20 召喚されし者の憂鬱
短かったので二話同時投稿。
時をさかのぼること、九重晶がこの世界――エル・ファルシアに落ちてくるよりほんの十時間ほど前、まだ夜の帳に覆われた空で満月が天頂に輝いている頃。
歴代の聖人や聖女たちが眠る神護の森を有するグランガルド王国に勇者が召喚された。
この事実を知る者はその時点では王城の人間と教会の上層部のみであり、人々はまだ勇者の存在を知らずにいた。
「ここ、は……」
学生服を着た長身痩躯の美青年――聖秀隆は目の前に広がるファンタジーな光景に呆然としていた。
彼は幼馴染の少女と共に学校から帰宅している最中に、普段はテレビを見ない彼でも知っているような有名人に遭遇した。その有名人のファンだった幼馴染はサインをねだり、秀隆も彼女に付き添っていた。
だが、サインを書いてもらっている最中に突然足下が光ったかと思ったら、三人はいつの間にかこの白亜の広間の中央に立っていたのだ。
「ヒデ君……」
肩にかかるくらいの髪を二つ括りにした幼馴染の少女――結城理緒が、いつも元気いっぱいだった顔を不安そうに歪めて秀隆の腕にしがみついている。
物心ついたときからずっと秀隆と一緒だった彼女は、秀隆に対してお姉さんぶりつつもとても甘えん坊であり、こうして腕にしがみつくことは日常茶飯事だが、これほど不安そうな表情は秀隆であっても数えるほどしか見たことが無かった。
「こ、ここ、異世界だよね? 兵隊さんとか、魔法使いみたいな人とか、お姫様とかいるし……ど、どうしよう、ヒデ君! あたし、《異世界に持っていく物セット》持ってきてないよ!?」
彼女の不安そうな顔は、秀隆の思っていたものとはいささか違っていたらしい。
理緒はオカルトマニアであり、普段から心霊現象や未確認飛行物体、異世界への扉などといった都市伝説まで追いかけていた。そんな彼女が愛読するのは主人公が突然異世界へ飛ばされてしまうライトノベルであり、そこから自分なりに異世界で必要そうなものをまとめた《異世界に持っていく物セット》なるカバンを用意してしまうような人間が結城理緒という少女だった。
「それは仕方ないよ。異世界に飛ばされる主人公は、みんな突然だったんだろう? ……というか、本当に異世界に召喚されるなんて……」
「うんうん! すごいよね、ヒデ君! あたしたち、選ばれちゃったんだよ、きっと!」
能天気な会話が繰り広げられて周囲の人間――特にお姫様と目される少女が話しかけるタイミングを失っている中、もう一人の召喚者がため息をついた。その人物は腕を組んだまま神経質そうに人差し指をトントンと小刻みに動かしている。
「空間の歪なら対処できたのに、召喚されるなんて想定外もいいところだわ……仕事も詰まっているっていうのに」
若干イライラした様子で愚痴を呟く、ゆるいウェーブのかかった栗色のロングヘアの少女――九条院咲夜はテレビや雑誌で本物の霊能力者として名を馳せる有名人だ。巷に跋扈するお札を貼っただけで悪霊は封印されたとのたまうエセ霊能者や、時々幽霊が見えるだけの中途半端な霊能者とは違う、実際に悪霊と戦い、倒す力を持った存在である。
彼女は何も仕事が一つおじゃんになるからという理由でイラついているわけではない。
ほかの者は見えないため気づかないようだが、ここは気持ち悪いくらいに悪霊が多かった。悪霊に目をつけられない方法は、焦点を合わせないことだ。一体二体ならばそれこそ無意識でも行うことができるが、それが数十体規模になると彼女であっても精神的苦痛は計り知れないものがあった。
「……それで、ここはどこで、何のために私たちをこんなところに喚びつけたのか、元の世界に戻れるのか、キリキリ説明してもらえるかしら?」
咲夜は中心人物と思われるお姫様らしき少女に向き直ると、冷たい視線で話を促した。
「は、はいっ。んんっ……わたくしの名前はルリエッタ・グランガルド。このグランガルド王国の第一王女です」
冷たい視線に思わず気圧されたルリエッタはさらさらな銀髪を揺らして気を取り直し、つらつらと説明をし始めた。
千年前に魔人族とそれを率いる魔王がエル・ファルシアに侵略を仕掛け、銀の聖女によって魔王が倒されたことで撃退に成功したこと。
五百年前に出現した新たな魔王によって再び侵略が行われ、その非道な行いに決起した約半数の魔人族とその時召喚された勇者によって交わされた約束によって魔王軍を再び撃退することに成功したこと。
