思議がる。

「おそらく、死に損ねたときのためだと思うわ。そのときは、誰にも見つからないうちに破棄するつもりだったのかも。簡単には見つからない隠しかたをしたのはそのためね。見つけて欲しい思いと、見つからないようにしたい思い。矛盾する気持ちの落ち着き場所がここだったのよ、きっと」

 ヒカリはしみじみと、春佳の葛藤を慮るのだった。

 春佳が自殺だと、本人の遺書からもわかり、澄花と両親は、新たに悲しみが増してくる。

 そして、春佳を最後までかばいつづけた美智子に、どれだけの呵責を負ったのか、ヒカリにもあかりにも、痛いほどに伝わってくる。

「美智子さんは、春佳さんを責めていないのですから、もう、なにも言うのはやめましょう。みんなが真実を知ることができて、春佳さんも天国でホッとしていますよ」

 ヒカリはそう言葉をかける。

 それでも、肩を落として真実を受け止める両親に、澄花は、お父さん、お母さん……、と静かに寄り添うのだった。


 澄花への手紙は、澄花と過ごした思い出の綴りに溢れていた。

 一緒に暮らしていた妹である。その成長が毎日の楽しみだったのだ。当然、翔馬以上に深い愛情をかけていた。

 お姉ちゃんの分も幸せになりなさいね。

 最後をそう締めくくっていた。

「春佳さんのその気持ち、いろんな形で澄花さんに伝わっていたのね。姉妹ならではのテレパシーよ、きっと」

 病院で澄花に言い遺したと、本能によって改竄された記憶。ヒカリの施した呼び戻しによってあらわれた、春佳の遺体の本当の姿から聞こえた声。

「澄花さん。あなたが占ってほしかった、二人分の幸せになる結婚なのか。それをお答えしますね」

 でも占術ではなくてね、とヒカリはまっすぐ澄花を見る。

「あなたの幸せがお姉さんの幸せなのよ。あなたが幸せになれば、お姉さんも幸せ。二人とも幸せじゃない? あなたがあなたの幸せを得られれば、二人分幸せよ」

 簡単な理屈だ。澄花は感慨にあふれた気持ちのままに、うんうん、と目を潤ませるのだ。


 ヒカリたちが次に向かうのは、坪井本家、美智子のもとだ。

 春佳が遺した手紙、美智子へあてたものを届けにいくのだ。

 手紙の内容はこうだ。

 翔馬を死なせたことを詫びたあとに、

「取り返しのつかない過ちをしてしまいました。死ぬことが美智子さんの気持ちに添わないことはわかっていますが、重すぎる十字架を背負う気持ちは、澄花の存在を以てしても、安らぐことはないのです」

 両親や澄花への最後の手紙にも、ついに伝えなかった、春佳の本当の思いだっただろうことが綴られていた。

 最後には、

「私のことをずっと可愛がってくれてありがとうございました。美智子さんに愛された思い出を持って、翔馬ちゃんのところへいきます」

「最後にお願いします。澄花のことを、私にしてくれたように可愛がってあげてください」

 ふたつのことが書かれてあった。

 春佳が自殺を図った可能性も感じていた美智子だが、これが本当だったとわかると、実の妹のように可愛がり、母のように世話をかけた日々が次々と去来する。

「わたしが至らなかったのですよ。春佳ちゃんの優しさと、背負った気持ちを考えましたら、命を絶って責任をとろうとすることに気づくべきだったのです」

「翔馬さんを喪ったばかりで、考えが回らなかったのは無理もありません。ご自分を責めないでください。翔馬さんも悲しみますよ」

 言葉なくうなずく美智子は、顔を上げ、あかりが描いた絵に向けて想いを寄せる。

 壁の額には、冥婚の絵ではなく、翔馬の絵が入れられている。

「ここには冥婚の絵をかけていたのですが、先ほどはずしましたの」

 冥婚の仲人さまからお電話をいただいたのです、と美智子はつづける。

「向こうさまから、辞退の申し出があったのですよ。冥婚の登録もやめられたそうですよ」

 と、寂しそうに口にする。

「そうでしたか。でも、翔馬さんには春佳さんがいますから」

 ヒカリが慰めると、あかりが、

(あね)さん女房は(かね)の草鞋を履いてでも探せ、っていうけど、姉さん過ぎやしません?」

 大真面目に口を挟む。

 もう、先生ったらすぐ男女をくっつけたがるんですから、と苦笑いし、美智子に言葉をかける。

「夫婦うんぬんはともかく、翔馬さんは春佳さんがそばにいて、幸せでしょう。春佳さんだって、翔馬さんが可愛くて追いかけていったんですからね」

「ヒカリさん……」

 春佳の死をそういうことにしておくヒカリの思い遣りが、心から嬉しい美智子だ。

 壁にかけられている青年の翔馬が、美智子をあたたかく見守っている。今も、これからも──。



 三階のヒカリの私室で、美味しそうにたばこをくゆらすあかりは、これで万事めでたしよね、と満足そうだ。

「それにしても、ムカサリの相手がやめてくるなんて、思わなかったわよ」

 言ってすぐ、あっと気づくあかりだ。

「ヒカリ、まさか?」

「さあね」

 ヒカリは澄まして、紅茶をひとすすりする。

 午前中に、ヒカリはめぐみの両親に会い、星の軌道と観相の結果を伝え、ムカサリをとりやめるよう説得したのだ。そして、しきたりを逸脱した運営を、ありのまま伝えてきたのである。

「ヒカリのそういう力業、相変わらずねえ」

 聞き流すように、ヒカリは澄まし顔のまま、カップに口をつけつづけている。

 あかりは、やっぱりヒカリには敵わないわ、と笑みをみせるのだった。

第二話は今回で終わりです。次回から第三話「すでに日は暮れて」がはじまります。

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