「あの……その約束とは?」
用意されたテーブルセットで紅茶を飲みながら秀隆が質問し、ルリエッタは渋い顔を浮かべる。
「勇者に協力する代わりに、自分たちを世界の住人として受け入れることです。彼らは自分たちが住める世界を探しているという話でしたから」
「じゃあ、その魔人族は今もこの世界で一緒に暮らしているんですね」
秀隆は能天気にいい話だなと思っていたが、ルリエッタは渋い顔のまま口を開いた。
「それこそが問題なのです。魔人族は存在そのものが悪であり、神もこの世界に魔人族が存在することを認めてはいません。それに、魔人族を受け入れた一部の国では現在、魔人族の暗躍が確認されています。彼らはまだこの世界を支配することをあきらめてはいないのです。グランガルド王国が直接それを阻止するために動くのは内政干渉と取られてしまうため、大々的に動くことができません」
「なら、魔人族は危険ですって訴えかけたらいいんじゃないの?」
遠慮なしに焼き菓子をほおばっていた理緒が疑問を投げかける。
「五百年間大きな問題を起こすことなく民衆に溶け込んで生活してきた彼らには、その国からの信用もあります。わたくしたちがいくら訴えかけても聞いてはもらえないのです。ですから、勇者の力が必要だったのです」
憂いを帯びた瞳でルリエッタは真剣に訴えかける。
「お願いします。どうか、この世界を魔人族の魔の手から救ってください」
咲夜は与えられた部屋で一人、ベッドに腰掛けていた。
スイートルームもかくやというほどの贅を凝らした内装は、しかし彼女の興味を引くことは無く、先ほど聞かされた話とこれからのことについて頭を悩ませていた。
本来召喚されるはずだった勇者は秀隆一人であることは、何かの道具らしきものを使うことですぐに判明した。理緒と咲夜は完全に巻き込まれた形であり、秀隆も問答無用で連れてこられた被害者だ。
だが、幼馴染コンビはルリエッタのお願いにあっさりと首を縦に振った。咲夜から見てこの二人はありえないくらいのお人よしだと判断せざるを得なかった。
そんな彼女は、まだ答えを出せてはいない。それどころではなかったのだ。
それというのも、元の世界に戻る方法が存在していなかったからだ。彼女には日本でどうしても果たさなければならない目的がある。その目的を果たすために、帰る方法がありませんと言われたくらいで、ハイそうですかとあきらめるわけにはいかないのだ。
勇者の役目を果たすことで元の世界に戻れるならば、気は進まなくともやぶさかではなかった。しかし、それも無いと断ぜられた以上は唯々諾々と従うわけにはいかない。
(……そうよ。本当に帰る方法がないのか、まだこの目で確認もしてないじゃない)
まずはこの王宮を調べて、駄目ならばほかに情報がありそうな場所を調べればいい。自分で確認して真偽を判断し、一つ一つ見て回らなければ本当に方法が無かったとしても納得ができないのだ。
そうと決まれば、勇者ごっこに付き合うのは時間の無駄でしかない。かといって馬鹿正直に帰る方法を探すから手伝わないなどと言えば、最悪消されてしまってもおかしくは無い。ここは日本での常識が通用しない異世界なのだから。さしあたっては、この世界の知識を収集して見聞を広めるためとでも理由をでっちあげようかと考えながら、咲夜はこの世界に一緒に飛ばされてきた道具類の点検を開始した。
(私はあの人に会って認めてもらうまで、あきらめるわけにはいかないのよ)
己が霊能者として名を広めている理由を心に刻みなおし、彼女はあきらめないことを覚悟した。この城の中だけで見つからなければ、一人でこの世界を旅することも辞さない覚悟だ。
だがその前に、当分は拠点となるらしいこの城にはびこる悪霊を何とかするのが先である。咲夜の忍耐はすでに限界だった。
翌日、王都から馬車で半日の距離にあるクァンルサスの神護の森にて、現勇者による封印された聖剣の抜刀が行われた。
公的には百年前ぶりに聖剣が引き抜かれたことになるが、ほんの数時間前にある巫女さんの手によって一度引き抜かれていることなど知る由も無く、聖剣の力も銀の聖女が使っていた当時の半分程度しかないことにも誰も気づくことは無かった。
咲夜「霊能アイドル、マジカルさくや惨上! 悪い子は成仏させちゃうゾ☆」
というわけで勇者登場。




